アメリカという甘美な幻想

南カリフォルニアはオレンジ郡に住むオヤジです。妻共々サラリーマンでしたが、2012年10月に移住してきました。個人輸入代行やコンサルタントを生業にした後、2016年からは会社員に。移住する遥か前から積み重ねてきた様々な「アメリカ体験」も含めて文章に残すためにこのブログを書いていますが、会社員復帰以降は忙しすぎて更新は稀に。自由の国、アメリカを含めた全体主義への流れ。これを絶対に食い止めましょう!

アメリカに住む方法

カリフォルニアの住宅事情 ‐ 4畳半があったなら

サンフランシスコはもとより他のカリフォルニアの主要地域と比較してみても、あるいは世界の大都市の比較してみても、実は東京は相当暮らしやすいということがわかります。

野菜や果物など確かに高いですし一平米当たりの家賃も安くはありませんが、東京なら風呂のないアパートは
2万円台だってあるし、風呂付でも4畳半なら4万円台からありますよね。アメリカにはそういう選択肢がないんですよ。4畳半に住むという発想自体がないから。

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2016年当時、売手側が「盛り付け」した現在の我が家のリビング。ローン残りあと27年。。。

アメリカで最も狭いフロアプランは「Studio」と言うようです。基本トイレも風呂も台所も全部含まれている仕切りの一切ない部屋のことで、日本の「押入れがない、またはごく小さな収納しかついていない一間だけのアパート」のイメージに最も近いものです。


単身で住む場合ならStudioで十分ですが、では一体何平米からStudioはスタートするのか。調べてみるとオレンジカウンティ界隈では大体190平方フィート後半から200平方フィートくらいからでした。平米で言うと18.6㎡であり、畳でいうと11.5畳となります。最小で11.5畳か。やはり広すぎません?


11.5畳のStudio、サンフランシスコだと大体18万円くらいからでしたので、面積半分なら9万円で済みます。4.5畳で計算すれば7万円くらいになります。これならなんとかなりますね。

ところがアメリカでは4.5畳の単位でアパートを作るという概念がない。でも「18万なんて払えない」という人も勿論大勢いますから、例えば3部屋ある家を3人で借りるといった「ルームシェア」が行われます。

これだと34万円の家賃を3人で分担できますので、Studio18万円払えなくともサンフランシスコで生きていけます。まあ僕はサンフランシスコもシェアすることも両方嫌ですが。


「え?3LDKになったら2LDKより高いんじゃないの?」と思われた方、実はそうでもないのです。アメリカは(いや、日本でも)、同じ地域の同じ外部環境なら、通常は部屋数ではなく広さが家賃の基準になるので、同じ家賃で2LDK3LDKも普通に存在し得るのです。


ちなみにOCですが、全域検索の結果、300平方フィート(28㎡≒17畳)のStudioで家賃13万円というのが最安値でありました。でも、エアコンもなく、洗濯機置き場もありませんでした(ちなみに、大家に黙って壁に穴をあけることは無理なので 大家に告げても無理だけど - 独自にエアコンを設置したくてもそれはできません)。


選択肢が豊富となる賃料帯は15万円くらいからで、平均的な広さは500平方フィート(46㎡≒28畳)くらいのようです。こうした「安いところ」にほぼ共通する特徴は、洗濯機が置けるスペースが部屋の中になく、その代わりに敷地内にコインランドリーがあるというものです。また、駐車スペースは青空駐車場となっているか、そもそも駐車場がないため路上駐車しかできないところもあります。


こうしたアパートがもし4.5畳単位で造られていたなら、賃料は24千円で済む計算になります。多少不便でも汚くても、安く済む選択肢があればいいのにと本当に思いますが現実にはないので、これからアメリカに来る皆さんは、賃料相場や希望する地域の治安などを事前によく調査することをお勧めします。


治安は犯罪マップなどでもわかりますが、Google Earthでその住所周辺を見てみるだけでも雰囲気がわかりますよ。だいぶ前に書いたエントリーで述べたように、花や芝生がよく整備された街は治安がよく、そうでないところは治安が悪い。この法則はほぼ鉄板です。

カリフォルニアの住宅事情‐サンフランシスコという狂気

前回で終了したアメリカ東南部の旅行記の後は、その地域の様々な意味での特性などに関する考察を載せる予定でしたが、ちょっと違う話から書いてみたいと思います。


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タバコの価格の話を取り上げた際、「サンフランシスコで4人家族が普通に暮らすには、世帯年収1千万円ではもう無理だそうです」と書きましたが、もう「無理」とかそういう次元じゃないみたいですよ。BBC20187月のネットニュースで、既にこんなことが書かれてました。

 

“サンフランシスコとその近くのSan Mateo郡とMarin郡では、4人家族の世帯年収が117,400ドル(約1300万円)が「低所得」とみなされ、73,300ドル(約800万円)では「非常に低い所得」とみなされる。この数値はアメリカで最高となっている”


は?1300万円が低所得?800万円で「非常に低い」って何?そんなバカな話、あります?これがあるんです。家賃が高すぎて話にならないわけです。
 

サンフランシスコの高賃料は、6桁(10万ドル≒1070万円以上)の収入を得ている家族を「低所得」と規定する状況に至っている。2ベッドルームアパートの同市での適正市場賃料は、1ヶ月あたり3,121ドル(≒33.5万円)で、2008年の1,592ドルのほぼ2倍になっている。一方、オハイオ州シンシナティでは845ドル(9万円)だ。 この住宅価格の差(270%)は、家族の平均収入の差(50%)よりはるかに大きい。(同ウェブサイト記事より)

 

というわけで、カリフォルニア、就中サンフランシスコエリアでは人々の賃金は高騰しているのですが、それ以上に賃料や住宅購入価格が上がってしまっており、それを主要な原因として「4人家族の世帯年収が117,400ドル(約1260万円)が低所得とみなされ、73,300ドル(約790万円)では非常に低い所得とみなされる」という状況に至ったというわけです。

 

なんだかピンと来ませんので、世帯年収をわかりやすく1300万円とし、扶養家族2名で税金社会保険関係控除率が大体25%くらい(本当はもっと取られるかも。401Kとかで源泉されるお金とか含めてないし)としてシミュレーションしてみましょう。額はすべて年間の額とします。

 可処分所得:975万円(1300万×75%)

