7/12から14の、大体2000kmくらいの行程を書くこととする。

070712-14

7/12
ナッシュビルはカントリー音楽のメッカだ。2005年に訪問したのに殆ど何も見ることができなかったので、午前中は町の様子を見て回った。

まずはレコード会社や音楽出版社が集まるミュージックローという地域を見た。僕は昔は音楽家で、その後サラリーマンとして放送局に勤務し、途中音楽出版社に出向したような人間なので興味津々だった。写真のように通り名には名ギタープレーヤーのチェット・アトキンス(ビートルズのジョージハリスンが多大な影響を受けた)の名が冠されていたりと、ここはまさに「音楽業界の町」だった。

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ところで、2007年ころから2012年くらいまで、僕ら夫婦は「アメリカンアイドル」に夢中だった。この2007年は3位に入ったメリンダ・ドゥーリトルという黒人女性が僕らのお気に入りで、この人がナッシュビル出身だったのでここに来たという意味合いもあった。実際、ナッシュビル市が彼女の3位入賞の功績を称えて名付けた道路を訪問するのはここでの最重要の目的だった。

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この後には「プレスリーの町」であるメンフィスに行くことにした。普通に行くのはもったいないのでミシシッピやアラバマ経由で行くことにし、途中アラバマのサービスエリアで降りると以下のような碑が。

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「アラバマ。我々は何が何でも我らが権利を守る」と書かれている。案内係の黒人女性に「あの碑の文言の意味は?」と尋ねると「白人の権利のことよ。黒人の奴隷制を守ろうとした南軍の白人が言う権利のことだから」とのことだった。今でも南北戦争の遺恨が残っているのだからアメリカは複雑だ。

この道中ではずせない曲は勿論リナードスキナードの「Sweet Home Alabama」だ。しかしこの曲も南部賛美の歌だ。しかもリベラルのニール・ヤングを批判する歌詞がてんこ盛りの(実際は別にそんな仲は悪くなかったそうだけど)。

15:00、ようやくメンフィスに着いたが、なんというか非常にあからさまに観光地化され、あまりいいイメージが湧かなかった。

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エルビスがヒット曲をレコーディングしたサンスタジオは、中は土産物屋だった。「親切な人」が中から出てきて「写真を撮ってあげる」と言うのだが、その代わり何か買って行けという。いや、結構ということでエルビスの家「グレースランド」に行くと、ここは有料博物館化されていて、建物の奥に行くにはお金を払う必要があった。そこまでエルビスが好きではなかったということもあるが、やはりあからさま過ぎて興が削がれてしまったので中には入らなかった。下の写真はエルビスの家の庭だ。久しぶりに確かめてみたが、なんとこれしか撮っていなかった。

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メンフィスに行くならこの曲。チェックベリーの「Memphis Tennessee」(またはビートルズの同曲カバー)。

7/13
ヒューストンに向かった。途中凄まじい雨にやられたが、かなりのアメリカ人はそれでも法定速度以上で走る。僕には無理だった。ヒューストンではNASAを見たかったが、すでにフロリダに拠点の大半が移っていると知り、街をドライブするだけで終わった。写真がないのだが、記憶ではそんなに悪い印象はなかった。

7/14
もう明確な目的地はなかった。サンアントニオを見て、あとは広大なテキサスのドライブを楽しむだけという感じだった。サンアントニオには比較的有名なアラモ砦があり、僕らも見学した。

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その後は「走っても走ってもテキサス」状態を楽しみ、日が沈む直前にスイートウォーター(Sweet Water)という町のモーテルに到着。