第1日(4/27)
LAX⇒アトランタ(GA)⇒チャールストン(SC)⇒ノース・マートルビーチ(NC)
前日(26日金曜)に会社を早めに出て空港(LAX)に行き、そこから午後10:05発のデルタ便でアトランタに向かった。数十分の遅れ、約4時間のフライト、そして3時間の時差を足して現地には朝6時ころに到着。7時過ぎにはアトランタのレンタカー屋を出て東に向けて走り出し、ゴルフで有名なオーガスタは通過し、まずサウスカロライナ州チャールストンという街を見学した。
南北戦争の話になれば絶対出てくる「サムター要塞」を見るつもりだったが、事前の調査不足からそこにはフェリーで行かねばならないとその場で気づき、もっぱら街を歩いて回った。古いながらよく手入れされたゴージャスな民家、教会、そして石畳の歩道。とても美しい街だった。情緒がある街だった。
奴隷制度に依拠して行われた農業(学校で学んだプランテーションってやつ)やそれに付随する貿易がもたらした富により発達した南部の街の代表例であるが、それを知っていてもなお、その美しい佇まいを今に引き継いできたことは素晴らしいことだと思った。
再度ゆっくりと訪れたい街であることを確認した後、数時間のドライブで今日の宿泊地であるマートルビーチ(正確にはノース・マートルビーチ)に着いた。この街は、夕飯の時間に夕飯を食べるのに都合のいいロケーションだったために選んだに過ぎないが、ビーチ自体はきれいだった。但し特色もなかったが。
泊まったモーテル(ベストウェスタン)は、まさにビーチまで歩いて数十秒というロケーションだが、そのボロさには辟易した。古いのはいいけど、バスタブの機能不全(タブの栓がない)や遮音性が極端に低い(つまり外がうるさい)のは困る。チェックイン後すぐにYelpで探したイタリアンで食事をした。結構いけた。期待していなかったからなおのことだった。
第2日(4/28)
マートルビーチ⇒ウィルミントン(NC)⇒キルデビルヒルズ(NC)⇒バージニアビーチ(VA)
出発前にビーチに行き写真を撮った。本当に何の変哲もないビーチだなぁと思いながらよく見たらクラゲが打ち上げられていたのでその写真も撮ってみた。
「このビーチでの最高の被写体はクラゲか」と思った途端シニカルな笑いがこみ上げたが、「縁あって訪問した土地じゃないか」と思い直し、再度光景を目に焼き付けてから僕らは北上を開始した。
ノースカロライナ州ウィルミントンは、戦艦ノースカロライナが係留されているということで立ち寄った街だ。太平洋戦争末期には日本本土に対する艦砲射撃も行ったとのことで、船には旭日旗のシールが貼られていた。恐らく撃ち落とした日本機の数を示しているのだろう。
僕らは戦艦の中には入ることなく、その外周を写真に収めながら太平洋戦争に最中にあった祖先や祖国はどんな感じだったのかを数十秒想像し、さらに北へと進んでライト兄弟が初めて動力飛行に成功した地、キルデビルヒルズを訪問した。
国立公園となっているライト兄弟のこの初飛行跡地は素晴らしかった。また、ここに至るまでの景観も素晴らしかった。キルデビルヒルズはアウターバンクスという大西洋に沿って点在する小さな島や砂州の連なりにあり、大西洋沿いの道も勿論素晴らしいし、アウターバンクスまで来るのに使った国道64号線も大変素晴らしかった。
さて、ライト兄弟であるが、こういうところに来るとそれまでうろ覚えだった知識を補強したくなるもので、その場で「ライト兄弟」をググってみたりするわけだ。すると、確かに1903年に世界初の有人動力飛行という偉業は達成したけれど、「機械が飛ぶはずない」という当時のトンデモ常識から識者にさえ非難されたり、館長の私怨などによりスミソニアン博物館から長期間無視されたり、自分たちの偉業の直後から急速に発展した飛行技術に兄弟は全くついていけなくなってしまったりと踏んだり蹴ったりだったらしい。
しかしこの場所自体は本当に素晴らしいところだった。こういうのを国立公園として保護することは正しいと本当に思う。僕と妻は、春としてはやや強めの日差しを浴びながら、ライト兄弟が100年以上も前に有人動力飛行に成功した、いやその前に何度も失敗し、経験を重ねたこの場所の絵と、音と、においを満喫した。
この日の宿泊地はバージニア州バージニアビーチだった。海辺近くのモーテルが近づいてくるとなんだか異様な感じがしてきた。ちょっと怖い見た目のお兄さんやお姉さんがやたらに多かったからだ。予定よりかなり遅れて7時ごろモーテルに着いて車を駐車し、ドアを開けようとするとそこにはモーテルの従業員が何やらリストのようなものを持って立っていて「宿泊者ですか?お名前を教えてください」と尋ねてきた。
名前を言うと、「ありがとう、お待ちしていました」と言うなり「今日はイベントがあるのですごい人数がここに来ていまして、無断で駐車しようとする人が後をたちません。そこでこうして監視しているわけです」とのこと。一体どういうイベントなのか、と言えば、それが以下のようなもの。黒人の怖い系のファッションの人が多かったのはそういう事情だったのか、と納得。
ファッションは怖い人が多かったけど、非常にきれいなビーチで遊歩道も発達し大勢の人たちが散歩やサイクリングを楽しんでいた。モーテル(エコノロッジ)の部屋からも遊歩道を含むオーシャンビューが楽しめたこともあり、僕らは非常にこの街を好感した。
夜はまたもYelpで色々検索の果て、家族経営のチャイニーズレストランを選択。テイクアウトしてモーテルで食べたが量が多すぎてとても完食には至らず、クーラーボックスに入れて翌日も持ち歩くこととあいなった。