アメリカという甘美な幻想

南カリフォルニアはオレンジ郡に住むオヤジです。妻共々サラリーマンでしたが、2011年にグリーンカードが当たり、アメリカへの憧れに抗しきれずに2012年10月に移住してきました。個人輸入代行やコンサルタントを生業にした後、2016年からは会社員(人事、法務など)に。移住する遥か前から積み重ねてきた様々な「アメリカ体験」も含めて文章に残すためにこのブログを書いていますが、会社員復帰以降は忙しすぎて更新は稀に。。。面目ない。

ニューヨーク

米東南部旅日記(9-最終回):第7日後半と最終日

75/3)後半と最終日(5/4)

アトランタ、そしてエピローグ

 

水族館を16:30に出て駐車場に行き、車を出してそのままホテルにチェックンした。ここはダウンタウンの高級ホテルということになるが、100ドル台で泊まれたという事実からその部屋のレベルは推し量れるだろう。そう、とにかく狭かった。それこそ日本の6畳間という感じだった。勿論僕らは一向に構わなかったけれど。

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アトランタのダウンタウンからの眺め。

 

夕飯をどこで食べるか。またもこの問題を解決しなければならなかったが、非常に難航し、はっきり決めずにホテルの外に出てみた。そして雰囲気的に良かったモダンメキシカンのレストランに入った。

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うまかったです。素敵な会話が出来ればなおのことですね。今店名が思い出せないけど
 

ここで、僕らは面白い会話を楽しむことが出来た。(   ..このような楕円のカウンターの右端の(  ..の部分に僕らは座っていたのだが、僕らの前に若い女性が座り、次いで楕円部分に中年夫婦が座った。5人が (   ::)・ のような陣形で座ったわけだ。


すまぬが会話風景や彼らの画像はない。


この旦那がよく喋る。マルガリータを何にするかを巡り独り言を始め、次いで横の若い女性を巻き込み、その後話はどんどん展開し、野球に行きついた。旦那は「B」という馴染みのあるロゴがついたキャップをかぶっていた。高確率でレッドソックスファンであった。彼の右横の若い女性も左横の奥様も大変楽しそうに野球の話をしていたので、僕も野球大好きの日本男児としてこれに加わった。


かつてレッドソックスの一員だった野茂、松坂、岡島などは勿論、彼はレッドソックスファンの視点から田中、イチロー、松井などに対する評価や思いを話してくれた。彼にとって松坂は世間が思うほど「悪い買い物」だとは思っていないとのことだった。僕はどうしても日本人としてイチローや松井などの日本人プレーヤーを応援するファンとしての視点でMLBを観てしまうことを断ったうえで、日本人がMLBに対してどのように評価しているかなどを伝えた。


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唐突だがアトランタ水族館のタイポ(打ち間違い)が面白かったので載せておきたい

MLBのことを話しただけではなかった。彼らはいずれもアトランタやその周辺に住んでいるが、旦那はボストン出身、奥さんはケンタッキー出身、若い女性もケンタッキー出身だった。僕はカリフォルニアに住む日本人という立場からアメリカの地域性なども話題にした。最も面白かったのは、旦那が本当にニューヨーカーを嫌っていたことだった。


僕は「ヤンキースとレッドソックスのライバル関係は日本でさえ有名だが、実際にレッドソックスファンがヤンキースファンをそこまで唾棄するような思いを持っていると聞いたのは初めです。何故そんな感情になるのでしょう」と尋ねた。


彼は「それはね、なんというか…、あいつらは傲慢なんだよ」と答えた。ニューヨーカーの傲慢さ。あまりにステレオタイプであり予想通りすぎた。しかし、まるで中華思想ではないかと思えるほど、ニューヨーカーはアメリカの、そして世界の中心にいるという意識が強いのだと彼は考えていた。その断片がヤンキースの金にものを言わせる補強に現れている、というわけだ。


まあ、ボストン人(ニューイングランド地方の人)がニューヨークが嫌いだというのは嘘ではないようだ。

会話が弾み、ビール2本、ワインをグラス4杯をあけてしまった。時間は10時を回っていた。

僕は非礼を許してほしいと事前に謝ったうえで、ナプキンに名前とメルアドを書き、旦那に渡した。旦那と若い女性はそれを確認しながら名刺を僕にくれた。旦那はなんと弁護士だった。会話中この陽気な弁護士に対し僕は好感を抱いていたが、何かあっても雇うのは難しいだろうななどと思った。

若い女性はアトランタからはかなり離れたサバンナという街にある広告代理店のマーケターだった。金曜の夜にアトランタに遊びに来てメキシカンレストランで一人ディナーをし、年上カップル2組と談笑する女性マーケター。とても素敵だ。知性的で宜しい。上からながらそう思った。

 

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今回は州の看板があまりなくて悲しかった

***

8日(5/4

アトランタ⇒OC


8時くらいの飛行機でLAXに向かった。飛行時間と時差により、LAX到着は昼の3時になった。帰途買い物をしたり夕食を取り、夜8時頃に帰宅した。行きたかった州、行きたかった特定の観光地や地域を訪問できたこの旅は、非常に楽しかった。


一方既述の通りこのアパラチア山脈の歴史、伝統、思想といったものは僕の常識を超え-それはいい意味でも悪い意味でも-それがある種複雑な後味を残すことになった。そのことは、これから書いていくことになる。

1993年7月、初めての海外はニューヨーク7日間

初の海外旅行は29歳の時。当時私は、とある大御所女性シンガーがいる音楽事務所に兄と弟のデュオとしてデビューすべく所属していたのですが(弟の方が私で、兄弟デュオのアイディアには全く乗り気ではありませんでしたし、実際その数ヶ月後に私は辞めてしまいました)、そのシンガーがカーネギーホールでコンサートを開くことになり、役得でタダでニューヨークに行く機会がありました。

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ハドソン川・イースト川をクルーズした時の写真。エンパイアステートビルが見えます

ハドソン川・イースト川のクルーズに参加し、7月4日(Forth of July=建国記念日)のお祝い花火を眺め、リムジンで隣接するニュージャージー州のアトランティックシティーに連れてってもらってカジノで遊び、5番街を散策し、John Lennonが住んでいた高級マンション「ダコタハウス」やセントラルパークでJohnを偲び、楽器屋でリッケンバッカーの12弦ギターを購入する・・・全てそれなりに楽しかったし、特にBlue Noteや他のハコで聴いた本場のジャズは鮮烈で大いに感動しました。

しかし、アメリカに憧れを抱かせるまでには行きませんでした。私にとってその種の楽しみは殆ど東京でも出来ることでしたし、食べ物は東京よりまずかったし、たかが1週間いただけでは何もわからないことは承知の上、正直「まあ、東京と同じ感じだな」と思ったのです。今行けば全然違う感想を抱くかもしれませんが、当時の感想は「東京と同趣向の街」でした。

というわけで、パッとしない旅でも「自分のアメリカ史」を構成する以上漏らすわけにいかないため、あえてNY旅行のことを書きました。この2年後の1995年に行ったお仕着せのパッケージ旅行がアメリカへの憧憬が芽生える旅となりました。
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