2014517日にこのブログを立ち上げてから13日間、ここまでは僕が経験してきたアメリカ旅行についてのみ一気に書いてきたけれど、一旦2006年の旅行までで一区切りにして、ここからは色々なテーマで書いていきたいと思う(旅行ブログはあと07年、09年~11年の4年分を書けば終わる)。

本日は「アメリカに住む」というカテゴリの初っ端として「グリーンカード」を取り上げたい。
記憶を辿ると、僕がグリーンカードを当てるまでにはこんな経緯があった。 

 2007
年、妻が代行屋さんを利用して応募したらしい(本人も記憶曖昧)
 2009
年、妻が代行屋さんを使って応募
 2010
年、同上
 2011
年、同上も、5月の抽選で落ちたが当局にミスがあり、7月に再抽選があり当選

2007
年の応募時は、妻もどうしても当選したい気はなかったらしい。2009年から本気で応募し、2011年に当選した。計算したら日本人の当選確率は0.6%くらいだった。僕は妻が応募していることは当選まで知らなかった。この時妻名義ではずれ、僕名義で受かった。勿論夫婦なのでどちらかが当たれば自動的にどっちもグリーンカードがもらえる。

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僕は20077月にFM局を退職し、8月から大いなる希望を持って音楽配信会社に転職したのだけれど、入社してみると自分が行うはずだった業務と何ら関係のない仕事を任されることになった(端的に言って、違法だ)。それから失意と怒り、そしてストレスは極限まで達し、3ヶ月後には年齢的にも再就職はないと考えて行政書士として独立しようとまで思っていたのだけれど、12月に胃癌が見つかって全ての悩みも希望も中断した。

結果的に早期だったしいまだにピンピンしているが、その時は死ぬかもしれないという思いと共に、二度目の人生をやり直すなら何をしたいかじっくり考える機会を授かった。職場復帰後、最初の約束に近い業務を任されて一旦心も平穏を取り戻していたが、200811月に門外漢の部門へ再度異動を打診された時(それは昇進でもあったのだけど)、何かが切れた。

僕は成果を出したくて転職した。会社も僕の知識、経験、能力を吟味した結果、必要だと思って採用したのではないか。僕がやりたいと思ったことは、すなわち会社がやってほしいと思ったことだったはずだ。そしてそれは、これからますます重要性が高まることだったはずだ。だから、目先の人材不足を門外漢の僕で補おうとする考えは明らかに間違いだと僕は思った。しかし、上が決めればそれに従うか、従うのが嫌なら退職するしかない。そして僕は、退職の方を選んだ。

この時、もし出来るのなら英語力を活かした行政書士かアメリカ商品の輸入代行屋のいずれかで生きていければと思った。けれど、「安定」を失うことを恐れる妻の親(気持ちは分からないではない)が反対するし
現実味はやはり薄かったので、結局また人事として20092月から会社勤めをすることになった。ところがこれで終わらない。このとき既に44歳、リーマンショックの爪痕も生々しい時だったので「最後の転職」になるはずだったが、残念ながら体を壊してしまったのだ。きっとターニングポイントに来ていたのだろう。


静養後に再就職はしたが、「英語力を活かした行政書士かアメリカ商品の輸入代行屋のいずれか」をやる準備は地道に続けた。そして2011311日が来た。胃癌を患った時に芽生えたのは単に「淡い夢」程度だったが、大地震が生み出した過酷かつ不条理な現実の中でそれは「実行すべきもの」に昇華した。僕は妻の両親に今度こそ会社員を辞めることを伝えた。今度は異を唱えることはなかった。それから4ヶ月、グリーンカードが当たったことを知った。行政書士は消え「アメリカで代行屋」をやることになった。

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今49
歳の僕がアメリカに住んでいるのはこんな変遷をたどってのことだ。おわかりのように、僕にとっては年齢がどうだとか安定がどうだとかより遥かに重要に思えることがあり、それが即ちアメリカ移住で、それが叶うなら全てを捨ててもいいという覚悟を持ってこうしてアメリカにいるし、その思いは本物だったと自負している。でも、それはここまで長々書いて来て皆さんに伝えたかったことではない。安定を望むことは当然だし、何ら問題はないのだから。

日本人のグリーンカード当選者に辞退がかなり多いらしいけれど、実際に当選してみると日本で築いたものを手放してアメリカに住むなんてとてもじゃないが出来ないとか思うらしい。そんな砂糖のように甘い認識でグリーンカードに応募してはいけない、などと上から言う気もない。だって人には事情があるのだし。

じゃぁなに? いや、覚悟を持ってようと、覚悟がなかろうと、日本で築いたものは捨てられないということで諦めようと、人はそれぞれだから好きにすればいい、と言いたいだけ。ただし、なにしろ人は死ぬ。僕などは早期発見できなければ5年前に胃癌で死んでたかもしれない。死ぬ前に試したいことを試せるなら、試してから死ぬに越したことはない。しかも「死」なんてそう思った通りには来やしないのだし。

とにかく、死なない限りまた何かやれる。いつも「死」を最悪のケースにして人生を想定できると、結構鷹揚に生きられる。「明日の会議でへますること」を最悪のケースと思うなら、命がいくつあっても足りない。失うことを恐れる気持ちはわかるが、「命があればまあいっか」という考えのほうが人生は遥かに楽しめ、リカバリーも容易に効く。僕の代行業だって
カツカツで、明日どうなるかも正直わからないけれど、死ななきゃ何とかなると思うので辛くない。この感覚は、是非ケリークラークソンの「Stronger」を聴いてイメージしてほしいと願う。


 どんなに辛いことも、死なないならOk。それは自分を強く、堂々とさせてくれる
 一人でいることがいつも孤独、そんな法則はどこにもないのよ
 どんなに辛いことも、死なないならOk。それは自分を戦士にし、足取りさえ軽くなる
 あなたが御仕舞になったからって私も終了ってわけではないのよ
 どんなに辛いことも、死なないならOk。それは自分を強く、強くする
 そう、これは私に向かって言っているの。あなたはどうでもいいわ
 どんなに辛いことも、死なないならOk。それは自分を強く、堂々とさせてくれる
 あなたが御仕舞になったからって私も終了ってわけではないのよ