アメリカという甘美な幻想

南カリフォルニアはオレンジ郡に住むオヤジです。妻共々サラリーマンでしたが、2011年にグリーンカードが当たり、アメリカへの憧れに抗しきれずに2012年10月に移住してきました。個人輸入代行やコンサルタントを生業にした後、2016年からは会社員(人事、法務など)に。移住する遥か前から積み重ねてきた様々な「アメリカ体験」も含めて文章に残すためにこのブログを書いていますが、会社員復帰以降は忙しすぎて更新は稀に。。。面目ない。

アメリカでの仕事

思考の転換

いつものように長いこと書かなかったが、それはいつものように仕事が忙しかったから、だけではない。実際には、忙しいとはいえ書くための時間は割けたのだが、休みの日ごとに非常にアクティブに行動してしまい、書くに書けなかったことが原因だ。

 

ただ、書くべきことは色々あった。まず最も重要なことは、僕の心の持ち方に関し、根本的な変化があったことだ。何度も書いてきたことだが、「渡米時の理想とは程遠く、今サラリーマンの境遇にあること」に関して様々な負の思考を抱いていたが、これを捨て去ることができた。別に無理やり負の思考をやめ、強引に思い込みを断ち切ったのではなく、本当に思考法を根本的に、素直に変えることが出来たのだ。これは後にまた触れてみたい。

 

次の要因は、今年に入ってからも忙しい日々は続いているものの、家で仕事をすることは極力やめることにしたことだ(このような「転換」も、実際は思考の変化によるものだ)。そのため休みの日は積極的に活動することとなり、ブログ執筆から遠のいた。

 

たとえば4月後半から5月の頭にかけて5連休を取り、妻と飛行機でフロリダに行き、レンタカーでエバーグレーズ国立公園やら内房の海岸やら外房の海岸(要は大西洋)やらキーウエストに行き、泳ぎ、うまいものを食べてきた。

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キーウエスト。国道1号の南端。
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セブンマイルブリッジ

先日も3連休があったが、大好きな砂漠に行き、しかもまだ見たことのないエリアをあえて訪問するなど、肉体的に疲労すること甚だしいレベルで遊んできた。結果的にゆっくりブログ記事を書く時間などはなくなってしまったわけだが、今これを書いている時間はどうやって捻出しているかについてはあえて言わないでおきたい。

 

さて、なんで思考法が変化したか。実は、あれは2月末ごろだったか、自分が最も価値を置いていることは何なのかについて、真剣に考える機会を得たのだ。

 

そしたら、自分の人生においての最大の価値は「妻と共に< 楽しく >生きること」であることがはっきり認識できた。これを失った場合、例えば妻が死んだ場合、僕にとってアメリカで生活することも旅行に行くことも、殆ど価値を持たないことに気づいてしまったのだ。読者諸兄には申し訳ないが、長く人生を共にしてきた妻との生活が最重要価値であったというのはあまりにも真実過ぎて、もはやここに明言しても照れる気にさえなれない。

 

もう一つ、僕は自分の職業人としての価値に気づいてしまった。この数年の「修行」で、僕は日本時代には持っていなかった経験とスキルを得てしまった。しかも同じような経験やスキルを持つ人は、ほかに探してもなかなかいないことがわかってしまった。

 

日米に限らず、世界の取引相手と色々なジャンルの契約を取り交わす過程で、僕は日本語はおろか英語の契約書を20ページでも書けるレベルまで到達した(アメリカの契約書は分量と細かさが半端ではない)。先方と交渉し、アメリカ人の弁護士と毎日話し合っていれば当然と言えば当然だろうけど。

勿論日本で法務や人事として経験を培ってきたから日本の法律知識はあるし、日本の子会社の人事と法務もこのアメリカの地で統括する僕は、今でも日本企業との契約を見、作り、法律改正などに対応したり部下に指示を出す立場にある。更に、日本でのサラリーマン経験、渡米後に個人事業主をやった経験、そして現在の修行環境の中で、経営/事業計画もさっさと作れるようになった。

 

この経歴を知った転職エージェントによれば(僕は2月に、急に思い立って「エグゼクティブ専用」とうたう転職エージェンシーに登録してみた)、どうやら僕は食うに困らないらしいのだ。アメリカの日系企業で今の年収レベルを維持して転職先を探すのはそう簡単ではないが、日本でなら、まず食いっぱぐれはあり得ないようだ。日米ともに好景気で、50代の人間も十分戦力として見てもらえる中、少なくとも日本で食いっぱぐれはないとなると、心の余裕が違う。

 

「この会社を辞めることになったら、もしくはどうしても辞めたくなったらどうしようか。せっかく安定したのに。アメリカに居続けたいのに…」というのがかなりの精神的不安要素だったが、僕が過労で倒れるとか、そこまではいかなくとも妻との生活が忙しさで犠牲になってしまうような毎日をアメリカで送るくらいなら、別に無理してアメリカにいる必要はない。そう気づいた。そして「忙しさを嘆きながらアメリカ生活を維持する」という、意味の分からない自主的奴隷的思考から僕は解放された。

 

なので、ここ数か月、僕はもはや社長の評価などは気にならなくなり、自分のできることをできる範囲の中で一生懸命やっている。これに社長が万一不満だったら、「それはそれでいいワ。他に行くワ」と今や素直に思うことができる。アメリカに来て6年弱。サラリーマンに転向して2.5年にして、初めて気持ちよく開き直ることが出来ているわけだ。

 

くどいようだが「最重要の価値」は妻だった。妻といないアメリカに価値はない。妻と行かない旅行にも価値はない。妻との生活を形だけ維持して残業や休日出勤に明け暮れるアメリカ生活に意味はなく、そのような生活を強いられるならさっさと違う職場(そこが日本であれ)に僕は行けると知った。僕の思考が根本的に変化し、しかも腹に落ちている理由は、僕にとって最も大事な価値の再認識とともに、生きていくための仕事を、妻との人生を犠牲にしないでやれるということの確信に基づく。


笑ってしまうことに、プレッシャーをかけてきたのは自分自身だった。別にこれまでだって社長から何か言われたきたわけではない。週末に仕事をしたのも、何にでも責任を感じていたのも自分自身の性格からだ。そんなことを続けて、妻との生活を犠牲にしてどうする?アメリカにいてどうする?そう思っても開き直れなかった僕だったが、でももう過剰な自己犠牲は止めた。止めることができた。価値の再確認のおかげだ。そしてこの2年半の修行のおかげだ。良かった。気付けて。

あ、書くの忘れてた。以前から書いてきていた「サラリーマンをいずれ辞める計画」だけど、別にそれ自体は捨てていないので。妻と楽しく平和に生活しながら自分のやりたい方法で稼ぐ。これが最高の理想像なのは不変です。

Help!

