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朝7:00、メインストリート(Route 66)を中心にギャラップの街中を走ってみた。
インディアンジュエリーの店などもまだ閉まっており人通りはほとんどなかったが、朝陽に照らされた街は美しかった。Sante Fe鉄道がRoute 66に並行して走っていてこれも風情を醸していた。にも関わらずこの町に思い入れがいまだに湧かないのは「インディアンしかいなかったから」では断じてない。この時の自分の興味は、既にこの先にあるWinslowにあったからだ。

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*Holbrook, AZ(ホルブルック)
200km先にあるWinslowに着くまでには基本I-40を使うが、所々でRoute 66に乗れる場所があった。インターステートをただ飛ばすより楽しいので、出来るだけ66を使って進んだ。途中にあるHolbrook(ホルブルック)は味のある給水塔と
インディアンの住居の形をしたテント式のモーテル「Wigwam Motel」で好事家には有名な町だ。私たちもここにより、メインストリートになっているUS-180を町並みが途切れるまで走ってから引き返した。ついでにサークルKで眠気止めのアメを買った。

*Winslow, AZ(ウィンズロウ)
小学生の時に耳にし、高校の時に好きになったイーグルスの”Take It Easy"の歌詞に出てくるWinslow(ウィンズロウ)には10:00ごろ着いた。自分にとっては聖地と言えるほどの場所であり、会津の片田舎の高校の教室で弁当を食べながら地図で探していた「あの」Winslowに来たんだなぁ、としばし感慨にふけった。

Take It Easy」が描き出した風景は素晴らしかった。赤いフラットベッドの車、主人公を翻弄した女性たち、素晴らしい景色が見える街角・・・。一体どんな景色なのか楽しみにして実際に来てみると、全然景色などよくない。というか「ただの街角」でしかない。ではそれにがっかりしたかというと、全然。


その憧れの「The Corner(あの街角)」は、歌詞の対極にあってよい景色など何も楽しめなかったが、そこには私たちのような観光客が何人かいて、写真を撮ってほしいと言ってきたおば様たちと話す機会があった。

「日本から来ました。”あの街角”の景色が見たくて。でも全然”such a fine sight to see(素晴らしい眺めだ)"じゃないですね」

「本当そう。全然ね。ここは”ただの街角”よ。でもあの歌を聴いた者にとってはそれはどうでもいいのよ。私たちだってシカゴから来たのよ。どんなに遠くても、ここに来ないわけにはいかなかったのよ」


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左から私、ドンヘンリー(ギターを持っているがドラマ―)、そして妻

そう「巡礼者」にとっては「メッカ」に来ないわけにはいかないのだ。その後ツアーインフォメーションセンターによってパンフなどをもらい、11:00にWinslowを後にした。走りながらどこで昼食を食べようか考えていると、砂漠の真ん中に車が入っていくのが見えた。一台ではなく結構な数が未舗装の道路を土煙を上げて進んでいくので、私たちも付いていくことにした。

そこは「Meteor Crater(メテオクレイター)」 で、要するに隕石があけた大きな穴を楽しむ場所だった。実際それなりに楽しかったが隕石や宇宙の講釈はしないでおく。そうそう、ここにはサブウェイがあって昼食はサンドウィッチを食べた。砂漠と隕石を愛でながらサブウェイ。オツであった。

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直径1kmをこえるこの穴は5万年前に出来たとか

 その後は順調にFlagstaff、Williamsと進み、Route 66の中でも今回特に走りたかった区間が始まるSeligmanに着いた。

*Seligman(セリグマン)からKingman(キングマン)へ
インターステート開通で一気に廃れていったRoute 66沿道の町の中で、再興運動を主導したのがこのSeligman(セリグマン)だったという。古き良きアメリカを再現するかのような建物やクラシックカーが飾る街並みは、その努力の跡が見て取れた(下の写真は2011年に再訪した時のもの)。

