アメリカという甘美な幻想

南カリフォルニアはオレンジ郡に住むオヤジです。妻共々サラリーマンでしたが、2011年にグリーンカードが当たり、アメリカへの憧れに抗しきれずに2012年10月に移住してきました。個人輸入代行やコンサルタントを生業にした後、2016年からは会社員(人事、法務など)に。移住する遥か前から積み重ねてきた様々な「アメリカ体験」も含めて文章に残すためにこのブログを書いていますが、会社員復帰以降は忙しすぎて更新は稀に。。。面目ない。

日本

通常事態宣言、いただきました。

今は始業前。1時間前に起き、ヤフー・ジャパンをいつものように見る。首相は非常事態宣言を出したとの見出しがある。「ま、そりゃそうだろう」と。そして次の見出しを読む。



は?どこも具体的な休業要請しないの?じゃパチンコ屋もキャバレーも営業したかったら出来るんだ。こいつはたまげた。さすがに開いた口が塞がらなかった。

政治のレベルは国民のレベル。僕はそう思っている。でも、さすがに今の事態への危機感は国民のほうが高かった。そしてそれに政治(≒首相)が追いついたからの非常事態宣言だと思っていた。でも、今度は知事が判断を逃げた。

いや、結果は知らないよ。日本は国民の理性的な行動だけで感染拡大を免れるのかもしれないよ。でも感染爆発が起きないなんて保証も全然ないよ。そして、リスク管理って「そうなるかもしれない」っていう想定からやるものだよ。で、リスク管理は不要ってこと?

まさに「通常事態宣言」、いただきました。日本の父母よ、兄弟よ、友人よ、その他同胞よ。自分の身は自分で守ってくれ。今までもそうだったように、これからも。

と書いた2時間後に追記。
どうやら都知事に対しては国から「厳しすぎる」と文句を言ってきたらしい。百貨店や居酒屋、開放型の屋外施設なんかは自粛要請しなくてもいいじゃないか、と国は言っているのだそうだ。そこでなんと、都と国で協議するんですと。



すげー余裕じゃん。でも、ここまで責任を取れず、決められず、オロオロする光景を見せられて俺は萎えたわ。で、他の知事の考えは、冒頭に書いたように「休ませる以上は補償をセットで提示したい」ってことなんでしょ?つまり補償案が完備されてないと消火活動もしない、と。燃え盛る火の粉を見ながら余裕こいて補償案を考えることに決めた、と。

ここまで来ると逆に凄くない?もう俺、ちょっと絶句してる。では。

変わるアメリカ人と変わらない日本の不決断

昨日の土曜日、予定通り大好きなケーキ屋と寿司屋に行った後、日系スーパーやトレーダー・ジョーズに寄ったのだが、この一週間で更にアメリカが変わってきたことを体感してきた。なんとあのアメリカ人が、あのカリフォルニアンがマスクをしてる。売りマスクを持たない人は自作してる。3週間前、在宅命令が出たときにマスクをしてたのは中国系の人だけだった。でももう違う。白人も完全に意識が変わった(なお、連邦、州、郡のすべてでマスク着用は有効なので推奨する、という通達が数日前に出た)。

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もう白人が普通にマスクしている。在宅命令から3週間。あの頑固なマスクへの偏見も消えたのだ。

一夜明けて今日は日曜の朝。またも雨だ。ネットを確認。「首相6日にも緊急事態宣言を準備か」という記事(日テレの報道)を発見。



そうか、これから準備するのか。それじゃ今まで何してたんだ?誰もがそう突っ込むだろうし、実際ヤフコメもそのツッコミで溢れている。そりゃそうだよね。

是々非々で言うが、マスク2枚の配布を含む政府のこれまでの対応案は別にそれほどおかしなものではなかったと僕は思っている。第一に現下のマスク枯渇状況で洗えるマスクが届くことはそんなに悪いことではないから。第二に政府の政策はマスク2枚のみ、というのは事実ではないから。そして第三に、その対応案は、今走りながら作っている条件下ではまあ全体としてはギリギリ及第点レベルだと思うから。つまり、誰もが納得するレベルで対応案を完璧に作るなんて土台無理だから。

