アメリカという甘美な幻想

南カリフォルニアはオレンジ郡に住むオヤジです。妻共々サラリーマンでしたが、2012年10月に移住してきました。個人輸入代行やコンサルタントを生業にした後、2016年からは会社員に。移住する遥か前から積み重ねてきた様々な「アメリカ体験」も含めて文章に残すためにこのブログを書いていますが、会社員復帰以降は忙しすぎて更新は稀に。自由の国、アメリカを含めた全体主義への流れ。これを絶対に食い止めましょう!

ルート66

前回書いてから今日までのこと

ここまで空いてしまったのは忙しかったからであって、かつここまで空いてしまったが故に何を書いていいかわからなくなってしまったからだ。そこで今日は、最後のエントリーを書いた68日以降に何をしたかを思い出しながら、気付いたことを「日記形式」で書いて行きたい。

 

6月中旬のある日

コンサルタントとしての仕事の最初のヤマが過ぎた。ここまで116時間くらい仕事をする日が何週間も続いていたが、やっと解放された。そこで、土日を利用してかみさんと12日でデスバレー経由でLas Vegasへ行った。

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デスバレーのFurnace Creek


デスバレーの気温は華氏120度。摂氏では49度。この暑さと景色、いつ来ても夏のデスバレーは最高だ。今回はいつも行くBadwaterには寄らないルートで行程を作り、17:00頃Las Vegasに到着した。

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Las Vegasの中心を走るLas Vegas Boulevard(通称The Strip)
 

 

日本からアメリカに遊びに来ていた時は、Las Vegasに来るのはいつも真夏の平日の夜だったので目抜き通り(The Strip)に面したホテル(今まなきBill's Gamble & Saloon)に30ドル台で泊まれたが、今回は夏ではあっても土曜なので大体同じランクのホテル(Bally's)が170ドルした。

 

痛いことは痛いが、ホテル側のミスで間違った部屋をあてがわれていることに気づいて変更を求めたら「眺め最高のスイートではどうか」と言われそっちにした。

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こういう眺め



下の写真の通り確かに眺めは最高できれいな部屋だったが、中の作りが艶めかしすぎて落ち着かなかった。どう艶めかしいかと言うと:

 1)壁4面中、窓側を除く3面の殆どに鏡がはめられていた

 2)シャワー室の壁もドアもガラス製(つまり中が完全に見える)

 3)ジャグジー付のどでかい浴槽は部屋のど真ん中に配置され、かつ何の仕切りもない

   (つまり、リビングのど真ん中に浴槽だけが置かれている)

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ベッドのすぐ奥にジャグジーがあり、その右側にはシースルーのシャワールームが…



まあ、ベッドが1台しかないシングルの部屋なので、宿泊人数も1人という想定でこの作りを採用したのだろうけれど、僕らはいくら夫婦でも奥ゆかしい日本人。この部屋を照れずに使いこなすのは無理だったわけで、次回は「スイートだ!」っと脊髄反射で喜ばずに普通の部屋に泊まろうと思った。

 

夕食はホテル内のメキシカンレストランでタコスやケサディーヤを食べた。値段もリーズナブルで味は抜群だった。激しく推奨したい(何故か写真を撮っていない。手抜かりだ)。

ラスベガスからの復路では「Route 66」を通ってみた。
映画でおなじみの「バグダッドカフェ」があるニューベリースプリングスも通った。何回来たかわからないくらい来ていて我ながら呆れるが、逆に近くまで来たのに寄らないで済ますことが怖いという複雑な心理が去来するのもまた偽らざる事実だ。


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ニューベリースプリングスを西に数キロ行ったあたりで撮影



619日~76

日本へ出張。クライアントの日本支社に2週間お邪魔して諸作業を行った。自宅がある赤羽から日本支社がある新橋まで平日毎日通ったが、久しぶりの電車通勤は最初は苦痛だった。しかし、2日目に赤羽で始発に乗るとちょうどいい時間に新橋に着くことがわかり、3日目から実際にそうした結果通勤はかなり快適になった。

 

滞在中の東京は殆どが雨。まあ梅雨だから仕方ない。何しろコンサルとして仕事をするなんて初めてのことで、私的なことに時間をどう割けるか見当がつかなかった僕にすれば仕事以外で出来ることには限界があった。だから、天気が悪くても大勢に影響はなかった。

 

