アメリカという甘美な幻想

南カリフォルニアはオレンジ郡に住むオヤジです。妻共々サラリーマンでしたが、2012年10月に移住してきました。個人輸入代行やコンサルタントを生業にした後、2016年からは会社員に。移住する遥か前から積み重ねてきた様々な「アメリカ体験」も含めて文章に残すためにこのブログを書いていますが、会社員復帰以降は忙しすぎて更新は稀に。自由の国、アメリカを含めた全体主義への流れ。これを絶対に食い止めましょう!

カリフォルニア

アメリカで車を運転するということ

既に昨年から円安の傾向は顕著であり、輸入代行業からの業態転換などをしなければ早晩立ちいかなくなることは自覚していて、生きていくためにどのようなことをすべきかずっと模索を続けてきたが、ここしばらくずっと1ドル121円台が続きいよいよ待ったなしの状況になってきた。だからブログなどのんきに書いている暇はないのだが、配送会社の集荷員氏を待つ間、ちょっと現実逃避をしようとこの文章を書いている。

 

アメリカに住んで2年半、僕はアメリカでの運転の怖さを本当に実感している。住んでいる地域にもよるのだろうが、アメリカ人の運転が信用できないのである。交通量が多い南カリフォルニアはただでさえ危険が多いのに、彼らは飛ばす。支線から本線への合流も1キロ間隔であるのに、彼らは飛ばす。うまいと思っているのかいい気になっているのか知らないがはた迷惑である。

 

運転中のメールは高額の罰金が科されるのに平気でやっている。無保険車両は違法なのにそうする者も少なくなく、こういう人に車をぶつけられたり怪我を負わされたすることが少なからず発生するため、保険には「相手が無保険の場合」というオプションがある(ちなみに日本のような自賠責保険の仕組みはない)。当然このオプションをつければ保険料は更に高額になるが無保険の者はそもそも資産がないので、ぶつけられ損で泣き寝入りをしないためには加入せざるを得ない。本当にはた迷惑である。

 

アメリカに旅人として訪れていたころの僕は、このようなことを考えたことはなかった。日中の空いている時間に、田舎道を快適にドライブすることが多く、都市部のラッシュ時や夜に走る際の危険性をそこまで感じる機会がなかったからだ。

 

むしろ自分の運転が気になってしょうがなかった。初めてレンタカーを借りた2002年には、以下のような「苦難」があった

 

 1)運転中どこを走っているかの感覚がつかめず、車線の右側にどんどん
   ずれていってしまう。


 2)ワイパーとウィンカーのレバーの取り付け位置の違いに慣れず、方向を
   示すつもりでウインカーを作動させてしまうことが数十回あった。


 3)左折した際、対向車線に入ってしまうことが数回あった。

 

恐ろしいのは3)で、左折が小回り、右折が大回りである日本の感覚のまま左折すると、漏れなく対向車線に入ってしまう。「クレイジー!」という顔で見られることの恥ずかしさなどどうでもいい。これは事故につながる可能性が非常に高い最悪のミスなのであって、乾いた砂漠の真ん中でワイパーをジャリジャリと回してしまう間抜けなミスとは次元が違うからだ。

 

実際日本での「右ハンドル左側通行」への慣れは厄介だ。2006年、既に5回目のドライブ旅行でのことだが、僕はユタ州のGreen Riverという小さな町で対向車線を逆走してしまった。夕方、サンドイッチでも買おうかと、人気のないメインストリートをスーパーはないかときょろきょろしながらゆっくり走っていたのだが、この時見事に対向車線を走っていたのだ。

 

結局長さ500mほどのメインストリートの端まで来てしまった時に警察に停止を命じられたのだが、同乗した妻も僕も指摘を受けるまで対向車線を逆走していたことに全く気づかなかった。警察官は日本からの不慣れな旅行者ということで大目に見てくれたが、5回目のドライブ旅行でもまだこんなミスを誘発してしまう「慣れ」の恐ろしさを再確認させられた事件だった。

 

