2014年72日に日本から4か月ぶりに病気の猫と一緒にアメリカに戻り、最初のエントリーは2007年のこの旅行のことにした。

2007年7月4日、前月に転職を決め、次の職場で働き出す前に残りの有休を使って行くことにしたこの旅は、日数21日、走行距離11,000km、間違いなく我が人生のハイライトの一つと言える。次の職場では自分の得意なことをかなりの裁量権をもらってやることができることになっていたし、21日間ただただ旅に集中し堪能出来るなどという機会を得、僕は、そして妻も高揚していた。


この旅はカリフォルニア州サンフランシスコからスタートし、ミネソタ、ケンタッキー、テネシー、アラバマ、テキサス、ニューメキシコなどを回ってカリフォルニアに戻るという道程だった。事前にラフには決めていたけれど、何しろ21日あるのでどこにでも行けるので八割がたノープランで旅は始まった。


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サンフランシスコに到着し、すぐにレンタカーを駆って一路I-80を東へ。目的地はネバダ州ファロン(Fallon)。サクラメントでUS-50に入り、緑深いシエラネバダ山脈と低標高の砂漠地帯を通過し、アメリカ軍の基地があることでそこそこ栄えているFalllonのモーテル(予約済み)に夕方到着。その時ラジオからかかって今も耳に残る音楽がMaroon 5の「Makes me wonder」だった。このバンドの曲はアメリカドライブに最適。

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US-50で更に東進し、ソルトレイクシティーの南のあるプロボ(Provo)を経て、最終的に予約を取ったモーテルがあるユタ州ルーズベルト(Roosevelt)まで進む。目的はこのネバダ州のUS-50を走ることだった。US-50のネバダ東部部分は「アメリカで最も孤独な道(Loneliest Road)」と言われ、人里から次の人里への間隔が100マイル(160㎞)では済まないほど何もない。なので道フェチとしてここを通らないわけにはいかなかった。いや、素晴らしかった。

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基本US-40を使いデンバーに行く。目的はKazuo。そう、当時コロラドロッキーズにいた松井稼頭央を見に行った。砂漠から緑深いロッキーに入ってデンバーに至る景色はこれまた最高。砂漠の土色が次第に木々の緑に変わり、空の青と澄んだ風に泣きたくなる思いだった。夕方クアーズフィールドで野球観戦。大リーグの雰囲気は素晴らしい。野球を愛している感じが素晴らしい。背中にMATSUIと書かれたユニフォームを着るお客さんが多数いてびっくり。この時松井は確かに愛されていた。試合の結果は覚えていないけど。そうそうデンバーは空気が澄み快適そうな街だった。ダウンタウンを歩いただけだけど。
 
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デンバーからモーテルの予約を取っておいたサウスダコタ州ブルッキングス(Brookings)までの1100km。これは一日の移動距離として最長だった。しかしこの日のハイライトは便意との格闘。のんびりしたコロラド東部のI-76を鼻歌交じりに走っていると徐々に便意が。しかし人里がない。催してる最中に通過した2か所のサービスエリアはともに閉鎖され、淡い期待が裏切られる心理的ダメージに幾度も心折れそうになりながら、結局150㎞以上括約筋を酷使してなんとかネブラスカとの州境の町にあるサービスエリアに辿り着き、事なきを得る。マジで人格崩壊の危機だったのに横でラジオに合わせてノリノリの妻は、僕の苦悶する様子を見て爆笑していた。鬼か。

ネバダ州ノースプラット(North Platte)でUS-83に入り今度は北進。この道もすごかった。牧草とおぼしき草が生え、ところどころ白い岩石が露出する大地を貫く道路は、まるでローラーコースターのように上下する場所が長く続くなど飽きそうで飽きなかった。サウスダコタ州マードー(Murdo)I-90に入り東へ。旅は4日目。時差ボケに弱い僕はまだ睡眠のリズムがつかめず、しかも蓄積した疲れ(排便我慢のアレが特に効いた)で目が痙攣し勝手に閉じてくる。ハンカチを氷水に浸し、それを片目ずつ当てながら、夜8:00にブルッキングスに到着。死ぬかと思った。