アメリカという甘美な幻想

南カリフォルニアはオレンジ郡に住むオヤジです。妻共々サラリーマンでしたが、2011年にグリーンカードが当たり、アメリカへの憧れに抗しきれずに2012年10月に移住してきました。個人輸入代行やコンサルタントを生業にした後、2016年からは会社員(人事、法務など)に。移住する遥か前から積み重ねてきた様々な「アメリカ体験」も含めて文章に残すためにこのブログを書いていますが、会社員復帰以降は忙しすぎて更新は稀に。。。面目ない。

ロサンゼルス

2009年:心機一転カリフォルニアとネバダの旅(番外編)

2009年7月、2年ぶりにアメリカを旅行して戻ってきてから、実験的に代行店をスタートさせる準備を進めた。その過程で販売目的で若干商品を買っておいたりアメリカのイメージ画像が必要になったりしたため、再度11月に4泊6日程度でロサンゼルスに行こうと考えた。

一方同居する義母は僕が会社員に戻らないという決断を受け入れていたのかと思ったが、9月になって急に「不安だ不安だ」と騒ぎ出した(一人娘の母親という立場上、まあしょうがないとは思うが)。結局10月に僕は、代行店を開業することをはじめ、将来的に起業する可能性の模索を今後とも続けることを許してもらう一方、
(口があるのなら)再就職することを約束した。そんな流れで11月に内定が出たが、勤務開始は12月にしてもらい、4泊6日の旅行には計画通りに行った。


2009年11月20日~26日
このような旅だったので、基本的に商業地域しか回らなかった。骨が折れたのは、店のイメージ画像に使うために以下のような写真を撮る作業だった。お店から許可をもらえるとは思えないし、とにかく「写真を撮るな」と表示がないところで人知れず技術を駆使して撮ったのである。


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しかし、僕のような砂漠好きがロサンゼルスにいながらそこに行くのを我慢することは出来ず、ロサンゼルスから2時間半ほどにあるリッジクレストという町まで行って砂漠を愛でてきた。

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多分CA-178号線。こういう景色に出会うたび、今でも心がときめく

そして、またもハモサビーチのビバヒルのビーチハウスに行ってみたのだが、11月の少し寂しげなビーチを散歩していると、何か様相が違っていることに気づいた。

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奥に見えるのが例のビーチハウス 

実はこの時多くの家が売りに出ていたのだ。当然にリーマンショックの影響で、売りに出ている家の看板は「For Sale」だけでなく、「Foreclosure(差押物件)」とか「Short Sale(一言では説明不能)」などの看板がやたらに目についた。上の写真にも納まっていないし、他の写真を見ても撮れてはいなかったが、いやでも目に入るほど多くの売り看板が出ていた

この、リーマンショックによる不動産価格の下落は2012年夏に底を打つことになった。一方日本円は2012年夏ごろは70円台を保ち、ドルに対して過去最強レベルの強さだった。勿論
この当時はそんなことを知る由もなかったが、僕ら夫婦はまさに2012年夏に、今住んでいるコンドを買った。狙ってできることではなく、ラッキー以外の何物でもなかった。

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こうして目的を果たし、あとは帰るばかりとなった。買いつけた商品は持ってきた2個のスーツケースには納まりきらなかったので、入りきれないものは別送品として箱に入れ、帰る前日に日通から出した。そして最後に、グリフィス天文台からの夜景を見て2009年アメリカ旅行の番外編は終わった。

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帰国後、またもサラリーマンに戻ったわけだが、その時の想いを今でも忘れない。僕はこう願っていた。

 起業のことが頭にあるからといって手抜きをするつもりは勿論ない。
 ただ、ドラスティックなくらいでいいから「成果主義の職場」であってくれ。
 論理的整合性のない日本的根性論だけは勘弁してほしい。

2007年、アメリカ プチ一周ドライブ(その五&最終回)

