昨日の土曜日、予定通り大好きなケーキ屋と寿司屋に行った後、日系スーパーやトレーダー・ジョーズに寄ったのだが、この一週間で更にアメリカが変わってきたことを体感してきた。なんとあのアメリカ人が、あのカリフォルニアンがマスクをしてる。売りマスクを持たない人は自作してる。3週間前、在宅命令が出たときにマスクをしてたのは中国系の人だけだった。でももう違う。白人も完全に意識が変わった(なお、連邦、州、郡のすべてでマスク着用は有効なので推奨する、という通達が数日前に出た)。

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もう白人が普通にマスクしている。在宅命令から3週間。あの頑固なマスクへの偏見も消えたのだ。

一夜明けて今日は日曜の朝。またも雨だ。ネットを確認。「首相6日にも緊急事態宣言を準備か」という記事(日テレの報道)を発見。



そうか、これから準備するのか。それじゃ今まで何してたんだ?誰もがそう突っ込むだろうし、実際ヤフコメもそのツッコミで溢れている。そりゃそうだよね。

是々非々で言うが、マスク2枚の配布を含む政府のこれまでの対応案は別にそれほどおかしなものではなかったと僕は思っている。第一に現下のマスク枯渇状況で洗えるマスクが届くことはそんなに悪いことではないから。第二に政府の政策はマスク2枚のみ、というのは事実ではないから。そして第三に、その対応案は、今走りながら作っている条件下ではまあ全体としてはギリギリ及第点レベルだと思うから。つまり、誰もが納得するレベルで対応案を完璧に作るなんて土台無理だから。

そして、これも是々非々で言うが、東京の発症者数がオリンピック辞退の日まで20人前後だったのが、その後40、60、100(今日は143)と上がっていったの見ても尚これを「緊急事態」だと認識しないのならば、「これは~~の理由からまだ緊急事態ではない。~~のような条件になれば緊急事態宣言を出すのでヨロシク」と国民の不安に答え、また準備を促す言葉を言うことは可能だったので、これをここまでしてこなかった首相は、現にリーダーの役割を果たしていないということだ。

繰り返すが、緊急事態に関する「対応案の内容の是非」の話をしているのではない。国民に対し、タイムリーかつ明確に説明し、展望を語りかけ、そして決定していく。それが企業や国のリーダーの責務なのに、安倍首相は国民に自分の認識に基づく明確な言葉を発しなかった。そのことを「明らかなる責任の不履行だ」と申し上げているわけだ。

いや、勿論ブリーフィングでマスコミの質問に答えたりはしてたんでしょうよ。でも「国民に語りかける」ってのはそういうことではないから。伝わることが必須だから。その限りでは、なんなら自信たっぷりに「やぁ国民のみんな。大丈夫。オイラに任せておきな。この場面で嘘なんて言わないぜ。嘘だったら俺はきっちり責任取るぜ。だから俺を信じて外出は控えてくれよな。ふ」みたいなことを言ったとしても、それで国民が納得するならそれはアリってことだ。

しかし、国民は不安を増幅させたまま火事は大きくなる一方だ。そして、この状況ではもう今更消火担当者たる安倍首相を交代させる暇もなくなってしまった。3.11のときの民主党政権(菅元首相)のときと同じだ。もう自身が辞任しない限り、この事態が収束するまで在任中の首相が指揮を執る。これから言うっていう「準備」が国民の理解を得られ、かつ「間に合うもの」であることを祈る。

まあ、これが民主主義の代償なのだろう。民主党政権を選んだのも国民。今の自公連立を選んだのも国民だ。その国の政治は、選択権(選挙権)を持つ国民のレベルの反映だ。僕はもう30年も前からそう思っているから、政治家の不出来は僕の不出来だと思っている。でも、今後の選挙で責任はとってもらう。その権利までは捨てる気はない。

まあ、それは後の話だ。改めて言っておくが、緊急事態宣言を出さなくても日本のコロナ禍は収束するかもしれず(結果は誰にもわからない)、緊急事態宣言の内容が「民主主義の限界」によって今と特に変わらず一種の心理的効果くらいしか期待できないかもしれないわけだ。だから僕は、首相が現下リーダーシップを取れていないことだけを今は糾弾しておく。そして、何よりも日本よ。東京よ。ニューヨークと同じ轍を踏むな。自分の命はまず自分で守っておこう!