アメリカという甘美な幻想

南カリフォルニアはオレンジ郡に住むオヤジです。妻共々サラリーマンでしたが、2011年にグリーンカードが当たり、アメリカへの憧れに抗しきれずに2012年10月に移住してきました。個人輸入代行やコンサルタントを生業にした後、2016年からは会社員(人事、法務など)に。移住する遥か前から積み重ねてきた様々な「アメリカ体験」も含めて文章に残すためにこのブログを書いていますが、会社員復帰以降は忙しすぎて更新は稀に。。。面目ない。

デスバレー

前回書いてから今日までのこと

ここまで空いてしまったのは忙しかったからであって、かつここまで空いてしまったが故に何を書いていいかわからなくなってしまったからだ。そこで今日は、最後のエントリーを書いた68日以降に何をしたかを思い出しながら、気付いたことを「日記形式」で書いて行きたい。

 

6月中旬のある日

コンサルタントとしての仕事の最初のヤマが過ぎた。ここまで116時間くらい仕事をする日が何週間も続いていたが、やっと解放された。そこで、土日を利用してかみさんと12日でデスバレー経由でLas Vegasへ行った。

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デスバレーのFurnace Creek


デスバレーの気温は華氏120度。摂氏では49度。この暑さと景色、いつ来ても夏のデスバレーは最高だ。今回はいつも行くBadwaterには寄らないルートで行程を作り、17:00頃Las Vegasに到着した。

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Las Vegasの中心を走るLas Vegas Boulevard(通称The Strip)
 

 

日本からアメリカに遊びに来ていた時は、Las Vegasに来るのはいつも真夏の平日の夜だったので目抜き通り(The Strip)に面したホテル(今まなきBill's Gamble & Saloon)に30ドル台で泊まれたが、今回は夏ではあっても土曜なので大体同じランクのホテル(Bally's)が170ドルした。

 

痛いことは痛いが、ホテル側のミスで間違った部屋をあてがわれていることに気づいて変更を求めたら「眺め最高のスイートではどうか」と言われそっちにした。

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こういう眺め



下の写真の通り確かに眺めは最高できれいな部屋だったが、中の作りが艶めかしすぎて落ち着かなかった。どう艶めかしいかと言うと:

 1)壁4面中、窓側を除く3面の殆どに鏡がはめられていた

 2)シャワー室の壁もドアもガラス製(つまり中が完全に見える)

 3)ジャグジー付のどでかい浴槽は部屋のど真ん中に配置され、かつ何の仕切りもない

   (つまり、リビングのど真ん中に浴槽だけが置かれている)

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ベッドのすぐ奥にジャグジーがあり、その右側にはシースルーのシャワールームが…



まあ、ベッドが1台しかないシングルの部屋なので、宿泊人数も1人という想定でこの作りを採用したのだろうけれど、僕らはいくら夫婦でも奥ゆかしい日本人。この部屋を照れずに使いこなすのは無理だったわけで、次回は「スイートだ!」っと脊髄反射で喜ばずに普通の部屋に泊まろうと思った。

 

夕食はホテル内のメキシカンレストランでタコスやケサディーヤを食べた。値段もリーズナブルで味は抜群だった。激しく推奨したい(何故か写真を撮っていない。手抜かりだ)。

ラスベガスからの復路では「Route 66」を通ってみた。
映画でおなじみの「バグダッドカフェ」があるニューベリースプリングスも通った。何回来たかわからないくらい来ていて我ながら呆れるが、逆に近くまで来たのに寄らないで済ますことが怖いという複雑な心理が去来するのもまた偽らざる事実だ。


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ニューベリースプリングスを西に数キロ行ったあたりで撮影



619日~76

日本へ出張。クライアントの日本支社に2週間お邪魔して諸作業を行った。自宅がある赤羽から日本支社がある新橋まで平日毎日通ったが、久しぶりの電車通勤は最初は苦痛だった。しかし、2日目に赤羽で始発に乗るとちょうどいい時間に新橋に着くことがわかり、3日目から実際にそうした結果通勤はかなり快適になった。

