アメリカという甘美な幻想

南カリフォルニアはオレンジ郡に住むオヤジです。妻共々サラリーマンでしたが、2012年10月に移住してきました。個人輸入代行やコンサルタントを生業にした後、2016年からは会社員に。移住する遥か前から積み重ねてきた様々な「アメリカ体験」も含めて文章に残すためにこのブログを書いていますが、会社員復帰以降は忙しすぎて更新は稀に。自由の国、アメリカを含めた全体主義への流れ。これを絶対に食い止めましょう!

ペンタゴン

米東南部旅日記(5):第4日の2

4日(4/30)後半

ニューアーク(DE)⇒ワシントンD.C. ⇒マナッサス(VA

 

次いで訪れたのはスミソニアン博物館。テーマごとにいくつもの館があるのだけれど、全部見ることはできないので、航空機の発展を取り上げている館のみを集中して見た。過去から現在までのあらゆる飛行物体が展示対象になっており、それぞれに面白かったと思うが、僕的にはキルデビルヒルズでライト兄弟の記念公園を見たばかりだったし、最初スミソニアン博物館がライト兄弟の偉業を無視したという史実を事前に知っていたので、そういう意味でも1900年代前半の有人飛行に関しての展示に一番興味を引かれた。

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ライト兄弟は初めて成功させた動力飛行において260メートル飛んだ。1903年のことだ。一方それ以降急速に航空技術が進歩して、ライト兄弟の発明が陳腐化する中、リンドバーグは1927年に「スピリット・オブ・セントルイス号」で大西洋(ニューヨーク・パリ間、約5800キロ)を単独無着陸飛行することに初めて成功した。この両者がスミソニアン博物館では大きなスペースを取って取り上げられていた。

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ウィルバーとオービルのライト兄弟


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人類初の動力飛行に成功した機体。スミソニアンが受け入れるまでイギリスに行っていたという

初めて動力飛行に成功したライト兄弟と、それから25年で飛行距離を2万倍以上伸ばしたリンドバーグ。まあ、どちらも大したものだと思う。この人たちがいなかったら、現在の気軽さで、スピードで、価格で、飛行機に乗ることなんてできなかったのだから。LAXからアトランタまで3時間45分で、しかも一人4万円弱で往復するなんて出来っこなかったんだから。

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リンドバーグ。ライト兄弟の数百メートルの飛行から大西洋無着陸横断へ


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その機体。今に通じる感じがすでにある

スミソニアン博物館を後にし、4時ごろ駐車場に戻ったところ、例の係りのおじさんがいなかった。料金ゲートにはおばさんがいたので、「おじさんがいない。車の場所もわからないし、カギも預けてるし、どうしたらいい?」と聞くと、とある車を指さして、「ノックしてたたき起こせ」との指示。その車の窓から中を覗き込むと、係りのおじさん(但し別人)が寝ていた。


ノックに驚いて起きる別人さん。窓を開けたので事情を説明。「は?XXXがいないって?なんでだよ」とか言いながら僕らを真の係りのおじさんに導き(真の係りのおじさんもとある車の中で寝ていたのであった)、僕らの車は無事駐車場を出ることが出来た次第。さすが、アメリカだわ。


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横から見てもペンタゴンのあの形はわからない


ここからはさすがに車でないと移動できない距離にあるアーリントン墓地とペンタゴンに向かった。でも、アーリントン墓地では駐車スペースを発見できず、ペンタゴンは付近に駐車はできるものの中に入れるわけではないので、どちらも結局周囲から見物しただけに終わった。ペンタゴンの建物から軍人さんに混じって出てくる職員さんが「腹が出ていて眼鏡でよれよれスーツ」の人が多くてちょっとクスッとした。


19時過ぎ、ワシントンD.C.の南西数十キロに位置するマナッサス(Manassas, VA)に到着。ここにあるLa Quintaがこの日のモーテルだ。Yelpを見てもまともな食事ができる場所がないと判断し、グローサリーストアに行って総菜を買った。不思議なのだが、フィラデルフィアとD.C,の日に関しては、モーテル到着後の記憶が極端に薄い。恐らく本当に「アメリカの歴史」に触れて興奮していたのだろうと思う。

米東南部旅日記(4):第4日の1

4日(4/30)前半

ニューアーク(DE)⇒ワシントンD.C. ⇒マナッサス(VA

この日はワシントンD.C.を見る日、であった。8時過ぎにモーテルを出発し、2時間弱でD.C.に到着。早速お目当ての場所に歩いて向かうべく車を駐車。この、僕らが値段だけで判断して入った駐車場がすごかった。あぁ。こんなことを書いたら、もう駐車場の話を深掘りしないわけにはいかない。ワシントンD.C.の感想を早く書きたかったが、ちょっとこの駐車場の話をしたいと思う。


僕らが止めた駐車場は、超効率的にスペースを使う目的から、白線に沿って普通に車を駐車することを許さない駐車場だった。意味不?もう少し説明させてほしい。


ここはバレーパーキングではなく、空いているところに自由に止める形式の立体駐車場だった。だから僕も当然空いているところを探してグルグル回ったのだがどこも空いてなかった。それだけならわかる。「混んでいる」ということだから。でも、よく見ると、いやよく見なくても、駐車枠内に普通に停めている車が出られないような感じで別の車が止められている。え?まだ意味不?


