アメリカという甘美な幻想

南カリフォルニアはオレンジ郡に住むオヤジです。妻共々サラリーマンでしたが、2011年にグリーンカードが当たり、アメリカへの憧れに抗しきれずに2012年10月に移住してきました。個人輸入代行やコンサルタントを生業にした後、2016年からは会社員(人事、法務など)に。移住する遥か前から積み重ねてきた様々な「アメリカ体験」も含めて文章に残すためにこのブログを書いていますが、会社員復帰以降は忙しすぎて更新は稀に。。。面目ない。

英語

2020年は英語系Youtuberになろうかと...

このエントリーが2020年最初のものになるのでご挨拶を。あけましておめでとうございます。

昨年5月ころにサラリーマン人生に不満を抱くことをやめることができてから、特に内面的な危機というのはなくなり、同年6月にアメリカ東南部の旅行及びその周辺のことをブログに一気に書いてしまってからは妻との南カリフォルニア生活を充実させることを優先に生きていた。

いきおい週末は遊びに出かけることが圧倒的に多くなったし、仕事は相変わらず忙しくて家に帰ってきてからパソコンに向かってモノを書く気にもなかなかなれず、このブログもなんか遠い存在になっていて、気が付けば2020年も2月中旬になっていた。

2020年正月。僕は2つやりたいことを心に描いた。一つはプロ時代に作ったままお蔵入りにしていた自分の曲に英語詞を当て、再度今風の音に録音しなおしてハリウッドに送ってみること。もう一つは、英語系ユーチューバーになって、日本にいながら日本語OSの頭のままで英語の本質を覚える授業をやること。けれど、容易に忙しさを言い訳にできる環境下、どちらも特に進捗があったわけではない。

英語系ユーチューバーというのが山ほどいるのを知ったのはここ最近のことで、Toeic80回連続満点Youtuberとか海外で働く英語自慢Youtuberとか英会話学校の先生系Youtuberとか、そんな存在がすでにやたらいることに驚いたものだった。

そんなところに割って入れるほど差別化された有用ノウハウを僕にも提供できるのだろうか、、。僕はそんな視点からある時期毎日彼らの動画を見ていたけれど、どうやら僕にもできることはあるような気がした。

僕は48歳でアメリカに来るまで海外生活などしたこともなく、今使っている英語(会社での英文契約書の作成や契約違反に対して相手に債務の履行を求めるとかも含む)は日本にいる間に独学で覚えたのだけど、周りにネイティブはおろか塾の先生も大学生さえも存在しないド田舎育ちの僕の英語の覚え方は、同じような「劣悪な環境」で英語を覚えるという条件を課された方々には有用だと思うのだ。僕はいつだって「環境弱者」だったけど、結局勝手な工夫でそれを乗り越えてきたし、その工夫は本質をついていたから生きたのだと思うし。

だから、英語を日常使わず生きていける日本で、「日本語脳のまま英語を学ぶこと」にかけては、僕は第一人者になれる気がする。到達点は「受験や会社で使えるレベルまで、日本語脳のままで上達すること」だ。ネイティブの話し方やこじゃれた言い回しを覚える前に「英語の本質を日本語で覚えきれ」れば、後からそういうレッスンの効果も増すだろうし。「日本語脳のままいかに英語に習熟するか」というジャンルなら、ほかのネイティブ系やぺらぺら系Youtuberの人たちとも競合しないと踏んだわけ。

でも、おそらくこのNew Year's Resolution(新年の抱負)は実現できないだろうとわかっている(ならなんで書いたんだ?)。マジな話、今年56歳になる僕は体力の衰えも顕著で、昔のようには体も精神力も自分の願望についてこない。諦めることが容易になってしまった僕がもう一度自分を奮い立たせられるのか、自信がない。

しかも、仕事があり、収入があり、家があり、妻がいて、南カリフォルニアで大過なく過ごせている現状に不満を持つのもいかがなものか、との思いも昨年来急速に強まってきている。だから、何か迫りくる外部要因(倒産とかリストラとか)で自分が追い込まれないと、このまま今の生活を是としていくんだろうな、と思っている。

なんか徒然だなぁ。徒然過ぎるなぁ。しょうもない話だったなぁ。

まぁ、皆さんお嫌でしょうが、また書きますね。でも、次はいつになるかな。。。

英語:発音の正確さが「全て」という状況もある


前にアメリカで生きるのに必要な最低限の英語力の話を書いたが、先日安倍首相がアメリカでスピーチした際、英語の発音がひどかったということで一部から激烈なバッシングを受けたと聞いている。確かに安倍さんの英語の発音はひどかった。でもそれをあげつらう意味が全く分からない。