 

滞在中の東京は殆どが雨。まあ梅雨だから仕方ない。何しろコンサルとして仕事をするなんて初めてのことで、私的なことに時間をどう割けるか見当がつかなかった僕にすれば仕事以外で出来ることには限界があった。だから、天気が悪くても大勢に影響はなかった。

 

日本滞在中はアメリカでは食えないか食べられてもあまりうまくないか、うまくても高くつくラーメンやチャーハンやらをほぼ毎日昼食で食べ、晩御飯は同じくアメリカでは高いかまずいかもしくはその両方の刺身や牛肉をメインに自宅で食べた。間に入った週末には急遽会津の実家に戻って墓参りをし、アメリカに帰る直前の週末には大学時代の友人らと会うことができ、旧交を温めた。

 

しかし、アメリカに20129月に来て以降、日本に戻ったのはこれで5回目だったが、過去3回は父母と長兄の見舞いと葬式目的で、もう1回は愛猫が癌にかかったというので戻っていたのであって、全くの楽しみのために日本に帰るということは一度たりともしていない。次に帰るときは100%自由に行動できるものであってほしいと願わずにはいられない。

 

ところで、日本からアメリカに、またはアメリカから日本に戻るときには時差ボケの調整が必要になる。僕は10年以上前から強い睡眠薬(医者が処方するもの)で強制的に眠ることで早期にアジャストする方法を確立していたが、今回日本に行く時に持って行ったのはアメリカの市販薬で、これが全然効かなかった。このため、夜の10時に眠って3時間ほどで目覚め、その後眠れないという日々がずっと続き、仕事は非常に厳しくかなり体力を消耗した。

 

また、ようやく寝れるようになるともうアメリカに戻るというタイミングになっており、アメリカに戻ってからもアジャストができず、やはり「睡眠障害」に苦しんだ。効かない睡眠薬で中途半端に起きてしまい、さらにもう一錠飲み増しして寝るということまでやった。

 

その結果、体調は最悪になってしまった。効かない睡眠薬を飲み増ししても結果的に眠れなかった一方、短時間での規定以上の服用で睡眠のメカニズムを破壊してしまったのだと思う。アメリカに戻ってから4日目に無意味さを悟って睡眠薬服用は止めたのだが、6日目には体力の消耗でとことん疲労し、これに下痢が加わってどん底まで落ち、10日目にしてやっと自然に眠れるようになり体力も回復した。この経験は今後の教訓になった。

 

 

7月中旬以降現在まで

まあ普通にコンサルの仕事をしている。そしてこれからまた忙しくなる。期限との勝負が始まる。また116時間の労働に追い込まれるのは嫌だから何とかするつもりではいるが、それには仕事量を上手に配分し健康をキープすることが重要だと理解している。

 

ではまた書く日まで。

2009年:心機一転カリフォルニアとネバダの旅(2)

7/19
この日はビショップからUS-95やUS-6を経てネバダ州道375号線に入り、最終的にはラスベガスに行くつもりだった。NV-375号はアメリカ空軍基地があるエリア51の近くを通っているが、この基地では墜落したUFOや宇宙人の調査研究などをしているという風説が広まっていて、NV-375号は別名「UFO通り」(英語では「Extraterrestial Highway」)と呼ばれていて面白そうだった。

しかし、US-95とUS-6の分岐点で道を間違え、6(東)に行くべきを95(南)に進んでしまった。

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41マイル先のTonopahが分岐点だった。。。

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紫は実際に走ったルート、青は予定していたルート

60kmほど進んで気付いたがもう引き返すわけにもいかず、このまま2002年以来7年ぶりに「真夏のデスバレー」を楽しむことにした。

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7月のデスバレーは、日陰で47℃、日向ならゆうに50℃を越える凄まじい暑さで、吹く風は乾き、肌をサンドペーパーでこするような感触があった。しかし地面には花が咲き、「死の谷」は「生の谷」であることを教えてくれた。体を壊し、失意から立ち直ろうとしていた僕にとって、デスバレーは再起に向けた最高のきっかけを与えてくれた。

