アメリカという甘美な幻想

南カリフォルニアはオレンジ郡に住むオヤジです。妻共々サラリーマンでしたが、2011年にグリーンカードが当たり、アメリカへの憧れに抗しきれずに2012年10月に移住してきました。個人輸入代行やコンサルタントを生業にした後、2016年からは会社員(人事、法務など)に。移住する遥か前から積み重ねてきた様々な「アメリカ体験」も含めて文章に残すためにこのブログを書いていますが、会社員復帰以降は忙しすぎて更新は稀に。。。面目ない。

2015年01月

南カリフォルニアの「意外」な事実

何日か前のエントリーで「南カリフォルニアだって雪は降る」、という事実を書いたが、雪どころか南カリフォルニアに雨が降ることさえ結構イメージから外れる事実であるので、「It Never Rains in Southern California(邦題:カリフォルニアの青い空)」という曲では、そのことを織り込んだこんな歌詞がある。

 Seems it never rains in Southern California 
 南カリフォルニアには雨が降らないように見える
 Seems I've often heard that kind of talk before
 そんな話を以前聞いたことがある
 It never rains in California, but girl, don't they warn ya?
 南カリフォルニアには雨が降らない…でも誰にも言われなかったかい?
 It pours, man, it pours
 実際は降るんだよ。土砂降りの雨が。


雪も降れば土砂降りの雨も降る。どちらも事実ではある。が、一年のうち300日は晴れる南カリフォルニアでは、やはり雪や豪雨に遭遇するのは稀なので結局いつまでたっても「ウッソ!マジ?」的なリアクションをとってしまう。

僕にとってもう一つの「意外」は風邪である。2012年9月下旬に渡米以降、僕は風邪など全く引かなかったのだが、2014年年末に初めて風邪らしき症状で往生した。その時はすぐに治ったが、1月に入って暫くするとまた同じような症状(頭痛、関節痛、筋肉痛)が出てきて、これも暫くして治った(というか、運動不足からくる肩こりや頭痛だと思った)ら先週末またまた同じような、しかも今度は更にパワーを増した風邪を引いて、これは現在進行形である(
勿論仕事に支障は一切きたしてはいないものの辛いことは辛い)。

今回は従来の頭痛や関節痛の痛み系に加えひどい咳と寒気を感じているのだが、ぶり返すたびに強力になっていくので、何か違う病気かと一瞬思ったりもした。だが、飼い猫Picoを土曜に医者に連れて行った折、そこの受付の人(2人)と話していたら意外な発言を耳にした。

 僕  :南カリフォルニアで風邪を引くなんて夢にも思わなかったけど、
     皆さん、風邪引きます(まあ人間誰だって引くとは思うけど)?
 A 女史:勿論ですよ。
 B 女子:一旦引くと、結構強力ですよね。
 僕  :ですよね。僕も12月下旬に一回引いたのが、治ってはぶり返すの
     繰り返しなんです。なんというか、タチが悪い(nasty)風邪って感じです。
 A 女史:私もそう思う。一旦引くといつまでも治らないですよ、こっちの風邪は。
 僕  :やっぱりそうなのか…。みんなこっちでは冬でも半袖だけど、僕は今日は
     コートにマスクで過ごすつもり。日本では風邪引いてなくてもマスクするし。
     これ、やっぱりおかしいですか?
 B 女史:日本では多くの人がマスクするって話は結構有名ですよね。こっちでは
     マスクするのはまあレア、よね。一応SoCal(南カリフォルニアのこと)の
     人ってファッション気にかけるし。
 A 女史:私はするわよ、マスク。人がどう思おうと知ったことではないし、
     風邪を引いたら人にうつさないようにするのは絶対的に正しいはずだしね。
 僕  :ですよね。では僕は、この恰好のまま帰ります。


ということで、ダウンジャケットを着、妻が日本から持ってきたピンクのマスクをして帰宅した次第だが、車が信号で止まるたび対向車のドライバーの視線が痛かった。まあ背に腹は代えられなかったからいいのだけれど。

で、どうやら南カリフォルニアの風邪は質が悪いというイメージは間違いないと思う。今のところ3人の意見でしかないとはいえ「合致率100%」の意見なので、読者諸兄は憶えておいて損はないと思う。