 

安倍さんがスピーチコンテストに出たと言うのなら話は別だが、彼は日本の首相の立場でアメリカの上下両院の議員に向けて何かを伝える機会を得、その伝えたいことはきちんと理解してもらえ、だからこそ万雷の拍手を受けた。目的に対してきっちり効果があったではないか。

 

伝えた内容が拙劣だとか、理解されなかったとか、日本の立場を危うくしたというのなら彼の職責に照らし大いに非難すべきだと思うが、「きちんと相手に伝わった英語」の「発音」を殊更に非難してどうするんだろう。もう一回言うが、上下両院での演説は「英語自慢の人たちのスピーチコンテスト」じゃないのだ。

 

ところで、安倍さんの英語の発音でアメリカで生活できるか、という話をしたい。

 

以前にも書いたが日系人の多い地域で生きて行けば、そもそも英語は最小限の使用で生活可能だ。だが、当たり前だが英語力が不足する状況はアメリカで暮らす上で少しもいいことはない。何か面倒なことが起きたとき自分だけでは対処できないのだから。

 

実は先日、僕のもとにHonda(勿論アメリカの)から手紙が来た。僕の乗っている「2005Honda Civic Hybrid」のエアバッグに不具合が見つかったのことで、リコールする旨書かれていた。近くのHondaのディーラーに電話して、エアバッグの交換の予約をせよとのことだった。

 

すぐに電話してみたが、電話番号を聞かれ、名前を聞かれ、車のVINナンバー(16桁くらいのアルファベットと数字で構成される製造番号のようなもの)を聞かれた。そして最後に「部品が3か月待ちなので、在庫が入ったら知らせる」ということで会話は終了した。

 

すぐにでも交換できそうな文面の手紙を送ってきながら結論は3か月待ち、というのは極めてアメリカ的であるが、まあ会話自体は極めて初歩的であった。初歩的ではあったが、「日本人の典型的な発音」では恐らくこの会話は成立しない。普通の会話ならネイティブは文脈を考えながら発音の間違いを脳内で補正してくれるが、それ自体では意味を持たないアルファベットと数字を相手に伝える以上「発音が全て」になる。しかも電話を通してだから尚更だ

 

僕はずっと典型的な日本人の発音であっても特段恥ずかしがる必要はないし、実際言いたいことが伝わるならそれで十分だという立場に立っている。「ビーフ、ワンパウンド、プリーズ」とカタカナで発音してもまず間違いなく相手は「Beefone pound分」売ってくれる。が、今回の例のようにその時のシチュエーションや話の文脈から相手が発音の間違いを補正しながら聞いてくれることを期待できない場面、すなわち「発音が全て」と言う場面もあるのだ。

 

自分の名前のスペル、電話番号、そしてVINナンバーなど、単にアルファベットと数字を伝えるという簡単なことなのに相手に理解されないのは厳しい。特に今回はリコールの話だ。命にかかわる。なので、発音はいいに越したことはない。僕の以前のエントリーを読んで発音なんて「どうでもいい」と思ってしまった方がいたら、それは違うので誤解なきようお願いしたい。

と、書いたあと2時間が経ったが、追加があるので書いておく。

こちらでスペルを言う際は、たとえば「Kanimo」だったらこんな風に確認しながら伝えることがある。

 "K" for Kitchen   "A" for America   "N" for Nebraska
 "I" for Iowa   "M" for Monkey  "O" for Oregon

つまり「KはKitchenのK、AはAmericaのA…」のように、誰でもわかる単語を引き合いに出して自分が話したㇲぺルを相手に理解させるのである。しかし、それでも発音がまずかった場合は相手を混乱させることは十分ありえる。

たとえば「Victor」と言いたくて「V for Vermont」と言ったつもりでも、日本人の典型的な発音で”V”を「ブイ」と発音してしまえばこれは絶対に伝わらない。そこで、それに注意して「ヴィー」と発音した(つもりになった)ところ、今度は先方には「B for Bermont」と聞こえてしまう…そんなドツボが考えられるのだ。そしてやっかいなことに「Bermont」という名詞(地名)は存在するので、「Victor」は「Bictor」として理解されてしまう可能性も低くない。

そう考えると、やはり発音は少しは練習しておいた方がいいかもしれない。

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