アメリカという甘美な幻想

南カリフォルニアはオレンジ郡に住むオヤジです。妻共々サラリーマンでしたが、2012年10月に移住してきました。個人輸入代行やコンサルタントを生業にした後、2016年からは会社員に。移住する遥か前から積み重ねてきた様々な「アメリカ体験」も含めて文章に残すためにこのブログを書いていますが、会社員復帰以降は忙しすぎて更新は稀に。自由の国、アメリカを含めた全体主義への流れ。これを絶対に食い止めましょう!

砂漠

2002年アメリカ西部三州ドライブ旅行(各論2日目)

2日目(9/22)
 ルート:リッジクレスト-(CA-178)->デスバレー-(CA178・NV372・NV160・I-15)->ラスベガス

◆デスバレーへ
朝8:00、B級モーテルとしては標準的な朝食を食べ、CA-178号線をデスバレーに向かいます。最初10数キロは強烈に眩しい朝陽に向って進んでいくのでかなり運転しずらかったです。

既にリッジクレスト自体が超ド級の砂漠なので、朝から興奮冷めやらない状態が続きます。何の変哲もない風景と言う人も多いのでしょうが、砂漠フェチにはその「荒涼たる何もなさ」がどうしようもなく愛おしいのです。

「すげー。何もねー。対向車もいねー。何もね―」と大騒ぎしつつ要所要所で車を止め、写真を撮ります(デジカメは2004年まで入手しておらず、普通のフィルム撮りです)。

CA190サイン
左は私の、右はグーグルアースの。右の方が一本道が構図に入ってうまいですね…

上の写真の通り、CA-178からCA-190に入りますとデスバレーの「Stovepipe Wells(ストーブパイプウェルズ)までは28マイル(45km)。30分で着きます。

DV-1

はい、着きました。左はテレスコープピークで標高11049フィート(3367メートル)、右はバッドウォーターで海抜-280フィート(-86メートル)。同じ公園内で何という標高差でしょうか。しかもバッドウォーターは北米大陸最低地点です。ちなみに、ここに湧き出る水(というかお湯)を舐めてみたらマジでしょっぱいのですが、ここに虫など様々な生物が生きているのですよ。たまげましたね。「全然”Death”じゃないじゃん」と感動しました。

このとき気温は49度くらいでしたでしょうか。吹く風はまるで紙やすりのように、肌を撫でるのではなく擦っていきました。暑いのが大好きの私は更に興奮し、暑いのが苦手な妻は火照って湿疹が出てドン引き。早く車に戻ろうとうるさかったです。

◆ラスベガスへ
ファーニス・クリーク(Furnace Creek)の売店で昼食に適当に何かを買って食べ、色々寄り道しながら”Badwater Road"を南下していきますと、大トリとなるバッドウォーターになります。これを見終え、道なりに(南東)に更に30kmくらい進んでいきますと、なんか廃墟のようなものが。近づいてみると「アシュフォードミルズ(Ashford Mills)」という史跡でした。

DV-2

碑文を読んでみると「1914年ここから5マイル先の金鉱から取れた金を、精錬業者に渡すためにここで処理していた。その金鉱の持ち主がAshford兄弟で、50000ドルでハンガリーの伯爵に売った。それを伯爵が後に転売したとき、価格は105000ドルになったと言われている」ということでした。うーん、特に面白い話でもないですね…。まあそれでも、こんな過酷な場所でさえゴールドラッシュに沸いた当時は人が住み、人馬が行き交ったのだなぁと感動をクリエイトしちゃいましたが(笑)

更に10kmほど進んで178号線に入るために左折し、これをキープして進んで行きますと1時間ほどで州境を越えネバダに入ります。道路はCA-178からNV-372と表記が変わり、結構栄えた町、パーランプ(Pahrump)に入ります。ネバダ州ですのでカジノもあり、そのせいか通りも若干ケバケバしい感じがしました。時計は午後3:30。特に何もせず先を急ぐことにしました。

