1995年の「6泊8日3都市周遊」の旅が明らかに詰め込み過ぎと思い、1998年はロサンゼルスを歩き、バスで移動するという旅にする予定を組みました。私はこの年、例の大御所シンガーの事務所を離れ、より大きな音楽事務所「S」に作詞作曲家として専属していたのですが、プロデュースまでやらせてくれるという「零細事務所の社長・I」に説得され、そこに移籍する話がまとまっていました。

しかし、この社長を普通に信じて「S」を辞め、いつから活動するのかI社長に問い合わせたら、なんと「すまん、この話はご破算にしてほしい・・・」。この時私は34歳、これまで築いてきた様々な関係を整理しながらこの社長に音楽人生をかけた結果がこれでした。そしてこの時、アメリカ旅行まではあと1週間。人生最大級のピンチでしたが「糞野郎に騙されたからアメリカに行かないとか、それはむしろあり得ない」と思い、行きました。

旅行の内容

期間

1998926日~103日(68日)

エアライン

シンガポール航空エコノミー

ホテル

シェラトンアナハイム(9/2628

センチュリープラザ(9/2810/2
現ハイアットリージェンシーセンチュリープラザ)

目的(地)

ディズニーランド、ユニバーサルスタジオなどで遊びつつ、徒歩とバスで観光地以外のロサンゼルスやその周辺を見てみる


98La
左から98年当時のユニバーサルスタジオ、ディズニーランド、ビバリーヒルズ

以上の通り、まあLAのお約束のアトラクションに行ったほか、ビバリーヒルズやUCLAなどにはセンチュリーシティのホテルから徒歩で行きましたし、サンタモニカにはBig Blue Busで行きました。バスを乗り間違えてかなり治安の悪そうな場所に迷い込んだりもしましたが、住宅地を歩くのは
現地の生の匂いが嗅げたようでとても興味深かったです。殊に、芝生がきちんとトリムされた家々はやはり東京の住宅地と比べて豊かさや余裕を感じました。

1995年に「すげー!」と感動した「あの砂漠」はどこにもありませんが、1週間LAに滞在して西海岸の気候が非常に気に入り、砂漠を訪れるという発想はまだこの時は湧かず、「また次もLAにしよう」とカミさんと誓い合ったのでした。