アメリカという甘美な幻想

南カリフォルニアはオレンジ郡に住むオヤジです。妻共々サラリーマンでしたが、2011年にグリーンカードが当たり、アメリカへの憧れに抗しきれずに2012年10月に移住してきました。個人輸入代行やコンサルタントを生業にした後、2016年からは会社員(人事、法務など)に。移住する遥か前から積み重ねてきた様々な「アメリカ体験」も含めて文章に残すためにこのブログを書いていますが、会社員復帰以降は忙しすぎて更新は稀に。。。面目ない。

起業

岐路

アメリカに移住すると決断したとき、どうやって金を稼ぐかということは大問題ではなかった。何故なら移住したらiPhoneを中心に個人輸入代行を生業にすることに決めていたからだし、もしそれがコケたとしても基本何をやってでも生きていく覚悟があったので、「とにかくまずは移住する」と決めていたからだ。

 

実際には日本でのアメリカ版iPhoneへの需要の大きさについて確信があったし、ここでお客様の一定の支持を得られれば生きていけると思ったし、事実2012年秋にアメリカに移住して以降これまではそれでやってこれた。

 

しかし、iPhoneの需要は発売されてから3か月間がピークで、残りの9か月の売上は激減する。勿論この9か月の間の売上を増大させるべく色々な施策は試してみたけれど、なかなか思ったような結果は得られなかった。そうこうするうちに日本でもSIMフリーが出、円安は益々進行し、「カツカツの生活」さえ維持するのは簡単ではなくなり、これを打破するために何か新たなことをしなければならなくなった。これは昨年以来の課題でここでも折を見て書いてきた。

 

以来、僕としては従来の輸入代行業を強化するか、もしくは新たに移住コンサルティング会社や旅行案内会社を興すか、または、アメリカ人の需要を汲むという方向性でJapanese Curryの店を興すことを考えていたのだが、実は僕は、今日から全く違うことをやり始めた。

 

詳しいことは秘密保持の義務があって言えないが、僕が日本でサラリーマンをしていた時のコアスキルを活かした仕事だ。但し、サラリーマンではない。契約は年末まで。

 

フリーランスなので今の代行店を畳む必要はないのだが、この仕事は片手間できるものではないので、代行業務は縮小し、基本iPhoneの代行以外は行わないことになる。また、今年の9月に新型iPhoneが発売されるだろうが、この代行をこれまで通り行うかどうかは現時点では流動的だ。

 

ところで、この決断をする際妻に「本当にやりたいことは何?」と聞かれた。僕は「僕が出来ることをやりたいだけ」と答えたが、妻にはピンと来なかったようだ。具体的な仕事の内容や職種を言うものだと期待したのだろう。もしかすると、これを読んだあなたにも意味がつかめないことかもしれない。しかし、僕は一貫してこの考えだ。

 

      やれることをやった結果、それに満足してくれる人がいる。

      それ以上にやりたいことは特にない。

 

僕は実家が負わされた巨額の連帯保証債務を契機に1985年に大学を3年で中退した。その後塾の講師から作詞作曲家になり、1999年に廃業後通訳を経て人事・法務マンになり、2011年にグリーンカードが当たって今の代行業を行っているが、経験した複数の仕事のいずれについても「やりたいからやった」のではない。「やれるからやった」のだ。

 

いや、僕が一時生業にした音楽家業は純粋に「やりたいこと」だったのかもしれない。そして「本当にやりたいことは何?」という質問への、前提条件なしでの答えは今でも「音楽」だ。だが、もし今そう言えば妻はより当惑するに違いない。それでどうやって食っていくのかと言えば、食える保証など何もないからだし、そんなものをいつまでも「やりたい」と言い続けることは周囲の誰にとっても迷惑でしかないだろう。そもそもそんな「迷惑行為」を続けるメンタリティーは僕にはない。趣味ならいい。しかし趣味を楽しむには生活の糧が別に必要だ。

 

「なんでもよかったわけではないでしょう?」と聞かれれば、それはその通りだ。音楽家業はもとより塾講師、通訳、そして人事法務の仕事。その全ては自ら選んでいるのであって何でもよかったわけではない。しかし、どの仕事の場合でも、その職種についたことで自動的に満足が得られるわけではない。

 

塾の講師なら生徒父兄の支持があって満足できる。通訳をしているのに外人さんに「アナタ、何言ッテイルカワカラナイヨ」と言われて落ち込まないはずはない。というか翌日はクビだ。人事や法務についても、その仕事を通じて成果を上げていないのに喜べるはずがない。

 

そう、要は成果だ。他人様が喜ぶから、他人様が頼りにしてくれるから自分が生きる。報酬が生まれる。自分の仕事に意味が生じる。だから、「やりたいことをやってます。でも何ら成果を生んでません」などということは精神的にも経済的にも続けられるはずがない。そしてそもそもそんなものは「やりたいこと」にしておきようがない。