5:00、NV160号線からI-15を使い、やってきた2度目のラスベガス。大通り「ザ・ストリップ」にあるモーテル「トラベロッジ・オン・センターストリップ」が今宵の宿です。結構小汚いモーテルで、きらびやかなホテルが林立する中で非常に場違いな感じでした(今は改築しているようですが)。

チェックイン後、何をするかと言うと散策です。カジノに興味のない私たち夫婦は、散策しつつ色々な人々を眺める文化人類学的アプローチ(失笑)で楽しみました。まあ寝る前にスロットマシーンをやったらかみさんが25セントで50ドル儲けましたが。観光的なお楽しみは明日のフーバーダム見学に譲ることにして、この日は早々に寝ました。

2002年アメリカ西部三州ドライブ旅行(各論1日目)

初日(9/21)
ルート:LAX-(I-405・CA-14・CA-178)->Ridgecrest

16:50、日航エコノミーで成田からLAXへ。同日10:45LAX到着。荷物をとり、イミグレを通過し、ダラーレンタカーのバスに乗り、12:30頃ダラーLAX営業所へ(なお、ダラーは日本にも営業所があり、ここのプランの方が安いことが多いのでアメリカダラーと比較してみて下さい)。
結構待たされた後、赤いクライスラークルーズPTをあてがわれる。とても大きく見えたので「これは予約したミッドサイズのセダンですか?」と聞くもあっさり「そうです」と言われ、これが私たちの足になることに決定。
ブレーキランプがつくかどうかなど非常に念入りに調べてから13:30にゲートを出て一般道へ。はっきり言って怖かった。

ともすれば右に右にずれていく車体を左に戻しながら、後続車に何度かクラクションで脅かされながら、ウィンカーを付けるつもりでワイパーを何度も動かしながらLA都市部を通過すると、目の前には徐々に砂漠が現れる。LAXから1時間半ほども走れば、もうかなり「立派」な砂漠になります。イヤッホー!

near mojave city
LAXから北北東130kmの景色(グーグルアースより)

◆宿泊地、Ridgecrestに
本日の宿泊地、リッジクレスト(Ridgecrest, CA)はLAXから260kmほどなので、理論上時速100kmで走れば2.5時間ほどで着きますが、途中に地図にないような未舗装道路に入ってみるなどの寄り道をしたこともあり、到着は17:00過ぎでした。

この町は人口2.5万人ほどですが、砂漠のど真ん中にある町としてはかなり大きいものです。旅人にとって魅力のあるものは特にないけれど、デスバレーへの玄関口としてここで給油、腹ごしらえなどをする人が多いようです。

◆モーテル、Super 8
 この日に宿泊したのはモーテルチェーン「Super 8 Ridgecrest」。2002年のことなので詳細は記憶にないですが、問題はありませんでした。当時の領収証の住所をググってみると、今ここは「Travelodge Ridgecrest」になっています。ではスーパー8はないのかと言うと、別の場所にありました(Super 8 Ridgecrest)。見た目がきれいですのでまだ新しいのでしょう。こうした
モーテルの運営会社の変更はアメリカでは非常によくあることです。

◆何をした?
デスバレーに行くために通る場所から適当に選んだ宿泊地なので何もしていません。ここのバーガーキングでご飯を食べておしまい。でも、アメリカのハンバーガーは日本のより圧倒的に旨い(と思う)ので、それだけでもかなりハッピーな気分になります。

ところで、私は時差ぼけに中々うまく対応できません。大体夕方5時頃に眠くなり粘って9時頃まで頑張ってから寝ますが、夜中の2時ごろに目が覚めてしまい、そこから眠れないのです。自ら運転する必要のある今回のドライブ旅行でそれではいかんと、この旅では色々と準備しました。

1)飛行機の中ではとにかく睡眠薬で寝る
10:45着なので、その一時間前に起きると9:45。これなら「ちょっと朝寝坊した時間」くらいに起きたことになります。これ、成功しました。

