7/21-24
とうとうロサンゼルス圏にやってきた。基本的に、輸入代行の対象となる優れた商品を探るという目的を果たすため、色々なショッピングモールや店を巡ることに時間を割いた。
アメリカで感心するのはスーパーのレイアウトだ。特に生鮮食品の並べ方がうまい。
これは日本で既に一定の人気があることを知っていた「Bath & Body Works」。これを個人輸入したい方に輸出することは簡単ではない。ハンドソープなどはいいのだが、ミストなどのアルコール含有製品(可燃物)を送るための発送方法に制限があるため。
などという話はご興味がないだろうから、この旅で、ロサンゼルスで感じたことを以下に記したい(これは興味を持たれなくても語らざるを得ない)。
僕らは「Beverly Hills 90210」のファンだったので、機会があるとほぼ必ず登場人物が共同で住んでいる設定になっていた青いひさしのビーチハウスを訪れた(本当に何回行った事やら)。
ここで写真を撮っていると、君らの写真、撮ってあげようか?と現れたのがゲーリーさんだった。ここに来て写真を撮る日本人があまりに多いので、僕らが日本人だと知っていて声をかけてきた。
ゲーリーさんは50歳で会社を辞め、ここハモーサビーチ(Hermosa Beach、ロサンゼルスのやや南にある街)にワシントン州から移り住んで毎日好きなことをしていた。50歳まで一生懸命働いたので、もう働く気はないという。但し大金持ちではないから派手な生活もしておらず、車はホンダで日本製を愛好していると言っていた。
この時僕は45歳。あと5年で彼のような自由な生活が送れるとは全く思わなかったが、この美しい西海岸のビーチで生活することそれ自体に対しては強烈な憧れを抱いたことを覚えている。何をして飯を食うのかの処方箋もないまま、とにかくアメリカで生きること、西海岸で生きることに青臭く憧れる45歳というのはとても正しい在り方とは思えないが、まあ、そういう気持ちになることについてはどうしようもなかった。
滞在中よく行ったスーパーが日本人にエコバッグが人気のホールフーズマーケットだったが、ここでアルバイトをしていた女の子に試食を促されたことがきっかけで話す機会があった。彼女はいわゆるアニメ・マンガおたくだった。僕にはほとんどついて行けなかったが、彼女は「日本の文化にとても興味がある!」と目を輝かせて言っていた。「ハイテク日本」という評価があることは知っていたが、こんな分野で日本が注目されていることはこの旅で初めて知った。
僕は日本人だし日本が好きだ、などとあえて口に出すまでもなく母国が好きだが、一点絶対に納得できないことがある。それは群集心理や集団心理が非常にネガティブな方向にも作用する国民性だ。
群集心理や集団心理は東日本大震災の時で明らかなように、日本人の優れた倫理性や規範意識の源にもなっているのだが、一方で「皆が(単に)同じ方向に向かう」ということの方が「皆が正しい方向に向かう」より優先されてしまうこともことのほか多い。
例えば、何故「馬鹿なこと」だとわかっているのに「意味のない残業」をするのか。そして、誰もが意味がないと知りながら、実際に無意味な残業を否定する人間が現れると急に論理性を失い、「組織の和を乱す」だの訳の分からない情緒的な意見がはびこりだすのか。
アメリカは万能ではないし、それどころか日本と比べて劣っていることはたくさんあると思うが、「残業することは恋人や妻や子供と時間をともにすることより重要だ」、などと考える人はまずいない。意味のあることに自主的に時間を費やすことは当然ありえるが、無意味なことを強制され、唯々諾々と従うなどという人はいない。
この一点で、僕はアメリカで生きることに魅力を感じていた。その一点が、僕が日本という国で生きることを息苦しく感じさせていた。そして、雨と湿気と寒さが苦手な僕にとって、カリフォルニアの青空と乾いた砂漠は住環境としての魅力を放っていた。
それは妻にも同様だったようで、彼女はこの年から秘密裏にグリーンカードの応募を開始していた。しかし、そうした願望にもかかわらず、アメリカで暮らすことが出来ると本気で思うことは2011年にグリーンカードに当たるまではなかった。
最後に憶えているのは…俺が出口に向かって走っていた時のことだ
俺は、以前いた場所に戻る道を早く探さなきゃって思ってたんだ
すると「まあ落ち着いて」と夜警が俺に語り掛けてきてこう言うんだ
「チェックアウトはいつでも可能ですから。
ただ、ここを離れることは絶対出来ないんですけれどね」
「ホテル・カリフォルニア」は、アメリカンドリームの終焉とかカリフォルニアの退廃への嘆きとかを歌いこんだ曲だと言われているが、僕らはそんなことにはお構いなしに、ホテルの前でこの曲を聴き、写真を撮り、名残惜しい気持ちを引きずりながら翌日日本に戻った。
とうとうロサンゼルス圏にやってきた。基本的に、輸入代行の対象となる優れた商品を探るという目的を果たすため、色々なショッピングモールや店を巡ることに時間を割いた。
