アメリカという甘美な幻想

南カリフォルニアはオレンジ郡に住むオヤジです。妻共々サラリーマンでしたが、2011年にグリーンカードが当たり、アメリカへの憧れに抗しきれずに2012年10月に移住してきました。個人輸入代行やコンサルタントを生業にした後、2016年からは会社員(人事、法務など)に。移住する遥か前から積み重ねてきた様々な「アメリカ体験」も含めて文章に残すためにこのブログを書いていますが、会社員復帰以降は忙しすぎて更新は稀に。。。面目ない。

アルバカーキ

2007年、アメリカ プチ一周ドライブ(その四)

前回(2014/7/30)に書いてから100日強が過ぎてしまった。日本から連れてきた、がんを患った猫の世話は勿論のこと、iPhone6/6Plusの代行準備、そして代行の開始がこの間にあり、ここまで期間が開いてしまった次第。久々の今日は「2007年アメリかほぼほぼ一周旅行の715日から16日の分」を書きたい。

070715
2014年7月15~22日(2350km)

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7/15
テキサスに入ってからもう何日も経つが、さすが広大な州だけになかなか出られない。この日はスイートウォーター(Sweetwater)を出て、有名なキャデラックランチがあるアマリロ(Amarillo)に行くことが目的だった。

20070715
7/15:Sweetwater(TX)→(830km)→Albuquerque(NM)


テキサスは勿論プレーリーの一角をなし、当然にトルネード多発地帯だが、それがよくわかるのが以下のような場所だ。場所はプレイン・ビュー(Plain View)という町。まさに平坦な景色しかない「プレーリーそのもの」の町だった。


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4.5時間ほどでアマリロに到着。場所の特定に結構戸惑ったが、ルート66をうろうろした末ようやく発見。

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戻ってくる観光客とすれ違った際、なんと彼らが使用したラッカーをくれたので、僕らも落書きをすることに(落書きが予定されたモニュメントなので機会があれば皆様もやって下さい)。以下の写真のように僕と妻の名前を書いたのだが、その数日後には新たな落書きで上書きされたことだろう。

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僕らが車に戻る際、こちらにやってくる観光客にラッカーを譲り、あとは可能な限りルート66を使いながら西進し、20:00頃ニューメキシコ州アルバカーキ(Albuquerque)に到着。

7/16
朝アルバカーキの町を車で少し回ったあと、西進開始。

7-16
7/16:アルバカーキ→(550km)→フラッグスタッフ

まずはペトリファイドフォレスト国立公園へ。ここは文字通り林が石化した広大な場所で、木が写真のように石のようになってそこらじゅうに転がっていた。


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そして公園内を車で移動中に、以下のような廃車が。1920-30年代のフォードだと思うが、本当は車の前から撮った写真があったのに、今年7月にパソコンが逝った際に消えてしまったので掲載できず残念。

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更に西進し、かつ可能な限りルート66を使い、アリゾナ州ウィンズロウ(Winslow)へ2度目の訪問。イーグルスの「Take It Easy」の中にこの町の名前が出、その「美しい景観」が描写されているが、実際には景色は美しくもなんともない。しかし名曲ゆかりの聖地としてイーグルスファンの観光客の重要な目的地になっている。

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ルート66をさらに進むと「Twin Arrows」が。昔はガススタンドとかがあった場所で、今は廃墟になっている。なんてことはない場所だけどルート66との関連で好事家から人気がある。2009年にお色直しをしたそうで、これは2007年の写真だからかえって貴重かも。

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さらに西進し、アリゾナ北部の最大都市、フラッグスタッフへ。アリゾナとは言えロッキーの最南端に位置して標高も高く、夏でも冷涼な気候。ここで一泊しこの日は終了。

2006年、ニューオーリンズからLAへ(その二)

翌朝の道程は、スナイダーからニューメキシコ州のAlamogordo(アラモゴード)まで。この日は珍しく見たい場所が2か所もあった。

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Snyder -- 650km --> Alamogordo (NM)

 Carlsbadには世界遺産の「カールズバッド洞窟群国立公園」がある。そう、洞窟だ。何故写真がないかというと、暗い洞窟でフラッシュは憚られたからだ。

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「自然の不思議」に事欠かないアメリカを再認識し、Roswell(ロズウェル)へ。

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ここは1947年にUFOが墜落した(ことになっている)町で、上の写真のようにそれが観光の目玉になっているし、NHKでも放送された宇宙人モノ「Roswell」はまさにここが舞台だ。我々はこのドラマとその主題歌「Here with Me(Dido)」が大好きだったので是非来たいと思っていた。UFO関係の演出は結構チープだったが、住宅地としての小奇麗さが意外だった。

ロズウェルを出てUS-70を西に向かうと前方に山が見えてきた。大平原もとうとう終わりを告げるのだろう。夕方アラモゴードに到着。

翌朝アラモゴードの宿から向かったのはホワイトサンズ国立公園だった。ここも旅前から楽しみにしていたところだ。

06-09
Alamogordo -- 580km --> Santa Fe (NM)

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ホワイトサンズ
 
石膏できた雪のような砂は幻想的で、耳の血管を流れる血の音以外聞こえるものがない静寂は驚異的だった。他の砂漠とは一線を画した美しさは正に圧倒的だった。一方、原子爆弾は1945年7月16日に初めて起爆されたが、その実験場がアラモゴードにあった。その後一カ月もせず、その成果は広島と長崎で試された。どんな国家にも汚点はあるだろうが、この原爆による民間人虐殺はその中でも最も醜いもののひとつかもしれない。

一旦Las Cruces(ラスクルーセス)という町に出てからひたすらI-25を北上。悪い意味での同じような景色がずっと続く道だが興味深いことが二つあった。一つは「Truth Or Consequences」という町。「真実、または帰結」とでも訳すべき名前だ。標識で町名を発見したとき宗教がらみではないかと思い、少し怖くて立ち寄らなかった。後に調べたらこういう由来だった。

― もとの市名はホットスプリングス(Hot Springs)といった。1950年、ラジオの人気番組であった「トゥルース・オア・コンシクエンシーズ」の司会者、ラルフ・エドワーズ(Ralph Edwards)が「この放送のあとに地名を『トゥルース・オア・コンシクエンシーズ』に改名した町で番組の放送を行なう」と公言した。全米から立候補が集まり、その中からホットスプリングスが選ばれ、市名をトゥルース・オア・コンシクエンシーズと改めた ― (ウィキペディア日本語より)

そして、僕がドライブ中に聞いていた全国ネットAM局の政治トークショー。この時は金正日が核実験をやったばかり。この司会者は激烈なトーンで彼をこき下ろしていた。Kim Jong Ilの綴りと発音をもじって「Kim Jong Mentally Ill(キムジョン精神病)」と何回も繰り返していた。こんな司会が全国放送であっていいのか、と軽いカルチャーショックを受けた。
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