アメリカという甘美な幻想

南カリフォルニアはオレンジ郡に住むオヤジです。妻共々サラリーマンでしたが、2011年にグリーンカードが当たり、アメリカへの憧れに抗しきれずに2012年10月に移住してきました。個人輸入代行やコンサルタントを生業にした後、2016年からは会社員(人事、法務など)に。移住する遥か前から積み重ねてきた様々な「アメリカ体験」も含めて文章に残すためにこのブログを書いていますが、会社員復帰以降は忙しすぎて更新は稀に。。。面目ない。

ネブラスカ

2007年、アメリカ プチ一周ドライブ(その一)

2014年72日に日本から4か月ぶりに病気の猫と一緒にアメリカに戻り、最初のエントリーは2007年のこの旅行のことにした。

2007年7月4日、前月に転職を決め、次の職場で働き出す前に残りの有休を使って行くことにしたこの旅は、日数21日、走行距離11,000km、間違いなく我が人生のハイライトの一つと言える。次の職場では自分の得意なことをかなりの裁量権をもらってやることができることになっていたし、21日間ただただ旅に集中し堪能出来るなどという機会を得、僕は、そして妻も高揚していた。


この旅はカリフォルニア州サンフランシスコからスタートし、ミネソタ、ケンタッキー、テネシー、アラバマ、テキサス、ニューメキシコなどを回ってカリフォルニアに戻るという道程だった。事前にラフには決めていたけれど、何しろ21日あるのでどこにでも行けるので八割がたノープランで旅は始まった。


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サンフランシスコに到着し、すぐにレンタカーを駆って一路I-80を東へ。目的地はネバダ州ファロン(Fallon)。サクラメントでUS-50に入り、緑深いシエラネバダ山脈と低標高の砂漠地帯を通過し、アメリカ軍の基地があることでそこそこ栄えているFalllonのモーテル(予約済み)に夕方到着。その時ラジオからかかって今も耳に残る音楽がMaroon 5の「Makes me wonder」だった。このバンドの曲はアメリカドライブに最適。

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US-50で更に東進し、ソルトレイクシティーの南のあるプロボ(Provo)を経て、最終的に予約を取ったモーテルがあるユタ州ルーズベルト(Roosevelt)まで進む。目的はこのネバダ州のUS-50を走ることだった。US-50のネバダ東部部分は「アメリカで最も孤独な道(Loneliest Road)」と言われ、人里から次の人里への間隔が100マイル(160㎞)では済まないほど何もない。なので道フェチとしてここを通らないわけにはいかなかった。いや、素晴らしかった。

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基本US-40を使いデンバーに行く。目的はKazuo。そう、当時コロラドロッキーズにいた松井稼頭央を見に行った。砂漠から緑深いロッキーに入ってデンバーに至る景色はこれまた最高。砂漠の土色が次第に木々の緑に変わり、空の青と澄んだ風に泣きたくなる思いだった。夕方クアーズフィールドで野球観戦。大リーグの雰囲気は素晴らしい。野球を愛している感じが素晴らしい。背中にMATSUIと書かれたユニフォームを着るお客さんが多数いてびっくり。この時松井は確かに愛されていた。試合の結果は覚えていないけど。そうそうデンバーは空気が澄み快適そうな街だった。ダウンタウンを歩いただけだけど。
 
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デンバーからモーテルの予約を取っておいたサウスダコタ州ブルッキングス(Brookings)までの1100km。これは一日の移動距離として最長だった。しかしこの日のハイライトは便意との格闘。のんびりしたコロラド東部のI-76を鼻歌交じりに走っていると徐々に便意が。しかし人里がない。催してる最中に通過した2か所のサービスエリアはともに閉鎖され、淡い期待が裏切られる心理的ダメージに幾度も心折れそうになりながら、結局150㎞以上括約筋を酷使してなんとかネブラスカとの州境の町にあるサービスエリアに辿り着き、事なきを得る。マジで人格崩壊の危機だったのに横でラジオに合わせてノリノリの妻は、僕の苦悶する様子を見て爆笑していた。鬼か。

ネバダ州ノースプラット(North Platte)でUS-83に入り今度は北進。この道もすごかった。牧草とおぼしき草が生え、ところどころ白い岩石が露出する大地を貫く道路は、まるでローラーコースターのように上下する場所が長く続くなど飽きそうで飽きなかった。サウスダコタ州マードー(Murdo)I-90に入り東へ。旅は4日目。時差ボケに弱い僕はまだ睡眠のリズムがつかめず、しかも蓄積した疲れ(排便我慢のアレが特に効いた)で目が痙攣し勝手に閉じてくる。ハンカチを氷水に浸し、それを片目ずつ当てながら、夜8:00にブルッキングスに到着。死ぬかと思った。

2005年、ナッシュビルからシアトルへ(その一)

ナッシュビルはカントリー音楽のメッカだが、ここをアメリカでの旅の出発地に選んだ理由は、1)まだ行ったことがないプレーリーを走る、2)終点をシアトルにして旅を設計するとこの辺が起点になる、といったどうでもいいものであった。とはいえ、ロッキーを越えて一気にテネシー州から旅を始めるのだから昂っていた。そしてもうワンテーマ、今回は一度行ったことがある州は行かない・通らない。これで旅程を組んだ。

