アメリカという甘美な幻想

南カリフォルニアはオレンジ郡に住むオヤジです。妻共々サラリーマンでしたが、2012年10月に移住してきました。個人輸入代行やコンサルタントを生業にした後、2016年からは会社員に。移住する遥か前から積み重ねてきた様々な「アメリカ体験」も含めて文章に残すためにこのブログを書いていますが、会社員復帰以降は忙しすぎて更新は稀に。自由の国、アメリカを含めた全体主義への流れ。これを絶対に食い止めましょう!

2014年12月

アメリカの物価に対する雑感(安いもの編)

僕は輸入代行という仕事で日本のお客様から日本円で代金を頂いているので、アメリカで生活してるのに未だに円を基準にしてモノの値段の高低を感じることが多い。

なので、1ドル120円の今、アメリカのサンヨー食品が作り、日系スーパー「ミツワ」で5個入り1パック3.99ドルで売られている「サッポロ一番みそらーめん」の値段は、僕にとって「3.99ドル」ではなくあくまで「約480円」ということになるし、2年前1ドル80円だったころは「約320円」だったから、今の値段は「異様に高いなぁ」という感想を持つ。言うまでもなく「サッポロ一番みそらーめん」は一貫して3.99ドルなのだが。

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日本で「サッポロ一番みそらーめん5袋入り1パック」はいくらだっただろか。正確な記憶はないが、近所の西友で渡米前(2012年)に198円とかで売っていたような記憶がある。従ってアメリカ製造版はそれより高いということになるわけだが、これは「日本のラーメンの味に近づけたラーメン」を製造する原価が結構アメリカでは高くなるからだと思う(
アメリカ産サッポロ一番みそらーめんの味は、日本のものに肉薄している)

この理論の基礎となる事例として、アメリカ現地生産の「日清のカップヌードル(以下「CN」)」があげられる。一度食べてみるとわかるが、当該CNは、下の写真の通り化粧箱もどきの不必要な「梱包」がされて高級感が醸されているにもかかわらず、味は日本のものとは比較にならないほどチープだ。

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スープには日本の即席めんならどんなものにでも必ず感じることが出来るはずの鳥、豚、または魚介などのダシ成分の味がほとんどなく、奥行の何もない醤油と塩味のお湯を飲んでいる感じがする。加えて具もひどい。日本のものには採用されている肉も卵も一切含まれず、ニンジンの切れ端とグリーンピースなどが散見されるだけだ。

日本のモノに比べると明らかに低クオリティーなこのCNは、やはりそれ
に見合う低い価格がきちんとついていて、Costcoなどに行けば24個入りが7ドル以下で買える。1個30セント弱、円換算36円だ。ここまで原価を抑えて商品を作れば、当然売値もここまで安くできるということなのだろう。ちなみに日本から輸入した赤いきつねは大体いつも4ドル(480円)する。50%は物流コストだろうと思う。

では1ケース12缶入りのコーラ(1缶355ml)が4ケースで10ドル(+税8%+CRV)は安いのだろうか。

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写真はペプシだが、コカ・コーラも同じような価格で売られている


「CRV」というのはカリフォルニア州が飲料のボトルや缶に課しているリサイクリングフィーで、購入数に応じ数セントから数十セントかかるのだが、これはまあ無視して考えて、コーラ48缶が10.8ドルということは:

 10.8÷48缶=0.225ドル
 0.225×120円=27円/缶

である。これはやっぱり安いとしか言いようがないだろう。しかし…1ドル80円の時だったら18円/缶だったのか…。

日本の物価と比較したいものはまだ他にもある。ビールだ。

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実はアメリカでもアサヒスーパードライ、キリン一番搾り、サッポロ黒生が売っている。日本からの輸入ではなく現地生産のものだ。渡米以来ずっとコロナを飲んでいたので気付かなかったのだが、一月ほど前日系スーパーで価格を見て腰を抜かした。いや、正確には下のような宣伝ポップを読んだ後、計算しながら腰を抜かした。

セール!アサヒスーパードライ 24缶 14.49ドル+Tax+CRV

「14.49ドルで24本か。安そうだな…。あれ、1本いくらだ?あれ、60セントくらい?嘘、ビールが60セントってあり得る?」などと言いながらアイフォンの計算機を使って税込で約65セントであることを確認。さらに120円を掛けて大体1缶あたり78円であることを確認し、そのスーパードライを買ってみた次第だ(
しかし「今1缶78円」のビール、2年前は「1缶52円」だったのか…)