そして、これも是々非々で言うが、東京の発症者数がオリンピック辞退の日まで20人前後だったのが、その後40、60、100(今日は143)と上がっていったの見ても尚これを「緊急事態」だと認識しないのならば、「これは~~の理由からまだ緊急事態ではない。~~のような条件になれば緊急事態宣言を出すのでヨロシク」と国民の不安に答え、また準備を促す言葉を言うことは可能だったので、これをここまでしてこなかった首相は、現にリーダーの役割を果たしていないということだ。

繰り返すが、緊急事態に関する「対応案の内容の是非」の話をしているのではない。国民に対し、タイムリーかつ明確に説明し、展望を語りかけ、そして決定していく。それが企業や国のリーダーの責務なのに、安倍首相は国民に自分の認識に基づく明確な言葉を発しなかった。そのことを「明らかなる責任の不履行だ」と申し上げているわけだ。

いや、勿論ブリーフィングでマスコミの質問に答えたりはしてたんでしょうよ。でも「国民に語りかける」ってのはそういうことではないから。伝わることが必須だから。その限りでは、なんなら自信たっぷりに「やぁ国民のみんな。大丈夫。オイラに任せておきな。この場面で嘘なんて言わないぜ。嘘だったら俺はきっちり責任取るぜ。だから俺を信じて外出は控えてくれよな。ふ」みたいなことを言ったとしても、それで国民が納得するならそれはアリってことだ。

しかし、国民は不安を増幅させたまま火事は大きくなる一方だ。そして、この状況ではもう今更消火担当者たる安倍首相を交代させる暇もなくなってしまった。3.11のときの民主党政権(菅元首相)のときと同じだ。もう自身が辞任しない限り、この事態が収束するまで在任中の首相が指揮を執る。これから言うっていう「準備」が国民の理解を得られ、かつ「間に合うもの」であることを祈る。

まあ、これが民主主義の代償なのだろう。民主党政権を選んだのも国民。今の自公連立を選んだのも国民だ。その国の政治は、選択権(選挙権)を持つ国民のレベルの反映だ。僕はもう30年も前からそう思っているから、政治家の不出来は僕の不出来だと思っている。でも、今後の選挙で責任はとってもらう。その権利までは捨てる気はない。

まあ、それは後の話だ。改めて言っておくが、緊急事態宣言を出さなくても日本のコロナ禍は収束するかもしれず(結果は誰にもわからない)、緊急事態宣言の内容が「民主主義の限界」によって今と特に変わらず一種の心理的効果くらいしか期待できないかもしれないわけだ。だから僕は、首相が現下リーダーシップを取れていないことだけを今は糾弾しておく。そして、何よりも日本よ。東京よ。ニューヨークと同じ轍を踏むな。自分の命はまず自分で守っておこう!

日本よ。早く決めよう!

カリフォルニアは今土曜の昼12時。

これから大好きなケーキ屋と寿司屋に行ってテイクアウトする予定です。正直、自分が大好きなお店が潰れないように少しでも貢献したいという気持ちがあるんです。

さて、日本国民も相当ヤバさがわかってきたようだし、このヤバさを甘く見ている人のヤバさにも気づきだしたように感じます。ニューヨークに住むこの女性のYouTubeでの警告動画の短期間でのバズり方やそれへの反応を見ればあながち間違ってはいないでしょう。



それをYahooサイトが取り上げ、そこにも意見が投稿されていますが、ここにも危機感がにじみ出ています。その他の記事への国民の投稿も総合すると、日本国民は総じて、今の状態に「真の危機感」を覚えたように思えます(少なくとも僕はそう希望しています)。

ここで国としての決断ができるのは安倍首相しかいません。しかし、彼は決断せず、ロックダウンするかどうか先延ばししています。まだヤバさがわからないのか、それともヤバさはわかっていてもマジで能力・資質上の問題で決断できないのか、どっちでしょうか。

