アメリカという甘美な幻想

南カリフォルニアはオレンジ郡に住むオヤジです。妻共々サラリーマンでしたが、2012年10月に移住してきました。個人輸入代行やコンサルタントを生業にした後、2016年からは会社員に。移住する遥か前から積み重ねてきた様々な「アメリカ体験」も含めて文章に残すためにこのブログを書いていますが、会社員復帰以降は忙しすぎて更新は稀に。自由の国、アメリカを含めた全体主義への流れ。これを絶対に食い止めましょう!

差別

アメリカ人は概ねフェアで親切である(2)

旅して見えるものと住んでみて見えるものとでは全然違う。それはわかっていた。アメリカで電気やガスなどの公共サービスを申し込んだり管理費や税金の支払いをすることになって、僕は物凄いひどい目に遭った。何もわからないので質問してもレスポンスが遅いし、トラブルが発生しても全然緊急対応しない。

アメリカ暮らしの長い知り合いに相談しても、「まあ大丈夫」とか「焦ってもしょうがない」と言うだけ。今では「日本のサービスのスタンダードが高すぎるから」と思ってこちらも余裕が出てきてはいるが、住みだしたばかりの時はどうなることかと思ったものだ。あまりに問題が多いので、「アメリカ人全体の資質」に疑いを向けることもあった。

しかし、ご近所さんと面識を持つようになると、「アメリカ人は概ねフェアで親切である」という持論は再度補強されることになった。僕のご近所さんは
本当に明るく善良な人しかいないからだ。そして僕は、去年こんな究極の体験をした。

2013年7月、お客様のiphone5の購入に行くところだった。が、ガレージの電動シャッターが故障して
何をどう頑張っても開かなかった。完全に途方に暮れていると、二、三回挨拶を交わしたことのあるだけの老夫婦の奥さんが声をかけてくれた。

事情を説明すると、自分の車を使ってもいいと言う。僕は勿論そこまで甘えるわけにはいかないと
お礼した上で断ったが、彼女は夫の元に許諾を求めに自分の家に行ってしまった。数分後に戻って来ると、「保険の関係で名義人以外が車を運転するのはまずいので、私が乗せていってあげる」と申し出てくれた。

僕は<断ってはいけない>気がして厚意に甘え、Appleストアまでの道を乗せて頂いた。断ってはいけないと思ったのは、彼女が社交辞令を言っているのではないことがわかったからだ。なんの見返りも求めない善意で、困っている隣人を助けたいという気持ちが明快にわかったから、これを断ることは正に欠礼だと思ったのだ。

Appleストアから家まで戻った時、僕はこの女性に礼を述べ「日本酒はお好きですか?是非あなたとご主人に味わって頂きたいのです。今日本にいる
妻が間もなく日本から戻ってくるので、おいしいものを買ってきてもらうつもりです。ただ、戻るのはあと10日後くらいになるので、そのとき御宅にお伺いしていいですか?」と聞いた。彼女は「勿論構わないが、そのようなことはする必要はない。困った時隣人は助け合うものだ」と行って去っていった。

予定より数日遅れで妻が帰ってきて、僕はすぐにお酒を持って彼女の家に伺った。僕が言葉通りに日本酒を持ってきたことにひどく感激してくれた。僕自身は彼女の「無償の行為(厚意)」に比して、たかだかこの程度のことでそこまで喜んでもらったことに申し訳なさを感じながら、「とにかくよく冷やして、美味しい食べ物と一緒に楽しんでみて下さい」と言ってお暇した。数日後彼女に会った時、「本当においしかった。本当に有難う」と言って頂いて、日本流に言えば「義理の貸し借り」が一旦終わった。だが、彼女を始め多くの隣人には「義理の貸し借り」の尺度はないようだ。貸せる時は貸すし、借りる時は借りる。日本人のようにバランスを考えることはないようだ。

僕は東京では総戸数100戸程度のマンション(正確にはコンドミニアム)に住んでいたが、隣人とは殆ど没交渉だった。朝会社に行き、夜遅くに戻って来る生活がそうさせた面もあるし、東京に住む人が一般的にそうであるように僕ら夫婦も積極的に近隣に交わる気はなかった。だからご近所からの親切なども期待していなかったし、自ら親切にしてあげる機会などせいぜいエレベータのボタンを代わりに押してあげる場面くらいだった。

さあ、ところを変えて場所はアメリカ。厳密に言えばロサンゼルスから80km南にある、大都会ではないが決して田舎でもない南カリフォルニアの町だ。ここで僕は「見返りを求めない親切」を受けた。全く想定外だった。同じコミュニティー内に住んでいるとはいえ、新参者の黄色人種を自分の車に乗せてしまう親切が一体どれほど純粋で、しかしどれほど危険であることか。僕には同じことを出来る自信はない。だからこそ、僕が受けた感銘は計りしれなかった。

この女性の純粋な心と親切心を涵養したアメリカという国の懐の深さは素直に評価し、尊敬すべきだと僕は思った。今後これと真逆なことをされることもあるかもしれないが、このような女性がいる国は、全体としてフェアネスを尊ぶ社会であることは明らかだ。だから、僕の「アメリカ幻想」はまだまだ続いて行くと信じている。

アメリカ人は概ねフェアで親切である(1)

移住前は毎年一回有休を使って1週間から10日くらいアメリカを訪問する程度だった僕。この間アメリカに滞在した期間は合わせて150日前後、移住後1年9カ月が経過したがそのうち4ヶ月は日本にいる・・・。これでアメリカ人を語るなどは早計の誹りを免れないかなぁと自分でも思う。

