アメリカという甘美な幻想

南カリフォルニアはオレンジ郡に住むオヤジです。妻共々サラリーマンでしたが、2012年10月に移住してきました。個人輸入代行やコンサルタントを生業にした後、2016年からは会社員に。移住する遥か前から積み重ねてきた様々な「アメリカ体験」も含めて文章に残すためにこのブログを書いていますが、会社員復帰以降は忙しすぎて更新は稀に。自由の国、アメリカを含めた全体主義への流れ。これを絶対に食い止めましょう!

ネバダ

2009年:心機一転カリフォルニアとネバダの旅(1)

2007年夏に転職する際、有休を使って行った走行距離11000kmのアメリカドライブ旅行。非常に充実した気持ちで転職してみると、いきなり面接時に合意した職務ではない仕事をあてがわれるは、その年の12月には胃癌が見つかるはで、2007年後半から2008年はさんざんな年になり旅行どころではなかった。

2009年に2月に再度転職したが、そこでもいろいろあった上に5月に身体を壊し、6月いっぱいで退職を余儀なくされた。もう年齢的にもサラリーマンに戻れるなどとは考えられず、内心では外国人をクライアントとする行政書士かアメリカ商品の個人輸入代行のいずれかで独立することを決意した。

辞めると決意すると病の状態は急速に改善し(しがらみを断つ気になると往々にして病は治る)、僕は7月になって2年ぶりに妻とアメリカに行くことにした。状況的に東海岸を回るような大規模な旅は出来なかった一方、病み上がりの僕が実際に行きたいと思ったのは僕が愛してやまない砂漠だったし、輸入代行の対象としてどんな商品があるか、たくさん見て回りたいという狙いもあり、今回は原点に戻ってカリフォルニアとネバダを旅することにした。

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全行程

2009/7/17
成田からサンフランシスコへ。到着後、宿を取っていたサンフランシスコの少し南のある町、ブリズベン(Brisbane)に行き、そこでモーテルにチェックインしようとするとパスポートを落としたことに気づく。航空会社や関係する機関などに電話しようとすると留守電が入っており、利用したユナイテッドエアに届けられていることが分かった。最悪の危機を脱し、この時ばかりは本当に安堵した。

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慌てて電話する僕(を撮る妻の余裕よ)

この日は1日サンフランシスコを観て回った。ゴールデンゲートブリッジとか、ピア39などの定番的な場所のほか、ずっと行きたかったキャンドルスティックパークに行った。ビートルズの「最後のコンサート」はここで行われ、オタクとしては行かざるをえなかった。なお、僕にはサンフランシスコは寒すぎる。素敵な街だと思うが浜風の影響が強すぎ、寒すぎる。サンフランシスコ近辺を移住候補地から除外したのは、その理由一点だった。

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CandleStick Park

7/18
まずはサンフランシスコの南側を海を見つつ進み、Googleを見てからヨセミテを横断し、最後にビショップという町まで行く予定の一日。

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サンフランシスコ ー(500㎞)→ ビショップ

この日の太平洋は霧がかかって何も見えず、早々にGoogleがあるマウンテンビュー(Mountain View)へ。休みで人は居なかったけど、かえっていろいろ自由に見れた。

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Yahooなどネット関連の会社がたくさんあるこのあたりを抜け、I-680、I-205、CA120などを使ってヨセミテへ。

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低地の砂漠から山の緑への劇的な変化はカリフォルニアの醍醐味だ。

ルート通りにヨセミテ(実はシエラネバダ山脈の一部)を観ていくとやがて下り坂になり、下りきるとそこには
モノ湖(Mono Lake)があった。色々な意味で珍しい湖なので今度機会があったらじっくり見たいと思う。

ここでUS-395に乗り100㎞ほど南進し、この日宿を取っていたビショップ(Bishop)で落ち着いた。なお、US-395はおススメだ。機会があれば走るべし。

2007年、アメリカ プチ一周ドライブ(その一)

2014年72日に日本から4か月ぶりに病気の猫と一緒にアメリカに戻り、最初のエントリーは2007年のこの旅行のことにした。

2007年7月4日、前月に転職を決め、次の職場で働き出す前に残りの有休を使って行くことにしたこの旅は、日数21日、走行距離11,000km、間違いなく我が人生のハイライトの一つと言える。次の職場では自分の得意なことをかなりの裁量権をもらってやることができることになっていたし、21日間ただただ旅に集中し堪能出来るなどという機会を得、僕は、そして妻も高揚していた。


この旅はカリフォルニア州サンフランシスコからスタートし、ミネソタ、ケンタッキー、テネシー、アラバマ、テキサス、ニューメキシコなどを回ってカリフォルニアに戻るという道程だった。事前にラフには決めていたけれど、何しろ21日あるのでどこにでも行けるので八割がたノープランで旅は始まった。