あのね、一国のトップでしょう、安倍さん。マジョリティーの国民は「さすがにもう決めてほしい」って言ってると思わないですか?その上で、ヤバくないと思うならその方向性で明確に対応方針を国民に説明しなさいよ。やっぱりヤバいと思うなら、その方向性で明確に国民に対応方針を説明しなさいよ。

できないのか?国の責任者なのにそれができないのか?なら出来る人にその座を譲ってほしい。政党その他どうでもいいから、出来る人に意思決定を代わってもらって。決められない人は上に立っちゃだめなの。保守もリベラルも関係ないの。トップの唯一最大の役割は「決めること」なんだから。

日本の甘さ

3.11が起きたとき、僕は職場がある中目黒から家がある赤羽までの16kmほどの道を歩いて帰宅した経験がある。そのとき僕は、一緒に道路を整然と歩く多くの「仲間たち」の様子を見ながら、日本人の規律の正しさと艱難辛苦を受け入れるマインドセットに同胞として誇らしく思ったことを今も覚えている。そう、日本人は「起きたこと」に対する「諦観」や「受け入れ」が潔い。だからこれほどに平和なんだと思う。

しかしね、日本人はなかなか重い決断を下せないんだよ。有耶無耶にするんだよ。責任を取りたがらないんだよ。争いを生まない民族っていうのは素晴らしい。協調する民族は素晴らしい。俺も誇らしく思う。でも、今は決断のときだよ。

TJ
昨日のトレーダージョーズ。皆Social Distancingを励行する。アメリカはやるときはやる。

アメリカはいざとなったらやるよ。団結する。日本人との違いはどこにあるか。日本人は窮地に陥ってからの団結力がすごい。一旦完膚無きまでに負けても、その後巻き返して進む力は世界一だと思う。逆に、アメリカ人は窮地に陥る前に、負けまいとして団結する。実際に負けたら滅茶苦茶になる国民性なのかもしれないが、アメリカ人は負けないことに力を注ぐ。

以上は一般論だよ。例外はあるよ。でね、この手の異常事態では、日本人のマインドセットじゃ手遅れになる可能性がアメリカよりむしろ高い可能性があるとの思いを禁じえないんだわ。日本よ、決断してくれ。

癌の猫をアメリカに連れてきた(2)

2014年7月2日、Picoと一緒に赤羽の自宅を出、タクシーで成田まで行った。Picoはただならぬ気配を感じ道中ずっと鳴いていて、タクシーを降りた時には脱走を試みようとさえした。空港では検疫所に寄り、簡単な検査をして輸出証明書をもらった。今回は客席にペットを乗せられるアメリカ系の航空会社(ユナイテッド)を選択していたので、機上ではPicoと一緒にいたのだが、この間もPicoはずっと鳴き続けていた。水も飲まず食べ物も勿論食べず、ただただ定期的に「みゃー」と細い声で鳴き続けた。

LAXに着き、飛行機から降りようとして尿の臭いに気付いた。それまで臭いはなかったので、着陸前後のタイミングで尿を漏らしたらしかった。猫の尿の臭いは結構きついので周りには申し訳なかったが、勘弁してもらうしかなかった。空港の外で妻の車を1時間ほど待ち、それから最終的に家に辿り着いたときには赤羽から17時間が経っていた。

Picoは初めて見るアメリカの家に戸惑い、物陰や引き出しの下の空間で固まっていた。そこに水を入れた器を差し出すと、少ししてから飲み始め、最終的には半端ない量を飲んだ。それから尿で臭くなっていたので身体を水のいらないシャンプーで吹き、あとは慣れてくれるのを待った。家自体には数日で慣れた。

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Picoが好きな場所=妻の背中(9月下旬撮影)

ところで僕は、アメリカに来る前に自宅周辺でいい病院はないかと探していた。2,3東洋医学やホメオパシーなどを取り入れた治療をする病院を見つけ、「Yelp」というレビューサイトで評判を確認したりしてそれなりに良さそうな動物病院を探り当てたが、何分実際のところはわからない。料金表もないので初診にいくら取られるかもわからない。そこで、猫と犬を飼っている近所のダグラスさんに連絡を取っていい病院はないか尋ねた。すると思いがけない答えが返ってきた。