アメリカで感心するのはスーパーのレイアウトだ。特に生鮮食品の並べ方がうまい。
これは日本で既に一定の人気があることを知っていた「Bath & Body Works」。これを個人輸入したい方に輸出することは簡単ではない。ハンドソープなどはいいのだが、ミストなどのアルコール含有製品(可燃物)を送るための発送方法に制限があるため。
などという話はご興味がないだろうから、この旅で、ロサンゼルスで感じたことを以下に記したい(これは興味を持たれなくても語らざるを得ない)。
僕らは「Beverly Hills 90210」のファンだったので、機会があるとほぼ必ず登場人物が共同で住んでいる設定になっていた青いひさしのビーチハウスを訪れた(本当に何回行った事やら)。
「ビバヒル」のビーチハウス
ここで写真を撮っていると、君らの写真、撮ってあげようか?と現れたのがゲーリーさんだった。ここに来て写真を撮る日本人があまりに多いので、僕らが日本人だと知っていて声をかけてきた。
ゲーリーさん
ゲーリーさんは50歳で会社を辞め、ここハモーサビーチ(Hermosa Beach、ロサンゼルスのやや南にある街)にワシントン州から移り住んで毎日好きなことをしていた。50歳まで一生懸命働いたので、もう働く気はないという。但し大金持ちではないから派手な生活もしておらず、車はホンダで日本製を愛好していると言っていた。
この時僕は45歳。あと5年で彼のような自由な生活が送れるとは全く思わなかったが、この美しい西海岸のビーチで生活することそれ自体に対しては強烈な憧れを抱いたことを覚えている。何をして飯を食うのかの処方箋もないまま、とにかくアメリカで生きること、西海岸で生きることに青臭く憧れる45歳というのはとても正しい在り方とは思えないが、まあ、そういう気持ちになることについてはどうしようもなかった。
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滞在中よく行ったスーパーが日本人にエコバッグが人気のホールフーズマーケットだったが、ここでアルバイトをしていた女の子に試食を促されたことがきっかけで話す機会があった。彼女はいわゆるアニメ・マンガおたくだった。僕にはほとんどついて行けなかったが、彼女は「日本の文化にとても興味がある!」と目を輝かせて言っていた。「ハイテク日本」という評価があることは知っていたが、こんな分野で日本が注目されていることはこの旅で初めて知った。
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僕は日本人だし日本が好きだ、などとあえて口に出すまでもなく母国が好きだが、一点絶対に納得できないことがある。それは群集心理や集団心理が非常にネガティブな方向にも作用する国民性だ。
群集心理や集団心理は東日本大震災の時で明らかなように、日本人の優れた倫理性や規範意識の源にもなっているのだが、一方で「皆が(単に)同じ方向に向かう」ということの方が「皆が正しい方向に向かう」より優先されてしまうこともことのほか多い。
例えば、何故「馬鹿なこと」だとわかっているのに「意味のない残業」をするのか。そして、誰もが意味がないと知りながら、実際に無意味な残業を否定する人間が現れると急に論理性を失い、「組織の和を乱す」だの訳の分からない情緒的な意見がはびこりだすのか。
アメリカは万能ではないし、それどころか日本と比べて劣っていることはたくさんあると思うが、「残業することは恋人や妻や子供と時間をともにすることより重要だ」、などと考える人はまずいない。意味のあることに自主的に時間を費やすことは当然ありえるが、無意味なことを強制され、唯々諾々と従うなどという人はいない。
この一点で、僕はアメリカで生きることに魅力を感じていた。その一点が、僕が日本という国で生きることを息苦しく感じさせていた。そして、雨と湿気と寒さが苦手な僕にとって、カリフォルニアの青空と乾いた砂漠は住環境としての魅力を放っていた。
それは妻にも同様だったようで、彼女はこの年から秘密裏にグリーンカードの応募を開始していた。しかし、そうした願望にもかかわらず、アメリカで暮らすことが出来ると本気で思うことは2011年にグリーンカードに当たるまではなかった。
”The Beverly Hills Hotel”は名盤「Hotel California」のジャケットに採用されたホテルだ。
最後に憶えているのは…俺が出口に向かって走っていた時のことだ
俺は、以前いた場所に戻る道を早く探さなきゃって思ってたんだ
すると「まあ落ち着いて」と夜警が俺に語り掛けてきてこう言うんだ
「チェックアウトはいつでも可能ですから。
ただ、ここを離れることは絶対出来ないんですけれどね」
「ホテル・カリフォルニア」は、アメリカンドリームの終焉とかカリフォルニアの退廃への嘆きとかを歌いこんだ曲だと言われているが、僕らはそんなことにはお構いなしに、ホテルの前でこの曲を聴き、写真を撮り、名残惜しい気持ちを引きずりながら翌日日本に戻った。