でも、僕は今年、「とてもやりたいこと」をやるためのお金と時間を生むために、「前からやりたかったこと」をやるつもりです。それが軌道に乗るとサラリーマン卒業。それが一定の利益を生み出すようなら「とてもやりたいこと」に進める、というわけです。
いやー、あまりに権力者が私権制限をしたがるので、僕の闘争心に火が付いた感じがします。物質的、精神的幸せを追求するのは人間の自由であり権利です。僕も堂々と、その自由と権利に基づき物質的、精神的幸福を追求してみます。
っていう内容でした。
昨年までは毎朝9:30に起きて10:00から仕事というルーティンでしたが、今は毎日7:30に起きて「前からやりたかったこと」をやる準備作業をしこしこコツコツとやっています。「しこしこコツコツ」。これができるわたくしは、「本当に尻に火が付いたわたくし」でございます。
あ、今日の記事は「わたくしの個人的な話」に終始します。バイデンのワクチン義務化政策が数日前に最高裁で差し止められた話とか、オミクロンを未だに問題視するプロパガンダメディアへの攻撃とかは本日は自粛いたします。以上警告はしましたのであとは自己責任でw
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実はわたくし、自由な家庭環境と生来の資質とが合わさって、「よほど強い動機にかられない限り、長期間自分を律して努力する」ということが出来ないという欠点があります。わたくしもいにしえの1980年代前半に大学受験を経験しましたが、高校3年間、毎日毎日ロック、ギター、麻雀、読書、女子などに現を抜かしており、「さすがにやばい!勉強しなくちゃ!」と強い動機にかられたのは高校3年の12月24日でした。2月11日の最初の受験日まできっかり50日前のことでした。
以降1日13時間、毎日勉強しました。現国はあえて勉強せず、古文漢文は不得意すぎてキッパリ捨て、英文法は得意だったので単語の暗記だけをし、一番どうにもならないのは日本史でしたが、これは暗記すれば即得点になって現れるので時間をかけました。つまり、英単語と日本史の暗記のみに特化して1日13時間×50日の勉強をやり続けたわけです。
受験生が一般に行う長期的な受験勉強を思うとき、このような短期間の追い込みを「努力」と呼ぶのは恥ずかしいという自覚は勿論ありますが、自分史上では「初めて自分を3日以上律することに成功した経験だった」というのも事実です。
なお、古文漢文を捨て、付け焼刃の日本史で勝負するわたくしのような者は、英語の配点が高いところを受けるのが合格の可能性を上げる点で重要です。なので、国語と日本史が100点の配点で、英語が200から250点配点されるところを第一希望と第二希望にしました。それらには合格し、そうでない大学・学部(4校)には全て不合格でした。自分の得意を活かす戦略って大事ですよね。
次に「強い動機」を感じて自分を律する経験をしたのは、35歳になる直前に「(売れない)音楽稼業」を廃業したときでした。普通に企業に履歴書を出し、普通に全敗する過程で、ある人事の方に「あんた、Toeic何点?え?受けてないの?英語ができれば仕事あるかもよ」と言われたことをきっかけに、「英語が俺がカタギに戻る最速の手段っぽいな。でも、35歳でToeic800点とか言ってもインパクト弱いな。いっそ通訳レベルの英語力を身に着けて、就職と通訳の両睨み作戦で行くか」と考えました。
1999年元日から約3か月、毎日10時間くらい英語を「やりなおし」してから当時四谷にあった通訳学校を受験。35歳にならんとする音楽稼業廃業者が、楽器に囲まれた部屋で独り英語を勉強しているというのも、なんだか泣けますよね。で、結果はなんとか補欠で合格。入学したとき、若い女性の多さに圧倒されました。ほとんどの皆さんが一流企業や有名企業に勤められていて、Toeicは900点持ってるのが当たり前でした。
4か月後の1999年7月、間違って本当に通訳になってしまいました。まだ学校で基礎をやっている段階だったのに、音楽知識や経験があることが有利に働いたんですよね。相手は、ディズニーランドの改修工事に来てたアメリカ人エンジニアということで、お試しで受けたオーディション(選考会)に受かってしまいました。
その後もクビにならず契約期間をまっとうできました。自分の職歴がこんな形で活きるとは思いもよりませんでしたが、実力不足の自覚は半端なく、プレッシャーで2か月で5㎏体重が減りました。身長172㎝で体重47㎏というガリガリモードでしたね。「早いとここの経験を売りにして普通の企業で働きたいなぁ」と思い、同年秋に再度就職活動を開始し、面白いところ(後述)が決まったので通訳は辞めました。
