アメリカという甘美な幻想

南カリフォルニアはオレンジ郡に住むオヤジです。妻共々サラリーマンでしたが、2012年10月に移住してきました。個人輸入代行やコンサルタントを生業にした後、2016年からは会社員に。移住する遥か前から積み重ねてきた様々な「アメリカ体験」も含めて文章に残すためにこのブログを書いていますが、会社員復帰以降は忙しすぎて更新は稀に。自由の国、アメリカを含めた全体主義への流れ。これを絶対に食い止めましょう!

キングマン

2003年、デンバー・LA間をドライブした(その二)

6/30
朝7:00、メインストリート(Route 66)を中心にギャラップの街中を走ってみた。
インディアンジュエリーの店などもまだ閉まっており人通りはほとんどなかったが、朝陽に照らされた街は美しかった。Sante Fe鉄道がRoute 66に並行して走っていてこれも風情を醸していた。にも関わらずこの町に思い入れがいまだに湧かないのは「インディアンしかいなかったから」では断じてない。この時の自分の興味は、既にこの先にあるWinslowにあったからだ。

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*Holbrook, AZ(ホルブルック)
200km先にあるWinslowに着くまでには基本I-40を使うが、所々でRoute 66に乗れる場所があった。インターステートをただ飛ばすより楽しいので、出来るだけ66を使って進んだ。途中にあるHolbrook(ホルブルック)は味のある給水塔と
インディアンの住居の形をしたテント式のモーテル「Wigwam Motel」で好事家には有名な町だ。私たちもここにより、メインストリートになっているUS-180を町並みが途切れるまで走ってから引き返した。ついでにサークルKで眠気止めのアメを買った。

*Winslow, AZ(ウィンズロウ)
小学生の時に耳にし、高校の時に好きになったイーグルスの”Take It Easy"の歌詞に出てくるWinslow(ウィンズロウ)には10:00ごろ着いた。自分にとっては聖地と言えるほどの場所であり、会津の片田舎の高校の教室で弁当を食べながら地図で探していた「あの」Winslowに来たんだなぁ、としばし感慨にふけった。

Take It Easy」が描き出した風景は素晴らしかった。赤いフラットベッドの車、主人公を翻弄した女性たち、素晴らしい景色が見える街角・・・。一体どんな景色なのか楽しみにして実際に来てみると、全然景色などよくない。というか「ただの街角」でしかない。ではそれにがっかりしたかというと、全然。


その憧れの「The Corner(あの街角)」は、歌詞の対極にあってよい景色など何も楽しめなかったが、そこには私たちのような観光客が何人かいて、写真を撮ってほしいと言ってきたおば様たちと話す機会があった。

「日本から来ました。”あの街角”の景色が見たくて。でも全然”such a fine sight to see(素晴らしい眺めだ)"じゃないですね」

「本当そう。全然ね。ここは”ただの街角”よ。でもあの歌を聴いた者にとってはそれはどうでもいいのよ。私たちだってシカゴから来たのよ。どんなに遠くても、ここに来ないわけにはいかなかったのよ」


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左から私、ドンヘンリー(ギターを持っているがドラマ―)、そして妻

そう「巡礼者」にとっては「メッカ」に来ないわけにはいかないのだ。その後ツアーインフォメーションセンターによってパンフなどをもらい、11:00にWinslowを後にした。走りながらどこで昼食を食べようか考えていると、砂漠の真ん中に車が入っていくのが見えた。一台ではなく結構な数が未舗装の道路を土煙を上げて進んでいくので、私たちも付いていくことにした。

そこは「Meteor Crater(メテオクレイター)」 で、要するに隕石があけた大きな穴を楽しむ場所だった。実際それなりに楽しかったが隕石や宇宙の講釈はしないでおく。そうそう、ここにはサブウェイがあって昼食はサンドウィッチを食べた。砂漠と隕石を愛でながらサブウェイ。オツであった。

