アメリカという甘美な幻想

南カリフォルニアはオレンジ郡に住むオヤジです。妻共々サラリーマンでしたが、2011年にグリーンカードが当たり、アメリカへの憧れに抗しきれずに2012年10月に移住してきました。個人輸入代行やコンサルタントを生業にした後、2016年からは会社員(人事、法務など)に。移住する遥か前から積み重ねてきた様々な「アメリカ体験」も含めて文章に残すためにこのブログを書いていますが、会社員復帰以降は忙しすぎて更新は稀に。。。面目ない。

ウェストバージニア

米東南部旅日記(6):第5日

第5日(5/1

マナッサス(Manassas, VA)⇒ベイカー(Baker, WV)⇒アッシュビル(Asheville, SC

 

この日のテーマは「ジョン・デンバー」だった。ご存知の人も多いと思うが、彼が歌った「Take me home,country roads」は以下のような歌詞だ(すげー意訳入れてます)。


 まるで天国のようなウェストバージニアよ
 聳えるブルーリッジ山脈、たゆたうシェナンドー川
 そこに宿る生命は茂る木々よりも古く、しかし彼の山々よりは若く
 そよ風のごとく脈々と繋ながれ行く


田舎道が我を故郷へと誘う

ウェストバージニアが 母なる山々が

我を誘う 故郷へと


子供のころに聞いたこの歌、オリビア・ニュートン・ジョンがカバーしてヒットしたこの歌。そこに歌われた「West Virginia」、就中「Ridge Mountains」と「Shenandoah River」に僕は行きたかった。

なお、このバージョンではジョンデンバーがこの曲を書いた共作者たちと歌っている。共作だったことも驚きだったが、実はジョンデンバーは後から曲作りに加わった(つまり大元は出来上がっていた)と知って二重に驚いた。


朝、まずはインターステート66号でマナッサスからウェストバージニア州ベイカー(Baker)という町に「無理に」入った。ここに「無理に」寄った理由は後で説明する。

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ウェストバージニア州に入ってすぐに出てきた史実を伝える案内板

さて、上の写真が示すようにドイツ人とスコティッシュアイリッシュが最初のウェストバージニアへの入植者だ。この「バージニア西部の場所」はフランス-インディアン戦争時に英国とフランスがここを境界に定めたとも書いてあるが、そう、当時ここはバージニア西部だったのであってウェストバージニアではなかった。ウェストバージニアは南北戦争を機にバージニアから分離して誕生した。

それでは無理にBakerに寄った理由だが、目当てのブルーリッジやシェナンドーなどの目的地に行くための合理的なルートを取ると、なんとウェストバージニアには一切入らないという衝撃的な事実がわかっていたからだ。それらは基本「ただのバージニア州」にあったのだ。以下がウィキペディアのシェナンドー川の説明だ。


バージニア州リバートンで、サウスフォーク川とノースフォーク川とが合流してシェナンドー川となり、アパラチア山脈のうちのブルーリッジ山脈の東側を北北東に流れる。合流点付近のわずかな区間のみウェストバージニア州の南東端に入り、バージニア州及びメリーランド州との州境近くのハーパーズ・フェリーでポトマック川に合流する。


シェナンドー国立公園も、町としてのシェナンドーもバージニア州に属し、川としてのシェナンドーは、その北の端っこがなんとかウェストバージニア州にかかっているだけ。なんでだ。

それだけではない。上に「ブルーリッジ山脈」が出てくる。もう一つのお目当ての場所だ。これも調べてもらうとわかるが、ウェストバージニア州にかかっていない。アパラチア山脈は確かにウェストバージニア州にかかっているが、アパラチアを構成するブルーリッジ山脈はかかっていないのだ。なんでだ。


ウェストバージニア州の歌じゃないじゃん、これじゃ。バージニア州の歌じゃん、基本。ジョン・デンバーは何故このような歌を歌ったのだろう。「Almost heaven, just Virginia」では意味も語呂もダメだったのか。

ウェストバージニア州民はこの歌を誇りにしており、州内の大学はアメフトなどのスポーツで勝つとこの歌を観衆が大声で歌う。しかし歌詞は虚偽に近い盛り方をしているわけで、バージニア州民がいつか横取りしようとしないか心配になる。

いすれにせよ、この後僕らは「バージニア州のシェナンドー国立公園」内を走るSkyline Driveに入った。


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シェナンドー国立公園。ここは「Skyline Drive」に入る入口

入り口付近には物凄い霧が発生しており、ゲートの係の人にこの霧は今日は晴れないのか尋ねると、「場所によります。晴れる場所もあるでしょう」とのこと。

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霧がひっきりなしに発生し、下降気流によって山肌を滑っていく