強い動機に駆られて努力する最後の時は2000年7月に訪れました。通訳経験のおかげで「英語力のある人」となったわたくし、最終的には人事マンになりたかったので、「英語が必要な人事」というのを探しました。すると、日本で最大規模の独立行政法人で「外国人研究者雇用派遣事業の人事」という派遣のお仕事がありました。
予算規模3千億円。そこで働けば、官僚の働きぶりが伺い知れますし、大企業から多くの人が出向してきていましたので、妥協してどこかの会社の正社員になるより面白そうでした。実際、35歳で妥協して正社員になり、嫌になってすぐに退職するというのは職務経歴的に大きな傷になりえるので危険です。そこでわたくしは、その独立行政法人で1999年12月から働きだしました。
「派遣や契約だけど仕事の難易度は正社員と同じ」っていうこと、ありますよね。35歳のわたくしは色々経験したかったので、そういう環境をあえて希望していたし、実際主体性をもってよく働きました。強烈な主張をしてくる外国人とのトラブル対応もわたくしがしてたんですが、仕事をしている過程で業務経験と法律知識が積み重なっていくのを自覚しつつ、「いい就職先を決めるために、英語以外の専門性がここでどんどん身につくのはありがたいことだ。そうだ!どうせなら法律の国家資格でも取ってみるか!」と思いました。
ということで、2000年7月、法律系国家資格にどんなものがあるかと調べると、10月に行政書士という国家資格の試験があるとわかりました。「準備期間が3か月しかないな...。でも、3か月なら自分を律することはできるな」と思い、勉強を開始。土日は10時間、平日は2時間から3時間、これを受験までずっと続けました。
9月下旬にアメリカ旅行に行ったんですけど、往復の飛行機の中でずっと参考書を読み、現地についてからも寝る前の2時間くらいはホテルで参考書読んでました。で、受験の1か月前くらいにLECっていう資格予備校の直前講習に参加し、模試を受け、10月本番。法律問題と一般常識ってのがあるんですが、合格最低点をわずかにクリアして、合格しました。いつもぎりぎり。いつも薄氷。
「じゃあ、司法書士試験や司法試験を視野に勉強を続けようかなぁ」と思う間もなく、これ以上の資格がなくても満足な就職ができる感じになってしまい、4度目の「長期的に自分を律して行う努力」はもう二度と実行に移されませんでした。
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以上がわたくしが「強い動機」に駆られて自分を律した経験ベスト3となります。「で、何が言いたいの?」と疑問を抱かれた諸兄。わたくしが言いたいのは、今、わたくしがやっていることが、まさに人生4度目の、「自分を律して努力していること」だということです。
これまで「~したいなぁ」と何度か口にしてきましたが、「ま、仕事が忙しいから無理なんだけど」程度で済ましてきましたし、実際、何の実行も伴っていなかったのですが、今回は違います。実行を伴っており、3日坊主の段階も突破しました。わたくし、どうやら相当強い動機付けができているようです。そして、そのことをここで公言してしまいました。
つまりわたくし、今回は口だけでなく本当に実行する模様です。
高3のときの受験勉強では、受験まで50日に迫り、お尻に火がついて強く動機付けられました。35歳のときは、音楽を廃業し、カタギに戻る必要性から強く動機づけらました。その翌年には、「まともな就職のために専門性(≒法律資格)を持ちたい」との願望から強く動機づけられました。
そこから22年後の今年、何かをなすために自分を律して、その「何か」を実行に移すための準備を始めました。その動機は「2年もの間、国家権力やマスコミの馬鹿げたプロパガンダに付き合わされ、私権を制限され、人としての怒りを禁じえないことによって生じた反骨心と自由を希求する心を強く自覚したこと」で形成されました。
皆さんには共感いただけないかもしれませんが、権力者に「注射を射たないとおまえの私権を制限するぞ」と脅されたことは看過できないのです。こんな強い怒りを感じたことは今までに一度もありません。そしてそれが、「やりたいことは今やらないと!」という強い動機を生んだのです。
高3の冬の、35歳で音楽廃業したときの、36歳で派遣として働いているときの「あの強い気持ち」と今が一緒なことは、わたくしに内蔵された動機メーターで確認できています。針は右に振り切れています。こういうとき、わたしは結構他人様より頑張る人になります。なので、経験上もう途中放棄することはないはずです。
これから3月まで、仕事は人生一忙しくなることが確定しています。しかも「やりたいことへの準備」はし続けます。またしばらくここに書き込みに来ることが出来なくなるかもしれませんが、「やりたいことへの準備」は続けているはずです。ではまた。