日本滞在中はアメリカでは食えないか食べられてもあまりうまくないか、うまくても高くつくラーメンやチャーハンやらをほぼ毎日昼食で食べ、晩御飯は同じくアメリカでは高いかまずいかもしくはその両方の刺身や牛肉をメインに自宅で食べた。間に入った週末には急遽会津の実家に戻って墓参りをし、アメリカに帰る直前の週末には大学時代の友人らと会うことができ、旧交を温めた。

 

しかし、アメリカに20129月に来て以降、日本に戻ったのはこれで5回目だったが、過去3回は父母と長兄の見舞いと葬式目的で、もう1回は愛猫が癌にかかったというので戻っていたのであって、全くの楽しみのために日本に帰るということは一度たりともしていない。次に帰るときは100%自由に行動できるものであってほしいと願わずにはいられない。

 

ところで、日本からアメリカに、またはアメリカから日本に戻るときには時差ボケの調整が必要になる。僕は10年以上前から強い睡眠薬(医者が処方するもの)で強制的に眠ることで早期にアジャストする方法を確立していたが、今回日本に行く時に持って行ったのはアメリカの市販薬で、これが全然効かなかった。このため、夜の10時に眠って3時間ほどで目覚め、その後眠れないという日々がずっと続き、仕事は非常に厳しくかなり体力を消耗した。

 

また、ようやく寝れるようになるともうアメリカに戻るというタイミングになっており、アメリカに戻ってからもアジャストができず、やはり「睡眠障害」に苦しんだ。効かない睡眠薬で中途半端に起きてしまい、さらにもう一錠飲み増しして寝るということまでやった。

 

その結果、体調は最悪になってしまった。効かない睡眠薬を飲み増ししても結果的に眠れなかった一方、短時間での規定以上の服用で睡眠のメカニズムを破壊してしまったのだと思う。アメリカに戻ってから4日目に無意味さを悟って睡眠薬服用は止めたのだが、6日目には体力の消耗でとことん疲労し、これに下痢が加わってどん底まで落ち、10日目にしてやっと自然に眠れるようになり体力も回復した。この経験は今後の教訓になった。

 

 

7月中旬以降現在まで

まあ普通にコンサルの仕事をしている。そしてこれからまた忙しくなる。期限との勝負が始まる。また116時間の労働に追い込まれるのは嫌だから何とかするつもりではいるが、それには仕事量を上手に配分し健康をキープすることが重要だと理解している。

 

ではまた書く日まで。

2007年、アメリカ プチ一周ドライブ(その四)

前回(2014/7/30)に書いてから100日強が過ぎてしまった。日本から連れてきた、がんを患った猫の世話は勿論のこと、iPhone6/6Plusの代行準備、そして代行の開始がこの間にあり、ここまで期間が開いてしまった次第。久々の今日は「2007年アメリかほぼほぼ一周旅行の715日から16日の分」を書きたい。

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2014年7月15~22日(2350km)

 ******
7/15
テキサスに入ってからもう何日も経つが、さすが広大な州だけになかなか出られない。この日はスイートウォーター(Sweetwater)を出て、有名なキャデラックランチがあるアマリロ(Amarillo)に行くことが目的だった。

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7/15:Sweetwater(TX)→(830km)→Albuquerque(NM)


テキサスは勿論プレーリーの一角をなし、当然にトルネード多発地帯だが、それがよくわかるのが以下のような場所だ。場所はプレイン・ビュー(Plain View)という町。まさに平坦な景色しかない「プレーリーそのもの」の町だった。


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4.5時間ほどでアマリロに到着。場所の特定に結構戸惑ったが、ルート66をうろうろした末ようやく発見。

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戻ってくる観光客とすれ違った際、なんと彼らが使用したラッカーをくれたので、僕らも落書きをすることに(落書きが予定されたモニュメントなので機会があれば皆様もやって下さい)。以下の写真のように僕と妻の名前を書いたのだが、その数日後には新たな落書きで上書きされたことだろう。

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僕らが車に戻る際、こちらにやってくる観光客にラッカーを譲り、あとは可能な限りルート66を使いながら西進し、20:00頃ニューメキシコ州アルバカーキ(Albuquerque)に到着。

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朝アルバカーキの町を車で少し回ったあと、西進開始。

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7/16:アルバカーキ→(550km)→フラッグスタッフ

まずはペトリファイドフォレスト国立公園へ。ここは文字通り林が石化した広大な場所で、木が写真のように石のようになってそこらじゅうに転がっていた。


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そして公園内を車で移動中に、以下のような廃車が。1920-30年代のフォードだと思うが、本当は車の前から撮った写真があったのに、今年7月にパソコンが逝った際に消えてしまったので掲載できず残念。