凄まじい忙しさがここまで書けなかった理由だ。書く気力が起きないほど忙しかったし、何を書いていいかわからなくなるほど、今の人生の在り方にこれまでにないほどの疑問が生じていた。いや、今でもこの疑問は残っている。疑問とは、「サラリーマンとしてアメリカにいること」だ。

 

ところで、"Help!"という曲がある。John Lennonが作ったビートルズの曲だ。下に大意を書いたが、結構長いので適当に読み飛ばしてもらってもいい。

 

 今よりずっと若かったころ、俺は他人を必要とすることはなかった

 でも最近は自分に自信を失いかけている

 だから俺は心を入れ替えた。自分の心の扉は開放しないといけないんだ

 出来るなら助けてくれ、俺は今落ち込んでいるんだ

 そばにいてくれるのなら心から感謝するから

 俺がもう一度足元を見直せるようにどうか助けてくれ

 どうかどうか俺を助けてくれないか

 

 もう人生はすっかり変わってしまい 俺の独立自尊は雲散霧消したかのようだ

 そして時々不安に苛まれる かつてないほど、俺には君が必要だ

 出来るなら助けてくれ、俺は今落ち込んでいるんだ

 そばにいてくれるのなら心から感謝するから

 俺がもう一度足元を見直せるようどうか助けてくれ

 どうかどうか俺を助けてくれないか

 

ざっくりこんな歌詞だ。Johnは若い女の子の受けを狙って恋愛ソングっぽい響きになるように「君が必要」といった歌詞を組み込んではいるが、彼はこの曲で、それまでの自信たっぷりだった自分が、今や己を見失いつつあることへの不安を吐露していた。よく25歳くらいの若者がこんな歌詞を書いたものだ。

 

 ***

 

サラリーマンとしてアメリカで生活する想定は、元々渡米時にはなかったことはここでも散々書いてきた。そもそも20113月時点で、サラリーマンとして生きることを辞め、外国人相手の行政書士か個人輸入代行で生きようとしていた。その時47歳。まだグリーンカードは当たってもおらず、妻が秘かに応募していたことさえ知らなかった。その年の夏にグリーンカードが当たり、アメリカで生きる決断をし、生きる手段として選んだのは当然行政書士ではなく代行屋の方だった。主力となる代行対象商品をアメリカ版iphoneに定め、実際201210月に渡米して輸入代行屋を開業した。

 

代行屋の生活には確かに多くの苦難があったが、何とか顧客の支持を受け、2014年に円安やアメリカ版iphoneの日本版に対する比較優位性の低下によって業態転換待ったなしになるまで、慎ましいながらも生活を続けることが出来た。個人事業主として生きることが僕のしたいことだったから、生活が苦しいからといって辞めたいとは全く思っていなかった。ただ、そのままではいずれ生活が立ちいかなくなるのはわかっていた。

 

何をして生活の糧を得るか。毎日あれこれ考えている中で、20153月に日本でのコアスキルだった人事の経験を活かして人事評価制度をコンサルとして作る仕事を得た。まごうことなき個人事業主の仕事だ。だからこの時はまだ「自由」だった。自分を拘束するのはあくまで自分であり、いいものを作り上げるための時間配分も作業方法も、全ては自分次第だった。顧客が自分のサービスや成果物に納得しなければいきなりサヨウナラ。降格も減俸も異動も経ず、契約終了か解除、下手すれば損害賠償という結果があるだけ。確かに身分は安定しないが、そのようなスタイルが僕は好きだったし、今でも好きだ。

 

201510月、人事制度一式を完成させる目途が立ち、12月に予定通り契約が終了することになった。さあ、次に何をして生活の糧を生み出すか。コンサルで得た収入は日本でのサラリーマン時代の金額に匹敵し、生活は非常に安定したが、では1月から何をすべきか。僕はカレー屋をやりたかった。または、アメリカへの移住希望者への援助サービスというアイディアもあった。

 

しかし、僕はそれを実行に移さなかった。10月下旬、コンサルとして人事制度を納入した会社から社員として入るようお誘いを受け、これを受け入れたからだ。しかし本当の要因はそれではない。僕には、自分が考えている起業アイディアを実行に移す自信も胆力もなかったのだ。せっかくのオファーを断って自分のこだわりを貫いたとして、最低限生きて行けるだけのお金を生み出せるのか。僕はその自問自答の果て、「サラリーマン的安定」を選んだ。

 

個人事業主であれサラリーマンであれ、最終的にはお客様からお金をもらって生活している。その意味では何も変わらない。顧客の支持がなければ企業も個人も成り立ちはしない。ちなみに、僕ほどその思い(=顧客の支持が全ての源泉)が強い人間は、僕の知る限りサラリーマンにはそんなに多くはないだろうと自負している。ではサラリーマンと個人事業主の違いは何か。それは働き方の違いだ。もう少し狭く定義すると、サラリーマンは「自分流のやり方」を組織の中で貫き通すことが出来ないということだ。当たり前のことだが、これが僕には苦痛なのだ。


 *** 

サラリーマンになってからも、時間があればLas VegasDeath Valleyに行ったり、カリフォルニアに住んでいればこそ気軽にできることを楽しんできた。しかしこの半年は、大好きな砂漠の一本道を運転中に、Vegasの人混みに紛れて目抜き通りを散策中に、会社のことが頭をよぎってしまい、楽しさも半減していた。自己分析してみれば、理由はこうだ。

 

サラリーマンである限り、自分に決定権があるなら絶対そんな判断はしない、または自分ならそんな方法は取らないといったことでも、会社の方針に従って決められた手法で対応し、かつ成果を出さなければならない。それが僕にはバカバカしくて仕方がない。なのに、そこまでバカバカしいと思う環境から抜け出すことが出来ず、しかもいい加減な仕事はしてはならないし、結果を出さなければならないというプライドもある。結果、バカバカしいのに真剣に対峙してしまい、休み中にさえ割り切って自分を解放することが出来ない。

 

仕事をいい加減にやったり評価を気にしない神経があればまだいいが、余計なプライドが邪魔して自分の時間を犠牲にして仕事のことを考える。(僕からすれば)無意味な仕事を命じられたこと自体に苛立つ。そして、そんなことに自分の時間を犠牲にしている事実に段々腹が立ってきて「僕に完全な自己決定権があれば、こんなバカげた状況からサヨナラできるのに」と思うが、現実はサラリーマンのままなのだからそのような願望は決して果たされることはなく、結果として現状を嘆き、苛立ち、苦痛に感じるという無限ループが続いているわけだ。このような心の在り方は、確実に身体にも悪影響を与えるので、この半年は体調不良との戦いをも強いられることになった。

 ***

 