「娘のエマが獣医のところで働いているので、その病院で診てもらったらどうだい?もしPicoに何かあったら、娘はあなたの自宅にいって応急治療が出来るし」、と言うのだ。ものすごい心強いオファーであって断る理由がなく、当然その線でお願いした。

少しPicoが落ち着いた7月4日、
早速娘さんとコンタクトを取り、車で25分ぐらいのところにある彼女が働く動物病院にPicoを連れて行った。 その動物病院は取り立てて優れた点はなかった。むしろ獣医はおざなりで、日本で行った治療を説明するとホメオパシーなどは出来ないから、と言ってステロイドの注射などを型どおりに行った。料金は東京での1.5倍かかったが、それがアメリカでは標準なのかどうかはわからなかった。

しかし、ダグラスさんやエマには悪いが、ここに自分の猫を預けるのは間違いだと直感したため、僕は彼らに断わった上で日本で調べておいた動物病院「North Tustin Veterinarian Clinic」へPicoを連れて行った。そこは針灸を専門にするドクターがいるなど、東洋医学的なアプローチをする病院だったので、東京での環境に近いと思った。

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鼻の「食欲のツボ」に針を刺されたPico

その病院では、東京で行ってきた薬での治療をベースに、一向に体重を維持または増加できるほどの食事量を取れないPicoに親身に色々なことを試してくれた。その結果、8月にPicoは1日100gほど食事を摂れるようになったが、それも長くは続かなかった。8月下旬、お気に入りの缶詰には見向きもしなくなり、彼が食べてくれるものなら何でもいいということで、新しいブランドの缶詰を見つけては買って与えた。

ただ、運よく当たればある程度Picoは食べてくれるのだが、それにも2,3日で飽きてしまうため食事量は漸減し、栄養不足からだろうが軽い膀胱炎にもかかり、7月の頭に4.5kgあった体重は9月の頭にとうとう4㎏を切り、一日中水さえ飲まない日もあった。僕はそんな時はスポイトで水や仔猫用のドリンクや高栄養食をPicoの口に注ぎ込んだ。さすがにそんな状況になると、Picoの最期がちらついたものだった。

まさにその時、ある薬が劇的に効いた。それまでの1週間、通常10g、多くても40gだった一日の食事量がその新しい薬を試した翌日から一気に300gを越えた。そして11月、Picoの体重は4.6㎏を越え、とうとう渡米直後の体重を越えた。

癌を抱えた猫が、2014年3月に余命2か月と言われた猫が、17時間のフライトに耐えて海を渡り、このアメリカの地で今も生きている。勿論彼の癌が治ったわけではない。
年末からは咳もするようになっているし(薬である程度コントロールできているが)、最も食べていた時期に比べれば今は食事量も減ってきた。しかしそれでも、彼は体重もなんとか維持し、好きなものを食べ、好きなだけ寝て、好きなだけ甘え、生きている。開腹もせず、包帯もまかず、点滴のチューブに拘束もされず生きている。

発病から間もなく1年、ここまでPicoが猫らしさを失わずに生きてこれた要因は何か。僕はこう考えている。

要因1)劇的に効いた薬との出会い。一日300gの食事を摂らせる魔法の薬、これが最大
    要因だ。勿論、その薬に出会うまで親身になって色々な方法を試してくれた
    ドクターの存在も大きい。薬の名前はCyproheptadine。

要因2)Picoの性格。獣医師が言うには、治療を受けたり飼い主から薬を強引に飲まされても
    終わった後はきれいに忘れて明るく快活にふるまえる性格は明らかに治療効果に
    好影響を与えるのだそうだ。

要因3)食べ物。日本の猫缶は世界一だと僕は思っていた。日本人の味覚からして、
    猫缶とはいえ最高においしいものを作り、健康面もばっちりだと思っていた。
    しかし、アメリカはペット先進国の名に恥じず、缶詰、カリカリ、サプリなども
    最高レベルにある。悔しいが日本より数段上のようだ。

