アメリカという甘美な幻想

南カリフォルニアはオレンジ郡に住むオヤジです。妻共々サラリーマンでしたが、2011年にグリーンカードが当たり、アメリカへの憧れに抗しきれずに2012年10月に移住してきました。個人輸入代行やコンサルタントを生業にした後、2016年からは会社員(人事、法務など)に。移住する遥か前から積み重ねてきた様々な「アメリカ体験」も含めて文章に残すためにこのブログを書いていますが、会社員復帰以降は忙しすぎて更新は稀に。。。面目ない。

テキサス

フロリダは完全に戻りましたよ

はいどうもー。陰謀論者でーすv
でもなぁ、やっぱ真実は伝えないといかんので伝えますね。

僕の住んでるコミュニティでは、コロナを恐れてる人は10人に3人かな。悪名高きカリフォルニアですが、僕の身近でコロナを怖がってる人は完全に少数派になった感じです。ただし、どうやらその積極性はコロナ用の治験薬(「ワクチン」と誤って呼ばれているもの)を接種したオジサマやオバサマが増えたからとも思われます(僕からすればすごい勇気です)。なお、店に入るときはマスクが必要です。それを破ろうとする人は流石にいないです。

飲食店は店舗内の営業ができるようになりました。勿論僕も店舗で普通に食べてます。飲食店によっては、テーブルにつくまではマスクをしなければならないのですが、これが滑稽です。モノを食べだしてからのほうが色々喋ったりしてウィルスをばらまくリスクは高まるでしょうに、一体何の儀式なのでしょう。バカバカしいですね。

僕は昨年11月中旬以降コロナをインフルの亜種程度にしか思っていないので、全く怖くないです。もしコロナが、去年初頭にTVで見せられたような恐ろしい「殺人ウイルス」だったら、こんな雑な対応では今頃世界で5億人くらい死んでないとおかしいです。当時観た映像、覚えてますか?路上で唐突に人が倒れ、ある人は痙攣し、人々はパニックになり、逃げ惑う。そんな感じでしたよね。



探したら、当時作成された上記のようなビデオがありました。感染者が突然倒れるのは「コロナが多臓器不全を起こすからだ!」なんて話してますね。当時のコメントも「そりゃ大変だー!」で溢れてましたよね。ところが、時間が経つと、「いや、そんな症状、その後どの国でも一切報告ねーじゃん」ていう冷めたコメントが散見され、ここ数ヶ月は恐らく1年以上前のビデオなんて誰も見てもいないと思われます。

いやー警戒しましたよ、僕も。去年の1月から3月は中国から恐怖映像が本当によく入ってきてましたからねぇ。情報統制するならもっと上手くやれる国なのにね。まぁそれはそれとして、コロナがエボラみたいな殺人ウイルスではないってことは、早々に気づくべきでした。だってね、マスクして6フィート離れれば一応OKのウイルスって、怖いんですか?

そもそも、ウイルスのサイズから考えて、浮遊する距離が6フィートで済むわけ無いし、マスクで完全に遮断できるわけないし。売電やファ内によれば重大な意味をもつはずのマスクなのに、あの人達、カメラが無いところでは屋内でも普通に外してるし(売電はそもそも着け忘れをよくするし 笑)。

それってつまり、コロナが世界を崩壊させるようなウイルスじゃないっていうことでしょ?それにハタと気づいたのが去年の11月中旬なんですよね。我ながら気づくの遅すぎです。

考えてみると、その頃までにコロナに罹った人を何人も知ってますが、まじで全員風邪かインフルの症状だったんですよね。僕が愛用してた(してる)マスクもえらい通気性がよくてですね、はっきりいってまるっきり役に立ってなかったんですよ。僕自身それに気づかないまま、マスクすると苦しいって言う人たちについては「甘え」と見てましたから(笑)。こんな風通しのいいマスクで1年以上過ごしてきて、僕自身に何も起きていないのは「強運」なんでしょうねぇ。

「いや、甘く見るな!死者もたくさんいるじゃないか!」と言う声が聞こえましたが(幻聴かもしれません)、いや、それはそのとおりなのでしょう。でも、これまでだって高齢者や既往症の人は風邪やインフルで亡くなってますよ。しかも山程。なんで今回だけここまで恐れ、ここまで無意味に統制されないといかんのでしょう?

