アメリカという甘美な幻想

南カリフォルニアはオレンジ郡に住むオヤジです。妻共々サラリーマンでしたが、2011年にグリーンカードが当たり、アメリカへの憧れに抗しきれずに2012年10月に移住してきました。個人輸入代行やコンサルタントを生業にした後、2016年からは会社員(人事、法務など)に。移住する遥か前から積み重ねてきた様々な「アメリカ体験」も含めて文章に残すためにこのブログを書いていますが、会社員復帰以降は忙しすぎて更新は稀に。。。面目ない。

ラスベガス

前回書いてから今日までのこと

ここまで空いてしまったのは忙しかったからであって、かつここまで空いてしまったが故に何を書いていいかわからなくなってしまったからだ。そこで今日は、最後のエントリーを書いた68日以降に何をしたかを思い出しながら、気付いたことを「日記形式」で書いて行きたい。

 

6月中旬のある日

コンサルタントとしての仕事の最初のヤマが過ぎた。ここまで116時間くらい仕事をする日が何週間も続いていたが、やっと解放された。そこで、土日を利用してかみさんと12日でデスバレー経由でLas Vegasへ行った。

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デスバレーのFurnace Creek


デスバレーの気温は華氏120度。摂氏では49度。この暑さと景色、いつ来ても夏のデスバレーは最高だ。今回はいつも行くBadwaterには寄らないルートで行程を作り、17:00頃Las Vegasに到着した。

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Las Vegasの中心を走るLas Vegas Boulevard(通称The Strip)
 

 

日本からアメリカに遊びに来ていた時は、Las Vegasに来るのはいつも真夏の平日の夜だったので目抜き通り(The Strip)に面したホテル(今まなきBill's Gamble & Saloon)に30ドル台で泊まれたが、今回は夏ではあっても土曜なので大体同じランクのホテル(Bally's)が170ドルした。

 

痛いことは痛いが、ホテル側のミスで間違った部屋をあてがわれていることに気づいて変更を求めたら「眺め最高のスイートではどうか」と言われそっちにした。

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こういう眺め



下の写真の通り確かに眺めは最高できれいな部屋だったが、中の作りが艶めかしすぎて落ち着かなかった。どう艶めかしいかと言うと:

 1)壁4面中、窓側を除く3面の殆どに鏡がはめられていた

 2)シャワー室の壁もドアもガラス製(つまり中が完全に見える)

 3)ジャグジー付のどでかい浴槽は部屋のど真ん中に配置され、かつ何の仕切りもない

   (つまり、リビングのど真ん中に浴槽だけが置かれている)

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ベッドのすぐ奥にジャグジーがあり、その右側にはシースルーのシャワールームが…



まあ、ベッドが1台しかないシングルの部屋なので、宿泊人数も1人という想定でこの作りを採用したのだろうけれど、僕らはいくら夫婦でも奥ゆかしい日本人。この部屋を照れずに使いこなすのは無理だったわけで、次回は「スイートだ!」っと脊髄反射で喜ばずに普通の部屋に泊まろうと思った。

 

夕食はホテル内のメキシカンレストランでタコスやケサディーヤを食べた。値段もリーズナブルで味は抜群だった。激しく推奨したい(何故か写真を撮っていない。手抜かりだ)。

ラスベガスからの復路では「Route 66」を通ってみた。
映画でおなじみの「バグダッドカフェ」があるニューベリースプリングスも通った。何回来たかわからないくらい来ていて我ながら呆れるが、逆に近くまで来たのに寄らないで済ますことが怖いという複雑な心理が去来するのもまた偽らざる事実だ。


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ニューベリースプリングスを西に数キロ行ったあたりで撮影



619日~76

日本へ出張。クライアントの日本支社に2週間お邪魔して諸作業を行った。自宅がある赤羽から日本支社がある新橋まで平日毎日通ったが、久しぶりの電車通勤は最初は苦痛だった。しかし、2日目に赤羽で始発に乗るとちょうどいい時間に新橋に着くことがわかり、3日目から実際にそうした結果通勤はかなり快適になった。

 

滞在中の東京は殆どが雨。まあ梅雨だから仕方ない。何しろコンサルとして仕事をするなんて初めてのことで、私的なことに時間をどう割けるか見当がつかなかった僕にすれば仕事以外で出来ることには限界があった。だから、天気が悪くても大勢に影響はなかった。

 