要因4)僕ら。家族の誰も、諦めなかった。開腹手術や自由を奪い苦痛を与えるような
    延命策は採用しないという原則を貫いた上で僕らはやれることをやってきた。


例えば、東京にいた時にPicoが極端に食事を食べれなくなった時期、義母はスプーンから彼に食事を与えた。そうするとただ皿を置いておくより食いついてくれる確率が増すからだったが、義母は深夜に独り、それこそ30分もしゃがんだまま、彼が食べはじめるのを待っていたものだ。義父は投げやりになっていた腰の治療を、Picoの頑張りを見て再開した。

Picoがアメリカに来て以降、妻は毎日朝4時や5時に彼に起こされるが、彼が満足するまで撫で、それから缶詰を与える。睡眠の質は極端に低いはずだが彼女は苦にならないという。僕はといえば、彼に何度も引っかかれながら、昨年3月から今日まで1日も欠かさず、毎日2回Picoに薬やサプリを飲ませてきた。彼は何をどうやってみても薬を喜んでは飲まないので、無理やり口を開けて飲ませるしかない。だから、薬の時間になるとPicoは僕を怖がって逃げる。だが、それ以外の時間は僕に甘えてくれる。

こうして何度も困難と危機を乗り越えてきたPicoなので、彼との生活はまだまだ続くと僕らは信じている。

癌の猫をアメリカに連れて来た(1)

僕ら夫婦の猫「Pico」は2006年から飼い始めたソマリのオスで、もう一匹飼っているノルウェイジャンのメス「Moko」とともにアメリカに移住する際連れて来ようとしたのだけれど、当時東京で同居していた妻の両親が「寂しいから連れていくな」と言うので二匹ともそのまま東京で暮らしていた。

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東京で闘病中だったころのPico

Picoは食欲旺盛で体重は常に6kgを越え、甘えん坊でオーバーリアクション。そんな健康そのものだった彼が2014年2月に急に食べなくなってしまい、人間が歯に引っかかったニラを手で取り除こうとするような仕草を頻繁に示すようになった。顎や歯肉の病気かと思ったが、医者に行った結果、肝臓あたりに癌があり、胃が圧迫されてモノが食べられないのではないかと診断された。

こうなると問題は猫の通院と投薬などの看病を誰がするかだった。妻の両親は高齢なうえ、その時はそれぞれが健康を害していたからだ。

1月に実母が逝去して2月初旬まで日本にいた僕は、まさかたった1か月でまた日本に戻るとは思ってもみなかったが、とにかく3月頭に東京に戻り、すぐにPicoを川崎にある大きな病院に連れて行き病理検査をやってもらった。結果、彼の癌は詳しくは「カルチノイド」というもので、肝臓の周囲当たりにそのカルチノイドが出来ており、余命は1~2か月くらいだろうとのことだった。

獣医から説明を受けても、普通の癌とカルチノイドの違いがわからず、ウィキペディアのようなもので調べてみてもいまいちピンとこなかったが、それでも一番具体的な感じがする説明を以下に紹介すれば、カルチノイドとは

癌様腫あるいは類癌腫ともいう。当初,浸潤発育や転移がなく,良性の回腸腫瘍がカルチノイドと命名されたが,その後,この腫瘍にも浸潤発育や転移がありうることが報告され,現在では悪性度のきわめて低い悪性腫瘍とされている。


のだそうだ。つまり「悪性度は低いが悪性には変わりない癌」ということだ。

「余命が2か月でも一縷の望みで開腹手術を行い、その後抗がん剤で頑張らせるという選択肢もある」とその時獣医は言った。僕は即座にお断りした。治らない病気の治療のために手術するというのはあり得ないことだからだ。根治しないのに開腹され、包帯を巻かれ、点滴の針や管で自由を奪われ、食べ物の制限を受けている猫は幸せなのか、と言えば幸せなはずがない、と僕は思う。

