アメリカという甘美な幻想

南カリフォルニアはオレンジ郡に住むオヤジです。妻共々サラリーマンでしたが、2012年10月に移住してきました。個人輸入代行やコンサルタントを生業にした後、2016年からは会社員に。移住する遥か前から積み重ねてきた様々な「アメリカ体験」も含めて文章に残すためにこのブログを書いていますが、会社員復帰以降は忙しすぎて更新は稀に。自由の国、アメリカを含めた全体主義への流れ。これを絶対に食い止めましょう!

グリーンカード

グリーンカード当選後の手続きで「重要」なこと

まずお断りしておくが、あなたが代行屋さんを使わずグリーンカードへの応募や取得の手続きを考えているのなら、これからの説明はあまり役に立たないはずだ。というのは、グリーンカード申込時もそうだが、当選後も妻は代行屋さんを使っていたので、そこの指示で申請書類等は用意したからだ(なお、普通はどうなのか知らないが、その代行会社さんは自分の会社経由での当選者で、かつ「複数年利用契約」を結んでいた場合には基本無料でグリーンカード取得手続きをサポートしてくれた)。

次に、「何を集めてどうするか」というマニュアル系の話も期待しないで頂きたい。それも代行屋さんの指示に従えばいいし、僕自身も相当記憶を失っているからだ。それじゃ何を書くんだ、というと、「これは体験者じゃないとわからない」と思うことを書くのである。その辺りをご了解のうえお読み願いたい。

◆書類は正確に
間違いがあった場合に合否にどれほどの影響を与えるのかは知らない。間違えば当局に連絡して訂正することも可能だ。しかし、「アメリカのいい加減さ」は侮らない方がいい。日本の常識は通用しない。面倒が起きた時、そのストレスはハンパない。だから、書類は慎重の上にも慎重に作り、証明書類もきっちり余裕を持って揃えたい。

◆無犯罪証明書
アメリカ永住には、犯罪歴がないことを証明する必要があり、これを警察で発行してもらうことになる。では、少年(高校)時代に無免許で補導され家裁に行ったことや、深夜徘徊で補導されたことは記録に残るのか?また、大人になって免停になり罰金8万円を支払った50kmオーバーの速度超過は記載されるのか。

正解は、記載されない。僕が永住権を取れたことが何よりの証拠だが、開封禁止の証明書を開封せずに見て「犯罪歴なし」と書いてあるのを事前に確認していた。開封せずに中を読むには、明るい光に向かって封筒をかざす。

◆大使館面接
日本語も可、みたいなことをどこかで読んだことがあったが、全編英語だった。僕が聞かれたのは書類記載内容が正しいかどうか、アメリカに行ったらどこに住むのか、仕事は何をするつもりか、などだ。英語の試験ではないので細かい文法がどうのとかは関係ない。相手が言う内容をあなたが理解し、あなたの答えを相手が理解すればいい。その一点に尽きる。
なお、このとき合格するとパスポートに永住ビザ渡航許可証を貼ってもらえる。これを持って6ヶ月以内にどこでもいいからアメリカに入国すること。そもそも許可証の期限が6カ月なので。

◆グリーンカードとSSNの受領
グリーンカード(以下「GC」)の発行手続きは、上述のアメリカ入国をもって自動的に始まる。引き渡しは郵送で行うが、送り先の住所がアメリカに限定されるという不可思議なルールがあるので、受け取り方法を大使館面接の前に確立しておかないといけない。僕は、たまたま知り合いから紹介頂いたLA近郊在住の日本人の方(以下「Sさん」)に住所を貸してもらったが、普通代行会社がそれ用のアドレスを持っていて、有償で受領・転送サービスを行っている。

アメリカ入国時、在日本アメリカ大使館から事前にもらっている封筒を入管審査官に提出するのだが、この時の担当官がいい人だった。そしてそれは日本への好意が基になっていた。何故日本に好意を持つのか。それは書類がわかりやすく整理されて封筒に入っているからだ。入管審査官にとってこれほどまでに処理がしやすいように整理されている書類は日本からのモノしかないそう。アメリカ大使館の書類封入係のお姉さんに感謝したい。