 

iPhoneの個人輸入代行も「僕が出来ること」の中から選んだものだ。お客様の支持を得られる自信があったからやったのだ。支持されることが嬉しいからこれまでやり続けたのだ。だが、今のiPhoneや為替相場を取り巻く環境では早晩終わりが来る。だから僕はまた「自分が出来る新しい何か」をやり、支持を受け、対価を得、更に生存していかないといけない。それがこれから行う仕事だ。

 

この仕事が終わったら何をするのか。いや、簡単。「また出来ることをやる」だけ。今後も生きていけるレベルの対価を頂けるものを。それが「移住コンサルティング会社」なのか「観光案内会社」なのか「カレー屋」なのか「ハイパー輸入代行屋」なのか「引き続き会社員時代のスキルを活かした今の仕事」なのか「タクシーの運転手」なのか、はたまたサラリーマンなのかはわからない。わからないが、そこには自分なりの理想や都合はあるから、出来るだけ希望に沿ったことが出来るように「準備」はしておくつもりだ。

残業への考え方の違い

かなり昔、僕はデューダやエンジャパンなどの転職斡旋サイトを利用したことがあるが、その時の登録を解除していないので今でもメールがバンバン来る。そこで紹介される案件のキャッチに「残業30時間以内」というのがある。言うまでもなく、日本では残業30時間以内はかなりの売り文句になるからだ。

 

実働2122日で残業30時間なら1日あたり約1.5時間残業が発生するので、8時間の通常労働と合わせると9.5時間会社にいることになる。確かに日本ではいい方だ。だが、アメリカでは「残業時間が少ない!」などと募集に際して宣伝する概念そのものがない。

 

彼らは何か特別な事由がない限り8時間働いたら家に帰る。翻って日本では、マシな会社でも大体残業が30時間は発生する。ということは、日本という国では最低30時間の残業を生む「特別な事由」が"恒常的"に発生しているということか。


  ***
 

僕もサラリーマン時代は深夜のタクシー帰りを含め長時間労働を経験している。それでも僕は「意味のない残業」だけは回避しようとしていた。家族との時間、趣味の時間、それを犠牲にすることは耐え難かった。だから僕自身、人事の管理職として「成果を上げてスキっと帰宅」を実践しようと心掛けていた。

 

しかし、定時に帰ることそのものが「もってのほか」という雰囲気を気にしないで自由にふるまえるほど、僕は「日本人ばなれ」してはいなかった。そのストレスによって(早期で発見できたからよかったが)胃癌を患ったと確信している僕は、憧れていたアメリカに対し「憧れ以上の想い」を持つに至った。すなわち僕は、アメリカが「無意味な長時間労働を強いる国ではない」ことにも強く惹かれたのだ。

 

アメリカに住んだこともなく、せいぜいアメリカ人のメル友との会話で得た程度のイメージでしかなかったが、Appleの創始者であるスティーブ・ジョブズやMicrosoftのビル・ゲイツのように、成功への野心を燃やす人は他人に言われずとも長時間の労働をする一方、年収数百万のサラリーマンがプライベートを犠牲にして長時間無意味に働くなどということはアメリカではあり得ないという確信があった。

 

果たして、渡米して普通に生活する普通の人々と交流する中でわかったのは、その確信はほぼ100%当たっていたことだ。

 

僕の近所の複数の知り合いで、夜の7時に家にいないということはない。いや多くは6:30PMには帰宅している。つまり午後5時台には会社を出てる。土日に会社に借り出されるということもない。会社はそんな要求はしないし、社員側もそんな要求をされることなど微塵にも考えていない。

 

そんな「働かないアメリカ」で普通の国民はプライベートを充実させ、生きることを楽しみ、そのくせ世界No.1の経済大国を維持している。そして日本は「今日も残業、明日も残業」でやっているのにその後塵を拝している。人口の違いなど要因は様々あるだろうが、概して日本の長時間労働は生産性につながらない非効率的なものだと僕はずっと思っているし、「楽してNo.1」のアメリカに学べることがあるのではないかと僕は思う。

 
  ***
 

昨今アメリカでは、日本のアニメやマンガなどへの関心を経て日本独特の事象も多くの一般の人が知るようになっている。当然日本人の長時間労働も知っているし「過労死」という言葉さえも知っている。僕のコミュニティーの友人も勿論それを知っている。そして、何故そこまで私生活を削って会社に時間を割くのかは到底理解不能だという。家族も趣味も全部犠牲にして働いて、一体なんのための人生なのかわからないという。

 

僕も日本にいた時からずっとそう考えていた人間だった。成果さえ出せば、その時間の使い方に文句を言われる筋合いはないと20代から考える人間だった。周囲と協調するのが苦になる人間ではなかったが、無意味さを強いられることにだけは耐えられなかった。

 

