いつものように長いこと書かなかったが、それはいつものように仕事が忙しかったから、だけではない。実際には、忙しいとはいえ書くための時間は割けたのだが、休みの日ごとに非常にアクティブに行動してしまい、書くに書けなかったことが原因だ。

 

ただ、書くべきことは色々あった。まず最も重要なことは、僕の心の持ち方に関し、根本的な変化があったことだ。何度も書いてきたことだが、「渡米時の理想とは程遠く、今サラリーマンの境遇にあること」に関して様々な負の思考を抱いていたが、これを捨て去ることができた。別に無理やり負の思考をやめ、強引に思い込みを断ち切ったのではなく、本当に思考法を根本的に、素直に変えることが出来たのだ。これは後にまた触れてみたい。

 

次の要因は、今年に入ってからも忙しい日々は続いているものの、家で仕事をすることは極力やめることにしたことだ(このような「転換」も、実際は思考の変化によるものだ)。そのため休みの日は積極的に活動することとなり、ブログ執筆から遠のいた。

 

たとえば4月後半から5月の頭にかけて5連休を取り、妻と飛行機でフロリダに行き、レンタカーでエバーグレーズ国立公園やら内房の海岸やら外房の海岸(要は大西洋)やらキーウエストに行き、泳ぎ、うまいものを食べてきた。

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キーウエスト。国道1号の南端。
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セブンマイルブリッジ

先日も3連休があったが、大好きな砂漠に行き、しかもまだ見たことのないエリアをあえて訪問するなど、肉体的に疲労すること甚だしいレベルで遊んできた。結果的にゆっくりブログ記事を書く時間などはなくなってしまったわけだが、今これを書いている時間はどうやって捻出しているかについてはあえて言わないでおきたい。

 

さて、なんで思考法が変化したか。実は、あれは2月末ごろだったか、自分が最も価値を置いていることは何なのかについて、真剣に考える機会を得たのだ。

 

そしたら、自分の人生においての最大の価値は「妻と共に< 楽しく >生きること」であることがはっきり認識できた。これを失った場合、例えば妻が死んだ場合、僕にとってアメリカで生活することも旅行に行くことも、殆ど価値を持たないことに気づいてしまったのだ。読者諸兄には申し訳ないが、長く人生を共にしてきた妻との生活が最重要価値であったというのはあまりにも真実過ぎて、もはやここに明言しても照れる気にさえなれない。

 

もう一つ、僕は自分の職業人としての価値に気づいてしまった。この数年の「修行」で、僕は日本時代には持っていなかった経験とスキルを得てしまった。しかも同じような経験やスキルを持つ人は、ほかに探してもなかなかいないことがわかってしまった。

 

日米に限らず、世界の取引相手と色々なジャンルの契約を取り交わす過程で、僕は日本語はおろか英語の契約書を20ページでも書けるレベルまで到達した(アメリカの契約書は分量と細かさが半端ではない)。先方と交渉し、アメリカ人の弁護士と毎日話し合っていれば当然と言えば当然だろうけど。

勿論日本で法務や人事として経験を培ってきたから日本の法律知識はあるし、日本の子会社の人事と法務もこのアメリカの地で統括する僕は、今でも日本企業との契約を見、作り、法律改正などに対応したり部下に指示を出す立場にある。更に、日本でのサラリーマン経験、渡米後に個人事業主をやった経験、そして現在の修行環境の中で、経営/事業計画もさっさと作れるようになった。

 

この経歴を知った転職エージェントによれば(僕は2月に、急に思い立って「エグゼクティブ専用」とうたう転職エージェンシーに登録してみた)、どうやら僕は食うに困らないらしいのだ。アメリカの日系企業で今の年収レベルを維持して転職先を探すのはそう簡単ではないが、日本でなら、まず食いっぱぐれはあり得ないようだ。日米ともに好景気で、50代の人間も十分戦力として見てもらえる中、少なくとも日本で食いっぱぐれはないとなると、心の余裕が違う。

 

「この会社を辞めることになったら、もしくはどうしても辞めたくなったらどうしようか。せっかく安定したのに。アメリカに居続けたいのに…」というのがかなりの精神的不安要素だったが、僕が過労で倒れるとか、そこまではいかなくとも妻との生活が忙しさで犠牲になってしまうような毎日をアメリカで送るくらいなら、別に無理してアメリカにいる必要はない。そう気づいた。そして「忙しさを嘆きながらアメリカ生活を維持する」という、意味の分からない自主的奴隷的思考から僕は解放された。

 

なので、ここ数か月、僕はもはや社長の評価などは気にならなくなり、自分のできることをできる範囲の中で一生懸命やっている。これに社長が万一不満だったら、「それはそれでいいワ。他に行くワ」と今や素直に思うことができる。アメリカに来て6年弱。サラリーマンに転向して2.5年にして、初めて気持ちよく開き直ることが出来ているわけだ。

 

くどいようだが「最重要の価値」は妻だった。妻といないアメリカに価値はない。妻と行かない旅行にも価値はない。妻との生活を形だけ維持して残業や休日出勤に明け暮れるアメリカ生活に意味はなく、そのような生活を強いられるならさっさと違う職場(そこが日本であれ)に僕は行けると知った。僕の思考が根本的に変化し、しかも腹に落ちている理由は、僕にとって最も大事な価値の再認識とともに、生きていくための仕事を、妻との人生を犠牲にしないでやれるということの確信に基づく。


笑ってしまうことに、プレッシャーをかけてきたのは自分自身だった。別にこれまでだって社長から何か言われたきたわけではない。週末に仕事をしたのも、何にでも責任を感じていたのも自分自身の性格からだ。そんなことを続けて、妻との生活を犠牲にしてどうする?アメリカにいてどうする?そう思っても開き直れなかった僕だったが、でももう過剰な自己犠牲は止めた。止めることができた。価値の再確認のおかげだ。そしてこの2年半の修行のおかげだ。良かった。気付けて。

あ、書くの忘れてた。以前から書いてきていた「サラリーマンをいずれ辞める計画」だけど、別にそれ自体は捨てていないので。妻と楽しく平和に生活しながら自分のやりたい方法で稼ぐ。これが最高の理想像なのは不変です。