ここまで仕事に疑問を抱きながらやっているが、仕事から逃げているわけでも結果を出していないわけでもないので、幸い僕は会社ではそれなりの評価を受けている。それ自体はとても有難いことだ。でも、「働き方」自体に違和感があるのでは、評価されてもされなくても苦痛は緩和しない。僕には僕が思う優先順位があるが、組織はそう考えてくれるとは限らない。僕には最も効率的な働き方や作業方法があるが、そのまま組織には持ち込めない。いつ休み、いつ働くか、または何時間仕事を継続し、何時間休憩を入れるか。僕は、必要があれば20時間連続で働くことも苦にならないが、この必要性を自分自身で決める自由がサラリーマンは制限される。結果として、僕は自分の流儀を犠牲にして組織に合わせるという生き方を選んでしまっているわけだ。

 

これを「考えが甘い」と指摘する人がいるならば、お門違いだ。僕は自分の流儀を会社が受け入れるべきだとは露にも思っていない。自分の流儀で働きたいなら、早いとこ個人事業主に戻るべきだと思っている。しかしそうしない自分。そうできない自分。それを嘆いている自分。そこから脱却できないのはひとえに僕自身の責任だと強く自覚している。自己決定の自由。僕が渡米前から希求していたものはそれでありながら、今はそれを行使できている感じが皆無な状況。その原因は会社ではなく、100%自分にある。自業自得だ。

 

だから、この苦痛に終止符を打つ方法は結局一つしかない。サラリーマンとして生きる生活を辞めることだ。「会社員は皆多かれ少なかれバカバカしさや不条理とうまく付き合いながらやっている」という意見には同意する。「それでも不満があるなら、さっさと辞めて個人事業主でも俳優でもホームレスでもなんにでもなれ」という突き放した意見にも100%同意する。いや、完全な正論だと思うから。

なので、あとはいつ実行に移すか、だけ。サラリーマンを辞めてから、ではなく、続けながらどう準備していくかが重要。そう心得ております。

以上、ちょっと重かったですね。でも、このテーマで一回書いておかないと、いつまでも軽い話を書く気が起きないと思ったんですね。だから次回こそは「自分関係の重い話」ではなく、トランプのこととかカリフォルニアの日本食屋のこととか、そういう話を書きますね。それではまた。


え?アメリカの会社でもそんなにキツいのかって?まあ
僕が勤めているのは在米日系企業だから、普通のアメリカ企業より「日本の会社」の感じに近いとは思うけど、サラリーマンが個人事業主に比べて自己決定権がない/少ないのはどの国も一緒です。だから僕のように自己決定の自由が最重要だとかほざく人間は、どの国に行ってもサラリーマンはやらない方がいいのでしょう。一方日本でサラリーマンとしてやってこれた人なら、アメリカの企業なら日系であれ何であれ務まりますよ。あ、日系にはビザのスポンサーの地位を利用したブラック企業は一部ですが存在するようだけど。。。

忙しかった。いやマジで。

明けましておめでとうございます。。。って、遅すぎですね。
 

忙しさという意味で凄まじい2016年が凄まじいまま終わり(1231日、冬期休暇の中自宅で仕事をしていたワタクシ)、なんだかわからないまま2017年が来、4日からまた忙しい日々が始まった。もう「忙しい」という言葉は本文だけでは足りないのでタイトルにも入れてみた。

と書いていたのは、実は1月7日くらいのこと。ここから下の文章も基本はその頃に書いたもの。でも、忙しくてフィニッシュできず、今日1月24日火曜の朝に、やっと完成に向けて再度書き出した。何でそんな時間があるのかと言えば、昨夜から体調が悪く、午前中は会社を休むことにしたため。寝てなきゃいかんのだが、未完成のまま1月が終わるのは避けたくて書いてます。

 *** 


何もこの忙しさは仕事由来だけではなかった。このブログで以前に書いたように、昨年3月くらいからぼちぼちやっていた家探しは、糞忙しい11月に一応満足できる物件が見つかったため「逃してはならじ!」と購入に踏み切ったことで、そこから日本とは全然違う複雑・煩雑な購入手続きに長期間追われてしまった。

 

かてて加えて、それまで住んでいた家(2012年の渡米時に買ったもの)は売らないで貸すことにしたことで、とんでもない重荷を抱えた。そもそも新しい家の購入に必要な頭金は、渡米時物件を売って作るつもりだったが、それを担保に金を借り、新しい家の頭金に使うことにし、借りた金の返済は店子からの家賃収入で賄うという作戦を妻が考えたことでこの苦行は始まったのだった。

なんか複雑だな。要はこういうこと。

 1)渡米時に買った家を担保に金を借りる(ローン1)
 2)その金を新しい家購入の頭金に使う
 3)渡米時購入の家を人に貸し、その家賃収入はローン1の返済に充当
 4)新しい家のローン(ローン2)は普通に払う
 

 つまりワタクシ、今ローンを2つもっているわけ。でもローン1は店子からの家賃で払っているので、実質ローンは1個だけってわけ。


なんでこんなことをしたのかと言えば、詳しくは別の機会にお話しするが、確かに様々なデータからは、家の価値が長期的に見るとずっと上昇している南カリフォルニアでは、渡米時物件を現在の市場価格25万ドル(約2700万円)で売るよりも、手放さずに担保にして銀行から必要額(11万ドル≒1200万円)を借り、これを頭金に使う方が賢いと判断できたからだ。

問題は、その決断のせいで今度は大家として渡米時物件の借り手探しをしなければならなくなったことだった。それで
以下のことを同時に進めることとなって、忙しさに拍車がかかった。

 

1)新しい家に問題がないかとかを調べる実地検分(売主との丁丁発止)

2)渡米時物件を担保にローンを借りる手続き(金融機関との手続き)

3)新しい家を買うためのローン手続き(金融機関との手続き)

4)新しい家の購入それ自体に関する手続き(売主との契約)

5)渡米時物件の借り手探し(Craigslistを作成し、募集)

  ※Craigslistとは無料の情報掲示板みたいなもの

6)Craigslistを見て連絡してきた人への問いわせ対応(メール、テキスト)

7)その中でも物件を見たいという人のための内覧会の開催

8)店子の選考(彼らの収入や仕事などから借り手を決める)

9)賃貸契約書の作成・締結

 

 

ね?ただでさえ仕事が糞忙しい中、こんな案件を抱えたらどうしようもないですわな。。。

 

まずは1)から4)についての状況を説明しよう。

 

そもそも、買いたい家が見つかれば、まずはその家がどんなコンディションかを調べる。専門家とともに家を見る(診る)のである。すると色々な問題がわかるが、その状況を基に①売主に直すように言うか、または②こっちが直すから直すための金を出せと言うか、または③値段を下げるよう交渉する。当然売主とは神経戦になる。

 