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直径1kmをこえるこの穴は5万年前に出来たとか

 その後は順調にFlagstaff、Williamsと進み、Route 66の中でも今回特に走りたかった区間が始まるSeligmanに着いた。

*Seligman(セリグマン)からKingman(キングマン)へ
インターステート開通で一気に廃れていったRoute 66沿道の町の中で、再興運動を主導したのがこのSeligman(セリグマン)だったという。古き良きアメリカを再現するかのような建物やクラシックカーが飾る街並みは、その努力の跡が見て取れた(下の写真は2011年に再訪した時のもの)。

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どこかの店に入ってもよかったのだろうが、私たちは入らなかった。もし会話がつまらなかったら、もし食べ物がまずかったら、もし売りモノがちゃちな粗悪品だったら、心のどこかで神格化していたこの街を「他と変らない俗物的な観光地」と見なしてしまい、Route 66自体にも幻滅するだろう。それが怖かった。だから写真を撮るだけにして、昨年も訪れた(通過した)Kingman(キングマン)を目指して車を走らせた。

アメリカドライブの御供用に作ったコンピCDはアメリカの曲だけで構成されていてイギリスや豪州物は注意深く抜いてある。でも持ってきたCD3枚には60曲くらいしか入っていないので、大抵の時間はFMを聴く。そしてこのときチューニングを合わせた局がドンピシャで流した曲はビートルズの「I Feel Fine」だった。出だしのフィードバックの音が66を走るというシチュエーションにあうので吃驚した。そしてその普遍性に感動した。


I-40と並走せず、合流もしないこの区間のRoute 66は確かに素敵だった。風景自体は特に何の変哲もないものだけど「威厳と孤高」を感じた。「Route 66だから」という刷り込みでそのように思ったのかもしれないし、それは否定しない。でもとにかく「重み」のようなものを感じたのは確かだ。

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Kingmanに着くまでに色々な集落を通過した。その中の一つ、Peach Springs(ピーチスプリングス)という町に入ってみた。町が視界に入ってきたら、不意に「将来アメリカに住めたときに居住地を都会に限定する必要はあるのかないのか、ここを見たらそれを確かめる一助になるかも」と思ったからだった。無論2003年の時点では全く真剣な話しではなくて「シャレ」が多分に含まれていたし、その時何らかの結論を出したかと言えば何も出なかった。ここが
フアラパイインディアン居留区のキャピタルだということは後で知った。

アメリカのモータリゼーション絶頂期を象徴するようなビンテージカーやガソリンの給油機などが見れるHackberry(ハックベリー)を17:00に通過し、30分ほどでとうとうキングマンに着いた。ここですることは特になく、ここから先は行き当たりばったりで進むことになる。色々考えたがI-40で西進はあまりにつまらないので、とりあえずこのままRoute 66をOatman(オートマン)まで進むことにした。

Oatmanへの道を進みだすと間もなく、一言で言って「悪路」になった。砂漠としての過酷さも一流の上、道はボコボコで狭く曲がりくねり、しかも時刻は18:00を過ぎていたが気にせず(気にしていられず)先を急いだ。

Oatman, AZ(オートマン)
18:30、道路わきに「Welcome to Oatman, AZ」と書かれた幌馬車が置かれていた。やっと着いたようだ。(後で知ったのだが)かつてゴールドラッシュで栄えたこの町の今の「売り」は、1939年人気俳優クラークゲーブルが新婚旅行でここを訪れた事実があること、お化けが出るホテルがあること、ロバが街中を歩いていることなどだそうだ(この時ロバはいなかったが)。

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ビデオ映像のキャプ画像につき低画質をお許しください

しかし私は、速度を落として運転しながら、しかし一度も止まることなくこの町を通り過ぎてしまった。アメリカ南西部にはこのように岩山に囲まれた過酷な場所はいくらでもあって、それ自体は珍しくないからだ(たとえ「売り」を知っていても通り過ぎたと思う)。でも、こういう場所に来ること自体への興味はまだ尽きないでいる。「こんなところ」に住むという選択をした人の気持ちや覚悟を、今でも私は訊いてみたいと思っているから。