要するに、白線で仕切られた駐車枠内に整然と駐車された車は、なんと他の車及び壁などで四方から挟まれ、完全に進路をふさがれ、バックしようが前進しようがもう出ようにも出られない状態であり、そのような移動不可能状態になった車が何十台もあったのです。


慌てて外に出ようとしていると、そこにおじさん係員がやってきて「俺が駐車しておくから。で、何時ごろここに戻る?」と。一瞬「は?」となったが、すぐに全て合点した。この超絶にイカれた駐車方法はこのおじさんが開発(?)したものだったわけだ。客が帰ってくる時間を聞いといて、「だとすれば、こいつの車はあの辺に置いとくだろ?で、3時ごろに奥からアレを引っ張り出すだろ?んで、4時にはアレとアレを引っこ抜いておく。こんな感じだな」とか考えておき、車を出すわけ。


まじで長い。なんで駐車場の話にこんなに行を割かねばならん。ということで、おじさんに車のキーを預け、外に出、ホワイトハウスをはじめ、D.C.の典型的なスポットを基本歩いて見て回った。行ったのは、ワシントン記念塔、ホワイトハウス、リンカーン記念堂、スミソニアン博物館、ペンタゴン、アーリントン墓地。

ワシントン記念塔は、ウィキペディアの文章をそのまま借りれば「ジョージ・ワシントンの名誉ある功績を称えて建造された、アメリカ合衆国大統領記念碑の一つ」だ。何故塔の色が上部と下部で異なるのか、といった他の情報についても、詳しくはウィキペディアで調べてほしい。

 

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「おー!テレビで何回も見たやつだぁ」と素直に思いました

僕らとしては、テレビや映画でしか見ていなかったこの記念塔を直に見れたことはもちろん非常に大きな思い出となった。その時調べた情報で、ワシントンが人格面も込みで傑出した政治家でることを知った。多くの日本人にとって、ワシントンは「ただの初代大統領」として覚えられるが、もっと人物を掘り下げられるべき人だと感じた。


ワシントン記念塔に来ると、もうリンカーン記念塔が視界に入ってくる。しかし僕らはホワイトハウスを先に見ることにした。ホワイトハウスは日本のニュース番組にさえ年間何十回と出てくるし、見間違いようがないほどにホワイトハウスだった。ここで歴代の大統領が話をしたんだなぁ、などと普通の感慨にふけった。

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「おー!テレビで何回も見たやつだぁ」と素直に(以下略)

その一方、日本人を非常に多く見かけたことは意外だった。その時日本が10連休中だったのは知っている。けれど、「D.C.とか東海岸にこんなに日本人って来るんだ」、と普通に意外だったのだ。まあ「日本人は普通行きやすい西海岸に行くものだ」、的な偏った考えが大いに間違っているのだろう(実際在米日本人はニューヨークエリアのほうが多いって知ってるのに変な思い込みだ)。

そして、リンカーン記念堂。ここは一番感動したし、一番複雑な気持ちになった場所だった。まず、リンカーンは奴隷制度撤廃のために尽力した政治家であること。この考えに基づく北軍と、基づかない南軍によって南北戦争が起きたこと。そして奴隷解放を唱えた北軍が勝利したこと。こうしたことを考えれば、リンカーン記念堂に来たことで感動するのも仕方あるまい。

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この中にリンカーンが鎮座している

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「おー!テレビで何回も見たやつだぁ」(以下略)

ところが、昨年フロリダに行ったことをきっかけに色々調べたことが頭をよぎった。アメリカの歴史は、インディアン迫害の歴史でもある。先住していたインディアンは、後から来た白人に多数殺され、土地を奪われた。リンカーンは自分が生きていた時代にそれをどう防ごうとしたか。何とリンカーンは、インディアンの迫害に関しては無関心だった。いや、むしろ加担した側だった。


僕はこのダブルスタンダードに当惑せざるを得なかった。南北戦争は奴隷制度の廃止を巡って起きたが、そもそも何で北部各州が奴隷制度反対だったかといえば、工業主体の産業構造上機械が単純労働者に取って代わり、奴隷を不要としたからだ。一方の南部(フロリダからバージニアまで)は農業主体の産業構造で、綿花などの栽培に労働力がいる。だから奴隷は必須だった。


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5~6行目に”All men are created equal”と書かれている

トーマスジェファーソンが1776年に書いたという、「All men are created equal」という有名な言葉。これを真に信奉する者と便宜的に使用する者が存在し、リンカーンはまさに後者ではないのか、との思いを、僕は記念堂の中で感動を覚えた直後に抱いてしまい、結局旅の間中払しょくしきれなかった。そして今でも。
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