しかし次からが本当に大変だ。アメリカの不動産売買は、とにかく日本と違い煩雑で素人では意味が分からない。だから自己売買は全然活発じゃない。その代わり売主買主双方のエージェントが活躍するのだが、現代ではスマホ上でほとんどの契約手続き(電子署名)が出来るようになっているため、不動産ブローカー、ローン会社、エスクロー(登記屋)から、仕事中も会議中も容赦なく電話、メール、テキストがジャンジャン入ってくる。

 

しかも、もしこれを無視して手続きが遅れると、下手すれば売買契約やローン契約が無効になるから、11月以降はいちいち仕事中に社外に出てスマホでピコピコ手続きをしてたものだった。そんなことが1か月続き、12月に入ってやっとすべての手続きが終了した。

 

そして5)以降だが、渡米時物件を売らずその大家になることを選択したため、まずやったのがCraigslistの「家を貸しますセクション」用に文章を作り、家の写真を撮って載せることだった。空き家期間を可能な限り短くしたかったので、相場より少し安めの値段設定にしたら反響が抜群によく、山ほど(30組以上)来るメールでの問い合わせに毎日忙殺され、そして土日(2週分)は多くの希望者に家を見せることになった。結局15組が実際に土日に家を見に来、11月の終わりに店子が決定した。

 

しかしそれだけでは終わらない。9)の契約書のパートだ。僕は不動産屋に管理を委託しなかったので、旧我家のリース契約書は自分で作るしかなかったのだ。テンプレートは山ほどネットに転がっていたが、それをそのまま適用できるわけではない。

 

「こんなんでいいのか?通じるのか?」

「ネイティブの店子が理解できるのか?」

「文句は言われないのか?」

 

と不安いっぱいな中、都合20時間以上かけ、自分の貸す家の状況に合わせ様々に条項をカスタマイズし、店子にこれを示した。すると意外や意外、すんなり受け入れてもらえ、1210日に契約は成立し、僕らは129日までに引っ越しを完了し、店子は10日に僕らが4年住んだ家に移り住んだ。ここだけの話、僕の契約書はどうみてもいい加減にしか思えないが、店子も契約書なんて読んじゃいないのだ。ネイティブがどうのこうのではなく、どの国でも普通の人は契約書なんて斜め読み程度なんだろうと思う。

それ以降も、引っ越ししたことで新居関係のことでバタバタし、仕事は無茶苦茶忙しいままあっという間に年が明け、そしてあっという間に今日(1月24日)になった。そして体調を壊し、寝ればいいのに今これを書いている次第。


ところで今冬、南カリフォルニアは異常気象ともいえるほど雨が降り、そして寒い。僕にとっては渡米以来5度目の冬シーズンだけど、いくら雨期とは言えこんなに天気の悪い南カリフォルニアは初めてで、既に20年こっちに住んでいる会社の同僚も「こんな冬は初めてだ」と言っているほどに悪天続きだ。

でも、そのおかげで長年続いてきた干ばつ状況がかなり緩和されたらしい。これは基本いいことだ。そして僕はと言えば、雨降りの休みの日に結構自宅で仕事をした。普通に土日に遊んでいたら仕事が間に合わないってときもかなりあったから、実はその意味でも悪天はそう悪いことでもなかった。

ではまた次回に。その時は、少しは写真も載せたりとか楽しいものにします。

健康保険:アメリカで会社を選ぶ際の決め手の一つ?


お久しぶり。このセリフ、聞かされる方も飽きたと思うが、とにかく忙しいんだからしょうがない。と開き直りつつ、今日は健康保険の話をしたい。

さて、言うまでもなく、アメリカの健康保険は国が運営する高齢者や低所得者のためのものを除き、民間会社が扱う。僕のいる会社でも年に1回の契約改訂時期が近づき、これからどの保険会社のどんなメニューを選択し、いくら保険料を払うかを決めなければならないフェーズに入った。

 

そして昨日、僕は人事の前任者と共に、健康保険の内容について保険代理店の方からヒアリングするミーティングに出席し、そこで保険に関する資料を見、解説を聞いた。僕がアメリカでサラリーマンとして、特に人事として働かなければ絶対に経験できなかったことだ。

 

 ***

 

アメリカの健康保険は原則民間会社が運営し、企業は数ある保険会社からそのメニューや掛け金を元にベストなものを選択していく。ちなみに、普通の健康保険は体だけに適用され、歯と目に関してはまた別の保険に加入する必要がある。但し保険料は体ほどは高くない。

保険会社は社員の給与やその家族の被保険者数などを元に保険料を概算するが、保険のカバー内容が手厚いものほど高額に、そうでないものほど低額になっていく。

 

保険料によって保険がカバーする内容にどんな違いが出るかというと、端的に言えば以下の通りだ。

 

保険料

行ける病院数

初診料

自費出費率

保険適用額

高い

多い

低い

低い

多い

低い

少ない

高い

高い

少ない

 

つまり、保険料を高く払うとその後の病院の選択肢が広くなり自分が負担する治療費が安くなるが、保険料をケチると、一旦病院にかかる状況になった場合に不便で高くつくというわけだ。

 

保険料は社員と会社が負担するが、その負担率は原則自由に設定できるので、会社が多めに負担してくれるのは社員にとって嬉しい仕組みになる。なにしろ給与の額面が高いのに、保険で控除される額が大きいために手取りがぐっと少なくなることさえある。だからアメリカで働きたい人の中には、給与だけでなくその会社の保険や年金も頭に入れている人もいる。

 

僕の会社は、そもそも10段階で8くらいのレベルの保険内容になっているが、これは勿論世間相場ではいい方だ。そして会社は保険料の67%を負担するので、社員にとっては恵まれた環境だと言える(本当にリッチな会社なら会社が全額負担する場合もあるとか)。

 

ところで、保険をどの会社のどのメニューに決定するかは様々な比較が必要だが、幸いアメリカには保険会社の間に立つ代理店が存在し、西海岸には日系の会社も多く、うちの会社の代理店も日系なので様々な情報をわかりやすく教えもらえた。

 

検討の末、結果的にこれまでと同じ保険会社、同じメニュー、同じ負担割合で行くことになったが、保険料は基本的には年々上がるので、体力がない会社はメニュー内容を下げるか社員負担率を上げるしかなくなる。僕がコンサルの時に「御社はいい会社です」と社長によく言っていたものだったが、社員になって再度この会社の「厚い待遇」を実感した。

 

 ***

 

ミーティング後、代理店の方二人と僕を含む社員三人で昼食に行った。そこで色々話したが、ここでオバマケアというのは実効性があまりないという事実を知った。

 

アメリカには3つの健康保険が存在する。一つは65才を越えると加入できる「メディケア」という国が運営する保険で、もう一つは低所得者用のメディケイドというこれも国が運営する保険、そして普通の民間会社の保険だ。