一方、彼女らの発言で賛成しかねるものがあった。それは「こっちの人はファッションを気にする」というくだりだ。老若男女が年中Tシャツを着て、その半分はお腹がポッコリ出ているのではないか!というほどガタイのいい皆さんがファッションを気にしてるって?いやいや、それはない。いやいやいや、ないない。まさに 
(ヾノ・∀・`)ナイナイ って感じだ。

癌の猫をアメリカに連れてきた(2)

2014年7月2日、Picoと一緒に赤羽の自宅を出、タクシーで成田まで行った。Picoはただならぬ気配を感じ道中ずっと鳴いていて、タクシーを降りた時には脱走を試みようとさえした。空港では検疫所に寄り、簡単な検査をして輸出証明書をもらった。今回は客席にペットを乗せられるアメリカ系の航空会社(ユナイテッド)を選択していたので、機上ではPicoと一緒にいたのだが、この間もPicoはずっと鳴き続けていた。水も飲まず食べ物も勿論食べず、ただただ定期的に「みゃー」と細い声で鳴き続けた。

LAXに着き、飛行機から降りようとして尿の臭いに気付いた。それまで臭いはなかったので、着陸前後のタイミングで尿を漏らしたらしかった。猫の尿の臭いは結構きついので周りには申し訳なかったが、勘弁してもらうしかなかった。空港の外で妻の車を1時間ほど待ち、それから最終的に家に辿り着いたときには赤羽から17時間が経っていた。

Picoは初めて見るアメリカの家に戸惑い、物陰や引き出しの下の空間で固まっていた。そこに水を入れた器を差し出すと、少ししてから飲み始め、最終的には半端ない量を飲んだ。それから尿で臭くなっていたので身体を水のいらないシャンプーで吹き、あとは慣れてくれるのを待った。家自体には数日で慣れた。

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Picoが好きな場所=妻の背中(9月下旬撮影)

ところで僕は、アメリカに来る前に自宅周辺でいい病院はないかと探していた。2,3東洋医学やホメオパシーなどを取り入れた治療をする病院を見つけ、「Yelp」というレビューサイトで評判を確認したりしてそれなりに良さそうな動物病院を探り当てたが、何分実際のところはわからない。料金表もないので初診にいくら取られるかもわからない。そこで、猫と犬を飼っている近所のダグラスさんに連絡を取っていい病院はないか尋ねた。すると思いがけない答えが返ってきた。

「娘のエマが獣医のところで働いているので、その病院で診てもらったらどうだい?もしPicoに何かあったら、娘はあなたの自宅にいって応急治療が出来るし」、と言うのだ。ものすごい心強いオファーであって断る理由がなく、当然その線でお願いした。

少しPicoが落ち着いた7月4日、
早速娘さんとコンタクトを取り、車で25分ぐらいのところにある彼女が働く動物病院にPicoを連れて行った。 その動物病院は取り立てて優れた点はなかった。むしろ獣医はおざなりで、日本で行った治療を説明するとホメオパシーなどは出来ないから、と言ってステロイドの注射などを型どおりに行った。料金は東京での1.5倍かかったが、それがアメリカでは標準なのかどうかはわからなかった。

しかし、ダグラスさんやエマには悪いが、ここに自分の猫を預けるのは間違いだと直感したため、僕は彼らに断わった上で日本で調べておいた動物病院「North Tustin Veterinarian Clinic」へPicoを連れて行った。そこは針灸を専門にするドクターがいるなど、東洋医学的なアプローチをする病院だったので、東京での環境に近いと思った。

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鼻の「食欲のツボ」に針を刺されたPico

その病院では、東京で行ってきた薬での治療をベースに、一向に体重を維持または増加できるほどの食事量を取れないPicoに親身に色々なことを試してくれた。その結果、8月にPicoは1日100gほど食事を摂れるようになったが、それも長くは続かなかった。8月下旬、お気に入りの缶詰には見向きもしなくなり、彼が食べてくれるものなら何でもいいということで、新しいブランドの缶詰を見つけては買って与えた。

ただ、運よく当たればある程度Picoは食べてくれるのだが、それにも2,3日で飽きてしまうため食事量は漸減し、栄養不足からだろうが軽い膀胱炎にもかかり、7月の頭に4.5kgあった体重は9月の頭にとうとう4㎏を切り、一日中水さえ飲まない日もあった。僕はそんな時はスポイトで水や仔猫用のドリンクや高栄養食をPicoの口に注ぎ込んだ。さすがにそんな状況になると、Picoの最期がちらついたものだった。

