お久しぶりです。久しぶりに遅い昼休みに少し書いてみた。
コロナで固定された日常には本当に何も変化がなく、むしろ疲れを感じてさえいます。こうして恙無く生きていられることは幸せですが、毎日がルーティン化してるっていう意識になってるのはまずいですね。

本当なら、今年は東海岸北部を巡りたかったなぁ。でも長めの有休をとっても飛行機に乗る気はなく、季節は間もなく9月となり、旅行気分は漸減。もう今年はハリネズミのように防衛に徹した年として過ぎていくのでしょう。

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2011年3月。日本は大地震と放射能問題が浮上し、それ以前から大問題だった日本のデフレ状況はますます混迷を極めていました。それは僕ら夫婦がアメリカに来た2012年10月時点でも同じでした。

2011年当時、日本で企業の人事マネージャーだった僕は、会社を100社受験して1社も受からなかった高学歴大学の子に出会いました。数人いました。あの頃の就職難は異常でした。僕はといえば、3.11が起きる少し前に、会社員を辞める決意を固めていました。前にもここに書きましたが、サラリーマンが性にあっていないと真剣に思っていた時期で、外国人特化の行政書士になるかアメリカ製品の輸入代行をするつもりでした。

2011年7月にグリーンカードがあたったので、アメリカに移住の上で輸入代行をすることに決め、それから1年ほど渡米準備をしました。2012年3月頃からは、アメリカで暮らすにあたって賃貸ではなく家を買うことにし、南カリフォルニアに物件を探し出しました。

6月に希望物件へのオファーが通り、8月に購入しました。1ドル80円の時代でした。そして、本来なら22万ドルくらいのはずの物件がリーマンショック以降の住宅価値の下落で16万ドルまで落ちていました。結果、その家を僕は1440万円で買えました。当時の極端な円高株安は僕に味方していました。

10月に渡米後、iPhoneに特化した輸入代行は目論見通り当たりました。円高ドル安のメリットを活用した価格設定で、顧客から猛烈な支持を受けました。

しかし、2012年12月、自民党が政権に返り咲きました。安倍さんも首相に返り咲きました。徐々に、円安株高の流れが出来上がり、日本は景気を回復し始め、就任3年目頃には、バブル期もびっくりの求人難となり、大学生は売り手市場になっていました。

逆に、僕の商売は構造的に成り立たなくなっていきました。1ドル120円になってしまい、日本の顧客にしてみれば、単純計算で1ドル80円だった頃より50%も値上がりしているわけです。個人の努力でどうなるものでもありません。2015年に僕が個人輸入代行を廃業することになった最大の原因は安倍政権の政策というのが正しいのです。

じゃ、安倍晋三が憎いだろうって?そんなことないです。首相が僕の都合のためだけに政治をしている訳じゃないしね。モリカケが、とか桜を見る会が、とか、そういう話もどうでもいいです。それ始めるなら、そんじゃ中韓北朝鮮台湾香港ウイグルチベット問題に冷淡な他の政治家や政党はどうすんの?って話になるしね。勿論誹謗中傷罵詈雑言系の話は一切お断りです。

それより、人として言っておきたいことがあるからここで言っておきます。安倍さん、長い間ご苦労さまでした。ご病気が早く軽快されますようお祈りしております。