アメリカという甘美な幻想

南カリフォルニアはオレンジ郡に住むオヤジです。妻共々サラリーマンでしたが、2011年にグリーンカードが当たり、アメリカへの憧れに抗しきれずに2012年10月に移住してきました。個人輸入代行やコンサルタントを生業にした後、2016年からは会社員(人事、法務など)に。移住する遥か前から積み重ねてきた様々な「アメリカ体験」も含めて文章に残すためにこのブログを書いていますが、会社員復帰以降は忙しすぎて更新は稀に。。。面目ない。

バプテスト

米東南部を巡る理解の更新(2)

「アパラチアの山」に住む人々の政治的な力

東海岸に流れ着いたピューリタン(聖書原理主義者)。その後も人々は故郷を捨て、ドイツから、フランスから、オランダから、スイスから、そして他の欧州諸国から、新天地のアメリカに来て人生を築いていった。

こうした人たちの心のよりどころとなったのは、言うまでもなくキリスト教だったわけだが、多くの人が支持したのはカトリックではなく、プロテスタント、特にバブテスト派だったことは前回のエントリーで書いたとおりだ。故にアメリカ南東部は現在でもバプテストを中心としたプロテスタントが多数いるというのが歴史的な流れである。

このようにバプテストを中心とした極めて原理主義的なクリスチャンがここまで多く存在しているのはアメリカのみであり、世界的に見ても極めて珍しい傾向であるらしい。言語的にもこの地域は独特と言わざるを得ない。

西海岸も含め主要な大都市ならどこも大体そうであるが、アメリカ人の英語のアクセントは基本的に我々がテレビや映画などで聞く「アメリカン・アクセント」である。しかし最南部やアパラチアで聞いた英語はかなり違う。まるでブリティッシュ・イングリッシュのような発音なのだ。例えばwayやplayなどは「エイ」と言わず「アイ」と発音するのだ。


上の動画のようなものは「Appalachian English」と入れればいくつも検索に引っかかるが、とにかく凄い「訛り」だ。そしてやはりこれは、17世紀以降の入植者がもたらしたイギリス英語がここで純粋性を保てたためなのだという。色々なものが純粋性を保って保存されている地域、そこがアパラチアだ。

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ところで「Feel like going home」という曲があるのだが、これは20年前くらいに旅チャンネルがやっていた「栄光のマザーロード、ルート66」という番組のエンディングテーマになっていて、それを聞いて以来ドライブ旅行には欠かせない存在になっている。この曲の演奏者がThe Knotting Hillbillies(ザ・ノッティング・ヒルビリーズ)といい、あのダイアストレイツのマーク・ノップラーがこのバンドでギターを弾いている。

そう、バンド名に「ヒルビリーズ」とある。だが、その意味に着目したことはこれまで一回もなかった。ロカビリーの親戚くらいにしか思っていなかった。しかし、真の意味は全く違った。これは「山あいに住む無教養な田舎者」を侮蔑する言葉だった。この山あいとは基本アパラチア山脈を指す。これはどういうことなのか。

先日初めて出会った「レッドネック」という言葉も、同じく侮蔑語として今も存在している。これは、日中太陽に焼かれて首の部分が赤くなってしまう単純労働者のことを揶揄したものだ。これもどういうことなのか。何故山あいに住むという地理的特性や、外で働けば必ずそうなってしまう皮膚の反応を教養のなさに結び付けて侮蔑するのか。

侮蔑する側の評価はこうである。すなわち、アパラチアの人々は非論理的である。いかなる堕胎も同性婚も反対であるし、宗教原理主義が高じてビッグバンも進化論も否定する。また、アパラチアの人々は容姿、身だしなみに気を使わなさすぎる。常につなぎのジーンズにもじゃもじゃのひげ。そして歯がない。さらに、アパラチアの人々は野蛮である。銃を携行して町を歩き、人種差別的であり、いまだに南北戦争時代の南軍の旗を掲揚している。

典型的イメージ

誇張が激しいと言いたいところだが、調べた限りではある程度事実に基づいているようである。勿論見た目に関しては大きなお世話だが、レイプをされた場合でも堕胎してはならないという考えが本当ならば、僕にもちょっとついていけない。

で、本当にそんな考え方をするのか、といえば、するのである。そして現に、この考えを具体的に法制化するという動きがあって、今現在全米16州で中絶を制限する州法案が出され、複数の州で可決されているという。しかもアラバマでは、つい先日レイプや近親相姦でも中絶出来ないという州法が本当に通った。これ、本当なのだ。。。いくら何でも行き過ぎだ。そんな思いを禁じ得ない。


ちなみに、アラバマはアパラチア諸州には含まれないが、そのかわりディープサウスと言われる地域に属し、アパラチア諸州の一つであるテネシー州と境を接し、やはり聖書原理主義的な場所である。

