旅では思わぬ出会いがある。それが思い出の重要な一部になるような場合はそんなに多くはないだろう。しかし僕は、アーチズナショナルパークでご高齢のアメリカ人兄弟に偶然声をかけられ、凄い話を聞くことになる。そして、日本では考えられない圧倒的なスケールの自然や国土に圧倒されて好きになったアメリカで、ここから僕は「人」も好きになっていくのだった。

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Draper --> Moab

朝Draperを出て、ユタ州の南下を開始。最初に使ったUS-6号でまたもロッキー越えをすることになった。ロッキーを下りきると、そこは砂漠。緑地もいいけど砂漠もね。

砂漠を走ること約100km、US-6はI-70にぶつかり、これを東に行くとほどなくGreen Riverに到達。これを過ぎしばらくしてUS-191で再度南下すると30分ほどでこの日の目的地、Moab(モアブ)に着き、すぐに近くにあるArches National Park(アーチーズナショナルパーク)に行った。

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こういう景色が山ほどある公園

車で行けるところには限界があり、名前の由来となった「アーチ型の岩」に近づくには歩いて岩山を登らなければならい。妻と共に登りだすと、踊り場のようなところに老人が二人いて声をかけてきた(この二人の顔や我々の話の様子はどんな風景よりも写真に収めるべきだったが、失念した。ただ、ビデオをずっと回していたので音声は録音できている)。

「日本人かい?」
「何でわかりましたか?」
「僕らにはわかるんだよ、戦時中日本にいたからね」

彼らは兄弟で「終戦当時広島の呉にいて、その後東京の巣鴨プリズンに異動となり、(後に死刑となる)東条首相のお世話をしたんだ」と言った。

「僕は東条にビールを御酌したんだよ。彼はいいやつだったよ」
「過去の戦争はあっても、日本とアメリカは友達だ」
「日本は天皇がいて、軍部はそれに従い、国民もそれに従わざるを得なかった」
「だから日本国民に罪はないんだ。そして君たちはいい人たちだ」

彼らは、東条首相の様子や食べ物の話など日本にいたときの記憶を語りつつ、およそ以上のようなことを述べた。僕は3行目と4行目の前半の意見には同意しなかったし今も同意は出来ない。あまりにも単純化された分析だし、日本国民に罪があるかないかなどは戦後60年(2004年当時)も経って、まるで戦後すぐの頃のような単純二元論で評価してほしくなかった。結論がどうであれそれは「僭越」というものだからだ。

しかし僕はアメリカ人に「正確な認識」などは期待していなかった。日本人だって詳しく知っている人など稀だし、僕だって彼らに上手に説明する高度な知識などはなかった。そんなことより、彼らはかつて日本にいて、その間に日本人が好きになっていて、この公園を歩く僕ら夫婦を見て親しみをこめて話しかけてくれた。この善意と好意を素直に受け入れるのに僕らは何ら躊躇しなかった。

あの当時日本にいたアメリカ人にとって日本は憎い敵国だ。戦争の原因や認識があの程度ならむしろ敵はいつまでも敵と思うだろうに、日本で培った彼らの日本人観は少なくとも悪くなかった。否、「いい人たちだ」という認識を持っていた。それはつまり、当時の日本人が「Good Loser」だったからだろう。僕は祖先たちを誇りに思ったし、敵味方を越えて日本人との友好を進めたアメリカ人のフェアネスに好感した。

公園観光後、予約済みのモーテル「Appach Motel」にチェックインした。故レーガン大統領が役者時代に宿泊したことなどがこのモーテルの売りだった。チェーンでないモーテルも経験してみたくて泊ったが、まあ普通だった。いや悪くはなかった。街も悪くはなかった。特に朝陽が岩山に当たる様は美しかった。

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モーテルの看板と「売り」のレーガンさんの肖像

翌朝、アリゾナ州Page(ペイジ)に向けて出発。途中、まずユタ・コロラド・アリゾナ・ニューメキシコの4州が一点で交わる「Four Corners(フォーコーナーズ)」に立ち寄る。右の写真の「+」の中央に立つと、同時に4州に遍在できるのだからたまげる。

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ということで4州に同時に存在してみた

そういえば、このとき真剣に思ったのは「この場所にあるみやげ物店はどこの州の消費税を払うんだ?」ということだった。皆さんは答えがわかりますか。この疑問を思いついたとき結構興奮したのだが、しばらくして気付いた。「ここはナバホ自治区なんだからナバホの消費税(あれば)だわな」。 

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フォーコーナーズは州境が交わる「+」部分にある

フォーコーナーズを出てUS-160を西に行き、US-190で北上し、さらにUS-163で西に行くとメキシカンハットという集落に出る。まさにメキシコ人がかぶる帽子のような大きな岩が付近にあるのでそういう名前になったのだが、肝心の写真は撮れなかった。

この辺では一つ町を逃すと1時間出てこないのは普通なので、ここでガソリンを入れ併設のコンビニでホットドックを買って食べた。ジャンク系はどんな田舎でもそれなりにうまいんだ、これが結構。

更に163を南西に行くといよいよモニュメントバレーが出現する。この写真の構図は結構お馴染みのはずだが、実際道路を入れ込んで風景を撮る場合、誰でもこうなるので致し方なし。というか車から降りずに撮ったのでフロントガラスの分だけ色のシャープさがない。妻に教育的指導をしたのは言うまでもない。

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US-163の北東側から見るモニュメントバレー

いくらテレビなどでおなじみだとは言っても、実際に公園内に入って景色を見るとその荘厳さは筆舌に尽くしがたいものがあった。ここは国立公園扱いされていないのだが、どういう差別だろうと思う。ここはいい。南カリフォルニアの砂漠地帯のような鈍い銀色のゴツゴツとした岩山に比べ「人間味」を感じる砂漠だ。

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公園内部

堪能し、名残惜しみつつアリゾナ州Pageに向かう。宿泊のために選んだ町であるが、実は近くにLake Powell(パウウェル湖)があり、Grand Canyonの北入口までは直線で70kmほどの場所にあるのだ(実際には直線の道はなく、100km以上走る必要があるが)。ただし宿泊のために選んだ町なので特に何もしないで翌朝次の目的地、アリゾナ州Phoenix(フェニックス)に向かった。

おっと、この町には他の町と違うことがあった。大通り沿いに教会が沢山並んでいたのだ。今日試しにGoogle Earthで見てみたら650メートルの区間に教会(ロケット様のアイコン)が8つあるではないか。まさにこんな感じだった。但し何故こうなったのかの理由はわからない。

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