家賃

400万(34万円×12

食費

60万円(三食全て家で作ったとして月に5万円×12

車関連

96万円(普通のセダンをリースすると毎月2万円。燃料代も2万。旦那さんと奥さんで1台ずつ必要なので毎月8万×12か月)

水道光熱

48万円(上下水道が月7500円、電気7500円、ガス5千円)

通信費

36万円(テレビ&ネットが月1万円、スマホ4台で月2万円)


ここまでで640万円が使われた。残金は335万円。


これに加え、消耗品費、被服費、医療費 - 仮に健康保険は全額会社負担、支払うのは通院した場合の自己負担分のみとしてもなお - などは、いくら払いたくないと言っても払わざるを得ないだろう。これらを合計30万でやりくりすると(恐らくこの見積もりは甘すぎると思うが)、残金は305万円(学費は高校まで公立ならただ)。

車の保険は年費用を一括で支払うが、カリフォルニアで何かあったときに入っているべき保険の内容を考えると、ミニマムでも15万円(但し2台カバー)はかかると考えるので、残金は290万円。


勿論まだ生命保険代は入れてないし、遊興費も入れていないし、車、テレビ、パソコン、家具などの買い替えや修理費用も含めていない。アメリカ人が大好きなペット(基本犬)の食費や健康維持費も入れていない。車のリース時は大体普通のセダンで20万は払うことになる。

1300万円の年収なのに、確かにきつい。やっぱり家賃の400万が尋常じゃない。


それじゃぁ年収800万円だったらどうなるんでしょう。

税と社会保険関係の控除が20%として可処分所得は640万円。あれ?これだと上の家賃から通信費までの支出合計だけで640万円だから、もうこれ以上の支払いは無理。破綻だ。なんてことだ。

カリフォルニアに住みたい方々、サンフランシスコ界隈の住宅事情(値段)は最悪のようです。南カリフォルニアならまだなんとかなります。次回はそのあたりを書いてみましょう。

2018年年末。アメリカは面倒くさい!という雑感

もう今年も終わる。平均3、4か月に一回しか更新できていないので、昨年の今頃書いたエントリーがやたら最近のことのように思える。

今年は2016年にサラリーマンになってから感じていたアメリカでの生活に関する不満を一旦断ち切ることに成功したため、なんとか精神的には明るめに生きてこれた。

ただ、今年はめんどくさい事象が色々起きた年として記憶される気がする。前回のエントリーで書いたようなことが今年後半に集中して起きたが、まだ面倒くさいことは続いているから。アメリカで家を買って住む計画がある方、今日のエントリーは結構勉強になりますぜ。

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アメリカのローン会社はローン債権の売買を繰り返すので、僕が持っている二つのローン会社がこの1年で2回変わった。日本で言えば、三井住友でローンを組んだはずなのに、いきなり三菱東京がそのローン債権を買い取り、かと思ったらいつの間にか新生銀行がそのローン債権を買っていた、みたいな話だ。

その最新のローン会社が、11月になって家の保険料の免責額が高すぎるみたいなことを言ってきた。ごく簡単にこの辺の仕組から説明しておきたい。

家に問題が起きても保険が適用されることで借主は金銭的負担を免れる。ローン会社も安心だ。だからローンを組むときに家の保険に入るのはマスト。このとき、仮に5000ドルまでの被害なら保険会社は保険を適用しない契約を結ぶと、5000ドルまでの損害は借主が自腹を切ることになる(代わりに保険料が少し安くなる)。これが免責額だ。免責額が高いとローン会社は不安になる。よって今のローン会社が、「免責額を(ローン残高に対して)適正値(があるらしい)に落とせ。保険会社にその旨伝えよ」、と言ってきたのだ。

今なら若干仕組みはわかっているが、最初その指示が書かれた手紙を読んだ時、全く意味が分からなかった。そもそも最初のローン会社も2つ目のローン会社も何も言ってきていない。とにかく保険会社(の代理店)にその手紙の内容を伝えた結果、免責額は適正値内にあることがわかった。なんなんだよ。

これで一件落着かと思ったら、今度は保険会社から「保険料が払われていない」との手紙を受け取った。いや、絶対払ってる。何故なら、一般的にアメリカでローンを組むと、返済額、保険料、固定資産税を毎月ローン会社に支払うようになっているからだ(ローン会社を通じて税金とかは支払われる仕組み)。そこで今度は保険代理店の方に問い合わせ、やっぱりきっちり払っていることを確認した。なんだったんだよ。

などと言いつつ、まだ話は終わっていなかった。

僕はローンを二個持っている。一つはアメリカに来る前に買った家(A)を抵当に入れて借りたお金。もう一個は今住んでいる家(B)のローン。約2年前に書いたエントリーで説明したが、Aを担保に入れて借りたお金は、今住んでいる家Bを購入する時の頭金を捻出するために借りたわけだ。

さて、「保険料が払われていない」という保険会社からの手紙は家Aの保険の話だった。そしてその手紙は11月下旬に家Aに届いた。そして、Aに住んでいる店子から連絡を受けて僕がそれを確認したのが10日前。で、「おいおい」と思いながら保険代理店に連絡したとき、一緒に手紙の確認が遅れた理由も説明すると、「そうだとすると、保険証の書き換えが必要だ。保険は家主が住んでいる条件で書かれている。店子が住んでいるならその主旨に書き換える必要がある」と代理店は言ってきた。

「そうですか、ではそのようにして下さい」 

もう「めんどくさいの極致」にいた僕はそれしか言わなかったが、次に来たメールには「どうせなら保険会社を変更してみるのはどう?保険料は安くなるしA評価の会社だよ」だと。代理店として保険の変更を進めるのは当然何かのメリットがあるんだろうけど、、、、

もうめんどくさいんだよ!
仕事が無茶苦茶忙しい中で心の均衡をなんとか保ってるんだよ!
訳の分からない仕組みだか都合だか営業意欲とかで家にいる貴重な時間を使わせんじゃねぇよ!
そもそも「A評価」のはずの保険会社、ネットでの評判最悪じゃねぇか!!