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更に西進し、かつ可能な限りルート66を使い、アリゾナ州ウィンズロウ(Winslow)へ2度目の訪問。イーグルスの「Take It Easy」の中にこの町の名前が出、その「美しい景観」が描写されているが、実際には景色は美しくもなんともない。しかし名曲ゆかりの聖地としてイーグルスファンの観光客の重要な目的地になっている。

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ルート66をさらに進むと「Twin Arrows」が。昔はガススタンドとかがあった場所で、今は廃墟になっている。なんてことはない場所だけどルート66との関連で好事家から人気がある。2009年にお色直しをしたそうで、これは2007年の写真だからかえって貴重かも。

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さらに西進し、アリゾナ北部の最大都市、フラッグスタッフへ。アリゾナとは言えロッキーの最南端に位置して標高も高く、夏でも冷涼な気候。ここで一泊しこの日は終了。

2003年、デンバー・LA間をドライブした(その二)

6/30
朝7:00、メインストリート(Route 66)を中心にギャラップの街中を走ってみた。
インディアンジュエリーの店などもまだ閉まっており人通りはほとんどなかったが、朝陽に照らされた街は美しかった。Sante Fe鉄道がRoute 66に並行して走っていてこれも風情を醸していた。にも関わらずこの町に思い入れがいまだに湧かないのは「インディアンしかいなかったから」では断じてない。この時の自分の興味は、既にこの先にあるWinslowにあったからだ。

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*Holbrook, AZ(ホルブルック)
200km先にあるWinslowに着くまでには基本I-40を使うが、所々でRoute 66に乗れる場所があった。インターステートをただ飛ばすより楽しいので、出来るだけ66を使って進んだ。途中にあるHolbrook(ホルブルック)は味のある給水塔と
インディアンの住居の形をしたテント式のモーテル「Wigwam Motel」で好事家には有名な町だ。私たちもここにより、メインストリートになっているUS-180を町並みが途切れるまで走ってから引き返した。ついでにサークルKで眠気止めのアメを買った。

*Winslow, AZ(ウィンズロウ)
小学生の時に耳にし、高校の時に好きになったイーグルスの”Take It Easy"の歌詞に出てくるWinslow(ウィンズロウ)には10:00ごろ着いた。自分にとっては聖地と言えるほどの場所であり、会津の片田舎の高校の教室で弁当を食べながら地図で探していた「あの」Winslowに来たんだなぁ、としばし感慨にふけった。

Take It Easy」が描き出した風景は素晴らしかった。赤いフラットベッドの車、主人公を翻弄した女性たち、素晴らしい景色が見える街角・・・。一体どんな景色なのか楽しみにして実際に来てみると、全然景色などよくない。というか「ただの街角」でしかない。ではそれにがっかりしたかというと、全然。


その憧れの「The Corner(あの街角)」は、歌詞の対極にあってよい景色など何も楽しめなかったが、そこには私たちのような観光客が何人かいて、写真を撮ってほしいと言ってきたおば様たちと話す機会があった。

「日本から来ました。”あの街角”の景色が見たくて。でも全然”such a fine sight to see(素晴らしい眺めだ)"じゃないですね」

「本当そう。全然ね。ここは”ただの街角”よ。でもあの歌を聴いた者にとってはそれはどうでもいいのよ。私たちだってシカゴから来たのよ。どんなに遠くても、ここに来ないわけにはいかなかったのよ」


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左から私、ドンヘンリー(ギターを持っているがドラマ―)、そして妻

そう「巡礼者」にとっては「メッカ」に来ないわけにはいかないのだ。その後ツアーインフォメーションセンターによってパンフなどをもらい、11:00にWinslowを後にした。走りながらどこで昼食を食べようか考えていると、砂漠の真ん中に車が入っていくのが見えた。一台ではなく結構な数が未舗装の道路を土煙を上げて進んでいくので、私たちも付いていくことにした。

そこは「Meteor Crater(メテオクレイター)」 で、要するに隕石があけた大きな穴を楽しむ場所だった。実際それなりに楽しかったが隕石や宇宙の講釈はしないでおく。そうそう、ここにはサブウェイがあって昼食はサンドウィッチを食べた。砂漠と隕石を愛でながらサブウェイ。オツであった。

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直径1kmをこえるこの穴は5万年前に出来たとか

 その後は順調にFlagstaff、Williamsと進み、Route 66の中でも今回特に走りたかった区間が始まるSeligmanに着いた。

*Seligman(セリグマン)からKingman(キングマン)へ
インターステート開通で一気に廃れていったRoute 66沿道の町の中で、再興運動を主導したのがこのSeligman(セリグマン)だったという。古き良きアメリカを再現するかのような建物やクラシックカーが飾る街並みは、その努力の跡が見て取れた(下の写真は2011年に再訪した時のもの)。