ところで、GCは永住権所有を証明するビザだが、
SSN(Social Security Number:社会保障番号)は元々は徴税のための識別番号で、今では「あなたをあなたと識別する身分証明書」の位置づけで、グリーンカードホルダーだけでなく有期のビザホルダーにも発行される。SSNがないとクレジットカードを作ったり電話に加入したりネットを引いたりといった基本的なことが出来ないから普通はGCとSSNは同時に申請する(別個でも申請できるようだが普通別個にする意味はない)。

入国日から郵便が届くまでは1ヶ月~2ヶ月だと思うが「アメリカのずさんさ」に遭えば、その限りではない。僕の場合は3月2日の入国で、3月13日にSSNが届き、3月26日にGCが届いた。今回はアメリカのずさんさに遭わなかったわけだ。近々アメリカに行く用があるなら取りに行けばいいし、ないなら日本に郵送してもらう。その際はEMSを使うこと。PMIは追跡番号がない。詳しい違いを覚える必要はないのでとにかく「追跡のあるEMSで送って」とお願いする。

ちなみに僕は、SSNはSさんに郵送してもらい、GCは4月22日にアメリカに行ったのでその際にお会いして手渡しで頂いた。郵送代と心ばかりの謝礼はお会いした時ではなく、3月中に銀行振込で行った。彼も僕も既にUnion Bankの口座を持っていたからだし、4月の計画が確定する前でいつ会えるかがまだわからなかったからだ。

◆総括
ということで、代行屋さんのサイトなどを読めばわかることやお願いしておけばいい事はここには書かなかった。書いたのは:

1)書類は正確に作成し、証明書類はなるべく早く集める
2)少年時代の補導歴や免停などでは無犯罪証明書に記載されない
3)大使館面接は日本語ではなく英語Onlyだと思って臨む
4)グリーンカード受領のためには:
  └①アメリカでの受取住所を大使館面接前に確保する
  └②SSNも同時に取得しておく
  └③日本に郵送してもらうなら追跡付きのEMSで送ってもらう

ということだ。

グリーンカード当選と僕の個人的背景

2014517日にこのブログを立ち上げてから13日間、ここまでは僕が経験してきたアメリカ旅行についてのみ一気に書いてきたけれど、一旦2006年の旅行までで一区切りにして、ここからは色々なテーマで書いていきたいと思う(旅行ブログはあと07年、09年~11年の4年分を書けば終わる)。

本日は「アメリカに住む」というカテゴリの初っ端として「グリーンカード」を取り上げたい。
記憶を辿ると、僕がグリーンカードを当てるまでにはこんな経緯があった。 

 2007
年、妻が代行屋さんを利用して応募したらしい(本人も記憶曖昧)
 2009
年、妻が代行屋さんを使って応募
 2010
年、同上
 2011
年、同上も、5月の抽選で落ちたが当局にミスがあり、7月に再抽選があり当選

2007
年の応募時は、妻もどうしても当選したい気はなかったらしい。2009年から本気で応募し、2011年に当選した。計算したら日本人の当選確率は0.6%くらいだった。僕は妻が応募していることは当選まで知らなかった。この時妻名義ではずれ、僕名義で受かった。勿論夫婦なのでどちらかが当たれば自動的にどっちもグリーンカードがもらえる。

*****


僕は20077月にFM局を退職し、8月から大いなる希望を持って音楽配信会社に転職したのだけれど、入社してみると自分が行うはずだった業務と何ら関係のない仕事を任されることになった(端的に言って、違法だ)。それから失意と怒り、そしてストレスは極限まで達し、3ヶ月後には年齢的にも再就職はないと考えて行政書士として独立しようとまで思っていたのだけれど、12月に胃癌が見つかって全ての悩みも希望も中断した。

結果的に早期だったしいまだにピンピンしているが、その時は死ぬかもしれないという思いと共に、二度目の人生をやり直すなら何をしたいかじっくり考える機会を授かった。職場復帰後、最初の約束に近い業務を任されて一旦心も平穏を取り戻していたが、200811月に門外漢の部門へ再度異動を打診された時(それは昇進でもあったのだけど)、何かが切れた。