旅チャンネルというBSだかCSだかの局が昔「栄光のマザーロード、ルート66」という番組をやっていた。この番組のオープニングはイーグルスの「Desperado」、エンディングはマーク・ノップラーが在籍したノッティング・ヒルビリーズの「Feel Like Going Home」だった。「ああ神様、これまでやってきたことは全部間違いでした。家にかえりたいです」という歌詞を含む後者はあまりに番組にフィットし、その後のお気に入りとなった。


*Needles、CA
ニードルズは前年にも来て(=通過して)いた。今回はここに泊ることにした。妻は前年この町の雰囲気が好きではないと言っていた。通り過ぎただけなのに何がわかるのだ。今回はもうここの「Days Inn & Suites」に速攻で決めた。43.99ドル。夏の砂漠のモーテルは安い。

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2002年アメリカ西部三州ドライブ旅行(各論3日目)

3日目(9/23)
ルート:ラスベガス(NV)-(US-95・US93)->フーバーダム-(US-93)->キングマン(AZ)-(I-40)->バーストウ(CA)

◆フーバーダムへ
朝、朝食は出ないのでUS-95沿いのサブウェイでBLT(多分)をテイクアウト。旨かったことだけが記憶に残っています。

さてこれから目指すのは、中学だったか高校だったか、ルーズベルト大統領のニューディール政策を習う時セットで出てくるフーバーダム。ラスベガスから1時間ほどで着いたでしょうか。このダムは今でもカリフォルニア州、アリゾナ州、ネバダ州に電力を供給していますし、カリフォルニアの砂漠地帯が広大な野菜畑になったのは、このダムによる灌漑農業の発達のお陰です。

一方、砂漠の中を通るコロラド川に建てられたこのダムは芸術的でもあります。このダムで水が堰き止められて出来た人造湖「ミード湖」の青さ、地域一帯を覆う褐色の岩山、そして空の青さ。これらがあいまって芸術的な威容を誇っていました。

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う~んフィルムをスキャンしてもあの美しさが出ない…

しばし中を見学してタービンを見たり、フーバーダムの歴史のレクチャーを聞いたり写真を撮ったりしましたが、その際中に上の写真のような大きな時計を発見。「アリゾナタイム」と書いてありました。何とこのフーバーダムはダム内にアリゾナとの州境が走っていたのです。知らんかった。

通常西海岸標準時のネバダはアリゾナより1時間遅いのですが、サマータイムの時には1時間早くなります。一方アリゾナはサマータイム不参加州ですのでサマータイムの時にも時間が早まりません。そのため、西海岸各州とアリゾナはサマータイム実施期間中時差がなくなるのですが、それを知ったのは2,3年前です(てへ)。

◆キングマン
アリゾナ州キングマンに行こうと思ったのは、やはり「
ルート66が通るから」・・・ではありません。「ぐるっと回って帰って来るルート」を設定すると、必然的にキングマンを通らざるを得なかったのです。実際この時私たちはルート66ではなくI-40という超幹線道路を走っています(ルート66に自動合流してしまう区間もありますが、それはカウントできないでしょうし)。なのでいくら探しても写真が見つかりません(ビデオは撮っていましたが)。しかし、翌年私たちは改心し、こことSeligmanという町の区間だけですがルート66を走りました。

US-93のこの区間は基本見るも清々しい砂漠です。飽きないのですがあまりに続くと怖くなります。ここでガス欠になったら。ここでパンクしたら。そういう怖さです。だから長い間こういう無人の場所を走っていて人里が出現すると本当にほっとするんですよねぇ。 

領収証をチェックしたら、キングマンでの給油時刻は16:08でした。あれ?どこで昼食食べたっけ?

