「アパラチアの山」に住む人々の政治的な力

東海岸に流れ着いたピューリタン(聖書原理主義者)。その後も人々は故郷を捨て、ドイツから、フランスから、オランダから、スイスから、そして他の欧州諸国から、新天地のアメリカに来て人生を築いていった。

こうした人たちの心のよりどころとなったのは、言うまでもなくキリスト教だったわけだが、多くの人が支持したのはカトリックではなく、プロテスタント、特にバブテスト派だったことは前回のエントリーで書いたとおりだ。故にアメリカ南東部は現在でもバプテストを中心としたプロテスタントが多数いるというのが歴史的な流れである。

このようにバプテストを中心とした極めて原理主義的なクリスチャンがここまで多く存在しているのはアメリカのみであり、世界的に見ても極めて珍しい傾向であるらしい。言語的にもこの地域は独特と言わざるを得ない。

西海岸も含め主要な大都市ならどこも大体そうであるが、アメリカ人の英語のアクセントは基本的に我々がテレビや映画などで聞く「アメリカン・アクセント」である。しかし最南部やアパラチアで聞いた英語はかなり違う。まるでブリティッシュ・イングリッシュのような発音なのだ。例えばwayやplayなどは「エイ」と言わず「アイ」と発音するのだ。


上の動画のようなものは「Appalachian English」と入れればいくつも検索に引っかかるが、とにかく凄い「訛り」だ。そしてやはりこれは、17世紀以降の入植者がもたらしたイギリス英語がここで純粋性を保てたためなのだという。色々なものが純粋性を保って保存されている地域、そこがアパラチアだ。

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ところで「Feel like going home」という曲があるのだが、これは20年前くらいに旅チャンネルがやっていた「栄光のマザーロード、ルート66」という番組のエンディングテーマになっていて、それを聞いて以来ドライブ旅行には欠かせない存在になっている。この曲の演奏者がThe Knotting Hillbillies(ザ・ノッティング・ヒルビリーズ)といい、あのダイアストレイツのマーク・ノップラーがこのバンドでギターを弾いている。

そう、バンド名に「ヒルビリーズ」とある。だが、その意味に着目したことはこれまで一回もなかった。ロカビリーの親戚くらいにしか思っていなかった。しかし、真の意味は全く違った。これは「山あいに住む無教養な田舎者」を侮蔑する言葉だった。この山あいとは基本アパラチア山脈を指す。これはどういうことなのか。

先日初めて出会った「レッドネック」という言葉も、同じく侮蔑語として今も存在している。これは、日中太陽に焼かれて首の部分が赤くなってしまう単純労働者のことを揶揄したものだ。これもどういうことなのか。何故山あいに住むという地理的特性や、外で働けば必ずそうなってしまう皮膚の反応を教養のなさに結び付けて侮蔑するのか。

侮蔑する側の評価はこうである。すなわち、アパラチアの人々は非論理的である。いかなる堕胎も同性婚も反対であるし、宗教原理主義が高じてビッグバンも進化論も否定する。また、アパラチアの人々は容姿、身だしなみに気を使わなさすぎる。常につなぎのジーンズにもじゃもじゃのひげ。そして歯がない。さらに、アパラチアの人々は野蛮である。銃を携行して町を歩き、人種差別的であり、いまだに南北戦争時代の南軍の旗を掲揚している。

典型的イメージ

誇張が激しいと言いたいところだが、調べた限りではある程度事実に基づいているようである。勿論見た目に関しては大きなお世話だが、レイプをされた場合でも堕胎してはならないという考えが本当ならば、僕にもちょっとついていけない。

で、本当にそんな考え方をするのか、といえば、するのである。そして現に、この考えを具体的に法制化するという動きがあって、今現在全米16州で中絶を制限する州法案が出され、複数の州で可決されているという。しかもアラバマでは、つい先日レイプや近親相姦でも中絶出来ないという州法が本当に通った。これ、本当なのだ。。。いくら何でも行き過ぎだ。そんな思いを禁じ得ない。


ちなみに、アラバマはアパラチア諸州には含まれないが、そのかわりディープサウスと言われる地域に属し、アパラチア諸州の一つであるテネシー州と境を接し、やはり聖書原理主義的な場所である。

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キリスト教が誕生し、まずカトリックとプロテスタントに分かれた。プロテスタントもいくつか分派し、そのうち最も聖書原理主義的なピューリタンがアメリカに流れついた後、奴隷解放を巡って南北2派に分かれた。この聖書原理主義の「総本山」は、言うまでもないが南部側(テネシー州ナッシュビル)にある。

日本も含む他の国のプロテスタントの中で、就中バプテスト派の中で、アメリカ(南部)のような、私の視点では常軌を逸したといえるような過激な思想を前面に出すところはまずない。日本のバプテスト教会はアメリカの過激ぶりを批判さえしている。つまりアメリカのバプテストだけがガラパゴス的に生き残り、純化したような状況なのだ。

そして、このバプテストを含む保守的なプロテスタントがアメリカの25%を占める。だからアメリカの大統領になるには、この人たちを無視することはできない。この人たちはとんでもない「大勢力」なのだ。そんなことは日本に住んでいると気づかない。それはそうだ。アメリカにいても意識しなければ気づかないのだから。