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4
サンフランシスコに到着し、すぐにレンタカーを駆って一路I-80を東へ。目的地はネバダ州ファロン(Fallon)。サクラメントでUS-50に入り、緑深いシエラネバダ山脈と低標高の砂漠地帯を通過し、アメリカ軍の基地があることでそこそこ栄えているFalllonのモーテル(予約済み)に夕方到着。その時ラジオからかかって今も耳に残る音楽がMaroon 5の「Makes me wonder」だった。このバンドの曲はアメリカドライブに最適。

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US-50で更に東進し、ソルトレイクシティーの南のあるプロボ(Provo)を経て、最終的に予約を取ったモーテルがあるユタ州ルーズベルト(Roosevelt)まで進む。目的はこのネバダ州のUS-50を走ることだった。US-50のネバダ東部部分は「アメリカで最も孤独な道(Loneliest Road)」と言われ、人里から次の人里への間隔が100マイル(160㎞)では済まないほど何もない。なので道フェチとしてここを通らないわけにはいかなかった。いや、素晴らしかった。

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基本US-40を使いデンバーに行く。目的はKazuo。そう、当時コロラドロッキーズにいた松井稼頭央を見に行った。砂漠から緑深いロッキーに入ってデンバーに至る景色はこれまた最高。砂漠の土色が次第に木々の緑に変わり、空の青と澄んだ風に泣きたくなる思いだった。夕方クアーズフィールドで野球観戦。大リーグの雰囲気は素晴らしい。野球を愛している感じが素晴らしい。背中にMATSUIと書かれたユニフォームを着るお客さんが多数いてびっくり。この時松井は確かに愛されていた。試合の結果は覚えていないけど。そうそうデンバーは空気が澄み快適そうな街だった。ダウンタウンを歩いただけだけど。
 
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デンバーからモーテルの予約を取っておいたサウスダコタ州ブルッキングス(Brookings)までの1100km。これは一日の移動距離として最長だった。しかしこの日のハイライトは便意との格闘。のんびりしたコロラド東部のI-76を鼻歌交じりに走っていると徐々に便意が。しかし人里がない。催してる最中に通過した2か所のサービスエリアはともに閉鎖され、淡い期待が裏切られる心理的ダメージに幾度も心折れそうになりながら、結局150㎞以上括約筋を酷使してなんとかネブラスカとの州境の町にあるサービスエリアに辿り着き、事なきを得る。マジで人格崩壊の危機だったのに横でラジオに合わせてノリノリの妻は、僕の苦悶する様子を見て爆笑していた。鬼か。

ネバダ州ノースプラット(North Platte)でUS-83に入り今度は北進。この道もすごかった。牧草とおぼしき草が生え、ところどころ白い岩石が露出する大地を貫く道路は、まるでローラーコースターのように上下する場所が長く続くなど飽きそうで飽きなかった。サウスダコタ州マードー(Murdo)I-90に入り東へ。旅は4日目。時差ボケに弱い僕はまだ睡眠のリズムがつかめず、しかも蓄積した疲れ(排便我慢のアレが特に効いた)で目が痙攣し勝手に閉じてくる。ハンカチを氷水に浸し、それを片目ずつ当てながら、夜8:00にブルッキングスに到着。死ぬかと思った。

2004年、ロッキーの西側を走った(その二)

朝ラブロックを出るとアイダホに向かった。「行ったことのない州がひとつ減る!」という邪(よこしま)な気持ちが抑えきれなかった。超絶なスケールの、まだ見ぬ土地をこの目で見、走り抜けられる喜びを隠しきれなかった。

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Lovelock -->Pocatello

I-80でWells(ウェルズ)という町まで行き、そこでUS-93に入り北上すると、州境の町にして「大当たり!」という意味の縁起のいい町、Jackpot(ジャックポット)になる。簡単に言ったが、ここまででラブロックから約500kmだ。

US-93で印象的だったのは雲だ。綿あめのような雲が、ぽかりと、しかしくっきりと浮いていた。おあつらえ向きの標高で、おあつらえ向きの空気の澄みかただったのだろう。他に何もないが、それがいいのだ。ここで食事をとって出発するとほどなくアイダホに入った。

アイダホを走っている時、この牧歌的な雰囲気にはやはりカントリーがあうのではないかと思ったが、印象に残った曲の記憶がない。念のためにハードディスクレコーダーに焼いていたこの時のビデオを見てみたが、ほぼ全編家から持ってきていたシェリル・クロウだった。でも、それで記憶が蘇った。シェリルの曲が終わってラジオに変えると、ほどなく流れた曲、それがThe Callingの「Wherever you will go」。


アイダホといえばポテトと学校で習ったし、昔はアイダホのジャガイモを使っていると宣伝していたスナック菓子もあった。確かにアイダホに入って畑が広がっているのを確認したが、それがジャガイモかどうかはわからなかった。