僕らには苦い経験があった。1991年秋、僕が当時住んでいた世田谷のアパートのそばの公園で妻が拾った雑種のメス猫「ウミ」は、2005年の夏に体調を大きく崩し、僕ら夫婦はネットで調べては良さそうな動物病院に行って診てもらっていた。最終的に立川にある動物病院で「癌のようなものが腹部にある」ということで獣医師に言われるままに手術に同意した。

「僅かでも寿命が延びる可能性があります」と言われれば「大事な飼い猫のため」なのだから何でもしてあげたいと思ったのだ。でも、術後にウミを引き取りに行ったとき、僕と妻はその姿を見て衝撃を受けた。やせ細り、毛につやはなく、恐らく糞尿だと思われる異様な臭いがし、生きる気力を全く感じなかった。

「これで寿命が少し延びたとして、ウミは幸せなのか?」

幸せなはずがないと僕は思った。自由に気ままに生きることが猫の本分なのに、手術で
クオリティ・オブ・ライフ(QOL=生活の質)を極限まで下げられた上、その代償は不自由な中での数か月の延命のみとは。結局、9月に手術を受けたウミは10月に逝った。わずかな延命さえ達成できなかった。僕や家族はウミの亡骸を見ながら大いに後悔し、結果的にウミに苦しい思いだけをさせたことを詫びた。

ただし僕は、「他の飼い主の考え」を尊重する。僅かな可能性でも手術にかけるという選択肢はあっていいし他人様の意思決定について批判などする気は全くない。単に僕や僕の家族が「猫のQOLを最大限重視する」という考えを持っているに過ぎない。だからこそ、Picoについての判断は簡単だった。検査後PicoとMokoが日頃お世話になっているS動物病院に行き、以下の方針を決めてその通り実行した。

1)手術はしない。薬での治療になる。
2)彼の場合食欲がなく衰弱していくわけだから、最も重要なのは食べさせること。
  └ その方針で、食欲刺激効果を狙ってステロイドやビタミンB12を使う
  └ ステロイドの毒性を弱めるためにホメオパシー的なアプローチを取り入れる
  └ 免疫系を強化し、肝臓を保護する目的でサプリを飲ませる

2月に6kgあった体重は、大病院での病理検査を経て家に戻ってきた3月7日に5.3㎏まで落ちていた。その後上記の投薬がスタートし、まずステロイドで爆発的な食欲を得、5.6㎏まで体重が戻ったが、ステロイドの効果が薄れてくると食事量が減り(ステロイドは肝機能を破壊するので使い方には制限もある)、4月中旬からは毎週診察の度に大体100gずつ体重が落ちていった。

Picoは健康な時と同じく「食べたい」と大声で要求したが、好物を目の前に出されてもひとしきり匂いを嗅いではキョトンとするだけで、結局たまに缶詰を舐めることがある以外はフリーズドライのささみのおやつだけを1日3,40グラムだけ食べた。全く食べない日もあった。明らかに「食べる能力」を失くしていた。ところが、時に具合悪そうに横になっていることがあっても基本的には毎日活動的で、何事もないかのように甘え、無邪気な顔をし、栄養不良による免疫力低下からくる膀胱炎なども乗り切ってくれる凄い猫だった。

そうこうして3月上旬に余命2か月と言われた予想を裏切り、Picoは痩せながら、快活さだけは維持しながら6月を迎えた。だが、ここで問題が発生した。Picoの体重がとうとう5㎏を切った、ということも重要だが、ここでの問題とは僕の日本での滞在期間が実母が逝った時の帰国期間と合わせて4か月になったことだった。

グリーンカードが剥奪される可能性が生じるのは何か月アメリカを留守にした場合だったか。調べてみると「6か月留守にすると危ない」と言う人と「1年」と言う人が半々くらいずついた。そして6か月派にも1年派にも弁護士さんなど信用せざるを得ない肩書の人がいた。もし6か月だとすれば、僕は間もなくアメリカに帰らないといけない。ではPicoの面倒は誰が見るのか。