本日は「2007年アメリかほぼほぼ一周旅行の717日から最終日22日まで」の分を書きたい。

070715
2014年7月15~22日(2350km)

7/17
フラッグスタッフからまっすぐ西に向かえば終点のロサンゼルスについてしまう。早く着きたいようなもう少しいろいろ見たいような気分でいたが、結局南に向かうことにする。

FS-CM
フラッグスタッフ⇒770km⇒コスタメサ

まず「Montezuma Castle National Monument」を訪問。崖の壁面につくられた住居跡で、12世紀につくられたものと言う。

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大自然を楽しむ国立公園ではなく、いにしえの人類の足跡を見るというのも中々おつなものである。当時の人々は以下のミニチュア模型のように暮らしていたと考えられているようだ。

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それなりに楽しんだ後、フェニックスを通り、I-10を使って一路西海岸へ。夜8:00、もう移動する気力が失せて、ロサンゼルスの南60kmほどのコスタメサで宿を取ることにするが、前に利用して結構良かったDays Innが満室で、ややお高いBest Westernに。行ってみるとスイートしかなく、仕方なく160ドル払ってスイートに泊る。

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モーテルに160ドルを払うという常識はなかったので痛かったが、上の写真の通りジャグジーがあったので元を取ろうと楽しんだ。明日以降の宿をネットで探した結果、
ロサンゼルスの数十km西にあるウッドランドヒルズ(Woodland Hills)にあるBest Westernは、3日予約で1泊100ドルが80ドルになるというのでそこに3日分予約を入れてから就寝。


7/18-19
朝コスタメサからロサンゼルスへ。60kmくらいしかないので簡単に到着すると、まずは前日予約した宿へ。その後ハリウッドにあるユニバーサルスタジオを超久しぶりに再訪し、アトラクションを楽しんだ。

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トラムツアー。ここは例の洪水に襲われるところ。


7/20-21
昨年も我々を泊めてくれたグラミー賞受賞ギタリスト、ダニエルホー・リディアホー夫妻のお宅があるウェストウッドへ。自分が勤めるFM局での最後の仕事を彼に依頼していたので、その仕上がりを確認させてもらったりしつつも楽しい時を過ごした。
 

7/22
東京へ。7/4にスタートした「アメリカほぼほぼ一周旅行」もこれでおしまい。8月からは新しい会社で働くが、その前に今の会社で引継ぎがあるため、7月いっぱいアメリカを楽しむという贅沢はかなわなかったが、18泊20日の旅行が出来たことは十分幸せだった。


◆旅行のまとめ
領収証など様々な資料は東京に置きっぱなしなので、航空運賃、宿泊費、レンタカー代、ガソリン代、食費などのデータをここに正確に記載することができない。唯一わかるのは、車の走行計からトータルで11000km走ったことだ。

この2007年の旅で、僕が訪問(通過を含む)した州は33州になり、翌年以降はまだ未踏破の東海岸を旅し、可能な限り早くアラスカとハワイを除く北米大陸48州をクリアしたいなどと思ったことを覚えている。

2002年アメリカ西部三州ドライブ旅行(総論)

やっとドライブ旅行の話を書けるところまで来ました。時は2002年、私はFM放送局で人事・法務をしていました。旅慣れた同僚が「アメリカで車の運転なんて大したことない」と言うし、もう決行するしかありません。

2002年全行程概要
02旅行マップ

旅程と利用サービス/施設関係のデータ

 <旅程>

921

成田⇒LA

LA⇒RidgecrestCA) 
距離:260km
ルート:LAXそばのダラーレンタカーからI-405CA-14 

22

Ridgecrest  Death Valley  Las Vegas (NV)
距離:450km
ルート:RidgecrestからUS-395CA-190NV-160 

23

Las Vegas  King ManAZ)  BarstowCA)
距離:500km
ルート:US-95US-93I-40(途中Route66に乗る) 

24

Barstow  LA
距離:185km
ルート:I-15 

2527

LAとその近郊

28

LA  成田

29

成田着


 <利用施設等データ> 

航空会社

JALエコノミー(往復一人99980円×2)