日本滞在中はアメリカでは食えないか食べられてもあまりうまくないか、うまくても高くつくラーメンやチャーハンやらをほぼ毎日昼食で食べ、晩御飯は同じくアメリカでは高いかまずいかもしくはその両方の刺身や牛肉をメインに自宅で食べた。間に入った週末には急遽会津の実家に戻って墓参りをし、アメリカに帰る直前の週末には大学時代の友人らと会うことができ、旧交を温めた。

 

しかし、アメリカに20129月に来て以降、日本に戻ったのはこれで5回目だったが、過去3回は父母と長兄の見舞いと葬式目的で、もう1回は愛猫が癌にかかったというので戻っていたのであって、全くの楽しみのために日本に帰るということは一度たりともしていない。次に帰るときは100%自由に行動できるものであってほしいと願わずにはいられない。

 

ところで、日本からアメリカに、またはアメリカから日本に戻るときには時差ボケの調整が必要になる。僕は10年以上前から強い睡眠薬(医者が処方するもの)で強制的に眠ることで早期にアジャストする方法を確立していたが、今回日本に行く時に持って行ったのはアメリカの市販薬で、これが全然効かなかった。このため、夜の10時に眠って3時間ほどで目覚め、その後眠れないという日々がずっと続き、仕事は非常に厳しくかなり体力を消耗した。

 

また、ようやく寝れるようになるともうアメリカに戻るというタイミングになっており、アメリカに戻ってからもアジャストができず、やはり「睡眠障害」に苦しんだ。効かない睡眠薬で中途半端に起きてしまい、さらにもう一錠飲み増しして寝るということまでやった。

 

その結果、体調は最悪になってしまった。効かない睡眠薬を飲み増ししても結果的に眠れなかった一方、短時間での規定以上の服用で睡眠のメカニズムを破壊してしまったのだと思う。アメリカに戻ってから4日目に無意味さを悟って睡眠薬服用は止めたのだが、6日目には体力の消耗でとことん疲労し、これに下痢が加わってどん底まで落ち、10日目にしてやっと自然に眠れるようになり体力も回復した。この経験は今後の教訓になった。

 

 

7月中旬以降現在まで

まあ普通にコンサルの仕事をしている。そしてこれからまた忙しくなる。期限との勝負が始まる。また116時間の労働に追い込まれるのは嫌だから何とかするつもりではいるが、それには仕事量を上手に配分し健康をキープすることが重要だと理解している。

 

ではまた書く日まで。

2009年:心機一転カリフォルニアとネバダの旅(2)

7/19
この日はビショップからUS-95やUS-6を経てネバダ州道375号線に入り、最終的にはラスベガスに行くつもりだった。NV-375号はアメリカ空軍基地があるエリア51の近くを通っているが、この基地では墜落したUFOや宇宙人の調査研究などをしているという風説が広まっていて、NV-375号は別名「UFO通り」(英語では「Extraterrestial Highway」)と呼ばれていて面白そうだった。

しかし、US-95とUS-6の分岐点で道を間違え、6(東)に行くべきを95(南)に進んでしまった。

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41マイル先のTonopahが分岐点だった。。。

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紫は実際に走ったルート、青は予定していたルート

60kmほど進んで気付いたがもう引き返すわけにもいかず、このまま2002年以来7年ぶりに「真夏のデスバレー」を楽しむことにした。

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7月のデスバレーは、日陰で47℃、日向ならゆうに50℃を越える凄まじい暑さで、吹く風は乾き、肌をサンドペーパーでこするような感触があった。しかし地面には花が咲き、「死の谷」は「生の谷」であることを教えてくれた。体を壊し、失意から立ち直ろうとしていた僕にとって、デスバレーは再起に向けた最高のきっかけを与えてくれた。

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デスバレーを堪能した後、のんびり砂漠の道を走るとパーランプ(Pahrump)という町に出る。パーランプはそれなりに大きな町だが通過すればすぐに砂漠道が復活する。そしてしばらくすると、いきなりラスベガスが眼下に現れる。普通人が住まないだろう酷暑の砂漠に、人間の知恵と欲望を結集して作った街だ。

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僕はラスベガスが嫌いじゃない。ギャンブルはしないのだけど、ここに集まる人たちを見るのが好きだ。何よりデスバレーなど超絶なスケールの剝き出しの自然との対比に心が躍る。

ラスベガスは夜になっても40℃近い気温があったが、汗をかかない(正確には汗はかいたそばから蒸発していく)ので街を歩きまくった。べラッジオの噴水を見たりショッピングモールに行ったりし、深夜12時ごろホテルに戻って寝た。