そしてオバマケアとは、保険の種類を増やしたとか保険料を安くしたとかの改革ではなくて、
国民全員がなんらかの健康保険に加入することを義務化したものだ。だが、基本的に保険料を国が負担するメディケアやメディケイドでは、行ける病院も受けられる治療レベルも限られている。

例えば、メディケアの仕組みで保険料自己負担ゼロのメニューを選択すると、健康保険でカバーされるのは入院した場合のみであり、ただの外来で受診する場合や薬を処方された場合は全額自己負担になる。
ということは、入院するに足る病気以外、つまり風邪、インフル、腹痛、胃痛、虫歯などは、とにかく市販薬で治せということだ(虫歯は薬で我慢するにも限界があるだろ!)。


しかも、だ。これまで自己の選択として保険に入らなかった「普通の人々」もオバマケアで加入を強制されたわけだが、これまで保険に入らない選択をしていた人々や企業なんて、全然高所得者でもないし大儲けしている企業でもないわけだ。だからこういう人にとって保険料は大きな負担になるわけだ。

それでも加入しないと違法である以上加入はするわけだが、まともな医療サービスを受けたいと思うとその保険料は半端なく高くなり、保険料は最小にしようと抑えると治療レベルは落ち受診可能な病院は極少になり、殆ど加入している意味がないようなしろものになる。

つまり結局は、
オバマケア導入後もなおアメリカは「病気の沙汰も金次第」の状況のままということだ。日本のように誰でも行きたい病院で受けたい治療を3割負担で受けられ、ちょっとお腹が痛いくらいでも受診OKで、手術で治療費が高額になると還付金も受けられるといった制度とは雲泥の差だというのはお分かりいただけるだろう。


 *** 

 
でも、日本人が一大決心してアメリカに来ようとしたときに、保険の心配をしてる人ってそんなに多くはないと思う。僕も全然心配しなかったし、端から無視していた。でも、今年に入って日本で20年前に治療した歯が次ぎ次ぎとダメになって今歯医者に行ってるけど、保険がなかったらとても行けてないし、その治療費に呆然として行く気さえおきなかったろうと思う。


わざわざアメリカを目指す人には、そもそも保険の心配なんてしない屈強なマインドを持つのも重要だと思う。でも、一旦病気になった時に備えがないのは確かに怖い。オバマケア以降、無保険は罰則をくらうので何かしらの保険に入ることになると思うが、アメリカで会社員として生きるのなら、志望企業の保険と年金のプランがどうなっているかは調べておいて損はないと思う。


<追記>
僕の治療内容は4本の歯の土台再作成、うち2本は根っこ再治療、その4本の歯には日本で言うとこころの「保険の効かないクラウン」を全てかぶせるというもの。総費用は100万、自己負担分は40万だった。日本で保険の効かない歯を4本入れたらそれだけで40万は越えるので、実はアメリカの保険は日本のよりも割りが良くなることさえある。これは驚きだった。

近況報告

前回のエントリーからやたら時間が経ってしまったが、僕は3年強続けた輸入代行業を昨年11月中旬に廃業することをお客様に告知し、並行して行ってきた人事コンサルの仕事も12月いっぱいで終え、そして1月からその人事制度を納入したクライアント企業で経営企画兼人事兼法務のマネージャーとして働き出した。

 

4年ぶりのサラリーマン生活は引継ぎやらなにやらを含めて忙しすぎて、ここまでとてもブログを書くような状況ではなかったが、この忙しさがいつ「普通」になるのかちょっと読めないので、あえて朝の出勤前にこうして書くこととした。

 

予定外にサラリーマンになって思うことは、「それでも夢は忘れない」ということだ。日本にいたころの僕の夢は「アメリカに住む」だったから、半ば達成したとも言えるけれど、アメリカでの暮らし方、その中身の理想達成度はまだ道半ばだ。

 

僕はアメリカ48州(ハワイとアラスカを含めない)を車で1年くらいかけてドライブしたいと思っている。これが夢であり1日でも早く達成したい。そういうことが出来る環境を可能な限り早く生み出したい。それはサラリーマンとしてやるのは無理だ。その夢のためには、もうひとつの夢を達成する必要がある。

 

   アメリカを自由にドライブ

             お金と時間

                 そのための手段

 

この「手段」を手に入れることこそ「夢実現前の夢」の達成に他ならない。そしてこの手段は、やはり起業することしかないだろう。サラリーマンとして生活が安定している間に、それを利用して新たに起業したい。

 

6月に52歳になる僕には時間があるようでないが、忙しさを言い訳にしていたら恐らく一生達成できないだろう。自分にどれだけ鞭を打てるか、結局はそれにかかっている。

 

ではまた。

アメリカでの就職-Ⅲ(代行業の廃業)

先週末、僕が運営してきた輸入代行店を閉じることを店のホームページでお客様に伝えた。前回のエントリーでにおわせたと思うが、実は今年3月から人事コンサルをしていたクライアント企業から「来年から社員にならないか」と打診を受け、熟考の末そうすることに決めたのだ。経営企画、人事、法務などを統括する役割を担うことになり、年俸は日本のサラリーマン時代のレベルを回復し、生活はいきなり安定することになる。

 

 ***

 

201210月あたまに渡米して以来3年強、iPhoneをメインにした代行業は最初は目論見どおり当たったが、2013年以降は日本でのSIMフリーの発売やdocomoiPhone採用に加え、急激な円安が追い打ちをかけてきて、普通に生きていけるだけの需要が見込めなくなった。

 

iPhoneだけではまずいことは渡米後すぐに気付いていた。というかアイディアはかなりあった。何しろ需要のピークは発売から3か月なので、残りの9か月に何をするかを考えるのは当たり前だった。だから様々な工夫は施したが、結局iPhoneの売上が98、そのほかが2くらいの比率だった。

 

その「様々なアイディア」はマーケティング調査の結果絶望的に見込みのないことがわかった。結局アメリカのサプリや薬などの人気商品は、配送業者を安く使える大手に歯が立たないのだ。ウチが3000円取られる重さのものを、大手なら400円で日本に送れるのだから話にならない。競合しない商品をいくら代行しますと言っても、「競合しない=人気がない」のでそんなものを代行してもそもそも売上が立たない。

 

結局2012年の所得を100とした場合、2013年は70に、2014年は50になった。生々しいから金額で書かなかったが、仮に2012年を600万円と考えてみれば、13年は420万円、14年は300万円ということになる。妻も働いているので300万円で生きていけなくはないが、このままでは2015年は30(この計算では180万)を切るのは必至だった。

 

そこで昨年から、正確には2014年に入ってから、何か「新しい事業」を行わなければと検討を続けていた。アメリカ人をターゲットにするジャパニーズカレー屋や日本人で移住を希望する富裕層向けの移住支援会社など、本当に真剣に考えていた。