まさにその時、ある薬が劇的に効いた。それまでの1週間、通常10g、多くても40gだった一日の食事量がその新しい薬を試した翌日から一気に300gを越えた。そして11月、Picoの体重は4.6㎏を越え、とうとう渡米直後の体重を越えた。

癌を抱えた猫が、2014年3月に余命2か月と言われた猫が、17時間のフライトに耐えて海を渡り、このアメリカの地で今も生きている。勿論彼の癌が治ったわけではない。
年末からは咳もするようになっているし(薬である程度コントロールできているが)、最も食べていた時期に比べれば今は食事量も減ってきた。しかしそれでも、彼は体重もなんとか維持し、好きなものを食べ、好きなだけ寝て、好きなだけ甘え、生きている。開腹もせず、包帯もまかず、点滴のチューブに拘束もされず生きている。

発病から間もなく1年、ここまでPicoが猫らしさを失わずに生きてこれた要因は何か。僕はこう考えている。

要因1)劇的に効いた薬との出会い。一日300gの食事を摂らせる魔法の薬、これが最大
    要因だ。勿論、その薬に出会うまで親身になって色々な方法を試してくれた
    ドクターの存在も大きい。薬の名前はCyproheptadine。

要因2)Picoの性格。獣医師が言うには、治療を受けたり飼い主から薬を強引に飲まされても
    終わった後はきれいに忘れて明るく快活にふるまえる性格は明らかに治療効果に
    好影響を与えるのだそうだ。

要因3)食べ物。日本の猫缶は世界一だと僕は思っていた。日本人の味覚からして、
    猫缶とはいえ最高においしいものを作り、健康面もばっちりだと思っていた。
    しかし、アメリカはペット先進国の名に恥じず、缶詰、カリカリ、サプリなども
    最高レベルにある。悔しいが日本より数段上のようだ。

要因4)僕ら。家族の誰も、諦めなかった。開腹手術や自由を奪い苦痛を与えるような
    延命策は採用しないという原則を貫いた上で僕らはやれることをやってきた。


例えば、東京にいた時にPicoが極端に食事を食べれなくなった時期、義母はスプーンから彼に食事を与えた。そうするとただ皿を置いておくより食いついてくれる確率が増すからだったが、義母は深夜に独り、それこそ30分もしゃがんだまま、彼が食べはじめるのを待っていたものだ。義父は投げやりになっていた腰の治療を、Picoの頑張りを見て再開した。

Picoがアメリカに来て以降、妻は毎日朝4時や5時に彼に起こされるが、彼が満足するまで撫で、それから缶詰を与える。睡眠の質は極端に低いはずだが彼女は苦にならないという。僕はといえば、彼に何度も引っかかれながら、昨年3月から今日まで1日も欠かさず、毎日2回Picoに薬やサプリを飲ませてきた。彼は何をどうやってみても薬を喜んでは飲まないので、無理やり口を開けて飲ませるしかない。だから、薬の時間になるとPicoは僕を怖がって逃げる。だが、それ以外の時間は僕に甘えてくれる。

こうして何度も困難と危機を乗り越えてきたPicoなので、彼との生活はまだまだ続くと僕らは信じている。

癌の猫をアメリカに連れて来た(1)

僕ら夫婦の猫「Pico」は2006年から飼い始めたソマリのオスで、もう一匹飼っているノルウェイジャンのメス「Moko」とともにアメリカに移住する際連れて来ようとしたのだけれど、当時東京で同居していた妻の両親が「寂しいから連れていくな」と言うので二匹ともそのまま東京で暮らしていた。

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東京で闘病中だったころのPico

Picoは食欲旺盛で体重は常に6kgを越え、甘えん坊でオーバーリアクション。そんな健康そのものだった彼が2014年2月に急に食べなくなってしまい、人間が歯に引っかかったニラを手で取り除こうとするような仕草を頻繁に示すようになった。顎や歯肉の病気かと思ったが、医者に行った結果、肝臓あたりに癌があり、胃が圧迫されてモノが食べられないのではないかと診断された。

こうなると問題は猫の通院と投薬などの看病を誰がするかだった。妻の両親は高齢なうえ、その時はそれぞれが健康を害していたからだ。

1月に実母が逝去して2月初旬まで日本にいた僕は、まさかたった1か月でまた日本に戻るとは思ってもみなかったが、とにかく3月頭に東京に戻り、すぐにPicoを川崎にある大きな病院に連れて行き病理検査をやってもらった。結果、彼の癌は詳しくは「カルチノイド」というもので、肝臓の周囲当たりにそのカルチノイドが出来ており、余命は1~2か月くらいだろうとのことだった。