と、毎日家に帰ると語気強めで毒づいているこのところの僕であります。

しかもですね、僕、この齢にしてこないだ強烈なアレルギー性鼻炎のデビューを果たしたんですよ。。。

12月に入ってこれまで経験のない症状を経験。くしゃみ10連発は当たり前。ツツーと流れ出る鼻水、のどの痛みやイガイガ感。頭痛、倦怠感。。。症状からこの年でアレルギー性鼻炎のデビューをしたのは確実。今年感じた体調の悪さのうち、明らかに風邪だったとは言えないものについてはアレルギー性鼻炎の症状が軽めに出ていたんだろうと思う。これからこいつと付き合っていくのか。。。面倒だ。

そう、面倒なんだよ。アメリカ。
訳わかんないんだよ、アメリカ。
それでも住み続けるのか、アメリカ。
まあ、まだ住んどいてやるよ、アメリカ。。。

では皆さん、よいお年を。

忙しかった。いやマジで。

明けましておめでとうございます。。。って、遅すぎですね。
 

忙しさという意味で凄まじい2016年が凄まじいまま終わり(1231日、冬期休暇の中自宅で仕事をしていたワタクシ)、なんだかわからないまま2017年が来、4日からまた忙しい日々が始まった。もう「忙しい」という言葉は本文だけでは足りないのでタイトルにも入れてみた。

と書いていたのは、実は1月7日くらいのこと。ここから下の文章も基本はその頃に書いたもの。でも、忙しくてフィニッシュできず、今日1月24日火曜の朝に、やっと完成に向けて再度書き出した。何でそんな時間があるのかと言えば、昨夜から体調が悪く、午前中は会社を休むことにしたため。寝てなきゃいかんのだが、未完成のまま1月が終わるのは避けたくて書いてます。

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何もこの忙しさは仕事由来だけではなかった。このブログで以前に書いたように、昨年3月くらいからぼちぼちやっていた家探しは、糞忙しい11月に一応満足できる物件が見つかったため「逃してはならじ!」と購入に踏み切ったことで、そこから日本とは全然違う複雑・煩雑な購入手続きに長期間追われてしまった。

 

かてて加えて、それまで住んでいた家(2012年の渡米時に買ったもの)は売らないで貸すことにしたことで、とんでもない重荷を抱えた。そもそも新しい家の購入に必要な頭金は、渡米時物件を売って作るつもりだったが、それを担保に金を借り、新しい家の頭金に使うことにし、借りた金の返済は店子からの家賃収入で賄うという作戦を妻が考えたことでこの苦行は始まったのだった。

なんか複雑だな。要はこういうこと。

 1)渡米時に買った家を担保に金を借りる(ローン1)
 2)その金を新しい家購入の頭金に使う
 3)渡米時購入の家を人に貸し、その家賃収入はローン1の返済に充当
 4)新しい家のローン(ローン2)は普通に払う
 

 つまりワタクシ、今ローンを2つもっているわけ。でもローン1は店子からの家賃で払っているので、実質ローンは1個だけってわけ。


なんでこんなことをしたのかと言えば、詳しくは別の機会にお話しするが、確かに様々なデータからは、家の価値が長期的に見るとずっと上昇している南カリフォルニアでは、渡米時物件を現在の市場価格25万ドル(約2700万円)で売るよりも、手放さずに担保にして銀行から必要額(11万ドル≒1200万円)を借り、これを頭金に使う方が賢いと判断できたからだ。

問題は、その決断のせいで今度は大家として渡米時物件の借り手探しをしなければならなくなったことだった。それで
以下のことを同時に進めることとなって、忙しさに拍車がかかった。

 

1)新しい家に問題がないかとかを調べる実地検分(売主との丁丁発止)

2)渡米時物件を担保にローンを借りる手続き(金融機関との手続き)

3)新しい家を買うためのローン手続き(金融機関との手続き)

4)新しい家の購入それ自体に関する手続き(売主との契約)

5)渡米時物件の借り手探し(Craigslistを作成し、募集)

  ※Craigslistとは無料の情報掲示板みたいなもの

6)Craigslistを見て連絡してきた人への問いわせ対応(メール、テキスト)

7)その中でも物件を見たいという人のための内覧会の開催

8)店子の選考(彼らの収入や仕事などから借り手を決める)

9)賃貸契約書の作成・締結

 

 

ね?ただでさえ仕事が糞忙しい中、こんな案件を抱えたらどうしようもないですわな。。。

 

まずは1)から4)についての状況を説明しよう。

 

そもそも、買いたい家が見つかれば、まずはその家がどんなコンディションかを調べる。専門家とともに家を見る(診る)のである。すると色々な問題がわかるが、その状況を基に①売主に直すように言うか、または②こっちが直すから直すための金を出せと言うか、または③値段を下げるよう交渉する。当然売主とは神経戦になる。

 

しかし次からが本当に大変だ。アメリカの不動産売買は、とにかく日本と違い煩雑で素人では意味が分からない。だから自己売買は全然活発じゃない。その代わり売主買主双方のエージェントが活躍するのだが、現代ではスマホ上でほとんどの契約手続き(電子署名)が出来るようになっているため、不動産ブローカー、ローン会社、エスクロー(登記屋)から、仕事中も会議中も容赦なく電話、メール、テキストがジャンジャン入ってくる。

 

しかも、もしこれを無視して手続きが遅れると、下手すれば売買契約やローン契約が無効になるから、11月以降はいちいち仕事中に社外に出てスマホでピコピコ手続きをしてたものだった。そんなことが1か月続き、12月に入ってやっとすべての手続きが終了した。

 

そして5)以降だが、渡米時物件を売らずその大家になることを選択したため、まずやったのがCraigslistの「家を貸しますセクション」用に文章を作り、家の写真を撮って載せることだった。空き家期間を可能な限り短くしたかったので、相場より少し安めの値段設定にしたら反響が抜群によく、山ほど(30組以上)来るメールでの問い合わせに毎日忙殺され、そして土日(2週分)は多くの希望者に家を見せることになった。結局15組が実際に土日に家を見に来、11月の終わりに店子が決定した。

 

しかしそれだけでは終わらない。9)の契約書のパートだ。僕は不動産屋に管理を委託しなかったので、旧我家のリース契約書は自分で作るしかなかったのだ。テンプレートは山ほどネットに転がっていたが、それをそのまま適用できるわけではない。

 

「こんなんでいいのか?通じるのか?」

「ネイティブの店子が理解できるのか?」

「文句は言われないのか?」

 

