かなり昔、僕はデューダやエンジャパンなどの転職斡旋サイトを利用したことがあるが、その時の登録を解除していないので今でもメールがバンバン来る。そこで紹介される案件のキャッチに「残業30時間以内」というのがある。言うまでもなく、日本では残業30時間以内はかなりの売り文句になるからだ。

 

実働2122日で残業30時間なら1日あたり約1.5時間残業が発生するので、8時間の通常労働と合わせると9.5時間会社にいることになる。確かに日本ではいい方だ。だが、アメリカでは「残業時間が少ない!」などと募集に際して宣伝する概念そのものがない。

 

彼らは何か特別な事由がない限り8時間働いたら家に帰る。翻って日本では、マシな会社でも大体残業が30時間は発生する。ということは、日本という国では最低30時間の残業を生む「特別な事由」が"恒常的"に発生しているということか。


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僕もサラリーマン時代は深夜のタクシー帰りを含め長時間労働を経験している。それでも僕は「意味のない残業」だけは回避しようとしていた。家族との時間、趣味の時間、それを犠牲にすることは耐え難かった。だから僕自身、人事の管理職として「成果を上げてスキっと帰宅」を実践しようと心掛けていた。

 

しかし、定時に帰ることそのものが「もってのほか」という雰囲気を気にしないで自由にふるまえるほど、僕は「日本人ばなれ」してはいなかった。そのストレスによって(早期で発見できたからよかったが)胃癌を患ったと確信している僕は、憧れていたアメリカに対し「憧れ以上の想い」を持つに至った。すなわち僕は、アメリカが「無意味な長時間労働を強いる国ではない」ことにも強く惹かれたのだ。

 

アメリカに住んだこともなく、せいぜいアメリカ人のメル友との会話で得た程度のイメージでしかなかったが、Appleの創始者であるスティーブ・ジョブズやMicrosoftのビル・ゲイツのように、成功への野心を燃やす人は他人に言われずとも長時間の労働をする一方、年収数百万のサラリーマンがプライベートを犠牲にして長時間無意味に働くなどということはアメリカではあり得ないという確信があった。

 

果たして、渡米して普通に生活する普通の人々と交流する中でわかったのは、その確信はほぼ100%当たっていたことだ。

 

僕の近所の複数の知り合いで、夜の7時に家にいないということはない。いや多くは6:30PMには帰宅している。つまり午後5時台には会社を出てる。土日に会社に借り出されるということもない。会社はそんな要求はしないし、社員側もそんな要求をされることなど微塵にも考えていない。

 

そんな「働かないアメリカ」で普通の国民はプライベートを充実させ、生きることを楽しみ、そのくせ世界No.1の経済大国を維持している。そして日本は「今日も残業、明日も残業」でやっているのにその後塵を拝している。人口の違いなど要因は様々あるだろうが、概して日本の長時間労働は生産性につながらない非効率的なものだと僕はずっと思っているし、「楽してNo.1」のアメリカに学べることがあるのではないかと僕は思う。

 
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昨今アメリカでは、日本のアニメやマンガなどへの関心を経て日本独特の事象も多くの一般の人が知るようになっている。当然日本人の長時間労働も知っているし「過労死」という言葉さえも知っている。僕のコミュニティーの友人も勿論それを知っている。そして、何故そこまで私生活を削って会社に時間を割くのかは到底理解不能だという。家族も趣味も全部犠牲にして働いて、一体なんのための人生なのかわからないという。

 

僕も日本にいた時からずっとそう考えていた人間だった。成果さえ出せば、その時間の使い方に文句を言われる筋合いはないと20代から考える人間だった。周囲と協調するのが苦になる人間ではなかったが、無意味さを強いられることにだけは耐えられなかった。

 

アメリカに来ている日本人は、それなりに同じ日本人の知り合いがいるし、こっちに来てから自然に知りあいになることもある。彼らの中には僕のように日本である程度の額のお金を会社員としてもらいながら、それを捨ててアメリカに来て起業した人も少なくない。

 

それで大成功した人もいるが、多くは日本時代よりお金は稼げていないし、日本にいたころのように長時間働くこともざらにある。僕も繁忙期は休みが4か月とれなかったこともある。しかし、何かが違う。それは「全てに意味を感じる」ということだ。僕もその友人たちも「誰かにやらされていない」のだ。これはアメリカならサラリーマンでも同じ感想を抱くことだ。

 

アメリカはこう言う。

 

  成功したいの?どうぞ。没落したいの?どうぞ。
  どちらもあなたの自由です。何も強いませんよ。

 

僕にはこの考えがあっていた。日本での長時間労働に「特別な事由」は何も見いだせなかった。趣味の悪い根性論に付き合わされるのは勘弁してほしかった。だから年収が3分の1になってもいいと思ってアメリカに来た。本当に年収は3分の1になったが何の後悔もない。代わりに手に入れたもの - ほぼ100%の自己決定の自由、青空、海、緑、砂漠 - があまりに心地いいからだ。僕だけではない。友人たちもほぼ同じ理由でここにとどまっている。

 

起業すれば全てにおいて自己決定するのは当たり前だが、アメリカではサラリーマンとして働いても日本のような居残りへのプレッシャーなどはありえない。日本は言うまでもなく素晴らしい国だ。しかし、生きる上で切っても切れない重要な要素である「働く」という点では、これほど不条理で馬鹿げた意識が横溢している国はないように思える。

あなたが本当に欲しいものが「自己決定の自由」なら、アメリカに来るのは間違いではないと僕は思う。