比較的大きなTwin Falls(ツインフォールズ)に着き、少し街中を走って様子を見、その後I-86に乗って東を目指した。
走る以外何もしない。景色が流れ行くのをただ目に焼き付け、とにかく走った。特定の目的地はなく、行ける所まで行くという感じで最終的にPocatello(ポッカテロ)という町でインターステートハイウェイを降り、宿をとった。きれいで洗練された町だった。

翌朝、とにかくWyoming(ワイオミング)州に入ることを目的にして、
ポッカテロからI-15でIdaho Fallsまで行き、そこからUS-26を道なりに進んでみた。緑なす山と青い空の下、道の横を小川が流れ、そこに可憐な花が咲き誇る…牧歌的な景色が秀逸なドライブコースだった。その時は気付かなかったが、そこはロッキー山脈だった。

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Pocatello --> Afton

やがて大きな貯水湖を過ぎるとそこが州境で、いよいよワイオミングに入った。最初の町、Alpine(アルパイン)でUS-89に入り更に南下をつづけた。緑が基調の美しい景色はまだまだ続いていた。

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Palisades Resovoir(パリセイズ貯水湖)。別にきれいじゃないけど他に写真がない。

このUS-89周辺は「Star Valley」と呼ばれる美しい自然を誇る野生保護区があった。確かに綺麗だった。しかし冬は豪雪だ。会津西方の豪雪地帯生まれの僕だからこそ、ここには住もうという発想にはならなかった。だからと言って摂氏50度の砂漠のほうがいいというのも変なのだろうが。
 
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「イエローストーン大生態系」に属し多種多様な動物がいるという。まあそんなことより、綺麗だった。

US-89を素直に下って来るとAfton(アフトン)という町に着いた。ちょうど食事時だったので僕はバーガーキングを食べた。妻はサブウェイだった。


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Afton --> Draper


アフトンから更に道なりに南下していくと、再度アイダホに入った。更に進むとBear Lake(ベアレイク)という大きな湖に出た。ここからまたまた山道が始まったのだが、要するにまたロッキー越えを開始したわけである。そうか、タイトル間違えた。「ロッキーの西側」じゃなくて「ロッキーとその西側」にすべきだった。

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この時から看板フェチは始まった / ベアレイク

道中はキャンプやラフティングを楽しむ大勢の人々がいた。やがて下り坂になって平地に降りると、今度は右手にGreat Salt Lakeが、行く手にはSalt Lake Cityが出てくる。一応モーテルも探しながら市内を見てみるが妻は何か不満そうだ。「ここは何か違う」。出た。ああそうですか…。まあ確かにモルモン総本山の町なので、少し独特のにおいを感じたのだろう。

更に南下していくと突然の雨が。叩きつけるような雨だ。時間的にも潮時だろうと言うことでDraper(ドレイパー)で見つけたモーテルにすぐにチェックインした。

2004年、ロッキーの西側を走った(その一)

ここからは更にスタイルを変えて書いていく。そもそもモーテルの宿泊費の情報とかを逐一入れるのは不要だった。そういうのはどこかでまとめて資料集を作ればいいのだし。少なくとも旅のことを書くに当たり僕が(「私」、やめました)描きたいのデータではなく「思い」なのだし。

「行っていないところを見てみたい」。それが2003年以降の僕ら夫婦の願望だった。だから2004年のアメリカドライブ旅行も「行っていないところに行く」を主眼に旅程を組んだ。まだ入国地を西海岸以外にする発想はなかったのでLAが今回も起点になったが、それでも未踏破の場所はまだまだ無限にあった。7月14日から7月25日まで有休を取り、僕らはロッキーの西側を走る旅に出た。

初日は
サンフランシスコの南東150km、LAからは500kmほど北にあるTurlock(タ―ロック)という町に行こうとした。妻が大学卒業前に1ヶ月ほどの短期ホームステイをした場所だ。そもそも妻は英語がサウンドとして好きだったのだという。そして卒業旅行の高級版的な位置づけで短期ホームステイに参加することにし、たまたま行った先がこの町だった。この時の体験は素晴らしかったそうで、結果的に妻のアメリカへの好感度を押し上げてくれたそうだ。

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LAX--->Turlock。道中は緑の平野が広がる

14:00、I-5を行く選択もあったが、それではつまらないのでCA-99を使って北上した。Bakersfield(ベイカーズフィールド)を過ぎてからは緑なす平野が広がり、遥か東にはシェラネバダの山々を見ることが出来た。ことのほか順調に進んで、19:00にはタ―ロックに着いた。

しかし妻は、ホームステイ先の住所を思いだすことが出来なかった。見覚えのある街角はあったのだが、「見覚えのある家」は見つけ出せなかった。さ迷った揚げ句かなり暗くなったので隣町のModesto(モデストウ)で一夜を過ごし、翌朝もう一度行ってみた。