と不安いっぱいな中、都合20時間以上かけ、自分の貸す家の状況に合わせ様々に条項をカスタマイズし、店子にこれを示した。すると意外や意外、すんなり受け入れてもらえ、1210日に契約は成立し、僕らは129日までに引っ越しを完了し、店子は10日に僕らが4年住んだ家に移り住んだ。ここだけの話、僕の契約書はどうみてもいい加減にしか思えないが、店子も契約書なんて読んじゃいないのだ。ネイティブがどうのこうのではなく、どの国でも普通の人は契約書なんて斜め読み程度なんだろうと思う。

それ以降も、引っ越ししたことで新居関係のことでバタバタし、仕事は無茶苦茶忙しいままあっという間に年が明け、そしてあっという間に今日(1月24日)になった。そして体調を壊し、寝ればいいのに今これを書いている次第。


ところで今冬、南カリフォルニアは異常気象ともいえるほど雨が降り、そして寒い。僕にとっては渡米以来5度目の冬シーズンだけど、いくら雨期とは言えこんなに天気の悪い南カリフォルニアは初めてで、既に20年こっちに住んでいる会社の同僚も「こんな冬は初めてだ」と言っているほどに悪天続きだ。

でも、そのおかげで長年続いてきた干ばつ状況がかなり緩和されたらしい。これは基本いいことだ。そして僕はと言えば、雨降りの休みの日に結構自宅で仕事をした。普通に土日に遊んでいたら仕事が間に合わないってときもかなりあったから、実はその意味でも悪天はそう悪いことでもなかった。

ではまた次回に。その時は、少しは写真も載せたりとか楽しいものにします。

アメリカでの就職-Ⅲ(代行業の廃業)

先週末、僕が運営してきた輸入代行店を閉じることを店のホームページでお客様に伝えた。前回のエントリーでにおわせたと思うが、実は今年3月から人事コンサルをしていたクライアント企業から「来年から社員にならないか」と打診を受け、熟考の末そうすることに決めたのだ。経営企画、人事、法務などを統括する役割を担うことになり、年俸は日本のサラリーマン時代のレベルを回復し、生活はいきなり安定することになる。

 

 ***

 

201210月あたまに渡米して以来3年強、iPhoneをメインにした代行業は最初は目論見どおり当たったが、2013年以降は日本でのSIMフリーの発売やdocomoiPhone採用に加え、急激な円安が追い打ちをかけてきて、普通に生きていけるだけの需要が見込めなくなった。

 

iPhoneだけではまずいことは渡米後すぐに気付いていた。というかアイディアはかなりあった。何しろ需要のピークは発売から3か月なので、残りの9か月に何をするかを考えるのは当たり前だった。だから様々な工夫は施したが、結局iPhoneの売上が98、そのほかが2くらいの比率だった。

 

その「様々なアイディア」はマーケティング調査の結果絶望的に見込みのないことがわかった。結局アメリカのサプリや薬などの人気商品は、配送業者を安く使える大手に歯が立たないのだ。ウチが3000円取られる重さのものを、大手なら400円で日本に送れるのだから話にならない。競合しない商品をいくら代行しますと言っても、「競合しない=人気がない」のでそんなものを代行してもそもそも売上が立たない。

 

結局2012年の所得を100とした場合、2013年は70に、2014年は50になった。生々しいから金額で書かなかったが、仮に2012年を600万円と考えてみれば、13年は420万円、14年は300万円ということになる。妻も働いているので300万円で生きていけなくはないが、このままでは2015年は30(この計算では180万)を切るのは必至だった。

 

そこで昨年から、正確には2014年に入ってから、何か「新しい事業」を行わなければと検討を続けていた。アメリカ人をターゲットにするジャパニーズカレー屋や日本人で移住を希望する富裕層向けの移住支援会社など、本当に真剣に考えていた。

 

しかし、今年3月に人事コンサルの仕事が舞い込んで「とりあえず1年延命」ということでこれに従事した結果、冒頭の通りクライアント企業で社員になるという選択肢が生まれた。お誘いを受けたのは先月で、熟慮の結果これをお受けすることにしたのだった。

 

 ***

 

代行業それ自体には愛着があり、「お客様とつながっている感じ」を失うのは非常に寂しいし、需要が少ない中でもウチに期待してくれていたお客様に対しては本当に申し訳ない気持ちだ。しかし、一人の生活者として誰にも迷惑をかけず自立して生きていくという当たり前のことを行うには、今回の選択は不可避だったことも事実だ。

 

それにしても、まともに生きていける環境を維持できるという点で、今回51歳でサラリーマンに戻れるという事実はやはり有難いことだった。日本では大学中退で35歳まで音楽家だったというハンデを克服して転職戦線を戦ってきた僕だが、それがアメリカでも起こるとは思っていなかったから。でも起きた。就職や転職に悩んでいる皆さんにとっても発奮材料になるだろうと思う。

 

さて時間だ。これからクライアント企業に行く。年末に人事制度を完全に「納入」するためにまたまた忙しい日々が始まる。

岐路

アメリカに移住すると決断したとき、どうやって金を稼ぐかということは大問題ではなかった。何故なら移住したらiPhoneを中心に個人輸入代行を生業にすることに決めていたからだし、もしそれがコケたとしても基本何をやってでも生きていく覚悟があったので、「とにかくまずは移住する」と決めていたからだ。

 

実際には日本でのアメリカ版iPhoneへの需要の大きさについて確信があったし、ここでお客様の一定の支持を得られれば生きていけると思ったし、事実2012年秋にアメリカに移住して以降これまではそれでやってこれた。

 

しかし、iPhoneの需要は発売されてから3か月間がピークで、残りの9か月の売上は激減する。勿論この9か月の間の売上を増大させるべく色々な施策は試してみたけれど、なかなか思ったような結果は得られなかった。そうこうするうちに日本でもSIMフリーが出、円安は益々進行し、「カツカツの生活」さえ維持するのは簡単ではなくなり、これを打破するために何か新たなことをしなければならなくなった。これは昨年以来の課題でここでも折を見て書いてきた。

 

以来、僕としては従来の輸入代行業を強化するか、もしくは新たに移住コンサルティング会社や旅行案内会社を興すか、または、アメリカ人の需要を汲むという方向性でJapanese Curryの店を興すことを考えていたのだが、実は僕は、今日から全く違うことをやり始めた。

 