獣医から説明を受けても、普通の癌とカルチノイドの違いがわからず、ウィキペディアのようなもので調べてみてもいまいちピンとこなかったが、それでも一番具体的な感じがする説明を以下に紹介すれば、カルチノイドとは

癌様腫あるいは類癌腫ともいう。当初,浸潤発育や転移がなく,良性の回腸腫瘍がカルチノイドと命名されたが,その後,この腫瘍にも浸潤発育や転移がありうることが報告され,現在では悪性度のきわめて低い悪性腫瘍とされている。


のだそうだ。つまり「悪性度は低いが悪性には変わりない癌」ということだ。

「余命が2か月でも一縷の望みで開腹手術を行い、その後抗がん剤で頑張らせるという選択肢もある」とその時獣医は言った。僕は即座にお断りした。治らない病気の治療のために手術するというのはあり得ないことだからだ。根治しないのに開腹され、包帯を巻かれ、点滴の針や管で自由を奪われ、食べ物の制限を受けている猫は幸せなのか、と言えば幸せなはずがない、と僕は思う。

僕らには苦い経験があった。1991年秋、僕が当時住んでいた世田谷のアパートのそばの公園で妻が拾った雑種のメス猫「ウミ」は、2005年の夏に体調を大きく崩し、僕ら夫婦はネットで調べては良さそうな動物病院に行って診てもらっていた。最終的に立川にある動物病院で「癌のようなものが腹部にある」ということで獣医師に言われるままに手術に同意した。

「僅かでも寿命が延びる可能性があります」と言われれば「大事な飼い猫のため」なのだから何でもしてあげたいと思ったのだ。でも、術後にウミを引き取りに行ったとき、僕と妻はその姿を見て衝撃を受けた。やせ細り、毛につやはなく、恐らく糞尿だと思われる異様な臭いがし、生きる気力を全く感じなかった。

「これで寿命が少し延びたとして、ウミは幸せなのか?」

幸せなはずがないと僕は思った。自由に気ままに生きることが猫の本分なのに、手術で
クオリティ・オブ・ライフ(QOL=生活の質)を極限まで下げられた上、その代償は不自由な中での数か月の延命のみとは。結局、9月に手術を受けたウミは10月に逝った。わずかな延命さえ達成できなかった。僕や家族はウミの亡骸を見ながら大いに後悔し、結果的にウミに苦しい思いだけをさせたことを詫びた。

ただし僕は、「他の飼い主の考え」を尊重する。僅かな可能性でも手術にかけるという選択肢はあっていいし他人様の意思決定について批判などする気は全くない。単に僕や僕の家族が「猫のQOLを最大限重視する」という考えを持っているに過ぎない。だからこそ、Picoについての判断は簡単だった。検査後PicoとMokoが日頃お世話になっているS動物病院に行き、以下の方針を決めてその通り実行した。

1)手術はしない。薬での治療になる。
2)彼の場合食欲がなく衰弱していくわけだから、最も重要なのは食べさせること。
  └ その方針で、食欲刺激効果を狙ってステロイドやビタミンB12を使う
  └ ステロイドの毒性を弱めるためにホメオパシー的なアプローチを取り入れる
  └ 免疫系を強化し、肝臓を保護する目的でサプリを飲ませる

2月に6kgあった体重は、大病院での病理検査を経て家に戻ってきた3月7日に5.3㎏まで落ちていた。その後上記の投薬がスタートし、まずステロイドで爆発的な食欲を得、5.6㎏まで体重が戻ったが、ステロイドの効果が薄れてくると食事量が減り(ステロイドは肝機能を破壊するので使い方には制限もある)、4月中旬からは毎週診察の度に大体100gずつ体重が落ちていった。

Picoは健康な時と同じく「食べたい」と大声で要求したが、好物を目の前に出されてもひとしきり匂いを嗅いではキョトンとするだけで、結局たまに缶詰を舐めることがある以外はフリーズドライのささみのおやつだけを1日3,40グラムだけ食べた。全く食べない日もあった。明らかに「食べる能力」を失くしていた。ところが、時に具合悪そうに横になっていることがあっても基本的には毎日活動的で、何事もないかのように甘え、無邪気な顔をし、栄養不良による免疫力低下からくる膀胱炎なども乗り切ってくれる凄い猫だった。