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2006年、ニューオーリンズからLAへ(その四)

この日は「グランドサークル」と呼ばれる「国立公園ばっかりの場所」を訪れた。

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Green River -- 800km+α --> Las Vegas (NV)

その前にMUST曲「Green River (by CCR)」を聴いたのは言うまでもない。そして公園に行くまでのUT-24、これが本当にいい道だった(道路と自然が互いに引き立てあい、いい味出している道のこと)。

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轢かれても自己責任ということでお願いします。よい子は真似しないでください。

キャピタルリーフNP、ブライスキャニオンNP、そしてザイオンNPの3つを見たのだが、個人的にはザイオンがよかった。「走って見る際に最適な風景」という意味で一番優れていた。

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ブライスキャニオン

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ザイオン。道路が楽しい。

夕方ラスベガスへ到着。3年ぶり3回目だ。ギャンブルしないのに何故か好きな町だ。シルクドソレイユの「Beatles Love」の看板を見て、いつか観たいなぁと心底思ったものだ(2011年にやっと観れた)。

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ホテルミラージュのLoveの看板

前夜ラスベガスのモーテルで初めてピザとサラダを注文してみたら、案外旨かったことに気を良くしてよく寝れたので、軽快に出発。

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Las Vegas -- 730km --> San Luis Obispo (CA)

まずはNewberry Springsへ向かった。映画バグダッドカフェのあのカフェがある町だ。

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実在するバグダッドカフェ

聴く曲は勿論、同映画の主題歌「Calling You」(by Jevetta Steele)」だ。

 ベガスからどこに行くともしれない砂漠の道
 これまでいた場所よりはマシなところにつくだろうか
 コーヒーマシンが壊れて修理が必要になってしまった
 あの曲がり角にあるコーヒーショップで
 嗚呼、私はあなたの名前を呼んでいる。聞こえる?呼んでいるのよ。

こういう曲をこの場所で聴いて感動しないわけにはいかなかった。

ベーカーズフィールド周辺は農業地域で、日本とは規模が違う畑が延々と広がっていた。行こうとしていたのはそこから少し西にある下の写真の場所だった。

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ジェイムスディーン・メモリアル・ジャンクション

ここは州道41号線と46号線が交差する場所で、ジェームスディーンが交通事故死した場所だった。ジェームスディーンは1955年に亡くなっており僕の世代でさえないけれど、アメリカのポップカルチャーになくてはならない人だと思い、敬意を表しに来たのだった。

そしてサンルイオビスポで一泊し、翌朝LAに行くと僕らはグラミー賞受賞のギタリスト、ダニエル・ホー氏夫妻にお会いし、厚かましくも2泊させてもらった。2006年の旅(その一)で書いたように、2005年12月に仕事で彼に楽曲制作を依頼したのが縁だった。彼は2006年2月にスラックキーギターを弾いて参加されたアルバムでグラミーを受賞しており、恐れ多い訪問となった。

2002年アメリカ西部三州ドライブ旅行(各論3日目)

3日目(9/23)
ルート:ラスベガス(NV)-(US-95・US93)->フーバーダム-(US-93)->キングマン(AZ)-(I-40)->バーストウ(CA)

◆フーバーダムへ
朝、朝食は出ないのでUS-95沿いのサブウェイでBLT(多分)をテイクアウト。旨かったことだけが記憶に残っています。

さてこれから目指すのは、中学だったか高校だったか、ルーズベルト大統領のニューディール政策を習う時セットで出てくるフーバーダム。ラスベガスから1時間ほどで着いたでしょうか。このダムは今でもカリフォルニア州、アリゾナ州、ネバダ州に電力を供給していますし、カリフォルニアの砂漠地帯が広大な野菜畑になったのは、このダムによる灌漑農業の発達のお陰です。

一方、砂漠の中を通るコロラド川に建てられたこのダムは芸術的でもあります。このダムで水が堰き止められて出来た人造湖「ミード湖」の青さ、地域一帯を覆う褐色の岩山、そして空の青さ。これらがあいまって芸術的な威容を誇っていました。

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う~んフィルムをスキャンしてもあの美しさが出ない…

しばし中を見学してタービンを見たり、フーバーダムの歴史のレクチャーを聞いたり写真を撮ったりしましたが、その際中に上の写真のような大きな時計を発見。「アリゾナタイム」と書いてありました。何とこのフーバーダムはダム内にアリゾナとの州境が走っていたのです。知らんかった。