去年の今頃、アメリカは劣等生でしたよね。「感染拡大して大変だー」ってやってました。しかし、今やフロリダやテキサスは完全に、またはほぼ完全に、コロナ前に戻っちゃいましたよ。知らなかった人は調べてほしいなぁ。なにせマスコミはそういうことは中々報じないんだから。

以下はフロリダ州知事のデサンティスさんが「和久ちんパスポート禁止、期限設定なきロックダウン禁止、小規模事業個人事業への規制終了、将来の公衆衛生上の緊急事態への備えの強化」を法制化したことを発表したものです。



やるなぁフロリダ。カリフォルニアやニューヨークはまだ規制が多いわけですが、州によってコロナの種類が違うの?州によって罹りやすい罹りにくいってあるの?共和党だとコロナは増殖しづらくて民主党だとコロナは元気になるの?東京でも夜8時までの時間制限とかしてたようですが、8時すぎるとウイルスが活発化するの?電車の間引きをしたら乗る人が減らない限りむしろ一両あたりの人口密度は高まるのに、なんでそんなことわかんないの?つーか、インフルなら規制しないのに、なんでインフルの亜種のコロナは規制すんの?まあ合理的思考をすればするほど頭が痛くなってきます。

「インドでは変異株によってひどい状況になっている」という話は知ってますよ(メジャーマスコミの情報も取ってますんで)。でも、どこでどうコロナが拡大しようと、それが変異種であろうと(そもそもウイルスは頻繁に変異するもんなんだけどなぁ...)、それってインフルの感染拡大と意味的に変わらないんじゃないですかねぇ。インフルの流行のときにやる以上の特別な警戒を実施する意味ってなんなのでしょう。もう「多臓器不全で突然死する」という去年の春先までのシナリオは無効になってるんですけどねぇ。

そうそう。私事ながら、先日アリゾナやユタ方面に行ってきました。グランドキャニオンやグランドサークルとかです。たくさんの人出で賑わってました。90%はノーマスクで楽しんでいましたよ。そりゃそうだ。青空の下、世界屈指の雄大な風景を見ながらマスクするのってバカバカしすぎますからね。そのような群衆の中で楽しみ、言葉をかわし、握手をし、これまで禁忌とされた様々なことを僕はしちゃいましたが、もう発症を恐れるべき期間はとっくに過ぎてしまいましたよ。勿論僕は元気です。

ただね、ノーマスクが多いのは、やはり既にワクチンもどきを打ってるからのようです(ファ内は接種者も引き続きマスクせよって言ってますけど無視されてますね)。まるで天気の話のように、「あなた、もう打った?」とか普通に聞かれます。まあ、打ちたい方々はご自由に。僕は打ちません。その理由は「mRNA」という、人の遺伝子を書き換える未承認新薬(そう「ワクチン」でさえないです)の実験台になる気はないからです。

僕が前回の記事で紹介した、プロジェクト・ベリタス(PV)による雑貨バーグとファ内の未承認新薬の危険性に関するスッパ抜き映像は、ツイッターが予想通り永久凍結したので見れなくなっていますね(今更わざとらしくいいますが、メジャーSNSは何でそういうことするんでしょうね)。なので、本家からの映像をここで直接紹介しておきますね。


観てない人に言っておきますが、上記の映像で雑貨バーグは、2020年7月に、自分の会社の幹部に対し、「コロナ和久陳は人間のDNAとRNAを修正するから将来何が起きるかわからない。そのことを注意しておきたい」って言ってるわけですよ。なのに雑貨バーグは、同年11月に視聴者に観られる想定で行われたファ内との質疑応答の際に、ファ内に「遺伝子修正に関して恐れる必要はない」と言わせています。勿論フェイスブックでは和久陳否定派をバンしています。分かりやすいですね。

僕は未承認新薬を打った人の自由と決断を認めます。なので、遺伝子組み換え人間になる可能性をゼロのままにしておきたい僕の「打たない自由」も認めてくださいね。

2007年、アメリカ プチ一周ドライブ(その三)