こんな経験から自分の運転に対して全く過信しなくなった僕は、「セレブ」を怪我させたり数千万の車にぶつけたりしないようアメリカ移住後一層慎重に運転するようになった。だから都市部を無謀に飛ばしたりメールをしながら運転するなどの馬鹿な真似は1ミリも発想することはない。しかし残念ながら、いくら自分が気を付けても「馬鹿」は周りに結構いて、いつ巻き込まれるかわかったものではないのだ。

 

これからアメリカに住む方。是非満喫してほしいが、自分の運転への過信と相手の運転への過剰な信頼はどちらも危険だ。レンタカーでドライブ旅行を計画中の方。日本での運転歴が長いほどに潜在的な事故リスクが高いことを自覚し、アメリカ、特に都市部においては超慎重に運転されたい。


それにしても今日は今年最高の抜けるような青空だ。気温も30℃を越えてきそうだ。窓から入ってくる乾いた風が心地いい。この地に住み続けるために努力と工夫を惜しまない覚悟はある。あとはそれが成就するか、だ。

2009年:心機一転カリフォルニアとネバダの旅(1)

2007年夏に転職する際、有休を使って行った走行距離11000kmのアメリカドライブ旅行。非常に充実した気持ちで転職してみると、いきなり面接時に合意した職務ではない仕事をあてがわれるは、その年の12月には胃癌が見つかるはで、2007年後半から2008年はさんざんな年になり旅行どころではなかった。

2009年に2月に再度転職したが、そこでもいろいろあった上に5月に身体を壊し、6月いっぱいで退職を余儀なくされた。もう年齢的にもサラリーマンに戻れるなどとは考えられず、内心では外国人をクライアントとする行政書士かアメリカ商品の個人輸入代行のいずれかで独立することを決意した。

辞めると決意すると病の状態は急速に改善し(しがらみを断つ気になると往々にして病は治る)、僕は7月になって2年ぶりに妻とアメリカに行くことにした。状況的に東海岸を回るような大規模な旅は出来なかった一方、病み上がりの僕が実際に行きたいと思ったのは僕が愛してやまない砂漠だったし、輸入代行の対象としてどんな商品があるか、たくさん見て回りたいという狙いもあり、今回は原点に戻ってカリフォルニアとネバダを旅することにした。

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全行程

2009/7/17
成田からサンフランシスコへ。到着後、宿を取っていたサンフランシスコの少し南のある町、ブリズベン(Brisbane)に行き、そこでモーテルにチェックインしようとするとパスポートを落としたことに気づく。航空会社や関係する機関などに電話しようとすると留守電が入っており、利用したユナイテッドエアに届けられていることが分かった。最悪の危機を脱し、この時ばかりは本当に安堵した。

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慌てて電話する僕(を撮る妻の余裕よ)

この日は1日サンフランシスコを観て回った。ゴールデンゲートブリッジとか、ピア39などの定番的な場所のほか、ずっと行きたかったキャンドルスティックパークに行った。ビートルズの「最後のコンサート」はここで行われ、オタクとしては行かざるをえなかった。なお、僕にはサンフランシスコは寒すぎる。素敵な街だと思うが浜風の影響が強すぎ、寒すぎる。サンフランシスコ近辺を移住候補地から除外したのは、その理由一点だった。

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CandleStick Park

7/18
まずはサンフランシスコの南側を海を見つつ進み、Googleを見てからヨセミテを横断し、最後にビショップという町まで行く予定の一日。

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サンフランシスコ ー(500㎞)→ ビショップ

この日の太平洋は霧がかかって何も見えず、早々にGoogleがあるマウンテンビュー(Mountain View)へ。休みで人は居なかったけど、かえっていろいろ自由に見れた。

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Yahooなどネット関連の会社がたくさんあるこのあたりを抜け、I-680、I-205、CA120などを使ってヨセミテへ。

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低地の砂漠から山の緑への劇的な変化はカリフォルニアの醍醐味だ。

ルート通りにヨセミテ(実はシエラネバダ山脈の一部)を観ていくとやがて下り坂になり、下りきるとそこには
モノ湖(Mono Lake)があった。色々な意味で珍しい湖なので今度機会があったらじっくり見たいと思う。