通常西海岸標準時のネバダはアリゾナより1時間遅いのですが、サマータイムの時には1時間早くなります。一方アリゾナはサマータイム不参加州ですのでサマータイムの時にも時間が早まりません。そのため、西海岸各州とアリゾナはサマータイム実施期間中時差がなくなるのですが、それを知ったのは2,3年前です(てへ)。

◆キングマン
アリゾナ州キングマンに行こうと思ったのは、やはり「
ルート66が通るから」・・・ではありません。「ぐるっと回って帰って来るルート」を設定すると、必然的にキングマンを通らざるを得なかったのです。実際この時私たちはルート66ではなくI-40という超幹線道路を走っています(ルート66に自動合流してしまう区間もありますが、それはカウントできないでしょうし)。なのでいくら探しても写真が見つかりません(ビデオは撮っていましたが)。しかし、翌年私たちは改心し、こことSeligmanという町の区間だけですがルート66を走りました。

US-93のこの区間は基本見るも清々しい砂漠です。飽きないのですがあまりに続くと怖くなります。ここでガス欠になったら。ここでパンクしたら。そういう怖さです。だから長い間こういう無人の場所を走っていて人里が出現すると本当にほっとするんですよねぇ。 

領収証をチェックしたら、キングマンでの給油時刻は16:08でした。あれ?どこで昼食食べたっけ?

◆バーストウ
夫婦とはいえ(夫婦だから?)色んなことで意見が食い違います。初めてアメリカでハンドルを握る私は夕方には非常に疲労していまして、もうI-40に入ってからはすぐにでもどこかのモーテルにチェックインしたかったのです(ここの区間では予約をしていなかったので)。しかし、キングマンから100km走ったところにあるニードルズ(Needles、CA)は「なんとなく気に入らない」という理由で却下され、更に西へ向かうことになりました。ところがこれ以降まともな町が出てこない。

18:00、眠気が襲ってきます。19:00暗くなってきたしもう本当にどこでもいいです。でも妻は「大丈夫。まだまだ行ける!」。おいおい殺す気か?そう言っているうちにバーストウに着き、妻が「この町ならいい」と言うので外観的にまともそうなエコノロッジ(Econolodge)にチェックイン。20:00になっていました。 近所のコンビニでまずいウインナーとかを買いこんで腹ごしらえし、バタンキューで寝ました。

よってこの町の感想はありません。但し一点、夜なのに外は熱風が吹いていまして、逆に部屋の中は窓に設置された旧型のエアコンがフル稼働してキンキンに冷えていました。私たちが来るまで客がいなかったのに何故でしょう。どうでもいいことですが何だかとても印象に残りました。恐らく「何でもっと静かで効率のいいエアコンにしないんだろうアメリカって」とやや批判的に思ったのだと思います。

2002年アメリカ西部三州ドライブ旅行(各論2日目)

2日目(9/22)
 ルート:リッジクレスト-(CA-178)->デスバレー-(CA178・NV372・NV160・I-15)->ラスベガス

◆デスバレーへ
朝8:00、B級モーテルとしては標準的な朝食を食べ、CA-178号線をデスバレーに向かいます。最初10数キロは強烈に眩しい朝陽に向って進んでいくのでかなり運転しずらかったです。

既にリッジクレスト自体が超ド級の砂漠なので、朝から興奮冷めやらない状態が続きます。何の変哲もない風景と言う人も多いのでしょうが、砂漠フェチにはその「荒涼たる何もなさ」がどうしようもなく愛おしいのです。

「すげー。何もねー。対向車もいねー。何もね―」と大騒ぎしつつ要所要所で車を止め、写真を撮ります(デジカメは2004年まで入手しておらず、普通のフィルム撮りです)。

CA190サイン
左は私の、右はグーグルアースの。右の方が一本道が構図に入ってうまいですね…

上の写真の通り、CA-178からCA-190に入りますとデスバレーの「Stovepipe Wells(ストーブパイプウェルズ)までは28マイル(45km)。30分で着きます。

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はい、着きました。左はテレスコープピークで標高11049フィート(3367メートル)、右はバッドウォーターで海抜-280フィート(-86メートル)。同じ公園内で何という標高差でしょうか。しかもバッドウォーターは北米大陸最低地点です。ちなみに、ここに湧き出る水(というかお湯)を舐めてみたらマジでしょっぱいのですが、ここに虫など様々な生物が生きているのですよ。たまげましたね。「全然”Death”じゃないじゃん」と感動しました。