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キリスト教が誕生し、まずカトリックとプロテスタントに分かれた。プロテスタントもいくつか分派し、そのうち最も聖書原理主義的なピューリタンがアメリカに流れついた後、奴隷解放を巡って南北2派に分かれた。この聖書原理主義の「総本山」は、言うまでもないが南部側(テネシー州ナッシュビル)にある。

日本も含む他の国のプロテスタントの中で、就中バプテスト派の中で、アメリカ(南部)のような、私の視点では常軌を逸したといえるような過激な思想を前面に出すところはまずない。日本のバプテスト教会はアメリカの過激ぶりを批判さえしている。つまりアメリカのバプテストだけがガラパゴス的に生き残り、純化したような状況なのだ。

そして、このバプテストを含む保守的なプロテスタントがアメリカの25%を占める。だからアメリカの大統領になるには、この人たちを無視することはできない。この人たちはとんでもない「大勢力」なのだ。そんなことは日本に住んでいると気づかない。それはそうだ。アメリカにいても意識しなければ気づかないのだから。

米東南部を巡る理解の更新(1)

バプティズムのメッカとしてのアメリカ東南部


これからキリスト教の話をする。アメリカを知るうえで絶対欠かせない知識だとは思うが、はっきり言って関心のない人には苦痛でしかないと思う。そのつもりで。

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アメリカ東南部については、フロリダ以外行ったことはなかったとはいえ少しは知っていたつもりだった。東部
13州とはかつてのイギリスの植民地であり(下表参照、太字は今回訪問)、1776年に独立が宣言され、1860年に南北戦争が起きた、といった中学高校で習うようなこともある程度は覚えていたし、アメリカに住んでいれば東南部一帯は政治的にかなり保守的であることも普通に知ることにはなる。


ニューハンプシャー、マサチューセッツ、ロードアイランド、コネチカット、ニューヨーク、ニュージャージー、ペンシルベニア、デラウェア、メリーランド、バージニア、ノースカロライナ、サウスカロライナ、ジョージア


しかし、アトランタに降り立ち、レンタカーを駆って大西洋に向け出発して間もなく、緑深い森の中を続く道路沿いに小さく質素な佇まいの教会 - その9割はBaptist Church(バプティストチャーチ)と書かれていた - 5分ごとに現れる様は異様だった(そしてこの光景は旅が終わるまで、基本変わらなかった)。


Church_in_SC

典型的バプテスト教会。画像検索でみつけたもの。車を降りて撮影することは躊躇われた。


「自分が米南部や東部に関して持っている知識、例えばディープサウス地域の黒人差別や保守性、1620年にメイフラワー号が到着した史実、そして1649年にイギリスで清教徒革命が起きた史実などとこの光景には何か関係があるのだろうか」


旅を始めて早々に、僕はそんなことを考えた。教会の多さに驚いてしまい、しかも関心を一旦根こそぎ持っていかれるなんて、旅を始める前までには予想もしていなかったことだった。

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ここで中学だったか高校だったかに習った「メイフラワー号アメリカ到着」やイギリスでの「ピューリタン(清教徒)革命」を簡単におさらいしたい。


ピューリタンとは、16世紀後半以後イギリス国教会と対立し、徹底した宗教改革を主張したプロテスタントの一派、正確にはカルバン派の人々だ。名前の通り聖書内容に対して「ピュア(原理主義的)」だから「ピューリタン」と呼ぶようだ。


清教徒革命はイギリスに留まったピューリタンがイギリスで起こした革命であるが、宗教の自由を求めて海外に新天地を求めた人もおり、その関連で最も有名な史実こそが1620年のメイフラワー号のアメリカ(マサチューセッツ)への到着というわけだ。

しかし、その史実だけではアメリカ南東部に多数の(バプテスト)教会があることの説明にはならない。そもそもイギリス人(ピューリタン)たちは、何故アメリカに信仰の自由を求めてやってこなければならなかったのか。その背景は何なのか、そこからして僕は詳しいことを知らなかった。かつて学生であり、受験生であり、20代の僕は塾で中学生に社会科も教えていたのになんと浅い知識だろうか。

旅の途中も旅から戻ってからも、僕はこの疑問を晴らすために色々調べた。それを以下に、なるべく端折って書くこととしたい(それでもかなり長いよ)。


 ***


1500年代前半、ドイツのマルティン・ルターらによってカトリック教会の改革を求める宗教改革運動が起きた(ルター、懐かしい。カトリック教会が行った「あなたの罪を金でなかったことにしましょう」っていうあの「免罪符」とセットで覚えたのだが、諸兄は覚えておいでだろうか)。


