アメリカという甘美な幻想

南カリフォルニアはオレンジ郡に住むオヤジです。妻共々サラリーマンでしたが、2012年10月に移住してきました。個人輸入代行やコンサルタントを生業にした後、2016年からは会社員に。移住する遥か前から積み重ねてきた様々な「アメリカ体験」も含めて文章に残すためにこのブログを書いていますが、会社員復帰以降は忙しすぎて更新は稀に。自由の国、アメリカを含めた全体主義への流れ。これを絶対に食い止めましょう!

トーマスジェファーソン

米東南部旅日記(4):第4日の1

4日(4/30)前半

ニューアーク(DE)⇒ワシントンD.C. ⇒マナッサス(VA

この日はワシントンD.C.を見る日、であった。8時過ぎにモーテルを出発し、2時間弱でD.C.に到着。早速お目当ての場所に歩いて向かうべく車を駐車。この、僕らが値段だけで判断して入った駐車場がすごかった。あぁ。こんなことを書いたら、もう駐車場の話を深掘りしないわけにはいかない。ワシントンD.C.の感想を早く書きたかったが、ちょっとこの駐車場の話をしたいと思う。


僕らが止めた駐車場は、超効率的にスペースを使う目的から、白線に沿って普通に車を駐車することを許さない駐車場だった。意味不?もう少し説明させてほしい。


ここはバレーパーキングではなく、空いているところに自由に止める形式の立体駐車場だった。だから僕も当然空いているところを探してグルグル回ったのだがどこも空いてなかった。それだけならわかる。「混んでいる」ということだから。でも、よく見ると、いやよく見なくても、駐車枠内に普通に停めている車が出られないような感じで別の車が止められている。え?まだ意味不?


要するに、白線で仕切られた駐車枠内に整然と駐車された車は、なんと他の車及び壁などで四方から挟まれ、完全に進路をふさがれ、バックしようが前進しようがもう出ようにも出られない状態であり、そのような移動不可能状態になった車が何十台もあったのです。


慌てて外に出ようとしていると、そこにおじさん係員がやってきて「俺が駐車しておくから。で、何時ごろここに戻る?」と。一瞬「は?」となったが、すぐに全て合点した。この超絶にイカれた駐車方法はこのおじさんが開発(?)したものだったわけだ。客が帰ってくる時間を聞いといて、「だとすれば、こいつの車はあの辺に置いとくだろ?で、3時ごろに奥からアレを引っ張り出すだろ?んで、4時にはアレとアレを引っこ抜いておく。こんな感じだな」とか考えておき、車を出すわけ。


まじで長い。なんで駐車場の話にこんなに行を割かねばならん。ということで、おじさんに車のキーを預け、外に出、ホワイトハウスをはじめ、D.C.の典型的なスポットを基本歩いて見て回った。行ったのは、ワシントン記念塔、ホワイトハウス、リンカーン記念堂、スミソニアン博物館、ペンタゴン、アーリントン墓地。

ワシントン記念塔は、ウィキペディアの文章をそのまま借りれば「ジョージ・ワシントンの名誉ある功績を称えて建造された、アメリカ合衆国大統領記念碑の一つ」だ。何故塔の色が上部と下部で異なるのか、といった他の情報についても、詳しくはウィキペディアで調べてほしい。

 

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「おー!テレビで何回も見たやつだぁ」と素直に思いました

僕らとしては、テレビや映画でしか見ていなかったこの記念塔を直に見れたことはもちろん非常に大きな思い出となった。その時調べた情報で、ワシントンが人格面も込みで傑出した政治家でることを知った。多くの日本人にとって、ワシントンは「ただの初代大統領」として覚えられるが、もっと人物を掘り下げられるべき人だと感じた。


ワシントン記念塔に来ると、もうリンカーン記念塔が視界に入ってくる。しかし僕らはホワイトハウスを先に見ることにした。ホワイトハウスは日本のニュース番組にさえ年間何十回と出てくるし、見間違いようがないほどにホワイトハウスだった。ここで歴代の大統領が話をしたんだなぁ、などと普通の感慨にふけった。