このとき気温は49度くらいでしたでしょうか。吹く風はまるで紙やすりのように、肌を撫でるのではなく擦っていきました。暑いのが大好きの私は更に興奮し、暑いのが苦手な妻は火照って湿疹が出てドン引き。早く車に戻ろうとうるさかったです。

◆ラスベガスへ
ファーニス・クリーク(Furnace Creek)の売店で昼食に適当に何かを買って食べ、色々寄り道しながら”Badwater Road"を南下していきますと、大トリとなるバッドウォーターになります。これを見終え、道なりに(南東)に更に30kmくらい進んでいきますと、なんか廃墟のようなものが。近づいてみると「アシュフォードミルズ(Ashford Mills)」という史跡でした。

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碑文を読んでみると「1914年ここから5マイル先の金鉱から取れた金を、精錬業者に渡すためにここで処理していた。その金鉱の持ち主がAshford兄弟で、50000ドルでハンガリーの伯爵に売った。それを伯爵が後に転売したとき、価格は105000ドルになったと言われている」ということでした。うーん、特に面白い話でもないですね…。まあそれでも、こんな過酷な場所でさえゴールドラッシュに沸いた当時は人が住み、人馬が行き交ったのだなぁと感動をクリエイトしちゃいましたが(笑)

更に10kmほど進んで178号線に入るために左折し、これをキープして進んで行きますと1時間ほどで州境を越えネバダに入ります。道路はCA-178からNV-372と表記が変わり、結構栄えた町、パーランプ(Pahrump)に入ります。ネバダ州ですのでカジノもあり、そのせいか通りも若干ケバケバしい感じがしました。時計は午後3:30。特に何もせず先を急ぐことにしました。

5:00、NV160号線からI-15を使い、やってきた2度目のラスベガス。大通り「ザ・ストリップ」にあるモーテル「トラベロッジ・オン・センターストリップ」が今宵の宿です。結構小汚いモーテルで、きらびやかなホテルが林立する中で非常に場違いな感じでした(今は改築しているようですが)。

チェックイン後、何をするかと言うと散策です。カジノに興味のない私たち夫婦は、散策しつつ色々な人々を眺める文化人類学的アプローチ(失笑)で楽しみました。まあ寝る前にスロットマシーンをやったらかみさんが25セントで50ドル儲けましたが。観光的なお楽しみは明日のフーバーダム見学に譲ることにして、この日は早々に寝ました。

2002年アメリカ西部三州ドライブ旅行(総論)

やっとドライブ旅行の話を書けるところまで来ました。時は2002年、私はFM放送局で人事・法務をしていました。旅慣れた同僚が「アメリカで車の運転なんて大したことない」と言うし、もう決行するしかありません。

2002年全行程概要
02旅行マップ

旅程と利用サービス/施設関係のデータ

 <旅程>

921

成田⇒LA

LA⇒RidgecrestCA) 
距離:260km
ルート:LAXそばのダラーレンタカーからI-405CA-14 

22

Ridgecrest  Death Valley  Las Vegas (NV)
距離:450km
ルート:RidgecrestからUS-395CA-190NV-160 

23

Las Vegas  King ManAZ)  BarstowCA)
距離:500km
ルート:US-95US-93I-40(途中Route66に乗る) 

24

Barstow  LA
距離:185km
ルート:I-15 

2527

LAとその近郊

28

LA  成田

29

成田着


 <利用施設等データ> 

航空会社

JALエコノミー(往復一人99980円×2)

レンタカー

会社:ダラーレンタカー

車種:クライスラー クルーザーPT(赤)
   ※価格等資料紛失記憶忘却 

モーテル

Date

モーテル名

値段(税込ドル)

9/21

Super 8

64.90

9/22

Travelodge

42.15

9/23

Econolodge

33.00

9/24

Travelodge (ハリウッド)

68.40

9/25

Best Western Ocean View

(サンタモニカ)

241.76

9/26

9/27

Holiday Inn Express (ハリウッド)

90.06


02-1
皮肉にも看板には書いてませんが、「間もなくデスバレー」という場所にいます

移住への憧れが萌芽した旅でした
「砂漠の権化」であるデスバレーに車で訪れたい(というか車以外に実質行く方法がない)と思って企画したこの旅でしたが、LAの都市部を過ぎてしばらくするともう「砂漠」なんですよね。既にその時点で私は十分興奮できました(笑)。