ここでUS-395に乗り100㎞ほど南進し、この日宿を取っていたビショップ(Bishop)で落ち着いた。なお、US-395はおススメだ。機会があれば走るべし。

2007年、アメリカ プチ一周ドライブ(その一)

2014年72日に日本から4か月ぶりに病気の猫と一緒にアメリカに戻り、最初のエントリーは2007年のこの旅行のことにした。

2007年7月4日、前月に転職を決め、次の職場で働き出す前に残りの有休を使って行くことにしたこの旅は、日数21日、走行距離11,000km、間違いなく我が人生のハイライトの一つと言える。次の職場では自分の得意なことをかなりの裁量権をもらってやることができることになっていたし、21日間ただただ旅に集中し堪能出来るなどという機会を得、僕は、そして妻も高揚していた。


この旅はカリフォルニア州サンフランシスコからスタートし、ミネソタ、ケンタッキー、テネシー、アラバマ、テキサス、ニューメキシコなどを回ってカリフォルニアに戻るという道程だった。事前にラフには決めていたけれど、何しろ21日あるのでどこにでも行けるので八割がたノープランで旅は始まった。


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サンフランシスコに到着し、すぐにレンタカーを駆って一路I-80を東へ。目的地はネバダ州ファロン(Fallon)。サクラメントでUS-50に入り、緑深いシエラネバダ山脈と低標高の砂漠地帯を通過し、アメリカ軍の基地があることでそこそこ栄えているFalllonのモーテル(予約済み)に夕方到着。その時ラジオからかかって今も耳に残る音楽がMaroon 5の「Makes me wonder」だった。このバンドの曲はアメリカドライブに最適。

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US-50で更に東進し、ソルトレイクシティーの南のあるプロボ(Provo)を経て、最終的に予約を取ったモーテルがあるユタ州ルーズベルト(Roosevelt)まで進む。目的はこのネバダ州のUS-50を走ることだった。US-50のネバダ東部部分は「アメリカで最も孤独な道(Loneliest Road)」と言われ、人里から次の人里への間隔が100マイル(160㎞)では済まないほど何もない。なので道フェチとしてここを通らないわけにはいかなかった。いや、素晴らしかった。

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基本US-40を使いデンバーに行く。目的はKazuo。そう、当時コロラドロッキーズにいた松井稼頭央を見に行った。砂漠から緑深いロッキーに入ってデンバーに至る景色はこれまた最高。砂漠の土色が次第に木々の緑に変わり、空の青と澄んだ風に泣きたくなる思いだった。夕方クアーズフィールドで野球観戦。大リーグの雰囲気は素晴らしい。野球を愛している感じが素晴らしい。背中にMATSUIと書かれたユニフォームを着るお客さんが多数いてびっくり。この時松井は確かに愛されていた。試合の結果は覚えていないけど。そうそうデンバーは空気が澄み快適そうな街だった。ダウンタウンを歩いただけだけど。
 
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デンバーからモーテルの予約を取っておいたサウスダコタ州ブルッキングス(Brookings)までの1100km。これは一日の移動距離として最長だった。しかしこの日のハイライトは便意との格闘。のんびりしたコロラド東部のI-76を鼻歌交じりに走っていると徐々に便意が。しかし人里がない。催してる最中に通過した2か所のサービスエリアはともに閉鎖され、淡い期待が裏切られる心理的ダメージに幾度も心折れそうになりながら、結局150㎞以上括約筋を酷使してなんとかネブラスカとの州境の町にあるサービスエリアに辿り着き、事なきを得る。マジで人格崩壊の危機だったのに横でラジオに合わせてノリノリの妻は、僕の苦悶する様子を見て爆笑していた。鬼か。

ネバダ州ノースプラット(North Platte)でUS-83に入り今度は北進。この道もすごかった。牧草とおぼしき草が生え、ところどころ白い岩石が露出する大地を貫く道路は、まるでローラーコースターのように上下する場所が長く続くなど飽きそうで飽きなかった。サウスダコタ州マードー(Murdo)I-90に入り東へ。旅は4日目。時差ボケに弱い僕はまだ睡眠のリズムがつかめず、しかも蓄積した疲れ(排便我慢のアレが特に効いた)で目が痙攣し勝手に閉じてくる。ハンカチを氷水に浸し、それを片目ずつ当てながら、夜8:00にブルッキングスに到着。死ぬかと思った。

