7/1
この日はNeedlesから南方面に行くことにし朝7:00頃出発。まずはUS-95を降りて行くが、気になった道が出てきたらそこに入ることにした。このあたりはコロラド川が流れていたので、川岸を走れる農道に入ったり、せせらぎのそばで休憩したりしていると時間がどんどん過ぎて11:00をまわってしまった。CA-78号を急いで南下することにとし、11:30にBlythe(ブライズ)という町を通過。1時間後に突然砂漠ではなく砂丘が目の間に現れた。

Algodones Dunes(アルゴドンズ砂丘)
岩や石と低木の砂漠もいいけれど、たまには砂丘もいいものだ。青空とのコントラストは掛け値なしに美しい。
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そしてここ一体はなんというか「気品と気高さがある荒れ地」という感じがした。下の写真でお分かり頂けるだろうか(わかるはずないわな)。

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ここで時間を食ってしまったので、昼食は14:00過ぎになってしまった。CA-78号沿いのBrawley(ブローリー)でケンタを食す。味はまあまあだった。

昼食後、一気にLAに行こうと思ってそのまま78号を120km進んでJulian(ジュリアン)を過ぎ、60km進んでEscondido(エスコンディード)に来てしばし考え、真逆のSan Diegoに行くことにして
I-15を南にぶっ飛ばした。

*San Diego
San Diegoは人口が100万人を超える大都市ながら非常にコンパクトな作りで、この日泊ったモーテル(Super 8、$66.29)もこれまでで一番狭かった(いまだにこれより狭いモーテルに泊ったことはなし)。食事はダウンタウン側に行けばスーパーやコンビニなど何かあるだろうと思ったが何も発見できず、スタバみたいな店でパン類を仕入れた。

7/2
San Diegoを一通り見るということで、まず海に行った。 すると「Cabrillo National Monument」というのがあった。1542年、このCabrilloさんが欧州人として初めて今のアメリカ西海岸に来た人なのだという。ふーんとしか思えなかった自分が恥ずかしい。

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霧のキャブリロ館前 / キャブリロさんと一緒に

霧が出て海は何も見えなかったので、ダウンタウンというかショッピングディストリクトを探してみた。やはりなんとなく狭くてコンパクトな町だ。買物はLAでするので特にどこにもよらず再度海に行くと、今度は晴れていてしかも非常に美しかった。全体的な景観も澄んだ海水自体も大都市のそれとは思えないクオリティーだった。「Oatmanに住む」という発想を実行に移した人々の考えをますます訊きたいと思った。

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Mission Bay(ミッションベイ)です。都会でこのような海が残されアクセス至便。豊かです。

13:30、パンダエクスプレスで昼食を済ませ、せっかく国境にいるのだからメキシコに行こうと思い立ちボーダーまで行ってみた。妻は若干及び腰だったが「せっかく」なのだから仕方がない。車を進めいよいよ国境を過ぎた途端、今度は私が怖気づいた。看板など一切がスペイン語に変わって、何が何やらさっぱりわからない。

どうやってSan Diegoに戻ったものやら皆目分からず途方に暮れながら走っていると、何故か一台の車が指で「俺についてこい」と。「ええい、ままよ!」とついていったらきっちり検問所に辿りついた。10ドル渡してお礼を言うと彼はまたどこかに消えていった。あれが彼の仕事なのだろう。そして私のような奴が、毎日何人か彼のお世話になっているのだろう。

検問を待つ間、子供たちが花を売ったりフロントガラスを拭こうとしたりして道路を移動していた。アメリカとメキシコの貧富の差をまざまざと見た思いだった。妻は「レンタカーで国境を越えて何かあっても一切保証は効かないよ!」とおかんむりだったが、いやいや、それを早く言いなさい。

もう17:00になっていたのでLAに行くためにI-5をぶっ飛ばしたが、疲れてしまい途中のコスタメサでモーテルを探した。Days Inn Costa Mesaに決めたのは、ラッキーにもビジネススイートという部屋を通常レートで借りられたからだった。広く美しい部屋で、窓からは遠くで花火を打ち上げているのが見えた。近所のスーパーで食料を買い込み、またまたDrew Carey Showの再放送を見ながら眠った。

7/3~7/4
3日はSanta Monicaに移動しショッピングしたり、またまた懲りもせずケリーとドナのビーチハウスに行ったりして時を過ごし、4日の昼にLAXを発ち日本に帰った。日本に戻ると1週間は廃人になる。時差ぼけは勿論影響があるが、アメリカにまた1年行けないことが嘆かわしいのである。