7/12から14の、大体2000kmくらいの行程を書くこととする。

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7/12
ナッシュビルはカントリー音楽のメッカだ。2005年に訪問したのに殆ど何も見ることができなかったので、午前中は町の様子を見て回った。

まずはレコード会社や音楽出版社が集まるミュージックローという地域を見た。僕は昔は音楽家で、その後サラリーマンとして放送局に勤務し、途中音楽出版社に出向したような人間なので興味津々だった。写真のように通り名には名ギタープレーヤーのチェット・アトキンス(ビートルズのジョージハリスンが多大な影響を受けた)の名が冠されていたりと、ここはまさに「音楽業界の町」だった。

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ところで、2007年ころから2012年くらいまで、僕ら夫婦は「アメリカンアイドル」に夢中だった。この2007年は3位に入ったメリンダ・ドゥーリトルという黒人女性が僕らのお気に入りで、この人がナッシュビル出身だったのでここに来たという意味合いもあった。実際、ナッシュビル市が彼女の3位入賞の功績を称えて名付けた道路を訪問するのはここでの最重要の目的だった。

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この後には「プレスリーの町」であるメンフィスに行くことにした。普通に行くのはもったいないのでミシシッピやアラバマ経由で行くことにし、途中アラバマのサービスエリアで降りると以下のような碑が。

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「アラバマ。我々は何が何でも我らが権利を守る」と書かれている。案内係の黒人女性に「あの碑の文言の意味は?」と尋ねると「白人の権利のことよ。黒人の奴隷制を守ろうとした南軍の白人が言う権利のことだから」とのことだった。今でも南北戦争の遺恨が残っているのだからアメリカは複雑だ。

この道中ではずせない曲は勿論リナードスキナードの「Sweet Home Alabama」だ。しかしこの曲も南部賛美の歌だ。しかもリベラルのニール・ヤングを批判する歌詞がてんこ盛りの(実際は別にそんな仲は悪くなかったそうだけど)。

15:00、ようやくメンフィスに着いたが、なんというか非常にあからさまに観光地化され、あまりいいイメージが湧かなかった。

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エルビスがヒット曲をレコーディングしたサンスタジオは、中は土産物屋だった。「親切な人」が中から出てきて「写真を撮ってあげる」と言うのだが、その代わり何か買って行けという。いや、結構ということでエルビスの家「グレースランド」に行くと、ここは有料博物館化されていて、建物の奥に行くにはお金を払う必要があった。そこまでエルビスが好きではなかったということもあるが、やはりあからさま過ぎて興が削がれてしまったので中には入らなかった。下の写真はエルビスの家の庭だ。久しぶりに確かめてみたが、なんとこれしか撮っていなかった。

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メンフィスに行くならこの曲。チェックベリーの「Memphis Tennessee」(またはビートルズの同曲カバー)。

7/13
ヒューストンに向かった。途中凄まじい雨にやられたが、かなりのアメリカ人はそれでも法定速度以上で走る。僕には無理だった。ヒューストンではNASAを見たかったが、すでにフロリダに拠点の大半が移っていると知り、街をドライブするだけで終わった。写真がないのだが、記憶ではそんなに悪い印象はなかった。

7/14
もう明確な目的地はなかった。サンアントニオを見て、あとは広大なテキサスのドライブを楽しむだけという感じだった。サンアントニオには比較的有名なアラモ砦があり、僕らも見学した。

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その後は「走っても走ってもテキサス」状態を楽しみ、日が沈む直前にスイートウォーター(Sweet Water)という町のモーテルに到着。

2006年、ニューオーリンズからLAへ(その一)

前年6月上旬に行ったアメリカ旅行はトルネードシーズンだったことで雨にやられる日が多かった。この年はそれを反省材料にしながら「より遠く、より長く」をテーマに旅程を組んだ。