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「おー!テレビで何回も見たやつだぁ」と素直に(以下略)

その一方、日本人を非常に多く見かけたことは意外だった。その時日本が10連休中だったのは知っている。けれど、「D.C.とか東海岸にこんなに日本人って来るんだ」、と普通に意外だったのだ。まあ「日本人は普通行きやすい西海岸に行くものだ」、的な偏った考えが大いに間違っているのだろう(実際在米日本人はニューヨークエリアのほうが多いって知ってるのに変な思い込みだ)。

そして、リンカーン記念堂。ここは一番感動したし、一番複雑な気持ちになった場所だった。まず、リンカーンは奴隷制度撤廃のために尽力した政治家であること。この考えに基づく北軍と、基づかない南軍によって南北戦争が起きたこと。そして奴隷解放を唱えた北軍が勝利したこと。こうしたことを考えれば、リンカーン記念堂に来たことで感動するのも仕方あるまい。

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この中にリンカーンが鎮座している

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「おー!テレビで何回も見たやつだぁ」(以下略)

ところが、昨年フロリダに行ったことをきっかけに色々調べたことが頭をよぎった。アメリカの歴史は、インディアン迫害の歴史でもある。先住していたインディアンは、後から来た白人に多数殺され、土地を奪われた。リンカーンは自分が生きていた時代にそれをどう防ごうとしたか。何とリンカーンは、インディアンの迫害に関しては無関心だった。いや、むしろ加担した側だった。


僕はこのダブルスタンダードに当惑せざるを得なかった。南北戦争は奴隷制度の廃止を巡って起きたが、そもそも何で北部各州が奴隷制度反対だったかといえば、工業主体の産業構造上機械が単純労働者に取って代わり、奴隷を不要としたからだ。一方の南部(フロリダからバージニアまで)は農業主体の産業構造で、綿花などの栽培に労働力がいる。だから奴隷は必須だった。


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5~6行目に”All men are created equal”と書かれている

トーマスジェファーソンが1776年に書いたという、「All men are created equal」という有名な言葉。これを真に信奉する者と便宜的に使用する者が存在し、リンカーンはまさに後者ではないのか、との思いを、僕は記念堂の中で感動を覚えた直後に抱いてしまい、結局旅の間中払しょくしきれなかった。そして今でも。

米東南部旅日記(3):第3日

3日(4/29

バージニアビーチ(VA)⇒デルマーバ(Delmarva)半島⇒フィラデルフィア(PA)⇒ニューアーク(DE

 

例によって出発前にビーチに出向き、写真を撮ってきた。

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朝の浜辺。写真以上に美しかった

ここは美しい砂浜だと本当に思う。「これからも発展していくんだろうなぁ、また来るかもしれないなぁ」と写真を撮りながら思った(この文章は5月中に書いていたが、記事をアップする作業をしていたのは6月上旬だった。そのときバージニアビーチ市庁舎で職員による乱射事件があり、12名が死んだ。なんてことだ…)


バージニアビーチからフィラデルフィアに北上するこの日のハイライト第1弾は、何と言っても国道13号線の海底トンネルと海上橋だった。まずは景色。これが素晴らしい。海上橋においてはキーウェストのセブンマイルブリッジのような光景が楽しめる。

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海底に入るところ

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デルマーバ半島に上陸

そして地理的な面白さ。何せ、海を渡って上陸する半島の名前はデルマーバ(Delmarva)である。名前の由来は、この半島にDelawareMarylandVirginiaVA3州が存在することによる。この旅を計画し始めるまで、そんなことは全く知らなかったが。


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バージニアビーチと半島が海底トンネルで結ばれていることを見事に表した案内板

半島に上陸後、とにかく国道13号を北上するとバージニアを超え、メリーランドを超え、デラウェアに至る。そしてこの半島の付け根部分に到達してからしばらくしてフィラデルフィアに着いた。アトランタからフィラデルフィアまで1600キロ強。イメージでは結構遠いように感じていたが、計画通り「あっさり着いた」感じがした。