そしてデスバレー近辺を走ってみて、実際の都市と都市の間に横たわる、あまりにも広大な『無』に圧倒されました。荒涼たる砂漠、褐色または鈍い銀色のゴツゴツした岩がむき出しの山々、青空、乾いた空気、対向車の来ない一本道…。飛行機から見たあの風景の中に自分を溶け込ませてみると、あの感動が倍加して、否何十倍にもなって自分を襲ってきました。

そしてLAに戻って都市の環境で旅を楽しむと、この奇跡のギャップがいよいよ愛おしく感じられ、
「LAに住んだら海、砂漠、シティーライフが満喫できるジャン。いいなぁ」と思ったことを覚えています。1995年の旅で飛行機から見た砂漠でアメリカに淡い憧れを抱いてから7年、このとき「移住への軽い憧れ」が芽生えたのです。

では次回は旅の詳細を。 

1995年、単なるパッケージ旅行の衝撃

31歳の時、1年の遅れの新婚旅行として「ロサンゼルス、ベガス、サンフランシスコ6泊8日の周遊旅行」というベタな旅に妻と行きました。この時「事件」が起きたのです。それは「景色」でした。大都市間を移動する飛行機から眺めた風景に、大自然に、私は驚嘆したのです。

旅程4日目だったか5日目だったか、とにかく私達夫婦はラスベガスからサンフランシスコに移動しました。マッカラン国際空港から機が離陸して、家々がシムシティーの画像のように小さく林立して見えた後、景色の中心は砂漠になりました。すると、その何もない褐色の砂漠に、道が一本まっすぐに走り、それが遥か遠くの地平線の彼方に消えていくのが見えました。「何だこれは!何だこのスケールは!」そう思わずにはいられませんでした。

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LAXから日本へ帰る時は、向って右側の窓からこのような風景が見える

そもそも、日本からロサンゼルスに着く間際に見た景色に既に少し心が動いていました。行ったことがある方はお分かりかと思いますが、進行方向左側の座席にいれば、機体に近い順から青い海、街、砂漠、そしてシェラネバダ山脈が一望に出来る時があります。その時はじわじわとこみ上げてくる感動の正体が何なのか言葉に出来ないままロサンゼルスに降り立ったのですが、ラスベガスからサンフランシスコに向かう機上で上述の「砂漠の一本道」を見て、日本では見ることのできない壮大なスケールの自然にいたく感動していることに気づきました。

もっと正確に言えば、「自然と都市のコントラストが尋常ではない」と思ったのです。砂漠を中心とした大自然だけならオーストラリアにもアフリカにもあるでしょう。しかし、世界最大の先進国の、その中でも繁栄を謳歌するロサンゼルスやベガスなどの大都市でその利便性と享楽性を味わった直後に、想像を絶するスケールの手つかずの自然を見てしまった時、このあまりの落差に私の感性は茫然とするしかなかったのです。

ところで、このような周遊旅行をすれば、一都市にせいぜい二日しか滞在できませんのでやれることは非常に限られます。しかもこの時は感動の大半が大自然の風景で構成されたため、各都市の記憶は以下のようなものになってしまいました。

ロサンゼルス
ホテル(オムニロサンゼルス)併設の売店でカップヌードルを食べてまずさに驚いた。

ラスベガス
グランドキャニオン・セスナツアーに参加したが、急に気持ち悪くなり機中で吐いた。
ホテル(ラスベガスヒルトン)で食べたルームサービスのパスタが美味くて驚いた。

サンフランシスコ
ケーブルカーには乗った。
日本食が恋しくなり、日本料理屋ですき焼きを頼んだ。凄まじくしょっぱかった。

帰国後、私はこの旅で感じた衝撃をどう整理していいかわかっていませんでした。ただ、とにかく次の旅もアメリカがいいとだけ思いましたし、(サラリーマンの妻は特に)短い休暇なのだから、3都市を6泊8日で回るとかいうのは止めて、まずはロサンゼルスから詳しく見てみようと思いました。3年後の1998年、「ロサンゼルスだけ見る旅」でそれは一応果たされました。

追記:一応旅行データを書いておきます。

期間

1995922日~929日(68日)

エアライン

JALエコノミー

ホテル

オムニロサンゼルス / ハイアットリージェンシーアリカンテ(アナハイム)⇒ ラスベガスヒルトン ⇒ スタンフォードコート(サンフランシスコ)

目的

パッケージ内容に従って移動。グランドキャニオンツアーは自前で予約。いい景色が吐いてしまって台無しに…。

 
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