詳しいことは秘密保持の義務があって言えないが、僕が日本でサラリーマンをしていた時のコアスキルを活かした仕事だ。但し、サラリーマンではない。契約は年末まで。

 

フリーランスなので今の代行店を畳む必要はないのだが、この仕事は片手間できるものではないので、代行業務は縮小し、基本iPhoneの代行以外は行わないことになる。また、今年の9月に新型iPhoneが発売されるだろうが、この代行をこれまで通り行うかどうかは現時点では流動的だ。

 

ところで、この決断をする際妻に「本当にやりたいことは何?」と聞かれた。僕は「僕が出来ることをやりたいだけ」と答えたが、妻にはピンと来なかったようだ。具体的な仕事の内容や職種を言うものだと期待したのだろう。もしかすると、これを読んだあなたにも意味がつかめないことかもしれない。しかし、僕は一貫してこの考えだ。

 

      やれることをやった結果、それに満足してくれる人がいる。

      それ以上にやりたいことは特にない。

 

僕は実家が負わされた巨額の連帯保証債務を契機に1985年に大学を3年で中退した。その後塾の講師から作詞作曲家になり、1999年に廃業後通訳を経て人事・法務マンになり、2011年にグリーンカードが当たって今の代行業を行っているが、経験した複数の仕事のいずれについても「やりたいからやった」のではない。「やれるからやった」のだ。

 

いや、僕が一時生業にした音楽家業は純粋に「やりたいこと」だったのかもしれない。そして「本当にやりたいことは何?」という質問への、前提条件なしでの答えは今でも「音楽」だ。だが、もし今そう言えば妻はより当惑するに違いない。それでどうやって食っていくのかと言えば、食える保証など何もないからだし、そんなものをいつまでも「やりたい」と言い続けることは周囲の誰にとっても迷惑でしかないだろう。そもそもそんな「迷惑行為」を続けるメンタリティーは僕にはない。趣味ならいい。しかし趣味を楽しむには生活の糧が別に必要だ。

 

「なんでもよかったわけではないでしょう?」と聞かれれば、それはその通りだ。音楽家業はもとより塾講師、通訳、そして人事法務の仕事。その全ては自ら選んでいるのであって何でもよかったわけではない。しかし、どの仕事の場合でも、その職種についたことで自動的に満足が得られるわけではない。

 

塾の講師なら生徒父兄の支持があって満足できる。通訳をしているのに外人さんに「アナタ、何言ッテイルカワカラナイヨ」と言われて落ち込まないはずはない。というか翌日はクビだ。人事や法務についても、その仕事を通じて成果を上げていないのに喜べるはずがない。

 

そう、要は成果だ。他人様が喜ぶから、他人様が頼りにしてくれるから自分が生きる。報酬が生まれる。自分の仕事に意味が生じる。だから、「やりたいことをやってます。でも何ら成果を生んでません」などということは精神的にも経済的にも続けられるはずがない。そしてそもそもそんなものは「やりたいこと」にしておきようがない。

 

iPhoneの個人輸入代行も「僕が出来ること」の中から選んだものだ。お客様の支持を得られる自信があったからやったのだ。支持されることが嬉しいからこれまでやり続けたのだ。だが、今のiPhoneや為替相場を取り巻く環境では早晩終わりが来る。だから僕はまた「自分が出来る新しい何か」をやり、支持を受け、対価を得、更に生存していかないといけない。それがこれから行う仕事だ。

 

この仕事が終わったら何をするのか。いや、簡単。「また出来ることをやる」だけ。今後も生きていけるレベルの対価を頂けるものを。それが「移住コンサルティング会社」なのか「観光案内会社」なのか「カレー屋」なのか「ハイパー輸入代行屋」なのか「引き続き会社員時代のスキルを活かした今の仕事」なのか「タクシーの運転手」なのか、はたまたサラリーマンなのかはわからない。わからないが、そこには自分なりの理想や都合はあるから、出来るだけ希望に沿ったことが出来るように「準備」はしておくつもりだ。

残業への考え方の違い

かなり昔、僕はデューダやエンジャパンなどの転職斡旋サイトを利用したことがあるが、その時の登録を解除していないので今でもメールがバンバン来る。そこで紹介される案件のキャッチに「残業30時間以内」というのがある。言うまでもなく、日本では残業30時間以内はかなりの売り文句になるからだ。

 

実働2122日で残業30時間なら1日あたり約1.5時間残業が発生するので、8時間の通常労働と合わせると9.5時間会社にいることになる。確かに日本ではいい方だ。だが、アメリカでは「残業時間が少ない!」などと募集に際して宣伝する概念そのものがない。

 

彼らは何か特別な事由がない限り8時間働いたら家に帰る。翻って日本では、マシな会社でも大体残業が30時間は発生する。ということは、日本という国では最低30時間の残業を生む「特別な事由」が"恒常的"に発生しているということか。


  ***
 

僕もサラリーマン時代は深夜のタクシー帰りを含め長時間労働を経験している。それでも僕は「意味のない残業」だけは回避しようとしていた。家族との時間、趣味の時間、それを犠牲にすることは耐え難かった。だから僕自身、人事の管理職として「成果を上げてスキっと帰宅」を実践しようと心掛けていた。

 

しかし、定時に帰ることそのものが「もってのほか」という雰囲気を気にしないで自由にふるまえるほど、僕は「日本人ばなれ」してはいなかった。そのストレスによって(早期で発見できたからよかったが)胃癌を患ったと確信している僕は、憧れていたアメリカに対し「憧れ以上の想い」を持つに至った。すなわち僕は、アメリカが「無意味な長時間労働を強いる国ではない」ことにも強く惹かれたのだ。

 

アメリカに住んだこともなく、せいぜいアメリカ人のメル友との会話で得た程度のイメージでしかなかったが、Appleの創始者であるスティーブ・ジョブズやMicrosoftのビル・ゲイツのように、成功への野心を燃やす人は他人に言われずとも長時間の労働をする一方、年収数百万のサラリーマンがプライベートを犠牲にして長時間無意味に働くなどということはアメリカではあり得ないという確信があった。

 

果たして、渡米して普通に生活する普通の人々と交流する中でわかったのは、その確信はほぼ100%当たっていたことだ。

 

僕の近所の複数の知り合いで、夜の7時に家にいないということはない。いや多くは6:30PMには帰宅している。つまり午後5時台には会社を出てる。土日に会社に借り出されるということもない。会社はそんな要求はしないし、社員側もそんな要求をされることなど微塵にも考えていない。

