アメリカという甘美な幻想

南カリフォルニアはオレンジ郡に住むオヤジです。妻共々サラリーマンでしたが、2011年にグリーンカードが当たり、アメリカへの憧れに抗しきれずに2012年10月に移住してきました。個人輸入代行やコンサルタントを生業にした後、2016年からは会社員(人事、法務など)に。移住する遥か前から積み重ねてきた様々な「アメリカ体験」も含めて文章に残すためにこのブログを書いていますが、会社員復帰以降は忙しすぎて更新は稀に。。。面目ない。

ニードルズ

2003年、デンバー・LA間をドライブした(その三)

7/1
この日はNeedlesから南方面に行くことにし朝7:00頃出発。まずはUS-95を降りて行くが、気になった道が出てきたらそこに入ることにした。このあたりはコロラド川が流れていたので、川岸を走れる農道に入ったり、せせらぎのそばで休憩したりしていると時間がどんどん過ぎて11:00をまわってしまった。CA-78号を急いで南下することにとし、11:30にBlythe(ブライズ)という町を通過。1時間後に突然砂漠ではなく砂丘が目の間に現れた。

Algodones Dunes(アルゴドンズ砂丘)
岩や石と低木の砂漠もいいけれど、たまには砂丘もいいものだ。青空とのコントラストは掛け値なしに美しい。
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そしてここ一体はなんというか「気品と気高さがある荒れ地」という感じがした。下の写真でお分かり頂けるだろうか(わかるはずないわな)。

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ここで時間を食ってしまったので、昼食は14:00過ぎになってしまった。CA-78号沿いのBrawley(ブローリー)でケンタを食す。味はまあまあだった。

昼食後、一気にLAに行こうと思ってそのまま78号を120km進んでJulian(ジュリアン)を過ぎ、60km進んでEscondido(エスコンディード)に来てしばし考え、真逆のSan Diegoに行くことにして
I-15を南にぶっ飛ばした。

*San Diego
San Diegoは人口が100万人を超える大都市ながら非常にコンパクトな作りで、この日泊ったモーテル(Super 8、$66.29)もこれまでで一番狭かった(いまだにこれより狭いモーテルに泊ったことはなし)。食事はダウンタウン側に行けばスーパーやコンビニなど何かあるだろうと思ったが何も発見できず、スタバみたいな店でパン類を仕入れた。

7/2
San Diegoを一通り見るということで、まず海に行った。 すると「Cabrillo National Monument」というのがあった。1542年、このCabrilloさんが欧州人として初めて今のアメリカ西海岸に来た人なのだという。ふーんとしか思えなかった自分が恥ずかしい。

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霧のキャブリロ館前 / キャブリロさんと一緒に

霧が出て海は何も見えなかったので、ダウンタウンというかショッピングディストリクトを探してみた。やはりなんとなく狭くてコンパクトな町だ。買物はLAでするので特にどこにもよらず再度海に行くと、今度は晴れていてしかも非常に美しかった。全体的な景観も澄んだ海水自体も大都市のそれとは思えないクオリティーだった。「Oatmanに住む」という発想を実行に移した人々の考えをますます訊きたいと思った。

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Mission Bay(ミッションベイ)です。都会でこのような海が残されアクセス至便。豊かです。

13:30、パンダエクスプレスで昼食を済ませ、せっかく国境にいるのだからメキシコに行こうと思い立ちボーダーまで行ってみた。妻は若干及び腰だったが「せっかく」なのだから仕方がない。車を進めいよいよ国境を過ぎた途端、今度は私が怖気づいた。看板など一切がスペイン語に変わって、何が何やらさっぱりわからない。

どうやってSan Diegoに戻ったものやら皆目分からず途方に暮れながら走っていると、何故か一台の車が指で「俺についてこい」と。「ええい、ままよ!」とついていったらきっちり検問所に辿りついた。10ドル渡してお礼を言うと彼はまたどこかに消えていった。あれが彼の仕事なのだろう。そして私のような奴が、毎日何人か彼のお世話になっているのだろう。

検問を待つ間、子供たちが花を売ったりフロントガラスを拭こうとしたりして道路を移動していた。アメリカとメキシコの貧富の差をまざまざと見た思いだった。妻は「レンタカーで国境を越えて何かあっても一切保証は効かないよ!」とおかんむりだったが、いやいや、それを早く言いなさい。

