前にアメリカで生きるのに必要な最低限の英語力の話を書いたが、先日安倍首相がアメリカでスピーチした際、英語の発音がひどかったということで一部から激烈なバッシングを受けたと聞いている。確かに安倍さんの英語の発音はひどかった。でもそれをあげつらう意味が全く分からない。

 

安倍さんがスピーチコンテストに出たと言うのなら話は別だが、彼は日本の首相の立場でアメリカの上下両院の議員に向けて何かを伝える機会を得、その伝えたいことはきちんと理解してもらえ、だからこそ万雷の拍手を受けた。目的に対してきっちり効果があったではないか。

 

伝えた内容が拙劣だとか、理解されなかったとか、日本の立場を危うくしたというのなら彼の職責に照らし大いに非難すべきだと思うが、「きちんと相手に伝わった英語」の「発音」を殊更に非難してどうするんだろう。もう一回言うが、上下両院での演説は「英語自慢の人たちのスピーチコンテスト」じゃないのだ。

 

ところで、安倍さんの英語の発音でアメリカで生活できるか、という話をしたい。

 

以前にも書いたが日系人の多い地域で生きて行けば、そもそも英語は最小限の使用で生活可能だ。だが、当たり前だが英語力が不足する状況はアメリカで暮らす上で少しもいいことはない。何か面倒なことが起きたとき自分だけでは対処できないのだから。

 

実は先日、僕のもとにHonda(勿論アメリカの)から手紙が来た。僕の乗っている「2005Honda Civic Hybrid」のエアバッグに不具合が見つかったのことで、リコールする旨書かれていた。近くのHondaのディーラーに電話して、エアバッグの交換の予約をせよとのことだった。

 

すぐに電話してみたが、電話番号を聞かれ、名前を聞かれ、車のVINナンバー(16桁くらいのアルファベットと数字で構成される製造番号のようなもの)を聞かれた。そして最後に「部品が3か月待ちなので、在庫が入ったら知らせる」ということで会話は終了した。

 

すぐにでも交換できそうな文面の手紙を送ってきながら結論は3か月待ち、というのは極めてアメリカ的であるが、まあ会話自体は極めて初歩的であった。初歩的ではあったが、「日本人の典型的な発音」では恐らくこの会話は成立しない。普通の会話ならネイティブは文脈を考えながら発音の間違いを脳内で補正してくれるが、それ自体では意味を持たないアルファベットと数字を相手に伝える以上「発音が全て」になる。しかも電話を通してだから尚更だ

 

僕はずっと典型的な日本人の発音であっても特段恥ずかしがる必要はないし、実際言いたいことが伝わるならそれで十分だという立場に立っている。「ビーフ、ワンパウンド、プリーズ」とカタカナで発音してもまず間違いなく相手は「Beefone pound分」売ってくれる。が、今回の例のようにその時のシチュエーションや話の文脈から相手が発音の間違いを補正しながら聞いてくれることを期待できない場面、すなわち「発音が全て」と言う場面もあるのだ。

 

自分の名前のスペル、電話番号、そしてVINナンバーなど、単にアルファベットと数字を伝えるという簡単なことなのに相手に理解されないのは厳しい。特に今回はリコールの話だ。命にかかわる。なので、発音はいいに越したことはない。僕の以前のエントリーを読んで発音なんて「どうでもいい」と思ってしまった方がいたら、それは違うので誤解なきようお願いしたい。

と、書いたあと2時間が経ったが、追加があるので書いておく。

こちらでスペルを言う際は、たとえば「Kanimo」だったらこんな風に確認しながら伝えることがある。

 "K" for Kitchen   "A" for America   "N" for Nebraska
 "I" for Iowa   "M" for Monkey  "O" for Oregon

つまり「KはKitchenのK、AはAmericaのA…」のように、誰でもわかる単語を引き合いに出して自分が話したㇲぺルを相手に理解させるのである。しかし、それでも発音がまずかった場合は相手を混乱させることは十分ありえる。

たとえば「Victor」と言いたくて「V for Vermont」と言ったつもりでも、日本人の典型的な発音で”V”を「ブイ」と発音してしまえばこれは絶対に伝わらない。そこで、それに注意して「ヴィー」と発音した(つもりになった)ところ、今度は先方には「B for Bermont」と聞こえてしまう…そんなドツボが考えられるのだ。そしてやっかいなことに「Bermont」という名詞(地名)は存在するので、「Victor」は「Bictor」として理解されてしまう可能性も低くない。

そう考えると、やはり発音は少しは練習しておいた方がいいかもしれない。