 

しかし、今年3月に人事コンサルの仕事が舞い込んで「とりあえず1年延命」ということでこれに従事した結果、冒頭の通りクライアント企業で社員になるという選択肢が生まれた。お誘いを受けたのは先月で、熟慮の結果これをお受けすることにしたのだった。

 

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代行業それ自体には愛着があり、「お客様とつながっている感じ」を失うのは非常に寂しいし、需要が少ない中でもウチに期待してくれていたお客様に対しては本当に申し訳ない気持ちだ。しかし、一人の生活者として誰にも迷惑をかけず自立して生きていくという当たり前のことを行うには、今回の選択は不可避だったことも事実だ。

 

それにしても、まともに生きていける環境を維持できるという点で、今回51歳でサラリーマンに戻れるという事実はやはり有難いことだった。日本では大学中退で35歳まで音楽家だったというハンデを克服して転職戦線を戦ってきた僕だが、それがアメリカでも起こるとは思っていなかったから。でも起きた。就職や転職に悩んでいる皆さんにとっても発奮材料になるだろうと思う。

 

さて時間だ。これからクライアント企業に行く。年末に人事制度を完全に「納入」するためにまたまた忙しい日々が始まる。

アメリカでの就職 ー Ⅱ

ずっと忙しかった。89月は何とか土日は休めたのでセコイヤ国立公園に行ったり(これはまた別の日に書く)サッカーを観に行ったりもできたが、平日は仕事に追われその後はあれほど忌避したかった一日16時間仕事が3週間も続き、今週になってやっと「普通の日」がやってきた。これもあと数日の運命だが、この時間を活かして久しぶりにブログを書こうと思う。

 

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アメリカで就職することについて以前ここに書いた。まあその時に書いた内容は基本変更はないのだが、アメリカでにせよ日本でにせよ「いい就職」をすることの難しさは変わらない中、今日は「就職弱者は絶対まともな就職は出来ないのか」という問いについて「1%の例外がある」ことを書きたい。

 

「就職弱者」というのは、要するに「履歴書が弱い人」のことだ。大卒でない、いい大学を出ていない、経験企業が一流とか有名とかではない、特筆すべき実績がない、経験業務に市場ニーズがない、転職回数が多い、年齢が高い…。こういうのが一つ又は複数当てはまると「いい就職」は簡単ではない。なお、ここで言う「いい就職」とは高い賃金が期待でき生活が安定するものという意味で、「自分にあった遣り甲斐のあるもの」とかの一種抽象的な意味ではないということで話を進める。

 

さて、以上のような要素が当てはまる人が好条件の会社に行くのはかなり難しいというのは当然として、可能性が皆無なのかと言うとそうではない。何故そう言えるかと言えば、上記の「1%の例外」に僕が当てはまるからだ。

 

以前どこかで書いたかと思うが僕は大学中退者である。しかも28歳から35歳までは音楽で食っていた人間だ。音楽家廃業直後の19991月、356か月にして普通の会社員を目指し履歴書を10社に送ってみたが、勿論ものの見事に全部撃沈した。特に僕は人事をやりたかったのだが、人事の経験などそれまで一切ないのだからそれも含めて非常に順当な結果だった。

 

だが同年4月、日本の会社では英語力が重視されることが多いことに着目し、通訳の勉強を学校で開始した。通訳で食っていくもよし、通訳をやった実績で企業にアピールするもよし、という考えだ。この戦略は完全に当たった。これが弱者の戦略その一、「誰でも簡単に手に入れられるようなものでなく、それでいて企業の需要は非常に高いスキルを身に付け、就職にもフリーランスにも備える」だ。

 

同年7月、実際に通訳になったことで企業の関心が引けるようになり、正社員採用に受かることが多くなったが、更に2年間ほどあえて派遣の立場で有名企業や官公庁傘下の独法などに入って人事や法務をやり(英語が絡むので未経験でもやらせてもらえたわけだ)、そこで(正社員より低い給与であることを不満に思わず)高度な仕事を任せてもらい実績を上げることで経験値の向上と履歴書の強化を行った。

 

これも前もって練った戦略その二、「とにかく一流の企業とか高待遇の職場に、一旦どういう身分でもいいから潜り込め」に沿ったものだ。なお、あえて派遣にしたのにはまだ理由がある。それは、就職を急ぐあまり妥協してあまり気の進まない企業に正社員として入ってしまうのは危険と思っていたことだ。実際失敗に気づいてまたすぐ転職しようとしても、採用者の心証を考えればそれはまず成功しない。

 

結果、2001年から派遣として入り、その後契約社員として働いていた某ラジオ局の当時の総務部長だったM女史が僕の社員化を後押ししてくれ、僕は37歳で新卒採用率1000人に一人ほどの会社に入社した。給与は契約社員時の倍になった。翌年には管理職になった。

 

このラジオ局で、僕はほぼ放送局初となる成果主義人事制度の導入プロジェクトのリーダーを社員になる前に拝命していた。そして懸命に働いた。そしてその実績が社員への扉を開き、その後も人事(と法務)として濃密な経験を重ねることができ、その後2011年まで、僕は東証一部上場企業を含む都合4社で人事法務などの管理職として働いた。

 

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以上が「履歴書が汚い就職弱者」が1%の例外を生み出す方法であり(勿論他にもあるかもしれないが)、「35歳の音楽家崩れ」がそれなりの「いい就職・いい転職」に成功した実例である。

 

要するに、一般的に見て「どうにもならない汚い経歴」だからとあきらめず、それを徐々に綺麗にしていく戦略を練り、すぐに結果を求めずむしろ滅私奉公的に働いて実力を蓄え、またその実力を間近で見てもらい、そしてしっかりと認めてもらうのだ。あなたがそこで確かな戦力になっているなら、誰かが引き上げてくれる可能性は必ずあると僕は思う。

 

それでも、これだけ力説しても、就職弱者が「いい就職」をするのは無理だと思う人は多いと思う。が、もしも、今51歳の僕が、再度上記と同じことを今アメリカの地で再現していると言ったら、あなたはどう思うだろうか。

 

今は詳しいことは書けないが、とにかく就職弱者にだってより上を目指す方法があることを頭に入れて頂ければ幸いだ。なお、最後に強調しておくが、今回の「いい就職」は「賃金の高さや安定」を基準にしている。それが「幸せな就職」となるかどうかとは一旦無関係なのでご了解願いたい。

「典型的なオーナー企業」の対極にある企業

愛猫の死からずっと書けずにいたのは、そのショックが大きかったからではない。僕らも猫も頑張ったのは間違いないし、ある意味納得さえしている。要は単純に「新しいビジネス」で忙しくてブログを書く時間がなかったのだ。