もう17:00になっていたのでLAに行くためにI-5をぶっ飛ばしたが、疲れてしまい途中のコスタメサでモーテルを探した。Days Inn Costa Mesaに決めたのは、ラッキーにもビジネススイートという部屋を通常レートで借りられたからだった。広く美しい部屋で、窓からは遠くで花火を打ち上げているのが見えた。近所のスーパーで食料を買い込み、またまたDrew Carey Showの再放送を見ながら眠った。

7/3~7/4
3日はSanta Monicaに移動しショッピングしたり、またまた懲りもせずケリーとドナのビーチハウスに行ったりして時を過ごし、4日の昼にLAXを発ち日本に帰った。日本に戻ると1週間は廃人になる。時差ぼけは勿論影響があるが、アメリカにまた1年行けないことが嘆かわしいのである。

2003年、デンバー・LA間をドライブした(その二)

6/30
朝7:00、メインストリート(Route 66)を中心にギャラップの街中を走ってみた。
インディアンジュエリーの店などもまだ閉まっており人通りはほとんどなかったが、朝陽に照らされた街は美しかった。Sante Fe鉄道がRoute 66に並行して走っていてこれも風情を醸していた。にも関わらずこの町に思い入れがいまだに湧かないのは「インディアンしかいなかったから」では断じてない。この時の自分の興味は、既にこの先にあるWinslowにあったからだ。

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*Holbrook, AZ(ホルブルック)
200km先にあるWinslowに着くまでには基本I-40を使うが、所々でRoute 66に乗れる場所があった。インターステートをただ飛ばすより楽しいので、出来るだけ66を使って進んだ。途中にあるHolbrook(ホルブルック)は味のある給水塔と
インディアンの住居の形をしたテント式のモーテル「Wigwam Motel」で好事家には有名な町だ。私たちもここにより、メインストリートになっているUS-180を町並みが途切れるまで走ってから引き返した。ついでにサークルKで眠気止めのアメを買った。

*Winslow, AZ(ウィンズロウ)
小学生の時に耳にし、高校の時に好きになったイーグルスの”Take It Easy"の歌詞に出てくるWinslow(ウィンズロウ)には10:00ごろ着いた。自分にとっては聖地と言えるほどの場所であり、会津の片田舎の高校の教室で弁当を食べながら地図で探していた「あの」Winslowに来たんだなぁ、としばし感慨にふけった。

Take It Easy」が描き出した風景は素晴らしかった。赤いフラットベッドの車、主人公を翻弄した女性たち、素晴らしい景色が見える街角・・・。一体どんな景色なのか楽しみにして実際に来てみると、全然景色などよくない。というか「ただの街角」でしかない。ではそれにがっかりしたかというと、全然。


その憧れの「The Corner(あの街角)」は、歌詞の対極にあってよい景色など何も楽しめなかったが、そこには私たちのような観光客が何人かいて、写真を撮ってほしいと言ってきたおば様たちと話す機会があった。

「日本から来ました。”あの街角”の景色が見たくて。でも全然”such a fine sight to see(素晴らしい眺めだ)"じゃないですね」

「本当そう。全然ね。ここは”ただの街角”よ。でもあの歌を聴いた者にとってはそれはどうでもいいのよ。私たちだってシカゴから来たのよ。どんなに遠くても、ここに来ないわけにはいかなかったのよ」


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左から私、ドンヘンリー(ギターを持っているがドラマ―)、そして妻

そう「巡礼者」にとっては「メッカ」に来ないわけにはいかないのだ。その後ツアーインフォメーションセンターによってパンフなどをもらい、11:00にWinslowを後にした。走りながらどこで昼食を食べようか考えていると、砂漠の真ん中に車が入っていくのが見えた。一台ではなく結構な数が未舗装の道路を土煙を上げて進んでいくので、私たちも付いていくことにした。

そこは「Meteor Crater(メテオクレイター)」 で、要するに隕石があけた大きな穴を楽しむ場所だった。実際それなりに楽しかったが隕石や宇宙の講釈はしないでおく。そうそう、ここにはサブウェイがあって昼食はサンドウィッチを食べた。砂漠と隕石を愛でながらサブウェイ。オツであった。

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直径1kmをこえるこの穴は5万年前に出来たとか

 その後は順調にFlagstaff、Williamsと進み、Route 66の中でも今回特に走りたかった区間が始まるSeligmanに着いた。

*Seligman(セリグマン)からKingman(キングマン)へ
インターステート開通で一気に廃れていったRoute 66沿道の町の中で、再興運動を主導したのがこのSeligman(セリグマン)だったという。古き良きアメリカを再現するかのような建物やクラシックカーが飾る街並みは、その努力の跡が見て取れた(下の写真は2011年に再訪した時のもの)。