 

そんな「働かないアメリカ」で普通の国民はプライベートを充実させ、生きることを楽しみ、そのくせ世界No.1の経済大国を維持している。そして日本は「今日も残業、明日も残業」でやっているのにその後塵を拝している。人口の違いなど要因は様々あるだろうが、概して日本の長時間労働は生産性につながらない非効率的なものだと僕はずっと思っているし、「楽してNo.1」のアメリカに学べることがあるのではないかと僕は思う。

 
  ***
 

昨今アメリカでは、日本のアニメやマンガなどへの関心を経て日本独特の事象も多くの一般の人が知るようになっている。当然日本人の長時間労働も知っているし「過労死」という言葉さえも知っている。僕のコミュニティーの友人も勿論それを知っている。そして、何故そこまで私生活を削って会社に時間を割くのかは到底理解不能だという。家族も趣味も全部犠牲にして働いて、一体なんのための人生なのかわからないという。

 

僕も日本にいた時からずっとそう考えていた人間だった。成果さえ出せば、その時間の使い方に文句を言われる筋合いはないと20代から考える人間だった。周囲と協調するのが苦になる人間ではなかったが、無意味さを強いられることにだけは耐えられなかった。

 

アメリカに来ている日本人は、それなりに同じ日本人の知り合いがいるし、こっちに来てから自然に知りあいになることもある。彼らの中には僕のように日本である程度の額のお金を会社員としてもらいながら、それを捨ててアメリカに来て起業した人も少なくない。

 

それで大成功した人もいるが、多くは日本時代よりお金は稼げていないし、日本にいたころのように長時間働くこともざらにある。僕も繁忙期は休みが4か月とれなかったこともある。しかし、何かが違う。それは「全てに意味を感じる」ということだ。僕もその友人たちも「誰かにやらされていない」のだ。これはアメリカならサラリーマンでも同じ感想を抱くことだ。

 

アメリカはこう言う。

 

  成功したいの?どうぞ。没落したいの?どうぞ。
  どちらもあなたの自由です。何も強いませんよ。

 

僕にはこの考えがあっていた。日本での長時間労働に「特別な事由」は何も見いだせなかった。趣味の悪い根性論に付き合わされるのは勘弁してほしかった。だから年収が3分の1になってもいいと思ってアメリカに来た。本当に年収は3分の1になったが何の後悔もない。代わりに手に入れたもの - ほぼ100%の自己決定の自由、青空、海、緑、砂漠 - があまりに心地いいからだ。僕だけではない。友人たちもほぼ同じ理由でここにとどまっている。

 

起業すれば全てにおいて自己決定するのは当たり前だが、アメリカではサラリーマンとして働いても日本のような居残りへのプレッシャーなどはありえない。日本は言うまでもなく素晴らしい国だ。しかし、生きる上で切っても切れない重要な要素である「働く」という点では、これほど不条理で馬鹿げた意識が横溢している国はないように思える。

あなたが本当に欲しいものが「自己決定の自由」なら、アメリカに来るのは間違いではないと僕は思う。

治安は金で維持する

日本の不動産価格は都市全体の利便性、特に交通アクセスの利便性と高い相関関係があるので、東京であれば必然的に都心が「一等地」となる。各都市も恐らく同じで、県庁所在地の駅前が各道府県で一番高いということで大体は間違いないと思う。勿論それに加えておしゃれな街だとか、公園が多いとか、道路の騒音が少ないとか様々な要素が加わり最終的な価格が決まるが、アメリカで最重視されながら日本ではほとんど意識されないことが一つある。そう、治安である。

僕が事務所兼住居として買った家は、ロサンゼルスから80kmほど南にあるオレンジカウンティーのAliso Viejo(アリソビエホ)市というところにあるが、ここを買った理由は明確だ。

 1)個人輸入代行の仕事が出来る最低限の都会性を持つ
 2)個人輸入代行に不可欠な日系の配送会社の集荷範囲にある
 3)治安が良い
 4)気候が温暖で晴れが多い(僕は雨と寒さが苦手で高温はかなり平気)
 5)採光に優れる
 6)上記を可能な限り全て満たしつつ予算に収まる価格である

要は、生活者として住むことと仕事のしやすさを両立をできる場所として最適な場所はどこかを調べ、1)と2)の観点でカリフォルニア州沿岸部がベストであり、3)と4)から南カリフォルニアがベストであり、その範囲内で5)と6)を基準に具体的な物件を探したわけだ。

さて、日本では殆ど意識しなくていい「治安」だが、アメリカでは本当にそんなに安全・危険に地域差が出るのだろうか。答えは「出る」。

僕ら夫婦の住むアリソビエホ市は、人口約5万人のうち70%が白人である。これはカリフォルニア州平均の40%の約1.8倍だ。世帯収入の中央値は約1000万円で、カリフォルニア州全体の600万円の約1.6倍になる。白人が多いということは、それだけ町の財政が良いことを意味する。そして収入が多い自治体は街の美化や安全面の強化に金(≒住民税)がかけられる。結果、道路や沿道の樹木等は常に綺麗に整備・管理される。そしてこのような町は、また金持ち(主に白人)を呼びこむ。

そして、住人に金があるので、市内の各コミュニティーの理事会は毎月住民からかなり高額な管理費を徴収する(よって僕ら夫婦には大変な「重税」である T_T)。これがコミュニティー内の公共部分の管理・補修などに使われ、常に美観が保たれている。コミュニティーによってはゲートを設けて住民以外は入れなくしているところも多く、部外者の侵入は容易でなく、仮に部外者が入れてもあまりに目立つため犯罪が発生しにくい。

こうして社会的・経済的に恵まれていることの多い白人が集まるところは治安が保たれ、白人が少ない地域は相対的に危険度が増していく。危険度が上がると地価が下がり、金持ちは更に出ていき貧乏人は更に流入し、結果犯罪がより増加するという負のスパイラルが生まれることになる。

また、犯罪者としては「獲物」があるところ、移動がしやすい場所、そして身を潜めやすいところに集まるので、商業地、夜間人がいなくなるダウンタウンや工場地帯、高速道路沿道、飛行場、そして治安維持に金をかけられない町などが常に狙われる場所になる。