走ってみてわかったが、本当にその表現通りだった。場所により霧に覆われ、場所により霧が覆わない。コンスタントに霧を生み出すのは勿論水分と上昇気流。アパラチア山脈全体で見られる光景であり、砂漠の山々では絶対起きないだろう現象だった。


このSkyline Drive、走る気になればその南に続くブルーリッジパークウェイと合わせて物凄い距離になるのだが「山道につき、踏破するには3日くらいかかる」とのこと。

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ブルーリッジハイウェイ。入らなかったけど

なので、その10分の1の距離を走ったあと、僕らはパークウェイに並走するインターステート81号に、次いでインターステート26号に乗った。そして、その日の宿泊地であるアッシュビル(Asheville, SC)で一晩過ごした。


正直、このパークウェイ関係には特別な感動は覚えなかった。むしろウェストバージニア州に入るあたりの民家や人や車や家畜が存在する景色のほうが印象に残った。アメリカ南東部やアパラチア山脈周辺の州を走るときは、ぜひ州道や郡道レベルの道を走ってほしい。

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アパラチアの農村風景。僕の田舎の40年前のよう。時間が止まっているようで少し怖かった。

目に痛いほどの緑、山々、畑、牛、そのすべてが「近代化を少し拒否しているような古さ」を醸しているのを感じると思う。何しろこのあたりはこのシリーズの冒頭で書いたようにキリスト教最右派・保守派が暮らしている。あながち間違ってはいないと思う。

これからしばらく、記事を山ほどアップしていきます

どうも。お久しぶりです。

今日から急に多作になることを予告します。書き溜めていたものを徐々に放出していくことにしたからです。何故書き溜めていたかと言えば、それは忙しい中で何かを書きかけてはそれを放置するということを繰り返していたからです。

 

何故今これを放出するかと言えば、山ほど溜まった書きかけの断片を仕上げる時間が出来、かつ仕上げる意欲が続いたからに他なりません。いくら忙しくても、その気になればブログ記事の一本や二本、いや、五本や六本書けないわけがありません(実際は十数本…)。

 

この「これから山ほどアップする記事」において、取り上げたテーマは様々ありましたが、今日はその一つに軽く触れておきたいと思います。

 

実は、427日から54日までアメリカ南東部の旅に妻と行ってきました。目的はまだ訪問したことのない州に行き、有名な観光スポットを観、個人的に関心がある地域や道路を走るといういつもの軽いものでした。

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ワシントンD.C. リンカーン記念堂

 

ところが、ジョージア、サウスカロライナ、ノースカロライナ、バージニア、メリーランド、デラウェア、ペンシルベニア、ウェストバージニアの8州とワシントンD.C.を巡ったこの旅は、当初思ってもいなかった旅になりました。

 

この旅で、アメリカ東南部という地域の特性やその歴史に関して、今までにない洞察を迫られたのです。そのきっかけは道中幾度となく見かけた(バプテスト)教会でした。「なんでこんなに(バプテスト)教会が多いの?」という疑問への答えは、僕が持っていたアメリカ東南部に関する浅い知識の中には存在していませんでした。そして、本当に異常といえるほど教会が多かったので、「すぐにこの疑問を解決したい!」と思わないではいられませんでした。

 

こんな思いから、僕は清教徒革命のころのアメリカから調べ直すこととし、結果的にこの地域の内情も少し深く知ることになったのです。だから僕は、この旅に関して二つのテーマでブログ記事を書くつもりです(実際にはもう書き終わっていますが)。一つはお気楽な旅行記で、もう一つは東南部の歴史や特性への考察です。

 

かつての僕ならば、たとえばウェストバージニアに行ったことに関連付けてジョン・デンバーの歌った「カントリーロード」を引き合いに出したでしょう。いや、今回もそれはします。するけれども、もう「いい歌だ。いい歌詞だ」というお気楽な感想だけで済ますことは出来ないのです。


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 山深いウェストバージニア。本当に「殆ど天国」といえる場所なのか…。

それは、ジョンが「Almost heaven(もう天国のようだ)」と歌ったウェストバージニアが、そしてアパラチア山脈一帯の州が、決して天国ではないことを知ったからです。現代ではやや信じられない事実や、または存在すべきと思えない事実がそこにはあったからです。「聞いてはいたけれど、まさかここまでとは…」という驚き。あれです。

 

勿論僕はそんな「偏見」を持って旅に行ったのではありません。むしろ無邪気に、ストレス発散だけを目的にしていたのです。でも、カリフォルニアの「暗部」がパームツリーと太陽のイメージで糊塗されるように、日本が「おもてなしの国」の顔を表に持ちながら、そこには世界的にも特異な同調圧力と排他性があるように、アパラチア諸州にも牧歌的なイメージとは裏腹な、浅い知識では伺い知ることが出来なかったネガティブな側面もあったのです。

 

そういった深そうな話も阿保っぽい話も含め、これから猛然と記事を載せていきます。

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