治安は金で維持する

日本の不動産価格は都市全体の利便性、特に交通アクセスの利便性と高い相関関係があるので、東京であれば必然的に都心が「一等地」となる。各都市も恐らく同じで、県庁所在地の駅前が各道府県で一番高いということで大体は間違いないと思う。勿論それに加えておしゃれな街だとか、公園が多いとか、道路の騒音が少ないとか様々な要素が加わり最終的な価格が決まるが、アメリカで最重視されながら日本ではほとんど意識されないことが一つある。そう、治安である。

僕が事務所兼住居として買った家は、ロサンゼルスから80kmほど南にあるオレンジカウンティーのAliso Viejo(アリソビエホ)市というところにあるが、ここを買った理由は明確だ。

 1)個人輸入代行の仕事が出来る最低限の都会性を持つ
 2)個人輸入代行に不可欠な日系の配送会社の集荷範囲にある
 3)治安が良い
 4)気候が温暖で晴れが多い(僕は雨と寒さが苦手で高温はかなり平気)
 5)採光に優れる
 6)上記を可能な限り全て満たしつつ予算に収まる価格である

要は、生活者として住むことと仕事のしやすさを両立をできる場所として最適な場所はどこかを調べ、1)と2)の観点でカリフォルニア州沿岸部がベストであり、3)と4)から南カリフォルニアがベストであり、その範囲内で5)と6)を基準に具体的な物件を探したわけだ。

さて、日本では殆ど意識しなくていい「治安」だが、アメリカでは本当にそんなに安全・危険に地域差が出るのだろうか。答えは「出る」。

僕ら夫婦の住むアリソビエホ市は、人口約5万人のうち70%が白人である。これはカリフォルニア州平均の40%の約1.8倍だ。世帯収入の中央値は約1000万円で、カリフォルニア州全体の600万円の約1.6倍になる。白人が多いということは、それだけ町の財政が良いことを意味する。そして収入が多い自治体は街の美化や安全面の強化に金(≒住民税)がかけられる。結果、道路や沿道の樹木等は常に綺麗に整備・管理される。そしてこのような町は、また金持ち(主に白人)を呼びこむ。

そして、住人に金があるので、市内の各コミュニティーの理事会は毎月住民からかなり高額な管理費を徴収する(よって僕ら夫婦には大変な「重税」である T_T)。これがコミュニティー内の公共部分の管理・補修などに使われ、常に美観が保たれている。コミュニティーによってはゲートを設けて住民以外は入れなくしているところも多く、部外者の侵入は容易でなく、仮に部外者が入れてもあまりに目立つため犯罪が発生しにくい。

こうして社会的・経済的に恵まれていることの多い白人が集まるところは治安が保たれ、白人が少ない地域は相対的に危険度が増していく。危険度が上がると地価が下がり、金持ちは更に出ていき貧乏人は更に流入し、結果犯罪がより増加するという負のスパイラルが生まれることになる。

また、犯罪者としては「獲物」があるところ、移動がしやすい場所、そして身を潜めやすいところに集まるので、商業地、夜間人がいなくなるダウンタウンや工場地帯、高速道路沿道、飛行場、そして治安維持に金をかけられない町などが常に狙われる場所になる。

ちなみに、Aliso Viejoの2012年の暴力犯罪発生率は人口1000人当たり0.88、窃盗系犯罪は同8.47であるが、ここと同じ郡にあり、距離にして20km程度しか離れていないAnaheim(アナハイム)市の犯罪発生率は同3.71、窃盗系は29.2となっている。アナハイムにはMLBのエンジェルス球場やディズニランドがあるなど大規模商業地としての側面があるので、犯罪者を誘引してしまうのであろう。しかしオレンジカウンティーは全体として非常に安全で、カリフォルニア州での犯罪発生率は最低であるのもまた事実なのだ。