ところで、僕は相変わらずFM放送局にいたが、前年から系列の音楽出版社に出向していた。昔作詞作曲家として音楽作品を生み出す現場にいた僕は、同時に著作権を独学で学んでいたし、その後人事・法務の仕事や法律の国家資格試験などでその知識が肉付けされていたので、新しい著作権ビジネスの立ち上げや著作物の新規開拓をやりたいと上層部に申し出たら、人事法務系の管理部門との兼任を条件に認めてもらえたのだった。

この業務を通じ、前年12月に面白い仕事をした。LA在住のスラックキー・ギターの名手にしてボーカリストのDaniel Ho氏を起用して、局の大スポンサーC社のためにカバー曲集を作ることになったのだ。僕はプロデューサーとしてLAに出張し、その時Ho氏にお会いした。それが縁で、僕らの今回の旅の最終地LAで、Ho氏の御宅に泊めて頂けることになった。

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7月5日、旅はルイジアナ州ニューオーリンズから始まった。

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さすがデキシーランドジャズの発祥地。空港でミュージシャンたちがお出迎えしてくれる。

シカゴ経由で16:00に到着後ダラーで車をチェックアウトし、予約済みのモーテルへは18:00過ぎに着いた。ここで"Sold in a market down in New Orleans"という歌詞を含むローリングストーンズの「Brown Suger」をカーステでかけたかというと、かけた。あまりにベタだけど、しないと後悔すると思ったから。

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New Orleans (LA) -- 800km --> Texarkana (TX/AR)

レンタカー屋では、仮ナンバーでしかもその有効期間が切れている車をあてがってくるというアメリカンないい加減さがいきなり炸裂。でも大丈夫だと言うのでそのまま乗ったこっちも結構いい加減か。


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有効期限6月25日と書かれた仮ナンバー。この日は7月5日であった。

翌日まずはニューオーリンズ市街を車で見学した。前年のハリケーンカトリーナが残した爪痕は一部にまだ生々しく残っていたが、写真を撮ったりすることがなんだか不謹慎なような気がして自重してしまった。

ニューオーリンズを出ると、僕らはNachez Trail Parkway(ナッチェス・トレイル・パークウェイ)という道路 を走ってみた。ミシシッピ州ナッチェスからテネシー州ナッシュビルまで続く全長715kmの道路で、1700年代から使われている古いものだ。整備と保全は道路局ではなく公園管理局がやっているそうだ。僕らはそのうちのナッチェス・フォートギブソン間を走っただけだったが、確かに趣があった。そもそも乗用車しか乗り入れられないという道路だから、よほど保全に力を入れているのだろう。この日の宿はTexarkana(テキサカーナ)。テキサスとアーカンソーの州境の町だ。名前が面白いということだけで選んだ。

*****

翌日はオクラホマに立ち寄り、ダラスを見て、Snyder(スナイダー)という恐らく誰しもがノーマークの田舎町に泊った。

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Texarkana-- 850km -->Snyder (TX)

まずここで言わなければならないのは、オクラホマから南下してテキサスに入った最初の町、Denison(デニスン)で食べた「テキサスダブルワッパ―」が史上最高のハンバーガーだったことだ。

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ダラスではケネディー大統領暗殺関係の資料館に寄った(なかなか興味深かったが写真がないのでお見せできない)。また、この一帯を走っていてやたらに聞いた曲が「Jesus, Take the wheel(Carrie Underwood)」だった。アメリカンアイドル優勝者、キャリーアンダーウッドの曲で、前年秋にリリースされたのだという。プレーリーの田舎道は、遮る物のない開けた視界の中、緑の農耕地をのんびり走る感じになるが、そこでもカントリーはあう(というかこの辺がメッカだ)。そこにこの曲が何度も流れれば、忘れようにも忘れられなくなろうというものだ。

その後I-20をひたすら西に進み、US-84でSnyderに到着。なんだ、走ってばかりではないか、とお嘆きの諸兄。その通り、走ってばかりです。一都市に何日かステイしてじっくり楽しむ旅も勿論いいと思うものの、この当時は「どうせ10日前後の有休でじっくりもくそもあるか」と思っていたので。広大なアメリカの未踏破地帯を少しずつぬり絵を塗るように染めていく「我々流」もこれはこれで非常に楽しいのです。
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