レンタカー

会社:ダラーレンタカー

車種:クライスラー クルーザーPT(赤)
   ※価格等資料紛失記憶忘却 

モーテル

Date

モーテル名

値段(税込ドル)

9/21

Super 8

64.90

9/22

Travelodge

42.15

9/23

Econolodge

33.00

9/24

Travelodge (ハリウッド)

68.40

9/25

Best Western Ocean View

(サンタモニカ)

241.76

9/26

9/27

Holiday Inn Express (ハリウッド)

90.06


02-1
皮肉にも看板には書いてませんが、「間もなくデスバレー」という場所にいます

移住への憧れが萌芽した旅でした
「砂漠の権化」であるデスバレーに車で訪れたい(というか車以外に実質行く方法がない)と思って企画したこの旅でしたが、LAの都市部を過ぎてしばらくするともう「砂漠」なんですよね。既にその時点で私は十分興奮できました(笑)。

そしてデスバレー近辺を走ってみて、実際の都市と都市の間に横たわる、あまりにも広大な『無』に圧倒されました。荒涼たる砂漠、褐色または鈍い銀色のゴツゴツした岩がむき出しの山々、青空、乾いた空気、対向車の来ない一本道…。飛行機から見たあの風景の中に自分を溶け込ませてみると、あの感動が倍加して、否何十倍にもなって自分を襲ってきました。

そしてLAに戻って都市の環境で旅を楽しむと、この奇跡のギャップがいよいよ愛おしく感じられ、
「LAに住んだら海、砂漠、シティーライフが満喫できるジャン。いいなぁ」と思ったことを覚えています。1995年の旅で飛行機から見た砂漠でアメリカに淡い憧れを抱いてから7年、このとき「移住への軽い憧れ」が芽生えたのです。

では次回は旅の詳細を。 

1998年、ロサンゼルスをテクテク歩いてみた

1995年の「6泊8日3都市周遊」の旅が明らかに詰め込み過ぎと思い、1998年はロサンゼルスを歩き、バスで移動するという旅にする予定を組みました。私はこの年、例の大御所シンガーの事務所を離れ、より大きな音楽事務所「S」に作詞作曲家として専属していたのですが、プロデュースまでやらせてくれるという「零細事務所の社長・I」に説得され、そこに移籍する話がまとまっていました。

しかし、この社長を普通に信じて「S」を辞め、いつから活動するのかI社長に問い合わせたら、なんと「すまん、この話はご破算にしてほしい・・・」。この時私は34歳、これまで築いてきた様々な関係を整理しながらこの社長に音楽人生をかけた結果がこれでした。そしてこの時、アメリカ旅行まではあと1週間。人生最大級のピンチでしたが「糞野郎に騙されたからアメリカに行かないとか、それはむしろあり得ない」と思い、行きました。

旅行の内容

期間

1998926日~103日(68日)

エアライン

シンガポール航空エコノミー

ホテル

シェラトンアナハイム(9/2628

センチュリープラザ(9/2810/2
現ハイアットリージェンシーセンチュリープラザ)

目的(地)

ディズニーランド、ユニバーサルスタジオなどで遊びつつ、徒歩とバスで観光地以外のロサンゼルスやその周辺を見てみる


98La
左から98年当時のユニバーサルスタジオ、ディズニーランド、ビバリーヒルズ

以上の通り、まあLAのお約束のアトラクションに行ったほか、ビバリーヒルズやUCLAなどにはセンチュリーシティのホテルから徒歩で行きましたし、サンタモニカにはBig Blue Busで行きました。バスを乗り間違えてかなり治安の悪そうな場所に迷い込んだりもしましたが、住宅地を歩くのは
現地の生の匂いが嗅げたようでとても興味深かったです。殊に、芝生がきちんとトリムされた家々はやはり東京の住宅地と比べて豊かさや余裕を感じました。