2)真夜中に起きてしまったら、やっぱり睡眠薬で寝る
この日は3:00くらいに起きてしまったので、迷いましたが睡眠薬(半錠)に頼りました。このおかげで朝7:00まで眠れましたので大成功でした。

1995年、単なるパッケージ旅行の衝撃

31歳の時、1年の遅れの新婚旅行として「ロサンゼルス、ベガス、サンフランシスコ6泊8日の周遊旅行」というベタな旅に妻と行きました。この時「事件」が起きたのです。それは「景色」でした。大都市間を移動する飛行機から眺めた風景に、大自然に、私は驚嘆したのです。

旅程4日目だったか5日目だったか、とにかく私達夫婦はラスベガスからサンフランシスコに移動しました。マッカラン国際空港から機が離陸して、家々がシムシティーの画像のように小さく林立して見えた後、景色の中心は砂漠になりました。すると、その何もない褐色の砂漠に、道が一本まっすぐに走り、それが遥か遠くの地平線の彼方に消えていくのが見えました。「何だこれは!何だこのスケールは!」そう思わずにはいられませんでした。

RIMG2131
LAXから日本へ帰る時は、向って右側の窓からこのような風景が見える

そもそも、日本からロサンゼルスに着く間際に見た景色に既に少し心が動いていました。行ったことがある方はお分かりかと思いますが、進行方向左側の座席にいれば、機体に近い順から青い海、街、砂漠、そしてシェラネバダ山脈が一望に出来る時があります。その時はじわじわとこみ上げてくる感動の正体が何なのか言葉に出来ないままロサンゼルスに降り立ったのですが、ラスベガスからサンフランシスコに向かう機上で上述の「砂漠の一本道」を見て、日本では見ることのできない壮大なスケールの自然にいたく感動していることに気づきました。

もっと正確に言えば、「自然と都市のコントラストが尋常ではない」と思ったのです。砂漠を中心とした大自然だけならオーストラリアにもアフリカにもあるでしょう。しかし、世界最大の先進国の、その中でも繁栄を謳歌するロサンゼルスやベガスなどの大都市でその利便性と享楽性を味わった直後に、想像を絶するスケールの手つかずの自然を見てしまった時、このあまりの落差に私の感性は茫然とするしかなかったのです。

ところで、このような周遊旅行をすれば、一都市にせいぜい二日しか滞在できませんのでやれることは非常に限られます。しかもこの時は感動の大半が大自然の風景で構成されたため、各都市の記憶は以下のようなものになってしまいました。

ロサンゼルス
ホテル(オムニロサンゼルス)併設の売店でカップヌードルを食べてまずさに驚いた。

ラスベガス
グランドキャニオン・セスナツアーに参加したが、急に気持ち悪くなり機中で吐いた。
ホテル(ラスベガスヒルトン)で食べたルームサービスのパスタが美味くて驚いた。

サンフランシスコ
ケーブルカーには乗った。
日本食が恋しくなり、日本料理屋ですき焼きを頼んだ。凄まじくしょっぱかった。

帰国後、私はこの旅で感じた衝撃をどう整理していいかわかっていませんでした。ただ、とにかく次の旅もアメリカがいいとだけ思いましたし、(サラリーマンの妻は特に)短い休暇なのだから、3都市を6泊8日で回るとかいうのは止めて、まずはロサンゼルスから詳しく見てみようと思いました。3年後の1998年、「ロサンゼルスだけ見る旅」でそれは一応果たされました。

追記:一応旅行データを書いておきます。

期間

1995922日~929日(68日)

エアライン

JALエコノミー

ホテル

オムニロサンゼルス / ハイアットリージェンシーアリカンテ(アナハイム)⇒ ラスベガスヒルトン ⇒ スタンフォードコート(サンフランシスコ)

目的

パッケージ内容に従って移動。グランドキャニオンツアーは自前で予約。いい景色が吐いてしまって台無しに…。

 
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