移住前は毎年一回有休を使って1週間から10日くらいアメリカを訪問する程度だった僕。この間アメリカに滞在した期間は合わせて150日前後、移住後1年9カ月が経過したがそのうち4ヶ月は日本にいる・・・。これでアメリカ人を語るなどは早計の誹りを免れないかなぁと自分でも思う。

しかしそれでもあえて申し上げれば、アメリカ人は概ねフェアで親切であると思う。何せ僕はアジア人・日本人であることで何か差別や不利益を受けたことなど一度もないからだ。南部でも、北部でも、西部でも。

まず旅人だったころの例を挙げたい。
2004年、ユタ州のアーチーズ国立公園で、終戦当時広島県呉市と巣鴨プリズンで働いたという元アメリカ兵の兄弟(人種は白人)に、「日本人かい?」と呼びとめられた。それから30分以上彼らは日本での思い出話(東条英機首相をお世話したetc)や戦争観、そして日本を好感しているといったことを語った。

彼らの戦争観や対日観は非常にステレオタイプだったが、日本に好意的なのは明らかだった。日本人の中には戦争当時の敵であるアメリカ人を今も憎んでいる人もいるし、それはアメリカ人も一緒だから、そういう敵意のある人に出会ってもおかしくないのだが、まあ「たまたま」いいベテラン(退役軍人)たちに呼びとめられたのであろう。


2005年。急に雹にやられて仕方なくチェックインしたモンタナ州のモーテルで偶然出会った一家(人種は白人、職業は夫が白物家電の搬入や設置、奥さんは地元のカレッジの事務)と、互いの国や職業について長いこと話をし、最後にメルアドを交換した。

この一家とは今でも交流があるし、2007年にはミネソタにあるご一家の家にお邪魔したほどだ。彼らには日本は「ハイテクの国」というイメージくらいしかなかったが、僕ら夫婦と出会ってアジアに興味を持ち、最近ではインドネシアからの留学生を住まわせたりしている。まあ、こんな善良な一家に出会ったのは「たまたま」であろう。

2006年は、前年に仕事を依頼したミュージシャン夫婦(ミュージシャンの夫は中国系アメリカ人、妻は日系アメリカ人)とプライベートでも仲良くなり、ドライブ旅行の最後にLAに寄った際、二晩も泊めてもらった。ここには2007年にもお邪魔して2泊させてもらっている。まあこれは仕事がらみだから「いい人たち」なのも当然だろう。


2010年はセドナで公園の景観や自然を守っている女性(白人)と、嵐が過ぎた後の超絶な景色を見ながら自然や宇宙の神秘を語り合い、2011年はラスベガスでタイヤがパンクした際は、見ず知らずの親切な青年(黒人)に直してもらいながら、彼のそれまでの人生や今後の夢などを聞き、励ましたりした。彼は前科を持っていて、自分の弱さでその罪を犯してしまったと後悔していた。そしてなけなしの金でLAからラスベガスに「未来を切り開きたい」とやってきた。

まあ「たまたま」いい人に出会って壮大な自然を見ながら話したりすることもあるだろうし、パンクしたりすれば「たまたま」前科のあるいい黒人がやってきて直してくれるなんてこともあるだろう。でも、ここまで「たまたま」がずっと続くんじゃ、それはもう「たまたま」とは呼べないと思う。なので、僕は「アメリカは根本において善良でフェアだ」といういう確固たる一般論的意見を持つことにした次第だ。

僕が最も差別を恐れた出会いのことも触れておこう。
2010年、砂漠地帯を流れるコロラド川のほとりで休憩のためたまたま車を止めたら、釣りをしている白人の親子(父と娘二人の3人連れ)がいた。僕らに気付くなりお父さんのDavidが話しかけてきたのだが、
僕が日本人であることを知るとまずは車のことを話したがった。

「私はトヨタのカムリに乗っているが、君は何に乗っているの?」僕が「いや、車は持っていないよ」というと、彼は「トヨタの国の男が車に乗ってないって・・・?」と驚きでのけぞっていた。また、僕が「会社では人事をしている」と言うと「自分は最近リストラされて、こんな真昼間にサンディエゴからやってきて釣りをしてるんだ」と事情を説明してくれた。そして、リストラ話はやがて彼の「人種観」へと発展した。


「私はメキシコ人とかフィリピン人が嫌いだ。英語も話せないのにアメリカにやってきて安い賃金でアメリカ人から仕事を奪っていく。外国に来て、しかも住むというのなら最低限の礼儀がある。それはその国の言葉を話す努力をすることだ。君は英語を話すが彼らの多くは違う」。彼は明らかに、真剣に怒っていた。

彼の言うことに全面的に賛同するわけではなかったが、彼の言わんとすることは理解できた。そして、彼がアジア人やヒスパニックなどに対してのレイシストだとは僕は思わなかった。何故ならば、彼は外見的にどうみてもアジア人の僕に、自ら話しかけてきたからだ。

彼の考えを聞いて、僕がそれまで嫌な目に遭わないで来たのは「完璧には程遠くとも英語を話すから」なのかと考えた。確かにそれは「出会ってからの好印象」を作り上げるという意味では大事だ。だが、自分が日本人で英語が一応話せると了解されるのはあくまで会話が始まってからなので、それ以前に僕が何者なのか相手は知るよしもない。だからこそ、一般的にアメリカ人は差別的ではないと僕は言えるのだ。

とにもかくにも、「英語を話さない無礼者」という理由でフィリピン人やメキシコ人一般に敵意を燃やすアメリカ人に僕は出会い、これが僕が「差別の匂い」を少しだけ感じた唯一の瞬間だった。

こうしてアメリカを何度か旅するうち、僕はアメリカのフェアネスを信じるようになったわけだが、今後裏切られることは必ずあると思っている。一方で、少々のことで今の意見が変わることもないと思っている。そして僕は、この幻想がこっぱみじんに打ち砕かれるまではアメリカにいたいものだと思いながら、2012年10月にアメリカに移住したのだった。そしてそこで、また凄い人々に出会った。