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どこかの店に入ってもよかったのだろうが、私たちは入らなかった。もし会話がつまらなかったら、もし食べ物がまずかったら、もし売りモノがちゃちな粗悪品だったら、心のどこかで神格化していたこの街を「他と変らない俗物的な観光地」と見なしてしまい、Route 66自体にも幻滅するだろう。それが怖かった。だから写真を撮るだけにして、昨年も訪れた(通過した)Kingman(キングマン)を目指して車を走らせた。

アメリカドライブの御供用に作ったコンピCDはアメリカの曲だけで構成されていてイギリスや豪州物は注意深く抜いてある。でも持ってきたCD3枚には60曲くらいしか入っていないので、大抵の時間はFMを聴く。そしてこのときチューニングを合わせた局がドンピシャで流した曲はビートルズの「I Feel Fine」だった。出だしのフィードバックの音が66を走るというシチュエーションにあうので吃驚した。そしてその普遍性に感動した。


I-40と並走せず、合流もしないこの区間のRoute 66は確かに素敵だった。風景自体は特に何の変哲もないものだけど「威厳と孤高」を感じた。「Route 66だから」という刷り込みでそのように思ったのかもしれないし、それは否定しない。でもとにかく「重み」のようなものを感じたのは確かだ。

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Kingmanに着くまでに色々な集落を通過した。その中の一つ、Peach Springs(ピーチスプリングス)という町に入ってみた。町が視界に入ってきたら、不意に「将来アメリカに住めたときに居住地を都会に限定する必要はあるのかないのか、ここを見たらそれを確かめる一助になるかも」と思ったからだった。無論2003年の時点では全く真剣な話しではなくて「シャレ」が多分に含まれていたし、その時何らかの結論を出したかと言えば何も出なかった。ここが
フアラパイインディアン居留区のキャピタルだということは後で知った。

アメリカのモータリゼーション絶頂期を象徴するようなビンテージカーやガソリンの給油機などが見れるHackberry(ハックベリー)を17:00に通過し、30分ほどでとうとうキングマンに着いた。ここですることは特になく、ここから先は行き当たりばったりで進むことになる。色々考えたがI-40で西進はあまりにつまらないので、とりあえずこのままRoute 66をOatman(オートマン)まで進むことにした。

Oatmanへの道を進みだすと間もなく、一言で言って「悪路」になった。砂漠としての過酷さも一流の上、道はボコボコで狭く曲がりくねり、しかも時刻は18:00を過ぎていたが気にせず(気にしていられず)先を急いだ。

Oatman, AZ(オートマン)
18:30、道路わきに「Welcome to Oatman, AZ」と書かれた幌馬車が置かれていた。やっと着いたようだ。(後で知ったのだが)かつてゴールドラッシュで栄えたこの町の今の「売り」は、1939年人気俳優クラークゲーブルが新婚旅行でここを訪れた事実があること、お化けが出るホテルがあること、ロバが街中を歩いていることなどだそうだ(この時ロバはいなかったが)。

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ビデオ映像のキャプ画像につき低画質をお許しください

しかし私は、速度を落として運転しながら、しかし一度も止まることなくこの町を通り過ぎてしまった。アメリカ南西部にはこのように岩山に囲まれた過酷な場所はいくらでもあって、それ自体は珍しくないからだ(たとえ「売り」を知っていても通り過ぎたと思う)。でも、こういう場所に来ること自体への興味はまだ尽きないでいる。「こんなところ」に住むという選択をした人の気持ちや覚悟を、今でも私は訊いてみたいと思っているから。

旅チャンネルというBSだかCSだかの局が昔「栄光のマザーロード、ルート66」という番組をやっていた。この番組のオープニングはイーグルスの「Desperado」、エンディングはマーク・ノップラーが在籍したノッティング・ヒルビリーズの「Feel Like Going Home」だった。「ああ神様、これまでやってきたことは全部間違いでした。家にかえりたいです」という歌詞を含む後者はあまりに番組にフィットし、その後のお気に入りとなった。


*Needles、CA
ニードルズは前年にも来て(=通過して)いた。今回はここに泊ることにした。妻は前年この町の雰囲気が好きではないと言っていた。通り過ぎただけなのに何がわかるのだ。今回はもうここの「Days Inn & Suites」に速攻で決めた。43.99ドル。夏の砂漠のモーテルは安い。

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