ちなみに、Aliso Viejoの2012年の暴力犯罪発生率は人口1000人当たり0.88、窃盗系犯罪は同8.47であるが、ここと同じ郡にあり、距離にして20km程度しか離れていないAnaheim(アナハイム)市の犯罪発生率は同3.71、窃盗系は29.2となっている。アナハイムにはMLBのエンジェルス球場やディズニランドがあるなど大規模商業地としての側面があるので、犯罪者を誘引してしまうのであろう。しかしオレンジカウンティーは全体として非常に安全で、カリフォルニア州での犯罪発生率は最低であるのもまた事実なのだ。

最後に誤解のないように申し上げるが、僕は「白人が倫理的に優れ、他の人種が倫理的に劣るので犯罪を犯すのだ」などとは一切言っていない。治安は金で買うアメリカで、社会的・経済的に優位に立つ白人に金持ちが多いため、白人が集まる町は安全性が高いという事実を述べたにすぎない。そして僕は、自分や妻の身を守るために可能な限り治安のよい場所に住むという選択をしたのである。

これからアメリカに移住等をお考えで治安を事前に調べたい方は以下の「犯罪マップ」を見て頂きたい。


http://www.crimemapping.com/

それと、地域の安全性は道路と樹木の整備状況でわかるので、自分の住みたい街がいかに道路、沿道の樹木や芝生、そして公園などにお金をかけているかを判断の一助にされたい。

渡米前に家を買う

アメリカ西海岸、しかもロサンゼルス以南100km程度の知識だが、アメリカの賃貸物件は思った以上に高い。僕の事務所兼自宅は1990年築の60平米だが、借りると13万から14万する。だから学生などは複数人でシェアするパターンが多いのだろう。

確かに西海岸はアメリカでは人口密集地だが、それでもまだまだ土地はある。なのにこの金額は東京並みではないか。なので日本の財産を処分できるとか、アメリカで一定以上の高い給与がもらえる見込みのある人などは家の購入も考えるべきだと思う。

さて、アメリカで家を借りる方法は多くの先達がいるので検索すれば山ほど出てくるが(たとえばこのブログ)、家を買う方法は、そしてその実態はなかなかわからないのではないかと思う。僕は2012年に家をアメリカで購入した経験者で、しかもまだ移住前の色々な制約の中で購入をしているので、もしかすると皆さんの役に立つかもしれないと思いこの購入経験を以下にしたためたい。

まず僕は、グリーンカードの面接が終わった2012年初頭、家をローンで買えるか調べまくっていた。現金
で買わずローンを組みたかった理由は、現金で買うより少し高い(即ち良い)物件を買える一方、一気に吐き出す資金は現金購入より少なく出来るので、渡米後未収入期間が長引いてもより我慢できるからだった。

ただ、予想していたことだが検索の結果は基本「無理」だった。アメリカ発行のクレジットカードを持たず、アメリカでローンを組んで支払ってきた履歴もない新参者の日本人にはローンは無理なのだ。しかし、David LEEさんという現地エージェントが「キャセイ銀行なら大丈夫な可能性がある」と言うので、僕はLeeさんに僕らの代理人になってもらい(費用はゼロ、説明は後ほど)、彼のアドバイスの下でキャセイの要求する資料を揃え、ローンを申し込んだ。

それ以後はこんな流れになる。

 1)4月下旬に妻と現地(加州オレンジ郡)に行き、そこでキャセイ銀行の人にも会い、
   仮のローン許可証(「プリ・アプルーバル」という)を得た。これは家の売り手に
   「この買い手はローンを組める能力があります」と証明する大事なモノだ。
   これがなくて売り手に相手にしてもらうには「現金で買えます」と言う必要が
   ある。

 2)現地に2週間滞在して家を探し、気に入ったものにLeeさん経由でオファーをした
 
   ※なお、家の売価は当初から設定されているが、日本と違って全ての家は「競り」
    なので、売主は当初出していた値段で売る必要はない。一方買主は、絶対欲しい
    物件なら売主の提示価格に上乗せした額をオファーしてもいい。
   
 3)現金爆弾の中国人に負け続けた後、物件XがとうとうOKとなる。相手が設定する
   期限内にキャセイ銀行からローンの最終許可をもらう必要があったが、
   キャセイが許可を出すか出さないかの判断に迷い、色々な追加資料を僕らに
   出させた揚げ句、期限ぎりぎりでローンの不許可を言ってきた。これにてXを
   買うことはできなくなった。

   ※キャセイも結局アメリカでのクレジットヒストリーなどが必要だったのだが、
    担当者が独自判断で動いたのだった。ところが審査部門を通過できず僕らの
    苦労も水の泡になったという次第。

   ※この時の中国人の攻勢は凄まじかった。現金で不動産を「買いあさる」という
    表現がぴったりだった。どの物件に行っても彼等がいて、その場でさっさと
    申込書類を作っていたがその作成スピードが速いのなんの。頭金やローンの
    額を計算しなくていから、金額記入欄の記載が楽なのだ。

 4)5月日本に帰国。方針を変更し自分たちの蓄えだけで買える安価な物件を買うことに
   する。殆どがShort Sale(ショートセール)物件。LEEさんにいい物件を見つけて
   もらい、こちらもウェブでいい物件を探し、気に入ったものはLeeさんに状況を
   見てもらい、よければオファーを入れるという方針で行く。

   ※ショートセールとは売主が支払いを完済できずに手放すことになった物件。
    銀行は当然ローンを全額支払ってほしいが、売主がリストラなどで支払い能力を
    無くした場合、物理的に残債を返してもらえなくなる。
    そこで売主に「売る作業」をさせ、売れた金額を全部銀行に入れることで
    チャラにする、そんな仕組みがショートセール。銀行は、売主に販売をさせて
    経費を絞る一方、販売価格については売主の独断を認めない権限も有している。
    売ればチャラなので、極端な話何の制約もないなら売主は売値500円でも喜んで
    売るからだ。

 5)6月、いい物件をネットで発見。Leeさんに見てもらい、やはりお買い得と判断して
   もらう。お金に余裕がないのでオファーを先方の提示額どおりで入れる。現金は
   強いが提示額通りは弱い。これでは競合に勝てない可能性も十分ある。