獣医師の見立てでは、Picoをアメリカに連れていくことは可能だった。そうするのなら体力はあればあるほどいいので早目に連れていくべきだった。検疫も日本からの出国なら問題はなかった。しかし、家族全体の合意形成はなかなかできずにいた。アメリカに連れていくリスクは、言うまでもなくPicoを飛行機に乗せ、15時間以上移動させることだが、これによりPicoの体調が急変する可能性は当然にあるからだ。長い移動であれば健康な猫にだって体調の急変はある。

そして6月中旬、結局グリーンカードの件は「1年」が正しかったとわかり、すぐに剥奪という危機はなくなった。だが、いずれにしても僕はアメリカに戻るしその時再度同じ問題が生じる以上、一番正しい選択はPicoの体力が間に合ううちにアメリカに連れていき、僕が面倒を見ることだった。そこで、義父母の不安は承知しながら(というか不安がない者は一人としていなかったが)アメリカに連れていくことに決め、Picoは7月2日にアメリカの地を踏んだ。

(次回に続く) 

日本ポップカルチャーは間違いなくポピュラー(2)

アメリカでも日本でもYoutubeは観れるから、是非英語で検索をかけて頂ければ話が速いのだが、日本のアニメや漫画は各国の言語に翻訳されたり字幕がついている(中には一般の人が字幕を付けているパターンもある)。 例えば僕の好きなデスノートも、英語翻訳版は山ほどヒットするし、人気のものは英語での書き込み数もシャレで済まないほど沢山ある。名場面や面白場面の編集版も沢山ある。

注目すべきは、欧米におもねって作ったのではない日本人の感性での作品が、外国人に共感され、支持されていることだ。そしてそれこそが僕にとって謎の部分だった。

「荒川アンダーザブリッジ」では、(河童の格好を日常的にしている)自称「河童」が村長として荒川河川敷に住む変な集団を束ねているのだが、そもそも「河童」の存在からして欧米人にわかるはずがない。「銀魂」も、ハイテク都市や昔の街並みや新撰組が出てきたり、ストーリーがランダム(行き当たりばったり)過ぎて正直日本人でも理解できない部分はあるはずだが、相当数のnon-Japanese達が面白がっている。

たとえば「銀魂」では、「~アルヨ」という語尾で話す女の子、「かぐら」がゴキブリを発見する。

「たすけて~~!!ヘルス、ヘルスミー!!(health, health me!!」とかぐらが泣きながら叫ぶと、
これに主人公の銀さんが「ヘルプミー、な。うるさい」と修正を入れる。

かぐらは続けて
「シェイプ、シェイプアップ ラン!」と、かつて流行ったマンガのタイトルを(ヘルプミー)のシャレ的に泣きながら言うと、銀さんは今度も「ヘルプミー、な?」と修正を入れる(ちなみに、欧米人には「Shape up, now」と聞きとられているが、マンガのタイトルを知っている日本人の耳には「シェイプアップ・ラン」と聞こえるはずだ)。

さらにかぐらは、タランティーの名作映画のタイトル「パルプ、パルプフィクション!」と絶叫。もはや「Help me」の原形は全くとどめていない。銀さんは「ヘルプミー、な?」とイライラ(?)を滲ませながら再々修正をし、最後に登場した銀さんの弟子のような存在のシンパチがゴキブリを見て「ヘルペス、ヘルペスミー!」と絶叫する。


こんな、日本人でも面白いと思うかわからないシーンに英語の字幕が付けられ、今現在38万の視聴数があり、252のコメントは概ね全てこれを面白がっている。最も多いのは「ヘルペス、ヘルペスミー lol」という評価で、「lol」とは”laugh out loud(大笑い)"の頭を取ったものだ。これはどうしたことなのか。

その理由を知るカギはApple Storeのなじみの店員さんたちとの会話でヒントを得た。彼らの多くは日本アニメのファンで、日本に行きたい、または行く予定、または行ってきた、と言う店員さんが10名くらいいた。その彼らが言うのだ。