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どこかの店に入ってもよかったのだろうが、私たちは入らなかった。もし会話がつまらなかったら、もし食べ物がまずかったら、もし売りモノがちゃちな粗悪品だったら、心のどこかで神格化していたこの街を「他と変らない俗物的な観光地」と見なしてしまい、Route 66自体にも幻滅するだろう。それが怖かった。だから写真を撮るだけにして、昨年も訪れた(通過した)Kingman(キングマン)を目指して車を走らせた。

アメリカドライブの御供用に作ったコンピCDはアメリカの曲だけで構成されていてイギリスや豪州物は注意深く抜いてある。でも持ってきたCD3枚には60曲くらいしか入っていないので、大抵の時間はFMを聴く。そしてこのときチューニングを合わせた局がドンピシャで流した曲はビートルズの「I Feel Fine」だった。出だしのフィードバックの音が66を走るというシチュエーションにあうので吃驚した。そしてその普遍性に感動した。


I-40と並走せず、合流もしないこの区間のRoute 66は確かに素敵だった。風景自体は特に何の変哲もないものだけど「威厳と孤高」を感じた。「Route 66だから」という刷り込みでそのように思ったのかもしれないし、それは否定しない。でもとにかく「重み」のようなものを感じたのは確かだ。

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Kingmanに着くまでに色々な集落を通過した。その中の一つ、Peach Springs(ピーチスプリングス)という町に入ってみた。町が視界に入ってきたら、不意に「将来アメリカに住めたときに居住地を都会に限定する必要はあるのかないのか、ここを見たらそれを確かめる一助になるかも」と思ったからだった。無論2003年の時点では全く真剣な話しではなくて「シャレ」が多分に含まれていたし、その時何らかの結論を出したかと言えば何も出なかった。ここが
フアラパイインディアン居留区のキャピタルだということは後で知った。

アメリカのモータリゼーション絶頂期を象徴するようなビンテージカーやガソリンの給油機などが見れるHackberry(ハックベリー)を17:00に通過し、30分ほどでとうとうキングマンに着いた。ここですることは特になく、ここから先は行き当たりばったりで進むことになる。色々考えたがI-40で西進はあまりにつまらないので、とりあえずこのままRoute 66をOatman(オートマン)まで進むことにした。

Oatmanへの道を進みだすと間もなく、一言で言って「悪路」になった。砂漠としての過酷さも一流の上、道はボコボコで狭く曲がりくねり、しかも時刻は18:00を過ぎていたが気にせず(気にしていられず)先を急いだ。

Oatman, AZ(オートマン)
18:30、道路わきに「Welcome to Oatman, AZ」と書かれた幌馬車が置かれていた。やっと着いたようだ。(後で知ったのだが)かつてゴールドラッシュで栄えたこの町の今の「売り」は、1939年人気俳優クラークゲーブルが新婚旅行でここを訪れた事実があること、お化けが出るホテルがあること、ロバが街中を歩いていることなどだそうだ(この時ロバはいなかったが)。

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ビデオ映像のキャプ画像につき低画質をお許しください

しかし私は、速度を落として運転しながら、しかし一度も止まることなくこの町を通り過ぎてしまった。アメリカ南西部にはこのように岩山に囲まれた過酷な場所はいくらでもあって、それ自体は珍しくないからだ(たとえ「売り」を知っていても通り過ぎたと思う)。でも、こういう場所に来ること自体への興味はまだ尽きないでいる。「こんなところ」に住むという選択をした人の気持ちや覚悟を、今でも私は訊いてみたいと思っているから。

旅チャンネルというBSだかCSだかの局が昔「栄光のマザーロード、ルート66」という番組をやっていた。この番組のオープニングはイーグルスの「Desperado」、エンディングはマーク・ノップラーが在籍したノッティング・ヒルビリーズの「Feel Like Going Home」だった。「ああ神様、これまでやってきたことは全部間違いでした。家にかえりたいです」という歌詞を含む後者はあまりに番組にフィットし、その後のお気に入りとなった。


*Needles、CA
ニードルズは前年にも来て(=通過して)いた。今回はここに泊ることにした。妻は前年この町の雰囲気が好きではないと言っていた。通り過ぎただけなのに何がわかるのだ。今回はもうここの「Days Inn & Suites」に速攻で決めた。43.99ドル。夏の砂漠のモーテルは安い。

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