最後に誤解のないように申し上げるが、僕は「白人が倫理的に優れ、他の人種が倫理的に劣るので犯罪を犯すのだ」などとは一切言っていない。治安は金で買うアメリカで、社会的・経済的に優位に立つ白人に金持ちが多いため、白人が集まる町は安全性が高いという事実を述べたにすぎない。そして僕は、自分や妻の身を守るために可能な限り治安のよい場所に住むという選択をしたのである。

これからアメリカに移住等をお考えで治安を事前に調べたい方は以下の「犯罪マップ」を見て頂きたい。


http://www.crimemapping.com/

それと、地域の安全性は道路と樹木の整備状況でわかるので、自分の住みたい街がいかに道路、沿道の樹木や芝生、そして公園などにお金をかけているかを判断の一助にされたい。

2002年アメリカ西部三州ドライブ旅行(各論1日目)

初日(9/21)
ルート:LAX-(I-405・CA-14・CA-178)->Ridgecrest

16:50、日航エコノミーで成田からLAXへ。同日10:45LAX到着。荷物をとり、イミグレを通過し、ダラーレンタカーのバスに乗り、12:30頃ダラーLAX営業所へ(なお、ダラーは日本にも営業所があり、ここのプランの方が安いことが多いのでアメリカダラーと比較してみて下さい)。
結構待たされた後、赤いクライスラークルーズPTをあてがわれる。とても大きく見えたので「これは予約したミッドサイズのセダンですか?」と聞くもあっさり「そうです」と言われ、これが私たちの足になることに決定。
ブレーキランプがつくかどうかなど非常に念入りに調べてから13:30にゲートを出て一般道へ。はっきり言って怖かった。

ともすれば右に右にずれていく車体を左に戻しながら、後続車に何度かクラクションで脅かされながら、ウィンカーを付けるつもりでワイパーを何度も動かしながらLA都市部を通過すると、目の前には徐々に砂漠が現れる。LAXから1時間半ほども走れば、もうかなり「立派」な砂漠になります。イヤッホー!

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LAXから北北東130kmの景色(グーグルアースより)

◆宿泊地、Ridgecrestに
本日の宿泊地、リッジクレスト(Ridgecrest, CA)はLAXから260kmほどなので、理論上時速100kmで走れば2.5時間ほどで着きますが、途中に地図にないような未舗装道路に入ってみるなどの寄り道をしたこともあり、到着は17:00過ぎでした。

この町は人口2.5万人ほどですが、砂漠のど真ん中にある町としてはかなり大きいものです。旅人にとって魅力のあるものは特にないけれど、デスバレーへの玄関口としてここで給油、腹ごしらえなどをする人が多いようです。

◆モーテル、Super 8
 この日に宿泊したのはモーテルチェーン「Super 8 Ridgecrest」。2002年のことなので詳細は記憶にないですが、問題はありませんでした。当時の領収証の住所をググってみると、今ここは「Travelodge Ridgecrest」になっています。ではスーパー8はないのかと言うと、別の場所にありました(Super 8 Ridgecrest)。見た目がきれいですのでまだ新しいのでしょう。こうした
モーテルの運営会社の変更はアメリカでは非常によくあることです。

◆何をした?
デスバレーに行くために通る場所から適当に選んだ宿泊地なので何もしていません。ここのバーガーキングでご飯を食べておしまい。でも、アメリカのハンバーガーは日本のより圧倒的に旨い(と思う)ので、それだけでもかなりハッピーな気分になります。

ところで、私は時差ぼけに中々うまく対応できません。大体夕方5時頃に眠くなり粘って9時頃まで頑張ってから寝ますが、夜中の2時ごろに目が覚めてしまい、そこから眠れないのです。自ら運転する必要のある今回のドライブ旅行でそれではいかんと、この旅では色々と準備しました。

1)飛行機の中ではとにかく睡眠薬で寝る
10:45着なので、その一時間前に起きると9:45。これなら「ちょっと朝寝坊した時間」くらいに起きたことになります。これ、成功しました。

2)真夜中に起きてしまったら、やっぱり睡眠薬で寝る
この日は3:00くらいに起きてしまったので、迷いましたが睡眠薬(半錠)に頼りました。このおかげで朝7:00まで眠れましたので大成功でした。
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