この時、ルター派に加え、ルターの言い分にさえ不満な急進派も加わって激烈にカトリックに対して抗議(英語でプロテスト)が行われたのだが、この抗議者たちのキリスト教に対する解釈や態度ないし思想並びにその派閥を「プロテスタント」と呼ぶようになったのだそうだ。


ザビエル

こちらはザビエル(スペイン人)。同じ1500年代のキリスト者だが、こちらはカトリック


ルターたちはこの抗議を契機に聖書に立ち返る福音主義を唱え始め(よってプロテスタントはイコール福音主義的という図式が成り立つ)、北方に広まり、1500年代中期にはデンマーク・スウェーデン・ノルウェーで国教となっていった。

また、ドイツの動きとほぼ同時期にスイスでも宗教改革運動が起こり、ジャン・カルバン(これも教科書に出てきたはず)が「自分の(鍛冶屋とかパン屋とかの)仕事を全うしろ。それでも神やイエス様に身を捧げたことにはなる。ただし生活は質素で禁欲的にな」という教えを説き、これがフランス・オランダ・イギリスへ広がった。


このカルバン派こそが今のアメリカのバプテスト派閥の最大勢力となった。以下は、ここまでの話に基づく系統図である。

 プロテスタント(福音主義=ルター)
  
バプテスト(強い聖書原理主義的な思想)
   
ジェネラル・バプテスト(アルミニウス)
   
パティキュラー・バプテスト(ジャン・カルバン)


上のアルミニウスという人は、「この世に生を受けた人ならば、キリストの恵みによって、少なくとも神からの呼び掛けや救いへの招きに対して応答する能力を持つ」と考えた人だという。要は信じれば誰にでも神の救いはある、ということだ。

 

一方カルバンは、「神は救済する人を予め決めている。よって教会にいくら寄付とかをしても救済されるかどうかはわからない。神はの人間の意思や行動で左右されない」と考えた人(予定説というらしい)なのだそうだ。

 

John Calvin

ジャンカルバン(Wikipediaより)


なんだこれは。厳しすぎるぞ。なんでこれが大衆に支持されるんだ?といぶかしく思った諸兄。僕もそう思った。実際、予定説では何をしても運命が変わらないことになるので、当時それを真に受けた人々は自分が救われるのかどうかを確かめたがったのだそうだ。そこにカルバンがぶつけてきた理屈が「職業召命説」だった。


「仕事は神から与えられたものであり、仕事に励み成功する人を神が救済リストから外しているはずはない」という考えだ。当時の宗教観では労働や蓄財は卑しいものとされていたのでこの考えは斬新であり、しかも一般の人々にモチベーションを与えた。そしてこれは資本主義には大変都合のいい解釈でもあった。


こうしてカルバンの思想は1500年代後半にイギリスにも波及し、腐敗・堕落(?)している英国国教会の内部でピューリタンと呼ばれる改革派が出現。イギリス国教会から分離することを主張する者と分離しないで内部教会改革を志す者とに分かれた。後者こそがアメリカにメイフラワー号で移民してきたピューリタンたちだった。


mayflower

Mayflower号とピューリタン(History.comより)


1600年代に入り大西洋を横断することが当たり前になった時代。カルバンに影響されたフランス人やオランダ人もアメリカに来たし、ルターに影響されたドイツ人たちも来た。こうして様々な国からプロテスタントの人々がアメリカにやってき、13のイギリス植民地が形成されていった。


驚いたことにイギリスは、各植民地に対しアパラチア山脈の西側を勝手に開拓してはならないと命じていたという(僕はこの史実を全く知らなかった)。このため、ピューリタンの入植からアメリカの独立までの長い間、彼らはアパラチア以東に居所が固定されていた。

そんな中で、故郷を捨てアメリカで人生を築いていくことになった各国出身の人たちの心のよりどころとなったのは、言うまでもなくキリスト教、正確にはプロテスタント、中でもカルバン主義であるパティキュラー・バプテストだった。


「額に汗して働くことは美徳であり、そういう人こそ神が救済してくれる」。そんな教えはこのアパラチア以東の地に住む彼らにとって辛い生活を頑張りぬける源泉になったのだろう。だからこそ、僕がドライブ中に見た協会は、10のうち9つがバプテスト教会だったのだ。「やけにバプテストが多いな」と思っていたら、そういうことだったのだ。

 

最後に、アメリカのバプテストのうちパティキュラー・バプテストの方は、さらに南部北部の二派に分かれていることを説明せねばなるまい。別れたのは1800年代半ば。そう。南北戦争の前だ。奴隷制を巡って対立し、分派したのだ。こんなに信心深い人たちが「奴隷は存在してもいい(とか悪い)」とかやってるわけで、人間は非常に訳が分からない存在だと思わざるを得ない。