1995年に「すげー!」と感動した「あの砂漠」はどこにもありませんが、1週間LAに滞在して西海岸の気候が非常に気に入り、砂漠を訪れるという発想はまだこの時は湧かず、「また次もLAにしよう」とカミさんと誓い合ったのでした。

1995年、単なるパッケージ旅行の衝撃

31歳の時、1年の遅れの新婚旅行として「ロサンゼルス、ベガス、サンフランシスコ6泊8日の周遊旅行」というベタな旅に妻と行きました。この時「事件」が起きたのです。それは「景色」でした。大都市間を移動する飛行機から眺めた風景に、大自然に、私は驚嘆したのです。

旅程4日目だったか5日目だったか、とにかく私達夫婦はラスベガスからサンフランシスコに移動しました。マッカラン国際空港から機が離陸して、家々がシムシティーの画像のように小さく林立して見えた後、景色の中心は砂漠になりました。すると、その何もない褐色の砂漠に、道が一本まっすぐに走り、それが遥か遠くの地平線の彼方に消えていくのが見えました。「何だこれは!何だこのスケールは!」そう思わずにはいられませんでした。

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LAXから日本へ帰る時は、向って右側の窓からこのような風景が見える

そもそも、日本からロサンゼルスに着く間際に見た景色に既に少し心が動いていました。行ったことがある方はお分かりかと思いますが、進行方向左側の座席にいれば、機体に近い順から青い海、街、砂漠、そしてシェラネバダ山脈が一望に出来る時があります。その時はじわじわとこみ上げてくる感動の正体が何なのか言葉に出来ないままロサンゼルスに降り立ったのですが、ラスベガスからサンフランシスコに向かう機上で上述の「砂漠の一本道」を見て、日本では見ることのできない壮大なスケールの自然にいたく感動していることに気づきました。

もっと正確に言えば、「自然と都市のコントラストが尋常ではない」と思ったのです。砂漠を中心とした大自然だけならオーストラリアにもアフリカにもあるでしょう。しかし、世界最大の先進国の、その中でも繁栄を謳歌するロサンゼルスやベガスなどの大都市でその利便性と享楽性を味わった直後に、想像を絶するスケールの手つかずの自然を見てしまった時、このあまりの落差に私の感性は茫然とするしかなかったのです。

ところで、このような周遊旅行をすれば、一都市にせいぜい二日しか滞在できませんのでやれることは非常に限られます。しかもこの時は感動の大半が大自然の風景で構成されたため、各都市の記憶は以下のようなものになってしまいました。

ロサンゼルス
ホテル(オムニロサンゼルス)併設の売店でカップヌードルを食べてまずさに驚いた。

ラスベガス
グランドキャニオン・セスナツアーに参加したが、急に気持ち悪くなり機中で吐いた。
ホテル(ラスベガスヒルトン)で食べたルームサービスのパスタが美味くて驚いた。

サンフランシスコ
ケーブルカーには乗った。
日本食が恋しくなり、日本料理屋ですき焼きを頼んだ。凄まじくしょっぱかった。

帰国後、私はこの旅で感じた衝撃をどう整理していいかわかっていませんでした。ただ、とにかく次の旅もアメリカがいいとだけ思いましたし、(サラリーマンの妻は特に)短い休暇なのだから、3都市を6泊8日で回るとかいうのは止めて、まずはロサンゼルスから詳しく見てみようと思いました。3年後の1998年、「ロサンゼルスだけ見る旅」でそれは一応果たされました。

追記:一応旅行データを書いておきます。

期間

1995922日~929日(68日)

エアライン

JALエコノミー

ホテル

オムニロサンゼルス / ハイアットリージェンシーアリカンテ(アナハイム)⇒ ラスベガスヒルトン ⇒ スタンフォードコート(サンフランシスコ)

目的

パッケージ内容に従って移動。グランドキャニオンツアーは自前で予約。いい景色が吐いてしまって台無しに…。

 
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