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どこかの店に入ってもよかったのだろうが、私たちは入らなかった。もし会話がつまらなかったら、もし食べ物がまずかったら、もし売りモノがちゃちな粗悪品だったら、心のどこかで神格化していたこの街を「他と変らない俗物的な観光地」と見なしてしまい、Route 66自体にも幻滅するだろう。それが怖かった。だから写真を撮るだけにして、昨年も訪れた(通過した)Kingman(キングマン)を目指して車を走らせた。

アメリカドライブの御供用に作ったコンピCDはアメリカの曲だけで構成されていてイギリスや豪州物は注意深く抜いてある。でも持ってきたCD3枚には60曲くらいしか入っていないので、大抵の時間はFMを聴く。そしてこのときチューニングを合わせた局がドンピシャで流した曲はビートルズの「I Feel Fine」だった。出だしのフィードバックの音が66を走るというシチュエーションにあうので吃驚した。そしてその普遍性に感動した。


I-40と並走せず、合流もしないこの区間のRoute 66は確かに素敵だった。風景自体は特に何の変哲もないものだけど「威厳と孤高」を感じた。「Route 66だから」という刷り込みでそのように思ったのかもしれないし、それは否定しない。でもとにかく「重み」のようなものを感じたのは確かだ。

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Kingmanに着くまでに色々な集落を通過した。その中の一つ、Peach Springs(ピーチスプリングス)という町に入ってみた。町が視界に入ってきたら、不意に「将来アメリカに住めたときに居住地を都会に限定する必要はあるのかないのか、ここを見たらそれを確かめる一助になるかも」と思ったからだった。無論2003年の時点では全く真剣な話しではなくて「シャレ」が多分に含まれていたし、その時何らかの結論を出したかと言えば何も出なかった。ここが
フアラパイインディアン居留区のキャピタルだということは後で知った。

アメリカのモータリゼーション絶頂期を象徴するようなビンテージカーやガソリンの給油機などが見れるHackberry(ハックベリー)を17:00に通過し、30分ほどでとうとうキングマンに着いた。ここですることは特になく、ここから先は行き当たりばったりで進むことになる。色々考えたがI-40で西進はあまりにつまらないので、とりあえずこのままRoute 66をOatman(オートマン)まで進むことにした。

Oatmanへの道を進みだすと間もなく、一言で言って「悪路」になった。砂漠としての過酷さも一流の上、道はボコボコで狭く曲がりくねり、しかも時刻は18:00を過ぎていたが気にせず(気にしていられず)先を急いだ。

Oatman, AZ(オートマン)
18:30、道路わきに「Welcome to Oatman, AZ」と書かれた幌馬車が置かれていた。やっと着いたようだ。(後で知ったのだが)かつてゴールドラッシュで栄えたこの町の今の「売り」は、1939年人気俳優クラークゲーブルが新婚旅行でここを訪れた事実があること、お化けが出るホテルがあること、ロバが街中を歩いていることなどだそうだ(この時ロバはいなかったが)。

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ビデオ映像のキャプ画像につき低画質をお許しください

しかし私は、速度を落として運転しながら、しかし一度も止まることなくこの町を通り過ぎてしまった。アメリカ南西部にはこのように岩山に囲まれた過酷な場所はいくらでもあって、それ自体は珍しくないからだ(たとえ「売り」を知っていても通り過ぎたと思う)。でも、こういう場所に来ること自体への興味はまだ尽きないでいる。「こんなところ」に住むという選択をした人の気持ちや覚悟を、今でも私は訊いてみたいと思っているから。

旅チャンネルというBSだかCSだかの局が昔「栄光のマザーロード、ルート66」という番組をやっていた。この番組のオープニングはイーグルスの「Desperado」、エンディングはマーク・ノップラーが在籍したノッティング・ヒルビリーズの「Feel Like Going Home」だった。「ああ神様、これまでやってきたことは全部間違いでした。家にかえりたいです」という歌詞を含む後者はあまりに番組にフィットし、その後のお気に入りとなった。


*Needles、CA
ニードルズは前年にも来て(=通過して)いた。今回はここに泊ることにした。妻は前年この町の雰囲気が好きではないと言っていた。通り過ぎただけなのに何がわかるのだ。今回はもうここの「Days Inn & Suites」に速攻で決めた。43.99ドル。夏の砂漠のモーテルは安い。

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