はー、やっと説明が終わった。。端折ったわりに長すぎるだろう、我ながら。。。

 

ちなみに、プロテスタントであるバプテストの教会は非常に質素である。流麗な装飾が施された豪華な教会というのは基本的にその原理原則上ありえない。なぜならそういうのはカトリックの領分だからだ。欧州の教会が観光地化するほど美しいのは、欧州だからではない。カトリックだからだ。

バチカン、サンピエトロ寺院
(Wikiより)バチカンのサンピエトロ大聖堂。カトリックの総本山。絢爛豪華。

米東南部旅日記(1):イントロ

やっとアメリカ東南部の旅の話です。ですが、今回の記事はただのイントロです。早く本編に進めや、とお怒りの諸兄。本当すいません。

 ***

日本でサラリーマンだった僕が、毎年のように有休を利用して妻とともにアメリカ本土(陸続きのアメリカ)をレンタカーで巡ることを無上の喜びとしていたことは何度もここに書いてきた。
2007年までに本土33州を制覇したことも、それ以降、2012年に渡米してからでさえもなかなかそのような旅ができなくなっていたことも、しかし昨年、フロリダに行ったことで34週目の訪問が叶ったことも書いてきた。


そんな僕と妻が427日から54日まで、南はジョージア、北はペンシルベニアまでの都合8州を巡るレンタカーの旅に行ってきた。さすがにカリフォルニアから車で行くわけにはいかず、前日(金曜)の夜10時に仕事帰りにそのまま空港(LAX)からアトランタに飛んだ。飛行時間は4時間弱だった。


この旅の計画当時の主たる目的は、まだ訪問していない州になるべく行くことだった。時系列で訪問した州および行程を示すと、ジョージアサウスカロライナノースカロライナバージニアメリーランドデラウェアペンシルベニア。ここまでが北上する旅。

ここからはワシントンD.C.(州じゃないけど)
ウェストバージニアバージニアノースカロライナサウスカロライナテネシー、そしてジョージア・アトランタに戻って終了という感じになる。全行程はおおよそ2500マイル(4000km)だった(下のGoogle Mapでは約2000マイルと表示されているが、実際の旅の経路はところどころ異なる)。


2019旅程
大体の行程

太字の8州に訪問したことで、本土における訪問済みの州は42州となった。残るはメイン、ニューハンプシャー、バーモント、マサチューセッツ、コネチカット、ロードアイランドの6州だ。紅葉を見に秋にでも行こうか考え中である。


さて、前述の通り、この旅を計画していた時に何を楽しみにしていたかと言えば、それは訪問していない州に行くことと、いくつかの主要な観光地を訪問することだった。なんというか、無邪気なものだった。気軽なものだった。だがアトランタから大西洋方面に向けてレンタカーを運転し始めてから1時間ほどで、なんだか旅の様相が変わってしまった。


その決定的な要素は、別エントリーで書いたが「教会」だった。大げさでなく、どんな田舎でも5分ごとに教会が出現するのだ。アトランタ空港を後にしてすぐにそれに気づいて注目してみると、それらはほぼ「バプテスト教会」だった。

この光景は、僕の「東南部は信仰に熱心な人が多い」という程度の薄っぺらな知識を呼び起こした。そう。それは知っていた。だが、ここまで教会の数が多いのは何故なのか。一体この土地はどういうところなのか。アメリカに関するその他知識を総動員してもこれ以上の想像をすることは出来なかった。


ちなみに、僕が2年半在籍した大学はいわゆるミッション系と呼ばれるもので、宗派はメソジスト派だったが、僕はこの旅の後に急いで調べるまで、メソジストの概要や位置づけさえ知識を持ち合わせていなかった。また、僕と妻が結婚式を挙げた教会はルーテル派だったが、なぜルーテル教会を選んだのかといえば、市ヶ谷という立地を好感した以外に深い意味は何もなかった。今考えるとお恥ずかしい話だ。


chapels
右からバプテスト教会、ルーテル教会、母校(メソジスト)の教会

多くのバプテスト教会を目撃したことをきっかけに、僕はこの地域に関する歴史や問題を調べ、少し深く知ることになった。東部13植民地であったこの辺りにまつわる事柄は、基本的にはアメリカ建国や南北戦争などアメリカ合衆国の歴史の主要部分にかかわっていた。

また、日本や他州で暮らしていては想像するのが難しいほど、今も古い生活様式や思考に縛られている人が多いことや、アメリカで最も貧しいのはこの辺りだということも今まで以上に理解が深まった。


まあそうした話は別の機会にすることにして、次回からしばらくは「お気楽な旅日記」にお付き合いいただきたい。
ギャラリー
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