愛猫Picoがとうとう逝った。日本時間44日のことだった。4月に入り、急に衰弱が激しくなり、自分で立つことさえ出来なくなっていたので心配していたが、その矢先のことだった。

彼にはもっと長生きしてほしかった
が、そもそも昨年の3月時点で余命12か月と言われていたのだから彼は僕らの期待に応え本当に頑張ってくれたのであり、これ以上長生きを求めるのはむしろ酷なことだと思うし、安楽死を医師に勧められる状況にもかかわらず苦痛も最小限に旅立てたことで僕自身は「納得」している。


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2014年9月、アメリカの動物病院にて食欲増進のために鼻先に鍼を刺されるPico



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9か月で逝ってしまった彼は、飼い猫の平均寿命から考えれば短命だったと思う。しかし、素直で人懐っこい性格の彼を僕ら家族一同は本当に愛してきたし、アメリカの病院のスタッフにさえも愛されていたので、そのことだけでも彼は幸せだったと僕は思いたい。

 

ただ、彼の死に納得ができても、彼に割く時間が突然ゼロになって僕自身は喪失感と虚脱感を感じている。新しい仕事が容赦なく進み、確定申告のデッドラインが415日に迫る中、彼を火葬したり遺品を整理したりしているうちにあっという間に10日が過ぎたけど、色々なことが一段落してみると彼の不在が否応なくクローズアップされてしまうのだ。

 

余命1~2か月と宣告された昨年3月から11か月。その間本当に色々なことがあり、彼との生活はあまりに濃密だった。特に昨年7月に彼をアメリカに連れてきてから、僕は個人事業主の立場をフルに活かして一日5時間も彼の食事や投薬などに当てて面倒を見てきた。でもそれは全然苦痛に感じなかったし、まだまだ彼と一緒にいたかった。本当にそう思う。

だから、暫くはこんな気持ちを引きずるだろうとは思うが、それもそう長くはならないはずだ。何故なら、彼が薬や食事を毎日何回も強制されながらも、最後まで人懐っこく明るく前向きに生きてくれた事実を思い起こせば、まさにその強制を行った僕がいつまでも前を見ずにふさぎ込んでいるのは彼に対して恥ずかしいことだとわかっているからだ。

さようなら、Pico。僕らの猫でいてくれて有難うな。
君が命を懸けて教えてくれたことを僕らは絶対忘れないから。
天国でまた思う存分大食いしてくれよ。
じゃあまたな!