そうこうして3月上旬に余命2か月と言われた予想を裏切り、Picoは痩せながら、快活さだけは維持しながら6月を迎えた。だが、ここで問題が発生した。Picoの体重がとうとう5㎏を切った、ということも重要だが、ここでの問題とは僕の日本での滞在期間が実母が逝った時の帰国期間と合わせて4か月になったことだった。

グリーンカードが剥奪される可能性が生じるのは何か月アメリカを留守にした場合だったか。調べてみると「6か月留守にすると危ない」と言う人と「1年」と言う人が半々くらいずついた。そして6か月派にも1年派にも弁護士さんなど信用せざるを得ない肩書の人がいた。もし6か月だとすれば、僕は間もなくアメリカに帰らないといけない。ではPicoの面倒は誰が見るのか。

獣医師の見立てでは、Picoをアメリカに連れていくことは可能だった。そうするのなら体力はあればあるほどいいので早目に連れていくべきだった。検疫も日本からの出国なら問題はなかった。しかし、家族全体の合意形成はなかなかできずにいた。アメリカに連れていくリスクは、言うまでもなくPicoを飛行機に乗せ、15時間以上移動させることだが、これによりPicoの体調が急変する可能性は当然にあるからだ。長い移動であれば健康な猫にだって体調の急変はある。

そして6月中旬、結局グリーンカードの件は「1年」が正しかったとわかり、すぐに剥奪という危機はなくなった。だが、いずれにしても僕はアメリカに戻るしその時再度同じ問題が生じる以上、一番正しい選択はPicoの体力が間に合ううちにアメリカに連れていき、僕が面倒を見ることだった。そこで、義父母の不安は承知しながら(というか不安がない者は一人としていなかったが)アメリカに連れていくことに決め、Picoは7月2日にアメリカの地を踏んだ。

(次回に続く) 

アメリカ生活における本当に必要な最低限の英語力とは

よくアメリカで生活するには「TOEICなら何点あればいいか」というような話になる。僕は遠い昔に850点くらい、妻は650点くらいのスコアを取ったが、こういう試験は問題の傾向を事前に知った上、それに沿った準備が出来るものなので、実践的な英語力と直結しているものではなく、あくまで参考程度にしかならない(しかもあまりあてにならないと僕は思う)。

 

「生活上必要な英語力」と言うのは、すなわち「相手の言うことを理解」し「相手に自分の意思を伝える」ことに他ならないわけだが、シチュエーションごとに要求される英語力は全然違うのであって、試験で好成績を取っている人の英語でも日常通用しない事例などは普通にある。

 

言うまでもなく、スーパーに行って必要なものを買うのに高度な会話をする必要はない。「その牛肉を1パウンド下さい」と言うだけなら、英語が苦手な人は文法を覚えるまでもなく会話系の本を買って暗記すればよい。いや、欲しい牛肉を指しながら「ビーフ、ワンパウンド、プリーズ」といったセンテンスになっていない英語でさえOKだ。

 

しかし、脅かすわけではないが「スーパーで通じる程度の英語力」なら途方に暮れかねないシチュエーションもある。以下は僕が遭遇したものの中で、今思い出せる限りの事例だ。

 

・アメリカで家を買う際、銀行からローンを借りる打ち合せ

・電気やガスを初めて使用する際の申し込み

・クレジットカードへの申し込み

・家の修繕サービスの利用

・ネットサービスの料金に疑問があった際の質疑応答

・ネットサービスの契約内容の変更した際の質疑応答

2台目の車の購入

・事故に遭遇した際の相手や警官との対応

・通販商品が届かないことに対する説明を求めたの質疑応答

iPhoneの保証内容などに対して質問した際の質疑応答

・冷蔵庫やベッドなど大きな商品が配達される際のスケジュール調整

・店で買いものしていて、クレジットカードやデビットカードが拒否された際の

 カード会社や銀行との質疑応答


また、上記の殆どは実は電話で行っているが、正に最大の困難は電話での会話だ。理由は以下の通り。

 

1)相手が目前にいないので身振り手振りは通用しない。

2)相手の英語がTOEICの教材のような標準英語はないことも多々ある。

3)電話の通信環境によっては音声がクリアでないことも多々ある。

 