   ※不動産情報サイトは色々あるが、Leeさんに教えてもらったのが上記のサイトだ。
    プロが一番見ていて更新が速いということだった。

 6)8月上旬、先方が「売る」と言ってくる。但し8月中にエスクローの手続きを
   済ませろ、とのこと。
原状渡しということで納得し、契約書の署名してスキャンして
   送り、8月下旬に
慌てて現地に行き、売主と会い、物件の説明を受け、エスクローの
   手続きを行う。鍵を渡してもらう前日に妻が会社に関係で帰日せねばならず、
   鍵はLeeさんに預かってもらう。

   ※エスクローとは要は登記のこと。

 7)10月10日、この家に住み始める。

こうして僕らの住居購入計画は成功裏(?)に終わった。骨を折って頂いたLeeさんだが、僕らは1銭も払っていない。何故ならば、彼らエージェントの報酬は売主から出るから。

グリーンカード当選後の手続きで「重要」なこと

まずお断りしておくが、あなたが代行屋さんを使わずグリーンカードへの応募や取得の手続きを考えているのなら、これからの説明はあまり役に立たないはずだ。というのは、グリーンカード申込時もそうだが、当選後も妻は代行屋さんを使っていたので、そこの指示で申請書類等は用意したからだ(なお、普通はどうなのか知らないが、その代行会社さんは自分の会社経由での当選者で、かつ「複数年利用契約」を結んでいた場合には基本無料でグリーンカード取得手続きをサポートしてくれた)。

次に、「何を集めてどうするか」というマニュアル系の話も期待しないで頂きたい。それも代行屋さんの指示に従えばいいし、僕自身も相当記憶を失っているからだ。それじゃ何を書くんだ、というと、「これは体験者じゃないとわからない」と思うことを書くのである。その辺りをご了解のうえお読み願いたい。

◆書類は正確に
間違いがあった場合に合否にどれほどの影響を与えるのかは知らない。間違えば当局に連絡して訂正することも可能だ。しかし、「アメリカのいい加減さ」は侮らない方がいい。日本の常識は通用しない。面倒が起きた時、そのストレスはハンパない。だから、書類は慎重の上にも慎重に作り、証明書類もきっちり余裕を持って揃えたい。

◆無犯罪証明書
アメリカ永住には、犯罪歴がないことを証明する必要があり、これを警察で発行してもらうことになる。では、少年(高校)時代に無免許で補導され家裁に行ったことや、深夜徘徊で補導されたことは記録に残るのか?また、大人になって免停になり罰金8万円を支払った50kmオーバーの速度超過は記載されるのか。

正解は、記載されない。僕が永住権を取れたことが何よりの証拠だが、開封禁止の証明書を開封せずに見て「犯罪歴なし」と書いてあるのを事前に確認していた。開封せずに中を読むには、明るい光に向かって封筒をかざす。

◆大使館面接
日本語も可、みたいなことをどこかで読んだことがあったが、全編英語だった。僕が聞かれたのは書類記載内容が正しいかどうか、アメリカに行ったらどこに住むのか、仕事は何をするつもりか、などだ。英語の試験ではないので細かい文法がどうのとかは関係ない。相手が言う内容をあなたが理解し、あなたの答えを相手が理解すればいい。その一点に尽きる。
なお、このとき合格するとパスポートに永住ビザ渡航許可証を貼ってもらえる。これを持って6ヶ月以内にどこでもいいからアメリカに入国すること。そもそも許可証の期限が6カ月なので。

◆グリーンカードとSSNの受領
グリーンカード(以下「GC」)の発行手続きは、上述のアメリカ入国をもって自動的に始まる。引き渡しは郵送で行うが、送り先の住所がアメリカに限定されるという不可思議なルールがあるので、受け取り方法を大使館面接の前に確立しておかないといけない。僕は、たまたま知り合いから紹介頂いたLA近郊在住の日本人の方(以下「Sさん」)に住所を貸してもらったが、普通代行会社がそれ用のアドレスを持っていて、有償で受領・転送サービスを行っている。

アメリカ入国時、在日本アメリカ大使館から事前にもらっている封筒を入管審査官に提出するのだが、この時の担当官がいい人だった。そしてそれは日本への好意が基になっていた。何故日本に好意を持つのか。それは書類がわかりやすく整理されて封筒に入っているからだ。入管審査官にとってこれほどまでに処理がしやすいように整理されている書類は日本からのモノしかないそう。アメリカ大使館の書類封入係のお姉さんに感謝したい。

ところで、GCは永住権所有を証明するビザだが、
SSN(Social Security Number:社会保障番号)は元々は徴税のための識別番号で、今では「あなたをあなたと識別する身分証明書」の位置づけで、グリーンカードホルダーだけでなく有期のビザホルダーにも発行される。SSNがないとクレジットカードを作ったり電話に加入したりネットを引いたりといった基本的なことが出来ないから普通はGCとSSNは同時に申請する(別個でも申請できるようだが普通別個にする意味はない)。

入国日から郵便が届くまでは1ヶ月~2ヶ月だと思うが「アメリカのずさんさ」に遭えば、その限りではない。僕の場合は3月2日の入国で、3月13日にSSNが届き、3月26日にGCが届いた。今回はアメリカのずさんさに遭わなかったわけだ。近々アメリカに行く用があるなら取りに行けばいいし、ないなら日本に郵送してもらう。その際はEMSを使うこと。PMIは追跡番号がない。詳しい違いを覚える必要はないのでとにかく「追跡のあるEMSで送って」とお願いする。

ちなみに僕は、SSNはSさんに郵送してもらい、GCは4月22日にアメリカに行ったのでその際にお会いして手渡しで頂いた。郵送代と心ばかりの謝礼はお会いした時ではなく、3月中に銀行振込で行った。彼も僕も既にUnion Bankの口座を持っていたからだし、4月の計画が確定する前でいつ会えるかがまだわからなかったからだ。

◆総括
ということで、代行屋さんのサイトなどを読めばわかることやお願いしておけばいい事はここには書かなかった。書いたのは:

1)書類は正確に作成し、証明書類はなるべく早く集める
2)少年時代の補導歴や免停などでは無犯罪証明書に記載されない
3)大使館面接は日本語ではなく英語Onlyだと思って臨む
4)グリーンカード受領のためには:
  └①アメリカでの受取住所を大使館面接前に確保する
  └②SSNも同時に取得しておく
  └③日本に郵送してもらうなら追跡付きのEMSで送ってもらう

ということだ。
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