 
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僕は今コンサルタントをしている。何のコンサルタントかについては詳細は書けないが、何しろご縁があって、ある日系企業の委託を受けて業務を行っている。仕事を進めるにあたっては、この企業のオーナーであるK社長と打ち合わせをすることも無論多いわけだが、K社長の経営者としての人生観や哲学は少し驚くべきものだった。

 

彼は日本の大企業に就職後、志願してアメリカに駐在。駐在終了のタイミングでアメリカで起業して山あり谷ありの人生を送りながら今の企業を成長軌道に乗せた。サービス対象が日本に住む日本人なので、アメリカの会社の社員も殆どが日本人で構成されている。

 

そんな彼が語ったこと。

 

 ・社員の人生観、価値観はとても重要なもので、それを捨ててほしくない。

 ・会社には会社の価値観や使命感があるが、社員はそれに無理に合わせるのではなく、
  自然にシンクロしてもらうのが理想。

 

「会社に人生を賭けろ!24時間戦え!」みたいなオーナーさんにありがちなギラギラした意識がまるでない。社員には働かせてやっているなどというおごった意識もゼロで、むしろ「働いてもらっている」という感謝の気持ちが強い。

 

そんなに社員に感謝するってことは待遇が良くないのかと思いきや、給与や福利厚生のレベルはアメリカの日系企業の中でもトップクラスだったし、ある金曜の夜、7:00PMに働いている社員を見て「週末にそんなに働いてどうする!」と声をかけ、「僕はこれから妻と食事を楽しむから!」と言って帰っていく。

 

僕はこんなオーナーに会ったことはない。

 

日本時代、僕は東証一部上場の大企業から50人規模の小さいところまでオーナー企業に勤めたことがあるし、人事として他の企業の社風やオーナーの発想も知っているけど、彼らはまさに働かせてやっている、給料を払ってやっている、何時になろうが働くのは当たり前、家庭の事情が仕事に優先するなんてもってのほか…そんな風に考えるメンタリティーの人が殆どだった。

 

そんな彼らの「鞭を打って働かせる手法」と、K社長の社員を愛おしんで働いてもらう手法。社員にとってどちらがいいかと言えば後者がいいに決まっている。後者に欠点があるとすれば、そのような職場環境を当たり前に思い、いつのまにか社員が甘えだしたり増長したりすることだろうか。

 

日本人がアメリカで働きたいと思う場合、普通のアメリカ企業で働くのは極めて難しから基本日系企業が就職先の第一候補になるだろう。そしてLAをはじめ大都市周辺には日系企業はそれなりにあるわけだから、皆さんも色々検討する必要があろう。その中で、この企業を就職先として推薦するかと言われれば、僕はもろ手を挙げてお勧めする。

 

会社の名前を言えないのが残念だが、何しろこんな会社もあるのだなぁ。。。

岐路

アメリカに移住すると決断したとき、どうやって金を稼ぐかということは大問題ではなかった。何故なら移住したらiPhoneを中心に個人輸入代行を生業にすることに決めていたからだし、もしそれがコケたとしても基本何をやってでも生きていく覚悟があったので、「とにかくまずは移住する」と決めていたからだ。

 

実際には日本でのアメリカ版iPhoneへの需要の大きさについて確信があったし、ここでお客様の一定の支持を得られれば生きていけると思ったし、事実2012年秋にアメリカに移住して以降これまではそれでやってこれた。

 

しかし、iPhoneの需要は発売されてから3か月間がピークで、残りの9か月の売上は激減する。勿論この9か月の間の売上を増大させるべく色々な施策は試してみたけれど、なかなか思ったような結果は得られなかった。そうこうするうちに日本でもSIMフリーが出、円安は益々進行し、「カツカツの生活」さえ維持するのは簡単ではなくなり、これを打破するために何か新たなことをしなければならなくなった。これは昨年以来の課題でここでも折を見て書いてきた。

 

以来、僕としては従来の輸入代行業を強化するか、もしくは新たに移住コンサルティング会社や旅行案内会社を興すか、または、アメリカ人の需要を汲むという方向性でJapanese Curryの店を興すことを考えていたのだが、実は僕は、今日から全く違うことをやり始めた。

 

詳しいことは秘密保持の義務があって言えないが、僕が日本でサラリーマンをしていた時のコアスキルを活かした仕事だ。但し、サラリーマンではない。契約は年末まで。

 

フリーランスなので今の代行店を畳む必要はないのだが、この仕事は片手間できるものではないので、代行業務は縮小し、基本iPhoneの代行以外は行わないことになる。また、今年の9月に新型iPhoneが発売されるだろうが、この代行をこれまで通り行うかどうかは現時点では流動的だ。

 

ところで、この決断をする際妻に「本当にやりたいことは何?」と聞かれた。僕は「僕が出来ることをやりたいだけ」と答えたが、妻にはピンと来なかったようだ。具体的な仕事の内容や職種を言うものだと期待したのだろう。もしかすると、これを読んだあなたにも意味がつかめないことかもしれない。しかし、僕は一貫してこの考えだ。

 

      やれることをやった結果、それに満足してくれる人がいる。

      それ以上にやりたいことは特にない。

 

僕は実家が負わされた巨額の連帯保証債務を契機に1985年に大学を3年で中退した。その後塾の講師から作詞作曲家になり、1999年に廃業後通訳を経て人事・法務マンになり、2011年にグリーンカードが当たって今の代行業を行っているが、経験した複数の仕事のいずれについても「やりたいからやった」のではない。「やれるからやった」のだ。

 

いや、僕が一時生業にした音楽家業は純粋に「やりたいこと」だったのかもしれない。そして「本当にやりたいことは何?」という質問への、前提条件なしでの答えは今でも「音楽」だ。だが、もし今そう言えば妻はより当惑するに違いない。それでどうやって食っていくのかと言えば、食える保証など何もないからだし、そんなものをいつまでも「やりたい」と言い続けることは周囲の誰にとっても迷惑でしかないだろう。そもそもそんな「迷惑行為」を続けるメンタリティーは僕にはない。趣味ならいい。しかし趣味を楽しむには生活の糧が別に必要だ。

 

「なんでもよかったわけではないでしょう?」と聞かれれば、それはその通りだ。音楽家業はもとより塾講師、通訳、そして人事法務の仕事。その全ては自ら選んでいるのであって何でもよかったわけではない。しかし、どの仕事の場合でも、その職種についたことで自動的に満足が得られるわけではない。

 

塾の講師なら生徒父兄の支持があって満足できる。通訳をしているのに外人さんに「アナタ、何言ッテイルカワカラナイヨ」と言われて落ち込まないはずはない。というか翌日はクビだ。人事や法務についても、その仕事を通じて成果を上げていないのに喜べるはずがない。

 