僕自身これまで何とか出来てきてはいるが、まだ電話で話すことには苦手意識がある。尚、お断りしておけば、僕の英語力などネイティブに比肩するレベルにはまるで達していないし、そんなものを自慢する気などもさらさらない。ただ事実として、上記のような状況下で悲鳴を上げ涙目になりながらも、何とか対応できる程度の英語力だとは言える。

では、上記事例のようなことが起きた場合あなたには対応できないとして、それならアメリカに住めないのか、と言えば全然そんなことはないと思う。

まず上記のような事例に極力遭遇しないように日系のサービスを使えばいい。僕が使う携帯電話はKDDI系のサービスだったので日本語で行けた。銀行はUnion Bankで、ここも日本語コールセンターがあるから通常の口座開設などは問題なかった。車も、1台目は日系の会社から購入した。

 

英語が出来る友達がいれば面倒なことはやってもらうことも出来るだろうし、同居人を募集している家に住めば、既に水道光熱関係もネットインフラも構築されていて特別英語を使うこともない。だから、表題の「アメリカ生活における本当に必要な最低限の英語力」というのは、実は日系人がある程度住んでいる地域に住む限り「スーパーで買い物出来るレベル」でいいということになる。


但し、日系のサービスが使えない場合や使いたくない場合は困るはずだ。先ほどあげた事例のうち、2、3例の詳細を以下に書いてみたい。

例えば、渡米後すぐにインターネットとTVのサービスを頼んだら、89.99ドルのはずが120ドルの請求がいきなり来たことがあった。僕は苦情を電話で伝え、相手の質問に答え、相手の言い分には反論してなんとかかんとか差額を取り戻した。こういうシチュエーションでは「普通の英語力」では対応は難しいかもしれない。

1年前だったか、お客様用に購入したiPhoneの件で僕にAppleから電話がきたことがあった。どういう理由だったかは忘れてしまったのだが、その事案を解決するにはiPhoneのシリアルナンバーを電話口で伝える必要があった。しかし、その相手は生身の人間ではなく「音声判別ソフト」だった。

 

よく「日本人の普通の発音でも通じる」と言われるが、そして僕も大体においてはそう思っているが、このケースに限っては絶対に通用しない。F、V、R、Lなどの発音は、機械が聞き取る以上「アメリカ標準並み」である必要があった。僕の場合、Pと言ったのにBと間違われてやり直しさせられている。こうした事案では「日本人の典型的な発音」ではまず通用しないだろう。


これも1年ほど前、Toyotaのディーラーを2、3社回って車を買おうとしたが、営業マンは極めて押しが強かった。早口でまくし立て、契約書にサインするまでは帰らせないという殺気さえ感じた。それをかいくぐりやっとお気に入りの店でお気に入りの車を買おうとして書類作りとなったが、これが難しかった。

例えば、車両自体の購入費なら代金は当然払うが、定期点検サービスや盗難防止システムはその場で購入する義務はない。買い手の意思次第だ。しかしシレっと
提示された料金プランに含まれたものがオプションなのか義務なのか、アメリカの法律や仕組みが分からない中で言われると判断が難しい。僕は、定期点検は必ず行う義務的なものと考えてしまい(事実はそうではない)、その場で3年分買ってしまった。こうした状況で相手に質問しながら意思決定するには、恐らくそれなりの英語力が必要になるだろう。


しかしながら、繰り返し申し上げるが、僕の英語力など大したレベルではない。が、そのレベルにも達しないままアメリカに来ている方もそれなりにいるのだから(妻が好例だ)、あなたが自分の英語力に不安があってもやっていけないことはないだろうと思う


「英語が不安でもアメリカに来たければ来るべき。若ければ何とかなるし、何とかならなかったら日本に帰ればいい。だって帰るしかないだろうから」。これがアメリカ(特に南カリフォルニア)が好きで住んでいる僕からの無責任かつ当然かつ本音でのアドバイスだ。

なお、アメリカに移住したいと思い、かつ一定以上のお金があるシニアの方。4
8歳でアメリカ行きを決めた僕にとって、アメリカに住める時間が刻々と短くなることが一番惜しいのだが、皆さんはどうであろうか。英語に不安があってもお金が一定額以上ある場合は、お金で時間と利便性を買い、自分の夢を一日も早く実現することに集中すべきだ、と僕は思うのでお聞きする次第だ。

アメリカに移住したい「時間がないあなた」ならば、サクッと投資家ビザでアメリカに来ればいいのであって、いつ当たるのかわからないグリーンカードなどに時間を奪われている必要はない。