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デスバレーを堪能した後、のんびり砂漠の道を走るとパーランプ(Pahrump)という町に出る。パーランプはそれなりに大きな町だが通過すればすぐに砂漠道が復活する。そしてしばらくすると、いきなりラスベガスが眼下に現れる。普通人が住まないだろう酷暑の砂漠に、人間の知恵と欲望を結集して作った街だ。

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僕はラスベガスが嫌いじゃない。ギャンブルはしないのだけど、ここに集まる人たちを見るのが好きだ。何よりデスバレーなど超絶なスケールの剝き出しの自然との対比に心が躍る。

ラスベガスは夜になっても40℃近い気温があったが、汗をかかない(正確には汗はかいたそばから蒸発していく)ので街を歩きまくった。べラッジオの噴水を見たりショッピングモールに行ったりし、深夜12時ごろホテルに戻って寝た。

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2002年アメリカ西部三州ドライブ旅行(各論2日目)

2日目(9/22)
 ルート:リッジクレスト-(CA-178)->デスバレー-(CA178・NV372・NV160・I-15)->ラスベガス

◆デスバレーへ
朝8:00、B級モーテルとしては標準的な朝食を食べ、CA-178号線をデスバレーに向かいます。最初10数キロは強烈に眩しい朝陽に向って進んでいくのでかなり運転しずらかったです。

既にリッジクレスト自体が超ド級の砂漠なので、朝から興奮冷めやらない状態が続きます。何の変哲もない風景と言う人も多いのでしょうが、砂漠フェチにはその「荒涼たる何もなさ」がどうしようもなく愛おしいのです。

「すげー。何もねー。対向車もいねー。何もね―」と大騒ぎしつつ要所要所で車を止め、写真を撮ります(デジカメは2004年まで入手しておらず、普通のフィルム撮りです)。

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左は私の、右はグーグルアースの。右の方が一本道が構図に入ってうまいですね…

上の写真の通り、CA-178からCA-190に入りますとデスバレーの「Stovepipe Wells(ストーブパイプウェルズ)までは28マイル(45km)。30分で着きます。

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はい、着きました。左はテレスコープピークで標高11049フィート(3367メートル)、右はバッドウォーターで海抜-280フィート(-86メートル)。同じ公園内で何という標高差でしょうか。しかもバッドウォーターは北米大陸最低地点です。ちなみに、ここに湧き出る水(というかお湯)を舐めてみたらマジでしょっぱいのですが、ここに虫など様々な生物が生きているのですよ。たまげましたね。「全然”Death”じゃないじゃん」と感動しました。

このとき気温は49度くらいでしたでしょうか。吹く風はまるで紙やすりのように、肌を撫でるのではなく擦っていきました。暑いのが大好きの私は更に興奮し、暑いのが苦手な妻は火照って湿疹が出てドン引き。早く車に戻ろうとうるさかったです。

◆ラスベガスへ
ファーニス・クリーク(Furnace Creek)の売店で昼食に適当に何かを買って食べ、色々寄り道しながら”Badwater Road"を南下していきますと、大トリとなるバッドウォーターになります。これを見終え、道なりに(南東)に更に30kmくらい進んでいきますと、なんか廃墟のようなものが。近づいてみると「アシュフォードミルズ(Ashford Mills)」という史跡でした。

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碑文を読んでみると「1914年ここから5マイル先の金鉱から取れた金を、精錬業者に渡すためにここで処理していた。その金鉱の持ち主がAshford兄弟で、50000ドルでハンガリーの伯爵に売った。それを伯爵が後に転売したとき、価格は105000ドルになったと言われている」ということでした。うーん、特に面白い話でもないですね…。まあそれでも、こんな過酷な場所でさえゴールドラッシュに沸いた当時は人が住み、人馬が行き交ったのだなぁと感動をクリエイトしちゃいましたが(笑)