しかしそれでもあえて申し上げれば、アメリカ人は概ねフェアで親切であると思う。何せ僕はアジア人・日本人であることで何か差別や不利益を受けたことなど一度もないからだ。南部でも、北部でも、西部でも。

まず旅人だったころの例を挙げたい。
2004年、ユタ州のアーチーズ国立公園で、終戦当時広島県呉市と巣鴨プリズンで働いたという元アメリカ兵の兄弟(人種は白人)に、「日本人かい?」と呼びとめられた。それから30分以上彼らは日本での思い出話(東条英機首相をお世話したetc)や戦争観、そして日本を好感しているといったことを語った。

彼らの戦争観や対日観は非常にステレオタイプだったが、日本に好意的なのは明らかだった。日本人の中には戦争当時の敵であるアメリカ人を今も憎んでいる人もいるし、それはアメリカ人も一緒だから、そういう敵意のある人に出会ってもおかしくないのだが、まあ「たまたま」いいベテラン(退役軍人)たちに呼びとめられたのであろう。


2005年。急に雹にやられて仕方なくチェックインしたモンタナ州のモーテルで偶然出会った一家(人種は白人、職業は夫が白物家電の搬入や設置、奥さんは地元のカレッジの事務)と、互いの国や職業について長いこと話をし、最後にメルアドを交換した。

この一家とは今でも交流があるし、2007年にはミネソタにあるご一家の家にお邪魔したほどだ。彼らには日本は「ハイテクの国」というイメージくらいしかなかったが、僕ら夫婦と出会ってアジアに興味を持ち、最近ではインドネシアからの留学生を住まわせたりしている。まあ、こんな善良な一家に出会ったのは「たまたま」であろう。

2006年は、前年に仕事を依頼したミュージシャン夫婦(ミュージシャンの夫は中国系アメリカ人、妻は日系アメリカ人)とプライベートでも仲良くなり、ドライブ旅行の最後にLAに寄った際、二晩も泊めてもらった。ここには2007年にもお邪魔して2泊させてもらっている。まあこれは仕事がらみだから「いい人たち」なのも当然だろう。


2010年はセドナで公園の景観や自然を守っている女性(白人)と、嵐が過ぎた後の超絶な景色を見ながら自然や宇宙の神秘を語り合い、2011年はラスベガスでタイヤがパンクした際は、見ず知らずの親切な青年(黒人)に直してもらいながら、彼のそれまでの人生や今後の夢などを聞き、励ましたりした。彼は前科を持っていて、自分の弱さでその罪を犯してしまったと後悔していた。そしてなけなしの金でLAからラスベガスに「未来を切り開きたい」とやってきた。

まあ「たまたま」いい人に出会って壮大な自然を見ながら話したりすることもあるだろうし、パンクしたりすれば「たまたま」前科のあるいい黒人がやってきて直してくれるなんてこともあるだろう。でも、ここまで「たまたま」がずっと続くんじゃ、それはもう「たまたま」とは呼べないと思う。なので、僕は「アメリカは根本において善良でフェアだ」といういう確固たる一般論的意見を持つことにした次第だ。

僕が最も差別を恐れた出会いのことも触れておこう。
2010年、砂漠地帯を流れるコロラド川のほとりで休憩のためたまたま車を止めたら、釣りをしている白人の親子(父と娘二人の3人連れ)がいた。僕らに気付くなりお父さんのDavidが話しかけてきたのだが、
僕が日本人であることを知るとまずは車のことを話したがった。

「私はトヨタのカムリに乗っているが、君は何に乗っているの?」僕が「いや、車は持っていないよ」というと、彼は「トヨタの国の男が車に乗ってないって・・・?」と驚きでのけぞっていた。また、僕が「会社では人事をしている」と言うと「自分は最近リストラされて、こんな真昼間にサンディエゴからやってきて釣りをしてるんだ」と事情を説明してくれた。そして、リストラ話はやがて彼の「人種観」へと発展した。


「私はメキシコ人とかフィリピン人が嫌いだ。英語も話せないのにアメリカにやってきて安い賃金でアメリカ人から仕事を奪っていく。外国に来て、しかも住むというのなら最低限の礼儀がある。それはその国の言葉を話す努力をすることだ。君は英語を話すが彼らの多くは違う」。彼は明らかに、真剣に怒っていた。

彼の言うことに全面的に賛同するわけではなかったが、彼の言わんとすることは理解できた。そして、彼がアジア人やヒスパニックなどに対してのレイシストだとは僕は思わなかった。何故ならば、彼は外見的にどうみてもアジア人の僕に、自ら話しかけてきたからだ。

彼の考えを聞いて、僕がそれまで嫌な目に遭わないで来たのは「完璧には程遠くとも英語を話すから」なのかと考えた。確かにそれは「出会ってからの好印象」を作り上げるという意味では大事だ。だが、自分が日本人で英語が一応話せると了解されるのはあくまで会話が始まってからなので、それ以前に僕が何者なのか相手は知るよしもない。だからこそ、一般的にアメリカ人は差別的ではないと僕は言えるのだ。

とにもかくにも、「英語を話さない無礼者」という理由でフィリピン人やメキシコ人一般に敵意を燃やすアメリカ人に僕は出会い、これが僕が「差別の匂い」を少しだけ感じた唯一の瞬間だった。

こうしてアメリカを何度か旅するうち、僕はアメリカのフェアネスを信じるようになったわけだが、今後裏切られることは必ずあると思っている。一方で、少々のことで今の意見が変わることもないと思っている。そして僕は、この幻想がこっぱみじんに打ち砕かれるまではアメリカにいたいものだと思いながら、2012年10月にアメリカに移住したのだった。そしてそこで、また凄い人々に出会った。

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