第4日(4/30)前半
ニューアーク(DE)⇒ワシントンD.C. ⇒マナッサス(VA)
この日はワシントンD.C.を見る日、であった。8時過ぎにモーテルを出発し、2時間弱でD.C.に到着。早速お目当ての場所に歩いて向かうべく車を駐車。この、僕らが値段だけで判断して入った駐車場がすごかった。あぁ。こんなことを書いたら、もう駐車場の話を深掘りしないわけにはいかない。ワシントンD.C.の感想を早く書きたかったが、ちょっとこの駐車場の話をしたいと思う。
僕らが止めた駐車場は、超効率的にスペースを使う目的から、白線に沿って普通に車を駐車することを許さない駐車場だった。意味不?もう少し説明させてほしい。
ここはバレーパーキングではなく、空いているところに自由に止める形式の立体駐車場だった。だから僕も当然空いているところを探してグルグル回ったのだがどこも空いてなかった。それだけならわかる。「混んでいる」ということだから。でも、よく見ると、いやよく見なくても、駐車枠内に普通に停めている車が出られないような感じで別の車が止められている。え?まだ意味不?
要するに、白線で仕切られた駐車枠内に整然と駐車された車は、なんと他の車及び壁などで四方から挟まれ、完全に進路をふさがれ、バックしようが前進しようがもう出ようにも出られない状態であり、そのような移動不可能状態になった車が何十台もあったのです。
慌てて外に出ようとしていると、そこにおじさん係員がやってきて「俺が駐車しておくから。で、何時ごろここに戻る?」と。一瞬「は?」となったが、すぐに全て合点した。この超絶にイカれた駐車方法はこのおじさんが開発(?)したものだったわけだ。客が帰ってくる時間を聞いといて、「だとすれば、こいつの車はあの辺に置いとくだろ?で、3時ごろに奥からアレを引っ張り出すだろ?んで、4時にはアレとアレを引っこ抜いておく。こんな感じだな」とか考えておき、車を出すわけ。
まじで長い。なんで駐車場の話にこんなに行を割かねばならん。ということで、おじさんに車のキーを預け、外に出、ホワイトハウスをはじめ、D.C.の典型的なスポットを基本歩いて見て回った。行ったのは、ワシントン記念塔、ホワイトハウス、リンカーン記念堂、スミソニアン博物館、ペンタゴン、アーリントン墓地。
ワシントン記念塔は、ウィキペディアの文章をそのまま借りれば「ジョージ・ワシントンの名誉ある功績を称えて建造された、アメリカ合衆国大統領記念碑の一つ」だ。何故塔の色が上部と下部で異なるのか、といった他の情報についても、詳しくはウィキペディアで調べてほしい。
僕らとしては、テレビや映画でしか見ていなかったこの記念塔を直に見れたことはもちろん非常に大きな思い出となった。その時調べた情報で、ワシントンが人格面も込みで傑出した政治家でることを知った。多くの日本人にとって、ワシントンは「ただの初代大統領」として覚えられるが、もっと人物を掘り下げられるべき人だと感じた。
ワシントン記念塔に来ると、もうリンカーン記念塔が視界に入ってくる。しかし僕らはホワイトハウスを先に見ることにした。ホワイトハウスは日本のニュース番組にさえ年間何十回と出てくるし、見間違いようがないほどにホワイトハウスだった。ここで歴代の大統領が話をしたんだなぁ、などと普通の感慨にふけった。
その一方、日本人を非常に多く見かけたことは意外だった。その時日本が10連休中だったのは知っている。けれど、「D.C.とか東海岸にこんなに日本人って来るんだ」、と普通に意外だったのだ。まあ「日本人は普通行きやすい西海岸に行くものだ」、的な偏った考えが大いに間違っているのだろう(実際在米日本人はニューヨークエリアのほうが多いって知ってるのに変な思い込みだ)。
そして、リンカーン記念堂。ここは一番感動したし、一番複雑な気持ちになった場所だった。まず、リンカーンは奴隷制度撤廃のために尽力した政治家であること。この考えに基づく北軍と、基づかない南軍によって南北戦争が起きたこと。そして奴隷解放を唱えた北軍が勝利したこと。こうしたことを考えれば、リンカーン記念堂に来たことで感動するのも仕方あるまい。
ところが、昨年フロリダに行ったことをきっかけに色々調べたことが頭をよぎった。アメリカの歴史は、インディアン迫害の歴史でもある。先住していたインディアンは、後から来た白人に多数殺され、土地を奪われた。リンカーンは自分が生きていた時代にそれをどう防ごうとしたか。何とリンカーンは、インディアンの迫害に関しては無関心だった。いや、むしろ加担した側だった。
僕はこのダブルスタンダードに当惑せざるを得なかった。南北戦争は奴隷制度の廃止を巡って起きたが、そもそも何で北部各州が奴隷制度反対だったかといえば、工業主体の産業構造上機械が単純労働者に取って代わり、奴隷を不要としたからだ。一方の南部(フロリダからバージニアまで)は農業主体の産業構造で、綿花などの栽培に労働力がいる。だから奴隷は必須だった。
トーマスジェファーソンが1776年に書いたという、「All men are created equal」という有名な言葉。これを真に信奉する者と便宜的に使用する者が存在し、リンカーンはまさに後者ではないのか、との思いを、僕は記念堂の中で感動を覚えた直後に抱いてしまい、結局旅の間中払しょくしきれなかった。そして今でも。