◆バーストウ
夫婦とはいえ(夫婦だから?)色んなことで意見が食い違います。初めてアメリカでハンドルを握る私は夕方には非常に疲労していまして、もうI-40に入ってからはすぐにでもどこかのモーテルにチェックインしたかったのです(ここの区間では予約をしていなかったので)。しかし、キングマンから100km走ったところにあるニードルズ(Needles、CA)は「なんとなく気に入らない」という理由で却下され、更に西へ向かうことになりました。ところがこれ以降まともな町が出てこない。

18:00、眠気が襲ってきます。19:00暗くなってきたしもう本当にどこでもいいです。でも妻は「大丈夫。まだまだ行ける!」。おいおい殺す気か?そう言っているうちにバーストウに着き、妻が「この町ならいい」と言うので外観的にまともそうなエコノロッジ(Econolodge)にチェックイン。20:00になっていました。 近所のコンビニでまずいウインナーとかを買いこんで腹ごしらえし、バタンキューで寝ました。

よってこの町の感想はありません。但し一点、夜なのに外は熱風が吹いていまして、逆に部屋の中は窓に設置された旧型のエアコンがフル稼働してキンキンに冷えていました。私たちが来るまで客がいなかったのに何故でしょう。どうでもいいことですが何だかとても印象に残りました。恐らく「何でもっと静かで効率のいいエアコンにしないんだろうアメリカって」とやや批判的に思ったのだと思います。

2002年アメリカ西部三州ドライブ旅行(総論)

やっとドライブ旅行の話を書けるところまで来ました。時は2002年、私はFM放送局で人事・法務をしていました。旅慣れた同僚が「アメリカで車の運転なんて大したことない」と言うし、もう決行するしかありません。

2002年全行程概要
02旅行マップ

旅程と利用サービス/施設関係のデータ

 <旅程>

921

成田⇒LA

LA⇒RidgecrestCA) 
距離:260km
ルート:LAXそばのダラーレンタカーからI-405CA-14 

22

Ridgecrest  Death Valley  Las Vegas (NV)
距離:450km
ルート:RidgecrestからUS-395CA-190NV-160 

23

Las Vegas  King ManAZ)  BarstowCA)
距離:500km
ルート:US-95US-93I-40(途中Route66に乗る) 

24

Barstow  LA
距離:185km
ルート:I-15 

2527

LAとその近郊

28

LA  成田

29

成田着


 <利用施設等データ> 

航空会社

JALエコノミー(往復一人99980円×2)

レンタカー

会社:ダラーレンタカー

車種:クライスラー クルーザーPT(赤)
   ※価格等資料紛失記憶忘却 

モーテル

Date

モーテル名

値段(税込ドル)

9/21

Super 8

64.90

9/22

Travelodge

42.15

9/23

Econolodge

33.00

9/24

Travelodge (ハリウッド)

68.40

9/25

Best Western Ocean View

(サンタモニカ)

241.76

9/26

9/27

Holiday Inn Express (ハリウッド)

90.06


02-1
皮肉にも看板には書いてませんが、「間もなくデスバレー」という場所にいます

移住への憧れが萌芽した旅でした
「砂漠の権化」であるデスバレーに車で訪れたい(というか車以外に実質行く方法がない)と思って企画したこの旅でしたが、LAの都市部を過ぎてしばらくするともう「砂漠」なんですよね。既にその時点で私は十分興奮できました(笑)。

そしてデスバレー近辺を走ってみて、実際の都市と都市の間に横たわる、あまりにも広大な『無』に圧倒されました。荒涼たる砂漠、褐色または鈍い銀色のゴツゴツした岩がむき出しの山々、青空、乾いた空気、対向車の来ない一本道…。飛行機から見たあの風景の中に自分を溶け込ませてみると、あの感動が倍加して、否何十倍にもなって自分を襲ってきました。

そしてLAに戻って都市の環境で旅を楽しむと、この奇跡のギャップがいよいよ愛おしく感じられ、
「LAに住んだら海、砂漠、シティーライフが満喫できるジャン。いいなぁ」と思ったことを覚えています。1995年の旅で飛行機から見た砂漠でアメリカに淡い憧れを抱いてから7年、このとき「移住への軽い憧れ」が芽生えたのです。

では次回は旅の詳細を。 
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