家の購入手続きは誰かに任せ、住みたい家に住むことに専念すればいいのであって、英語が不安で電気やガスの使用申請が出来ないから、などと移住を諦める必要はない。


アメリカで乗りたい車が真っ赤なマスタングのオープンカー
なら、その購入手続きは誰かに任せてドライブを楽しむことに専念すればいいのであって、英語に不安があるから日系の中古車屋にしか行けない…、と嘆き続ける必要はない。

と、僕はそう思う。何しろ時間が惜し過ぎるから。

「そこまで言うのならおまえがアシストしたらどうか」、と意見があるようだが(ないか)、実はビザ取得から移住完了後の住宅・車購入、そして水道光熱電話ネットインフラの構築までトータルに代行する「移住サポートサービス」は僕が今練っている起業アイディアの一つなので、是非実現できたらと思っている。僕が思うほどに需要があれば、だが。


おっと、今回の結論は日系人が多い地域で、極力日系のサービスを利用する限りという前提ではあるが、「スーパーで買い物できる程度の英語力」がアメリカで生活する上での「最低限の英語力」だ。

年末年始の南カリフォルニア探訪

年末年始は近場で遊んでいて、1月5日に営業を開始するとすぐウチの購入代行の主力商品であるiPhoneの「Apple純正SIMフリー版」が出てこれの対応に追われ、運動不足から肩こりとこめかみあたりの頭痛が慢性化し、そしたら2014年第4四半期の予定納税の時期が来てなんとも忙しく、結構このエントリーを書くまで時間がかかってしまった。

で、今日は表題の話を書きたい。

大晦日以降カリフォルニア州オレンジカウンティーは晴天に恵まれ、僕と妻は地元近辺を巡る小旅行をして休みの殆どの時間を費やした。カツカツの生活をしつつ癌で一日二回投薬を必要とする猫がいるので、今は出かけても12時間以内に戻るような旅しかできないが、それでも自宅から10kmほどの、行く気なら毎日行けるビーチでさえ今も訪れるたびその美しさに心が躍る。

12月31日は、夕方から地元のビーチに「最後の夕陽」を見に行った。

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自宅から10kmほどのラグナビーチ(Laguna Beach)は普段よりはかなり人が少なかった。浜辺は真っ青な空に浮かぶ大きな太陽の光を受け、逆光がシルエットを生み出していた。僕はこのシルエットが何故か好きだ。なんというか「西海岸のワビサビ」をいつも感じる(恐らく誰にも共感してもらえないと思うが)。

その後ニューポートビーチ(Newport Beach)のコロナ・デル・マー(Corona Del Mar)という地区のビーチに行った。いよいよ暮れ始める太陽の光を受けて、セピアに染まって行くビーチは息を飲むほどに美しかった。沈む夕陽を見ながら「来年の飛躍を誓う」はずだったが、美しさに見とれて写真を撮るうちに陽が沈んでしまった。

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僕や妻にとっては、南カリフォルニアの気候は「日本を離れてでも住みたいと思う最重要理由の一つ」だ。日本人が日本を離れてここに住むとなれば、それは何かと物入りで大変だが、住んだ後はこの気候が「毎日無料」で楽しめる。南カリフォルニアを除いて、このような気候を手に入れることが出来る地域は地球全体でもほとんどない。金持ちがいくら金を払っても買えない。だから僕は、南カリフォルニアの気候こそ「贅沢の極地」だと思っている。

あなたがもし、やはりここに魅せられて住みたいと思うのなら、僕は訳知り顔で「やめときなさい」とか「住んだ後どうやって生活するの?」などと水を差す気は全くない。是非そうすればいいと思う。「南カリフォルニアで暮らす」ことについて否定的な要素が見いだせない僕が「やめときなさい」みたいなことを言うのは激しい矛盾だからだ。どっちにしろ決めるのはあなただし。

翌1月1日、海と砂漠の両方を見ようと計画を立て、「サンディエゴ → エルセントロ → パームスプリングス → 家」という時計とは反対周りのルートを考えた。

サンディエゴの海は、より正確にはラホヤ(La Jolla)地区の海で、同名の高級住宅地やカリフォルニア州立大学サンディエゴ校がすぐそばにある。昼前に到着すると多くの観光客が既にいて、駐車スペースを探すのが大変だった。