ということで、この日のハイライト第2弾はフィラデルフィアである。2時ごろダウンタウンに到着するとすぐに車を駐車場に停め、歩いてレディング・ターミナル・マーケット、市庁舎、独立記念館・自由の鐘、クライストチャーチを見て回った。ほかにも見どころはあるのだろうがキリがないので、今回はこれだけしか見ないことにした。


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マーケット内部

レディング・ターミナル・マーケットは要するに食い物屋や食材屋が集まっている場所で、ここにはおいしいフィリーステーキサンドを売る店が入っているとのことだった。マーケット内にはジモピーも旅行者も等しいポーションでいたので、扱っているものの質に間違いはないのだろうと思った。

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フィラデルフィア市庁舎

市庁舎は美しかった。なるほど、観光スポットになるわけだ。そして独立記念館と自由の鐘。これらはアメリカの歴史に触れる旅にあって無視できない。誰もが学んだ「1776年、アメリカがイギリスから独立を宣言」、「トーマスジェファーソン、独立宣言の文章を起草」、「ジョージワシントン、アメリカ初代大統領になる」。こうしたことの舞台がここだ。


僕が浅学ゆえに知らなかったことも多かった。「ベンジャミン・フランクリンは避雷針を発明した」ことは知っていたが、この人が優れた政治家でもあり、独立宣言の最初の署名者の一人だということは全く知らなかった。

 

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自由の鐘(The Liberty Bell)


また、自由の鐘というものが存在し、様々な場面で鳴らされていたが、その中でも最も有名な場面は、177678日、フィラデルフィア市民にアメリカ独立宣言の朗読を聞かせるべく鳴らされたときだったとのことだ。74日の独立宣言署名から4日後、フィラデルフィアの市民に「諸君、聞きなさい。我々は英国から独立したぞ」と言うためにこの鐘は鳴らされた。間違いなく歴史の重みを感じた。

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独立宣言書

もう一つ、過日気づいたことがあった。僕は学生時代から30歳くらいまでイギリスの6070年代のコメディー番組「モンティパイソン・フライングサーカス」をよく観ていたが、この番組の出だしに使われている曲がThe Liberty BellMarchだったのだ。聞いたことがあったがこの曲のタイトルは知らなかった。


一方『The Liberty Bell Marchは当然ながらフィラデルフィアの自由の鐘をモチーフにして1893年に作られた曲だったがそのメロディーは聞いたことがなかった。そしてタイトルとメロディーが合致し、物凄いことに気付いたと思って興奮しながらこの話を書き出してみたが、急速に「だからどうした」との思いが強まったので、もうこの話は終えたい。

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クライストチャーチ。訳すと「キリストの教会」ということになる。当たり前ではないのか

クライストチャーチは1695年に創建された教会だとのことで、5代将軍徳川綱吉の頃の江戸時代に作られたもの。これもそれなりにすごいと思う。その中は荘厳でもきらびやかでもなく、ただ静かに時が流れていた。


こうして19時を過ぎた。夕ご飯をどうしようか悩んだ末、フィラデルフィアにいるのに名物のフィリーステーキサンドを食べないというのはダメだと思ったので、レディング・ターミナル・マーケットでフィリーステーキを買おうかと思った。

だが、Yelpで調べた結果、ダウンタウンエリアの1位に選ばれていた店がマーケットから10分ほど歩いたところにあると知り、そこで買ってモーテルで食べることにした。その場で食べてもいいのだけれど、モーテルのチェックインがあまりに遅れるとキャンセルされることもあるので、「少し冷えてもいい」とテイクアウトを選択した。

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店名はCleavers。マジうまいです。急いで!

購入後、急ぎ足で駐車場に行き、フィラデルフィアの南西数十キロに位置するニューアーク(Newark)に取っていたモーテルに急行。早速部屋に入ってかぶりつく。うまい!これは凄かった。僕の地元のOC地域にもフィリーステーキサンドを出す店はあるけれど、ちょっと次元が違った。

この日、前夜の中華の食べ残しもあったので少しだけこのおいしいフィリーを残してしまったのだけど、翌日の夜に食べたらそれでさえうまかった。これはお勧めする。

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本家。西新宿にあるほうは真似ですよ
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