1)僕らの多くは、幼少期から日本のアニメを日本製とは意識せずにずっと見て育ってきた。
2)子供だし、アメリカの慣習や文化との差異があることも意識しないで済んだ。
3)中学あたりになると「自分が好きなアニメ」が日本製だと知るが、既に好きになっている
  作品なので、アメリカ文化との差異を発見しても決してそれは不快なモノではない

4)むしろ、好奇心がかき立てられ、肯定的な視点で差異を楽しみ、原点を探りたくなる

これはまさに、僕らが日本の慣習上あり得ないような差異をアメドラの中に発見しながらも、それを興味深く、時にはかっこいいと思いながら観ていたことと同じだと思う。僕の兄などは、女性がブラの上にすぐセーターを着るシーンを昭和40年代に洋画で見て、まさしくカルチャーショックを受けたと言っていたが、肯定的視点が既にある中で鑑賞される映画・ドラマ・アニメ・マンガなどに出てくる自文化にない要素は、新たな肯定的興味を生み出す方向に作用する傾向は強いのだと思う。

こうしてアメリカ人は、幼いころから日本人の感性によるアニメや漫画を見て育ち、多少の違和感さえ興味深い差異と受け止めながら育ち、今や「クール」だと思ってくれている。戦後僕らがアメドラやハリウッド映画を普通に観てきて(一種「観せられた」という側面もある)、自然にアメリカのカルチャーを憧れの眼差しで見てきたのと原理は同じように思える。少なくとも僕はそう見える。

日本ポップカルチャーは間違いなくポピュラー(1)

僕は幼少のみぎりからアメリカの音楽と映画が大好きだ(音楽だけに限ったらイギリスのモノも好きだ)。日本の音楽は正直スピッツまでで追いかけるのをやめていて、アニメは「一休さん」まで、邦画はお金を払って観たことがない。マンガは10代はジャンプ、マガジン、サンデー、チャンピオンを読んでいたが、二十歳からは「近代麻雀」しか読まず、40歳になってからはYoutubeで好きな洋楽をライブ映像(恐らく違法にアップされたモノを含む)で見るのが最高かつ唯一の楽しみだった。

しかしここ何年も、アメリカに行くと「日本人?じゃあさ××知ってるよね?」とやたらと日本アニメや漫画の話を聞かされるようになった。2007年くらいまでは「ハイテク日本」ということで関心を持たれていることが伺い知れたが、2009年にははっきりアニメ・マンガへの関心が強くなっていることを複数の人から話を聞くことでわかるようになった。

「一休さん」で終わっている僕は「スラムダンク」も「ワンピース」も何も知らなかったが、アメリカ人をここまで魅了する日本のポップカルチャーを知らないのは少しまずいな、と思った。

そこで、なのかどうなのかわからないが、2011年、例によって年一回のアメリカ旅行のとき、僕は機内で初めて邦画を観てみた。それは「デスノート」の実写版だったが、思いのほか面白くて吃驚したことを今でも覚えている。以降飛行機に乗った全機会において洋画より邦画を観るようになり、しかもほぼ例外なく面白いと思った。

オダギリ・ジョー主演の「転々」、阿部サダヲ主演の「謝罪の王様」も面白かった。吉高由里子などはANAの機内で上映された「ロボジー」と「横道世之介」でその存在を初めて知ったほどだ。ちなみに、僕にとってのナンバーワンは今のところ「荒川アンダーザブリッジ」(以下AUTB)だ。

アメリカ移住後(恐らく違法にアップされた)Youtubeでアニメ版AUTB、「デスノート」、「銀魂」などを観、ファンになった。AUTBのオープニングテーマは楽曲としても高度かつ見事で、様々な意味でアメリカのアニメとは完全に一線を画していた。

と、なんだか偉そうに作品やテーマソングのうんちくを垂れられる程度には、僕も日本のアニメや漫画の人気をようやく実感として了解出来るようになったし、移住後はかなり<対等に>アメリカの人々とその話題で盛り上がれるようになった。しかし、
そもそもなんでこんなに日本のアニメや漫画が受けるのかがわからなかった。次回はその辺りを書きたいと思う。
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