ずいぶん久しぶりだ。「ブログを書いている暇なんてない」なんて言う時でも実際そこまで忙しいことは稀なはずだが、さすがにここ数週間は新しい仕事が本当に忙しく、ブログを書いている暇も本当になかった。

 

今日は一旦山場を過ぎたのでこうして書いているが、今月下旬には東京に出張することが決まるなどまだまだ忙しい日々は続く。このままコンサルティング屋としての比重が高まっていけば、いよいよ輸入代行業からのフェードアウトを考えないといけないのかもしれない。

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さて、仕事しているか食ってるか寝てるかというくらいのここ数週間で、ちょっと信じれらないことが起きた。僕が一番仲良くしている近所の若夫婦に昨日久々に会った。一通り世間話をしたあと、旦那の方のキャメロンがおもむろに「悪いニュースがあるんだ」という。

 

最初に思ったのは彼らがとうとう引っ越すという話だ。昨年の今頃「2匹の犬を広い庭で遊ばせたいので少し田舎に引っ越すことを考えている」と言っていたし、いよいよ実行に移すのか、と思ったのだ。

 

僕は冗談ぽく「いやいや、聞きたくないよ」と耳を塞ぐゼスチャーで笑いながら言ったが、彼らの深刻そうな顔に引っ越し程度のことではないとすぐに気付いた。

 

「だとしたら悪いニュースって何だ…?」

 

僕は彼ら夫婦が2匹の犬をそれぞれ抱っこしているのを見て、彼らの飼い猫”ハミルトン”の不在に気付いた。まさか、と思った瞬間キャメロンが言った。

 

「ハミルトンが死んだよ」

 

にわかには信じることが出来なかった。ペルシャとかヒマラヤンの血が入ったぺしゃんこな顔、ひょうきんな動きでコミュニティー内をうろうろ歩き、美形のメス猫の後ろをストーカーのように付いてまわり(彼はとっくに去勢されているが)、犬を散歩させる飼い主に一緒についてまわり、いつもノンシャランとしていたあのハミルトンが死んだ?

 

「いつ?」と聞くと、それは2週間前だったという。僕が仕事でまさにテンパっているときだ。そのころは116時間くらい、外出はおろか窓も開けず、自宅に引きこもって仕事をしていた。

 

「何で?」と聞くと、これが衝撃的だった。

 

「コヨーテに食い殺された」

 

「へ?コヨーテ?どこで?」

 

「ウチのすぐそばだよ」

 

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僕の住んでいるコミュニティーは、歩いて10分のところに手つかずの自然が維持された大きな郡立の公園がある。そこには確かにコヨーテやボブキャットなどの希少種もいる。そしてたまに、このコミュニティーにコヨーテが入ってくると近所の人が言うのを聞いたが、僕自身は目撃したことはなかった。

 

去年の秋のある晩のことだった。僕と妻でキャメロンの家で夕飯を食べお酒を飲んでダベっていた時、誰かがドアをノックした。日曜の夜9:00ぐらいのことだったので、誰が何の用件だろうと皆でいぶかしく思いつつも、キャメロンが対応した。

 

結局30分ほど外で話をしてからキャメロンは戻ってきたが、訪ねてきたのはこのコミュニティーに住むおばさんで、用件は「あなたの猫をさっき見つけたけど、もう家に入れなきゃだめよ。コヨーテに襲われたらどうするの?」という説教をしにきたとのことだった。

 

僕は笑ってしまったし、アメリカ人がそんな風に干渉してくるなんて結構意外な気持ちがした。でも、猫は気ままに好きなことをするのが「本業」だし、完全な家猫ならまだしも放し飼いの猫を家に閉じ込めるなんてかわいそうだと僕は心底思い、キャメロンには「そんなん、気にしなくていいよ」と言ったし、彼らも「うん、まあ彼女なりの親切心で言ってくれてるとは思うよ。けど僕も気にしてないよ」と言っていた。

 

が、本当にコヨーテに襲われハミルトンは死んだ。僕はコヨーテの危険性を過小評価してしまったことを悔いた(いや、今も悔いている)。コヨーテはいる。僕は目撃したことはないが、いる。もっと人が多くゴミゴミしたLAの方でさえコヨーテは出る。にもかかわらず、その危険性を真剣に考える発想は全くなかったし、猫は自由気ままに好きなことをすべきだと考え、そのおばさんの忠告を一笑に付した。

 

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僕はハミルトンの日本名の「名付け親」だ。といっても、ハミルトンの発音になるよう漢字で「歯診遁」と付けただけだが。

 

 歯 診る 遁

 (His) Teeth / Checked (by a vet), then (he) Escapes

 

漢字の意味を説明するとキャメロンたちは「獣医に診察されているハミルトンの姿そのままだよ!」と大爆笑した。そのくらい元気で、個性的で、独特の存在感を醸していたのがハミルトンだった。

しかし、健康を害すどころか健康で自由闊達に生きる猫であったが上、そしてそれを是としてコヨーテが出没するような自然を残したこの場所で放し飼いをしていたが上、この悲劇は起きた。
僕らの愛猫の死よりもずっと大きな後悔が残る。