アメリカに来ている日本人は、それなりに同じ日本人の知り合いがいるし、こっちに来てから自然に知りあいになることもある。彼らの中には僕のように日本である程度の額のお金を会社員としてもらいながら、それを捨ててアメリカに来て起業した人も少なくない。

 

それで大成功した人もいるが、多くは日本時代よりお金は稼げていないし、日本にいたころのように長時間働くこともざらにある。僕も繁忙期は休みが4か月とれなかったこともある。しかし、何かが違う。それは「全てに意味を感じる」ということだ。僕もその友人たちも「誰かにやらされていない」のだ。これはアメリカならサラリーマンでも同じ感想を抱くことだ。

 

アメリカはこう言う。

 

  成功したいの?どうぞ。没落したいの?どうぞ。
  どちらもあなたの自由です。何も強いませんよ。

 

僕にはこの考えがあっていた。日本での長時間労働に「特別な事由」は何も見いだせなかった。趣味の悪い根性論に付き合わされるのは勘弁してほしかった。だから年収が3分の1になってもいいと思ってアメリカに来た。本当に年収は3分の1になったが何の後悔もない。代わりに手に入れたもの - ほぼ100%の自己決定の自由、青空、海、緑、砂漠 - があまりに心地いいからだ。僕だけではない。友人たちもほぼ同じ理由でここにとどまっている。

 

起業すれば全てにおいて自己決定するのは当たり前だが、アメリカではサラリーマンとして働いても日本のような居残りへのプレッシャーなどはありえない。日本は言うまでもなく素晴らしい国だ。しかし、生きる上で切っても切れない重要な要素である「働く」という点では、これほど不条理で馬鹿げた意識が横溢している国はないように思える。

あなたが本当に欲しいものが「自己決定の自由」なら、アメリカに来るのは間違いではないと僕は思う。

2009年:心機一転カリフォルニアとネバダの旅(番外編)

2009年7月、2年ぶりにアメリカを旅行して戻ってきてから、実験的に代行店をスタートさせる準備を進めた。その過程で販売目的で若干商品を買っておいたりアメリカのイメージ画像が必要になったりしたため、再度11月に4泊6日程度でロサンゼルスに行こうと考えた。

一方同居する義母は僕が会社員に戻らないという決断を受け入れていたのかと思ったが、9月になって急に「不安だ不安だ」と騒ぎ出した(一人娘の母親という立場上、まあしょうがないとは思うが)。結局10月に僕は、代行店を開業することをはじめ、将来的に起業する可能性の模索を今後とも続けることを許してもらう一方、
(口があるのなら)再就職することを約束した。そんな流れで11月に内定が出たが、勤務開始は12月にしてもらい、4泊6日の旅行には計画通りに行った。


2009年11月20日~26日
このような旅だったので、基本的に商業地域しか回らなかった。骨が折れたのは、店のイメージ画像に使うために以下のような写真を撮る作業だった。お店から許可をもらえるとは思えないし、とにかく「写真を撮るな」と表示がないところで人知れず技術を駆使して撮ったのである。


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しかし、僕のような砂漠好きがロサンゼルスにいながらそこに行くのを我慢することは出来ず、ロサンゼルスから2時間半ほどにあるリッジクレストという町まで行って砂漠を愛でてきた。

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多分CA-178号線。こういう景色に出会うたび、今でも心がときめく

そして、またもハモサビーチのビバヒルのビーチハウスに行ってみたのだが、11月の少し寂しげなビーチを散歩していると、何か様相が違っていることに気づいた。

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奥に見えるのが例のビーチハウス 

実はこの時多くの家が売りに出ていたのだ。当然にリーマンショックの影響で、売りに出ている家の看板は「For Sale」だけでなく、「Foreclosure(差押物件)」とか「Short Sale(一言では説明不能)」などの看板がやたらに目についた。上の写真にも納まっていないし、他の写真を見ても撮れてはいなかったが、いやでも目に入るほど多くの売り看板が出ていた

この、リーマンショックによる不動産価格の下落は2012年夏に底を打つことになった。一方日本円は2012年夏ごろは70円台を保ち、ドルに対して過去最強レベルの強さだった。勿論
この当時はそんなことを知る由もなかったが、僕ら夫婦はまさに2012年夏に、今住んでいるコンドを買った。狙ってできることではなく、ラッキー以外の何物でもなかった。

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こうして目的を果たし、あとは帰るばかりとなった。買いつけた商品は持ってきた2個のスーツケースには納まりきらなかったので、入りきれないものは別送品として箱に入れ、帰る前日に日通から出した。そして最後に、グリフィス天文台からの夜景を見て2009年アメリカ旅行の番外編は終わった。

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帰国後、またもサラリーマンに戻ったわけだが、その時の想いを今でも忘れない。僕はこう願っていた。

 起業のことが頭にあるからといって手抜きをするつもりは勿論ない。
 ただ、ドラスティックなくらいでいいから「成果主義の職場」であってくれ。
 論理的整合性のない日本的根性論だけは勘弁してほしい。
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