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南カリフォルニアの海は本当にどこでも素晴らしいが、このビーチの水の透明度は頭抜けていると思った。色々見過ぎて、すぐに次の目的地に行くつもりがここで結構時間を費やしてしまった。

その後インターステート8号線でサンディエゴから110マイルほど東にあるエルセントロを目指すと、
iPhoneのマップを見ていた妻が途中のかなり長い区間で非常にヘビーな渋滞になっていることに気づいた。ほどなくその渋滞に飛び込んでしまった僕らは予定を変更し、次に出てきた出口で適当に降り、適当に下道を走りながら州道94号線というのに乗り、「メキシコ国境付近のアメリカ」を楽しむことにした。

メキシコとの国境と言えばサンディエゴとティファナがおなじみだが、94号線は国境にそって山深い場所をくねくねしながら進む道路で、非常に趣深いものがあった。途中正に国境(Tecateという町)まで進む州道188号線の分岐があったので行けばよかったが、何しろサンディエゴで時間をかけ過ぎたので先を急ぐことにした。

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ところで、94号線の沿道にはところどころ雪が残っていた。

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多くの日本人にとって南カリフォルニアに雪が降ることを想像するのは難しいと思う。僕も今でもそうだ。しかし雨季が始まる冬になり、海側で雨が降っているときは、気温によって山では雪が降っていることがある。12月30日までの数日は悪天続きで、気温は海側では結構厳しい寒さと言える5℃くらいまで下がっていたので、
メキシコ国境付近のサンディエゴ郡内とはいえ、結構標高の低いところでも雪になっていたのだろう。実際、12月31日に天気が回復すると、僕の地元の、車で20分ほどで行ける標高500メートル前後の山が白く雪化粧しているのが見えたし。

ちなみに、
地元の山に雪が降ったのを見たのは渡米以来今回が初めてだったが、その山の更に奥(=東)には2000~3000メートル級の山があって、そこには冬はきっちり雪が降る。実際僕の家から車で2時間ほど東に行ったところにあるビッグ・ベア・レイク(Big Bear Lake)は「スキーリゾート」だ。カリフォルニアは雨も降れば雪も降り、午前中海岸でサーフィンや海水浴を楽しんだ後午後からスキーをするという遊びが可能だ。アーノルドシュワルツェネッガー前知事が言っていた「なんでもアリフォルニア、カリフォルニア」というセリフ通りだ。

94号線周辺には鉄道が走っていた。線路があり、鉄橋があり、踏切があった。そしてキャンポ(Campo)というところを通過するときには、沿道に「Pacific Southwest Railway Museum」という看板もあった。その時は普通に通過したが、家に戻ってから気になって調べ、最終的に「Carrizo Gorge Railway」という鉄道のことを知り、Youtubeで映像を見て非常に興奮した。実際には見てないのに興奮するってのも変だが、国境付近の砂漠と山しかない「あの場所」を鉄道が走っているというのは、見てなくても興奮してしまうのだから仕方がない。

キャンポを過ぎると間もなく州道80号と交わった。猫のことを考えるともう東進はここいらが限界だったので、そこから数分ほど北上して州間ハイウェイ「I-8」に乗り、一路西進した。ただ、普通に帰るのはつまらないので、今回往きに使った太平洋側を通るI-5ではなく、その手前のI-15でエスコンディード(Escondido)まで行き、そこから州道78号線で海(オーシャンサイド=Oceanside)に出て、17:00には家に戻った。

1月2日、3日、そして4日も、
もう長くなるので詳細は書かないが、近場をドライブしたり近所をロング散歩したりして南カリフォルニアを堪能した。

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これはご近所さん。残念ながら僕の家ではない。端的に言って高くて買えない。


冒頭にも申し上げたが、南カリフォルニアは凄いところだ。都市の利便性、雄大で美しく時に荒々しく武骨な大自然、この二つを同時に丸ごと享受できる。そして言うまでもなく乾燥した晴天が300日近く楽しめる。また、特にオレンジカウンティー以南の海側の地域は、住宅地も非常に美しく整備され、街全体が樹木と芝生で彩られ、治安は最高にいい。

だから、これも冒頭に言ったことの焼き直しだが、もしあなたがアメリカに住みたいとして、そして僕にどこがいいかアドバイスを求めてくれたとしたら、僕の答えは南カリフォルニア一択になる。しかもオレンジカウンティ―がよりいいと思う。衒いもためらいもなくそう申し上げたい。心からそう思うから僕と妻はここに住んでいるのだし。
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