そう、要は成果だ。他人様が喜ぶから、他人様が頼りにしてくれるから自分が生きる。報酬が生まれる。自分の仕事に意味が生じる。だから、「やりたいことをやってます。でも何ら成果を生んでません」などということは精神的にも経済的にも続けられるはずがない。そしてそもそもそんなものは「やりたいこと」にしておきようがない。

 

iPhoneの個人輸入代行も「僕が出来ること」の中から選んだものだ。お客様の支持を得られる自信があったからやったのだ。支持されることが嬉しいからこれまでやり続けたのだ。だが、今のiPhoneや為替相場を取り巻く環境では早晩終わりが来る。だから僕はまた「自分が出来る新しい何か」をやり、支持を受け、対価を得、更に生存していかないといけない。それがこれから行う仕事だ。

 

この仕事が終わったら何をするのか。いや、簡単。「また出来ることをやる」だけ。今後も生きていけるレベルの対価を頂けるものを。それが「移住コンサルティング会社」なのか「観光案内会社」なのか「カレー屋」なのか「ハイパー輸入代行屋」なのか「引き続き会社員時代のスキルを活かした今の仕事」なのか「タクシーの運転手」なのか、はたまたサラリーマンなのかはわからない。わからないが、そこには自分なりの理想や都合はあるから、出来るだけ希望に沿ったことが出来るように「準備」はしておくつもりだ。

残業への考え方の違い

かなり昔、僕はデューダやエンジャパンなどの転職斡旋サイトを利用したことがあるが、その時の登録を解除していないので今でもメールがバンバン来る。そこで紹介される案件のキャッチに「残業30時間以内」というのがある。言うまでもなく、日本では残業30時間以内はかなりの売り文句になるからだ。

 

実働2122日で残業30時間なら1日あたり約1.5時間残業が発生するので、8時間の通常労働と合わせると9.5時間会社にいることになる。確かに日本ではいい方だ。だが、アメリカでは「残業時間が少ない!」などと募集に際して宣伝する概念そのものがない。

 

彼らは何か特別な事由がない限り8時間働いたら家に帰る。翻って日本では、マシな会社でも大体残業が30時間は発生する。ということは、日本という国では最低30時間の残業を生む「特別な事由」が"恒常的"に発生しているということか。


  ***
 

僕もサラリーマン時代は深夜のタクシー帰りを含め長時間労働を経験している。それでも僕は「意味のない残業」だけは回避しようとしていた。家族との時間、趣味の時間、それを犠牲にすることは耐え難かった。だから僕自身、人事の管理職として「成果を上げてスキっと帰宅」を実践しようと心掛けていた。

 

しかし、定時に帰ることそのものが「もってのほか」という雰囲気を気にしないで自由にふるまえるほど、僕は「日本人ばなれ」してはいなかった。そのストレスによって(早期で発見できたからよかったが)胃癌を患ったと確信している僕は、憧れていたアメリカに対し「憧れ以上の想い」を持つに至った。すなわち僕は、アメリカが「無意味な長時間労働を強いる国ではない」ことにも強く惹かれたのだ。

 

アメリカに住んだこともなく、せいぜいアメリカ人のメル友との会話で得た程度のイメージでしかなかったが、Appleの創始者であるスティーブ・ジョブズやMicrosoftのビル・ゲイツのように、成功への野心を燃やす人は他人に言われずとも長時間の労働をする一方、年収数百万のサラリーマンがプライベートを犠牲にして長時間無意味に働くなどということはアメリカではあり得ないという確信があった。

 

果たして、渡米して普通に生活する普通の人々と交流する中でわかったのは、その確信はほぼ100%当たっていたことだ。

 

僕の近所の複数の知り合いで、夜の7時に家にいないということはない。いや多くは6:30PMには帰宅している。つまり午後5時台には会社を出てる。土日に会社に借り出されるということもない。会社はそんな要求はしないし、社員側もそんな要求をされることなど微塵にも考えていない。

 

そんな「働かないアメリカ」で普通の国民はプライベートを充実させ、生きることを楽しみ、そのくせ世界No.1の経済大国を維持している。そして日本は「今日も残業、明日も残業」でやっているのにその後塵を拝している。人口の違いなど要因は様々あるだろうが、概して日本の長時間労働は生産性につながらない非効率的なものだと僕はずっと思っているし、「楽してNo.1」のアメリカに学べることがあるのではないかと僕は思う。

 
  ***
 

昨今アメリカでは、日本のアニメやマンガなどへの関心を経て日本独特の事象も多くの一般の人が知るようになっている。当然日本人の長時間労働も知っているし「過労死」という言葉さえも知っている。僕のコミュニティーの友人も勿論それを知っている。そして、何故そこまで私生活を削って会社に時間を割くのかは到底理解不能だという。家族も趣味も全部犠牲にして働いて、一体なんのための人生なのかわからないという。

 

僕も日本にいた時からずっとそう考えていた人間だった。成果さえ出せば、その時間の使い方に文句を言われる筋合いはないと20代から考える人間だった。周囲と協調するのが苦になる人間ではなかったが、無意味さを強いられることにだけは耐えられなかった。

 

アメリカに来ている日本人は、それなりに同じ日本人の知り合いがいるし、こっちに来てから自然に知りあいになることもある。彼らの中には僕のように日本である程度の額のお金を会社員としてもらいながら、それを捨ててアメリカに来て起業した人も少なくない。

 

それで大成功した人もいるが、多くは日本時代よりお金は稼げていないし、日本にいたころのように長時間働くこともざらにある。僕も繁忙期は休みが4か月とれなかったこともある。しかし、何かが違う。それは「全てに意味を感じる」ということだ。僕もその友人たちも「誰かにやらされていない」のだ。これはアメリカならサラリーマンでも同じ感想を抱くことだ。

 

アメリカはこう言う。

 

  成功したいの?どうぞ。没落したいの?どうぞ。
  どちらもあなたの自由です。何も強いませんよ。

 

僕にはこの考えがあっていた。日本での長時間労働に「特別な事由」は何も見いだせなかった。趣味の悪い根性論に付き合わされるのは勘弁してほしかった。だから年収が3分の1になってもいいと思ってアメリカに来た。本当に年収は3分の1になったが何の後悔もない。代わりに手に入れたもの - ほぼ100%の自己決定の自由、青空、海、緑、砂漠 - があまりに心地いいからだ。僕だけではない。友人たちもほぼ同じ理由でここにとどまっている。

 

起業すれば全てにおいて自己決定するのは当たり前だが、アメリカではサラリーマンとして働いても日本のような居残りへのプレッシャーなどはありえない。日本は言うまでもなく素晴らしい国だ。しかし、生きる上で切っても切れない重要な要素である「働く」という点では、これほど不条理で馬鹿げた意識が横溢している国はないように思える。

あなたが本当に欲しいものが「自己決定の自由」なら、アメリカに来るのは間違いではないと僕は思う。

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