僕は成果を出したくて転職した。会社も僕の知識、経験、能力を吟味した結果、必要だと思って採用したのではないか。僕がやりたいと思ったことは、すなわち会社がやってほしいと思ったことだったはずだ。そしてそれは、これからますます重要性が高まることだったはずだ。だから、目先の人材不足を門外漢の僕で補おうとする考えは明らかに間違いだと僕は思った。しかし、上が決めればそれに従うか、従うのが嫌なら退職するしかない。そして僕は、退職の方を選んだ。

この時、もし出来るのなら英語力を活かした行政書士かアメリカ商品の輸入代行屋のいずれかで生きていければと思った。けれど、「安定」を失うことを恐れる妻の親(気持ちは分からないではない)が反対するし
現実味はやはり薄かったので、結局また人事として20092月から会社勤めをすることになった。ところがこれで終わらない。このとき既に44歳、リーマンショックの爪痕も生々しい時だったので「最後の転職」になるはずだったが、残念ながら体を壊してしまったのだ。きっとターニングポイントに来ていたのだろう。


静養後に再就職はしたが、「英語力を活かした行政書士かアメリカ商品の輸入代行屋のいずれか」をやる準備は地道に続けた。そして2011311日が来た。胃癌を患った時に芽生えたのは単に「淡い夢」程度だったが、大地震が生み出した過酷かつ不条理な現実の中でそれは「実行すべきもの」に昇華した。僕は妻の両親に今度こそ会社員を辞めることを伝えた。今度は異を唱えることはなかった。それから4ヶ月、グリーンカードが当たったことを知った。行政書士は消え「アメリカで代行屋」をやることになった。

*****


今49
歳の僕がアメリカに住んでいるのはこんな変遷をたどってのことだ。おわかりのように、僕にとっては年齢がどうだとか安定がどうだとかより遥かに重要に思えることがあり、それが即ちアメリカ移住で、それが叶うなら全てを捨ててもいいという覚悟を持ってこうしてアメリカにいるし、その思いは本物だったと自負している。でも、それはここまで長々書いて来て皆さんに伝えたかったことではない。安定を望むことは当然だし、何ら問題はないのだから。

日本人のグリーンカード当選者に辞退がかなり多いらしいけれど、実際に当選してみると日本で築いたものを手放してアメリカに住むなんてとてもじゃないが出来ないとか思うらしい。そんな砂糖のように甘い認識でグリーンカードに応募してはいけない、などと上から言う気もない。だって人には事情があるのだし。

じゃぁなに? いや、覚悟を持ってようと、覚悟がなかろうと、日本で築いたものは捨てられないということで諦めようと、人はそれぞれだから好きにすればいい、と言いたいだけ。ただし、なにしろ人は死ぬ。僕などは早期発見できなければ5年前に胃癌で死んでたかもしれない。死ぬ前に試したいことを試せるなら、試してから死ぬに越したことはない。しかも「死」なんてそう思った通りには来やしないのだし。

とにかく、死なない限りまた何かやれる。いつも「死」を最悪のケースにして人生を想定できると、結構鷹揚に生きられる。「明日の会議でへますること」を最悪のケースと思うなら、命がいくつあっても足りない。失うことを恐れる気持ちはわかるが、「命があればまあいっか」という考えのほうが人生は遥かに楽しめ、リカバリーも容易に効く。僕の代行業だって
カツカツで、明日どうなるかも正直わからないけれど、死ななきゃ何とかなると思うので辛くない。この感覚は、是非ケリークラークソンの「Stronger」を聴いてイメージしてほしいと願う。


 どんなに辛いことも、死なないならOk。それは自分を強く、堂々とさせてくれる
 一人でいることがいつも孤独、そんな法則はどこにもないのよ
 どんなに辛いことも、死なないならOk。それは自分を戦士にし、足取りさえ軽くなる
 あなたが御仕舞になったからって私も終了ってわけではないのよ
 どんなに辛いことも、死なないならOk。それは自分を強く、強くする
 そう、これは私に向かって言っているの。あなたはどうでもいいわ
 どんなに辛いことも、死なないならOk。それは自分を強く、堂々とさせてくれる
 あなたが御仕舞になったからって私も終了ってわけではないのよ


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