まずは成田からシカゴのオヘア空港に11:50に到着。乗り継ぎ便でNashVille(ナッシュビル)についたのが15:00。ところが僕の荷物が出てこない。係に聞いたら誤ってシカゴから違う便に乗ってしまっているとのこと。「今日中にナッシュビルに届けられるから」というので今日泊まるモーテルの住所を教えて17:00過ぎに出発。アメリカではこういう約束事が言った通りに果たされないことが非常に多く、本当に届くだろうか、と大いにいぶかしく思った。

とりあえず今日の宿にチェックインしようとするが小雨の中道に迷い、色々な場所で人々に道を聞いて、着いたのは19:00くらいになっていた。もうこうなるとご飯を食べてシャワーを浴びて寝るしかないのだが、荷物の到着を待つという一大イベントが残っていたし、そもそも着替さえない。結局荷物は夜12:30に無事届き、やっと眠ることが出来た。30分「今日」を過ぎたがまあいいか。

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Nashville (TN) --700km--> Columbia (MO)

翌日はミズーリ州のコロンビアという町まで進んだ。その前にまずは「ナッシュビルは音楽の街」というのがわかる場所に繰り出してみた。下の写真の通りなので、「音楽の街」確定。

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次の目的地はSt. Louis(セントルイス)だが、そこに至る過程でケンタッキー州に突入。嬉しい。州の看板も容易に見つけられて「州境フェチ」には堪らない(実はこのときイリノイ州も通過していた!)。

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そしてセントルイス。ゲートウェイ・アーチがあるリバーフロント(ミシシッピ川)に来てみた。学校で必ず習うこの川は汚く濁っていたが、大きな物流を担ってきた歴史ある川だからか威風堂々とした感じがした。ゲートウェイは中を登っていけるのだが僕らはそうしなかった。ゲートの全景のうち50分の1しか写り込んでいない写真を撮っただけだった。

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ミシシッピ川 / 妻は小さくアーチは片隅で何を撮りたいのか不明な写真

セントルイスからI-70を進めばColumbia(コロンビア)だ。ここも進めるだけ進んだあとに宿をとるだけの町として選んだ場所だった。何にしても天気がすぐれない。小雨か曇りが多く、まだきちんとした晴れ間を拝んでいない。砂漠じゃないのだから当たり前とはいえ、旅の楽しみが半減して雨は嫌だ。
ナッシュビルからここまでで約700km。もう全然苦にならない。

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Columbia -- 800km --> Sioux Falls (SD)

翌朝、西に向かう。I-70だけでは面白くないので、西に向かう基本は抑えつつ適当な道に適当に入ってみた。そして適当なところで車を止め、写真を撮ってみた。こんなところに来ていたのか、と9年後に再確認して呆れた。

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ミズーリ州ブラックバーン手前。人口249人。僕のパーソナルな思い出を構成してくれている

こんな風に順調に西に向けて走っていたらまた雨。しかも強い。昨日のテレビでは竜巻が多発しているとのことだった。これはうかつだった。6月の初旬はプレーリーはまだまだ竜巻シーズンだったのに、そんなこと露知らずこんな旅程を組んでしまった。

雨のKansas City(カンサスシティー)。雨で写真が撮れなかったがダウンタウンのルックスはカッコよかった。「ミズーリ州カンサスシティー」と「カンサス州カンサスシティー」に分かれているのも訳がわからなくてGoodだった。ここで聴くべきなのは勿論これ、「Kansas City(by Little Willie Littlefield)」。ビートルズはこれをカバーしたわけであるが、やはりせっかくなのでオリジナルを聴きたい。いや、僕は実際には「せっかく」だったのに聴けてないのだが。

ここからはI-29で北上を開始。やがて雨も上がった。ミズーリからアイオワに入ると少し西側(ミズーリ川)がネブラスカのとの州境になるので、ここで州道978に入って西に向かい、川を越え、州を越えた。ここですべきことがあった。Bruce Springsteenがアコギとハーモニカだけの伴奏で歌う「Nebraska」を聴くことだ。

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州境の橋。ビデオしか撮ってなかったのでGoogle Earthからお借りした。

ー ある男が、ネブラスカ州リンカーンからワイオミング州バッドランズに至るまでに、同乗する女性とともに人を銃で殺していく。捕まり、死刑が宣告され、いよいよ絞首刑が執行されるとき、看守たちが「お前、なんでやったんだよ」と聞いてくる。男は言う「旦那、何故って言われてもね、この世には理由もなく粗暴なやつってのもいるんですよ」ー

この曲は効いた。州をまたぐ際に通る橋が既に味があって見事だった。その後の道にも味があった。そして楽曲「Nebraska」が持つ虚飾をそぎ落とした音世界、これが感涙を誘った。

歴史ある街並みが楽しめるPlattsmouth(プラッツマウス)、ネブラスカ最大の都市Omaha(オマハ)を過ぎ再びI-29に入った。そして、やがて
South Dakota(サウスダコト)州に入り今日の宿泊地Sioux Falls(スーフォールズ)には18:00頃到着。宿で観たテレビで、今日通った場所の近くでトルネードが多数発生していて僕らはそれを避けるように走っていたことがわかった。やばいな。
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