今度は発見した。ドアをノックしてみると若者が出てきた。

「こんにちは。かなり昔のことですが、ここにいる私の妻が日本からここにきてホームステイしたことがあります。今回アメリカに旅行に来たので、お礼を言いたくて訪ねてみました」

僕がそう言うと、若者は「それはそれは。でも残念がら僕たちはその家族ではなくて、ここを借りている学生なんだ」。

ということでホストファミリーには会えなかった。彼は、確信はないがと前置きしながら「そのファミリーは恐らくずいぶん前に引っ越してのではないか」とも言っていた。妻は、無論会えなかったのは残念と感じていたが、それでも思い出の地を訪問出来たことに一応の満足感を覚えていたようだ。

僕の見たタ―ロックは治安のよい典型的な郊外都市だった。ここでアメリカの最初のイメージを形成した妻に、僕のような「砂漠の田舎町フェティッシュ」になれと言っても無理な注文だと思った。ところで「治安のよさ」に関してはほぼ100%当たる判別法がある。芝生と植物にお金をかけているか、それだけ。かけていれば、そこは治安がいいエリアだ。

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こういう街並みを維持するのには住民の意思と金が要る

次の宿泊地には、タ―ロックから州都・Sacramento(サクラメント)経由で500km強の距離があるネバダ州のLovelock(ラブロック)という町を選んでいた。ここは名前で決めた感が強い。何しろ「愛の鍵」なのだから。

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Turlock --> Lovelock。韻を踏んでみた、わけではない。
 
Lovelockまでの道中、まずはサクラメント市内(特にOld Sacramento)を見て回る。緑あふれる町だが、友人(LA在住のアメリカ人)は「Boring(つまらない街)」と言っていた。少し立ち寄っただけで何がわかるものでもないが、州の機能が集約されて首都になっている都市ならば、まあ一般的な意味で面白くなくとも仕方ないだろう。ただ、もし今サクラメントに行ったなら、TVシリーズの「Mentalist」ゆかりの地として全く異なる興味を持って町を散策しただろうに。

この文章を書いている今(14523日)現在、アメリカでは「Mentalist(メンタリスト)のシーズン6が丁度終了。もともとの舞台はサクラメントだったが、主人公らがCBIの職員からFBIの職員に変わったことで舞台はテキサスに移った(撮影現場は基本的にLAだそうだが)。筆者は「コロンボ」のころから、即ち小学生のころからアメドラが好きだったが、このドラマは個人的にベスト3に入る。My Best 3とは即ち「コロンボ」、「メンタリスト」、「バーンノーティス」である。


US-50を東に進むと、シエラネバダ山脈の山越え区間が始まった。これは前年に行ったロッキーとはまた異なる趣があって美しかった。山脈の東に位置する
Lake Tahoe(タホ湖)は、青い湖、針葉樹の緑、そして青い空のコントラストが美しく、人気リゾート地になるのも理解できた。

サブウェイで昼食を済ませ、US-50を進んでいくと山を降りる区間になった。次第に森林エリアから砂漠になっていき、ほどなくネバダの州都、Carson City(カーソンシティー)に到達した。人口5.5万程度の小さな町だが、州都らしい威厳と歴史が街並みから感じられた。

カーソンでUS-50からI-580に入り北上すると、ラスベガスほどではないがカジノで有名なReno(リノ)に入る。ここでI-80に再び入り、あとはLovelockまで一本道となった。ところで、この区間には塩湖が一面に広がる場所があって、誘惑に駆られて車を路肩に止め、中に入ってみた。すると予想に反して表面に塩をふいている地面は柔らかく湿っており、足は「ずぼっ」と深く入り込んだ。何故表面はカチカチだと当時思い込んでいたのだろう。どうでもいい話だが。

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塩湖。表面はヌメっとしている

Lovelockには16:30頃に着いた。何の変哲もない田舎町であるが、いまだに非常にいい印象を持っている。あまりに夕焼けが哀愁に満ちて美しかったのだ。2002年に車で初めて砂漠の田舎町を見ることが出来、以降03年04年と見てきた「成果」として、わずかな違いが鑑別できるようにでもなったか。

まあ当たり前だが、夕焼けの哀愁は夕焼けだけが生み出すのではなく非常に複合的な要素がからむ。視界に入る山や建物の構造だけでなくその時の空気や心のあり方も影響する。まあ、何しろ下の写真のような景色を見て、僕の心にLovelockが刻まれた。「美しい夕焼けが見られる砂漠の町」として。


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Lovelock-夕焼けの美しい町(指定 by 僕)

街にはスーパーが一軒あったが、欲しいと思えるものはあまりなかった。そこでマックに行ってチキンバーガーを2個注文した。まずくはなかった。
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