更に10kmほど進んで178号線に入るために左折し、これをキープして進んで行きますと1時間ほどで州境を越えネバダに入ります。道路はCA-178からNV-372と表記が変わり、結構栄えた町、パーランプ(Pahrump)に入ります。ネバダ州ですのでカジノもあり、そのせいか通りも若干ケバケバしい感じがしました。時計は午後3:30。特に何もせず先を急ぐことにしました。

5:00、NV160号線からI-15を使い、やってきた2度目のラスベガス。大通り「ザ・ストリップ」にあるモーテル「トラベロッジ・オン・センターストリップ」が今宵の宿です。結構小汚いモーテルで、きらびやかなホテルが林立する中で非常に場違いな感じでした(今は改築しているようですが)。

チェックイン後、何をするかと言うと散策です。カジノに興味のない私たち夫婦は、散策しつつ色々な人々を眺める文化人類学的アプローチ(失笑)で楽しみました。まあ寝る前にスロットマシーンをやったらかみさんが25セントで50ドル儲けましたが。観光的なお楽しみは明日のフーバーダム見学に譲ることにして、この日は早々に寝ました。

2002年アメリカ西部三州ドライブ旅行(総論)

やっとドライブ旅行の話を書けるところまで来ました。時は2002年、私はFM放送局で人事・法務をしていました。旅慣れた同僚が「アメリカで車の運転なんて大したことない」と言うし、もう決行するしかありません。

2002年全行程概要
02旅行マップ

旅程と利用サービス/施設関係のデータ

 <旅程>

921

成田⇒LA

LA⇒RidgecrestCA) 
距離:260km
ルート:LAXそばのダラーレンタカーからI-405CA-14 

22

Ridgecrest  Death Valley  Las Vegas (NV)
距離:450km
ルート:RidgecrestからUS-395CA-190NV-160 

23

Las Vegas  King ManAZ)  BarstowCA)
距離:500km
ルート:US-95US-93I-40(途中Route66に乗る) 

24

Barstow  LA
距離:185km
ルート:I-15 

2527

LAとその近郊

28

LA  成田

29

成田着


 <利用施設等データ> 

航空会社

JALエコノミー(往復一人99980円×2)

レンタカー

会社:ダラーレンタカー

車種:クライスラー クルーザーPT(赤)
   ※価格等資料紛失記憶忘却 

モーテル

Date

モーテル名

値段(税込ドル)

9/21

Super 8

64.90

9/22

Travelodge

42.15

9/23

Econolodge

33.00

9/24

Travelodge (ハリウッド)

68.40

9/25

Best Western Ocean View

(サンタモニカ)

241.76

9/26

9/27

Holiday Inn Express (ハリウッド)

90.06


02-1
皮肉にも看板には書いてませんが、「間もなくデスバレー」という場所にいます

移住への憧れが萌芽した旅でした
「砂漠の権化」であるデスバレーに車で訪れたい(というか車以外に実質行く方法がない)と思って企画したこの旅でしたが、LAの都市部を過ぎてしばらくするともう「砂漠」なんですよね。既にその時点で私は十分興奮できました(笑)。

そしてデスバレー近辺を走ってみて、実際の都市と都市の間に横たわる、あまりにも広大な『無』に圧倒されました。荒涼たる砂漠、褐色または鈍い銀色のゴツゴツした岩がむき出しの山々、青空、乾いた空気、対向車の来ない一本道…。飛行機から見たあの風景の中に自分を溶け込ませてみると、あの感動が倍加して、否何十倍にもなって自分を襲ってきました。

そしてLAに戻って都市の環境で旅を楽しむと、この奇跡のギャップがいよいよ愛おしく感じられ、
「LAに住んだら海、砂漠、シティーライフが満喫できるジャン。いいなぁ」と思ったことを覚えています。1995年の旅で飛行機から見た砂漠でアメリカに淡い憧れを抱いてから7年、このとき「移住への軽い憧れ」が芽生えたのです。

では次回は旅の詳細を。 
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