それから1か月、上述の3種類のビールは全て試してみたが(サントリーのビールはこちらにはない)、いずれも日本のものとは味が違っているもののまずくはないし、コロナは24本で20ドル前後なので費用対効果も日系ビールが上であるため、今はこの3種をローテーションを組んで飲んでいる。なお、アメリカの代表的なビールであるバドワイザー、ミラー、クアーズも24本で20ドル前後で買えるが、ご存知のように味が薄すぎて水を飲んでいるようなので、僕は間違っても買わない。

とうことで、一旦大量生産の軌道に乗った商品は、アメリカでは非常識なほどに安くなる。Costcoもウォルマートも「その値段はないだろう!安すぎる!賃金の安い発展途上国から搾取しないとそんな値段は実現できないぞ!」という低価格な品物で溢れている。ところが、料理人や職人などが時間と手間をかけて売るモノやサービスとなるとアメリカは極端に高くなる一面もある。そのあたりは近々「アメリカの物価に対する雑感(高いもの編)」を書くつもりなので、そこで触れたいと思う。

2009年:心機一転カリフォルニアとネバダの旅(番外編)

2009年7月、2年ぶりにアメリカを旅行して戻ってきてから、実験的に代行店をスタートさせる準備を進めた。その過程で販売目的で若干商品を買っておいたりアメリカのイメージ画像が必要になったりしたため、再度11月に4泊6日程度でロサンゼルスに行こうと考えた。

一方同居する義母は僕が会社員に戻らないという決断を受け入れていたのかと思ったが、9月になって急に「不安だ不安だ」と騒ぎ出した(一人娘の母親という立場上、まあしょうがないとは思うが)。結局10月に僕は、代行店を開業することをはじめ、将来的に起業する可能性の模索を今後とも続けることを許してもらう一方、
(口があるのなら)再就職することを約束した。そんな流れで11月に内定が出たが、勤務開始は12月にしてもらい、4泊6日の旅行には計画通りに行った。


2009年11月20日~26日
このような旅だったので、基本的に商業地域しか回らなかった。骨が折れたのは、店のイメージ画像に使うために以下のような写真を撮る作業だった。お店から許可をもらえるとは思えないし、とにかく「写真を撮るな」と表示がないところで人知れず技術を駆使して撮ったのである。


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しかし、僕のような砂漠好きがロサンゼルスにいながらそこに行くのを我慢することは出来ず、ロサンゼルスから2時間半ほどにあるリッジクレストという町まで行って砂漠を愛でてきた。

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多分CA-178号線。こういう景色に出会うたび、今でも心がときめく

そして、またもハモサビーチのビバヒルのビーチハウスに行ってみたのだが、11月の少し寂しげなビーチを散歩していると、何か様相が違っていることに気づいた。

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奥に見えるのが例のビーチハウス 

実はこの時多くの家が売りに出ていたのだ。当然にリーマンショックの影響で、売りに出ている家の看板は「For Sale」だけでなく、「Foreclosure(差押物件)」とか「Short Sale(一言では説明不能)」などの看板がやたらに目についた。上の写真にも納まっていないし、他の写真を見ても撮れてはいなかったが、いやでも目に入るほど多くの売り看板が出ていた

この、リーマンショックによる不動産価格の下落は2012年夏に底を打つことになった。一方日本円は2012年夏ごろは70円台を保ち、ドルに対して過去最強レベルの強さだった。勿論
この当時はそんなことを知る由もなかったが、僕ら夫婦はまさに2012年夏に、今住んでいるコンドを買った。狙ってできることではなく、ラッキー以外の何物でもなかった。

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こうして目的を果たし、あとは帰るばかりとなった。買いつけた商品は持ってきた2個のスーツケースには納まりきらなかったので、入りきれないものは別送品として箱に入れ、帰る前日に日通から出した。そして最後に、グリフィス天文台からの夜景を見て2009年アメリカ旅行の番外編は終わった。

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帰国後、またもサラリーマンに戻ったわけだが、その時の想いを今でも忘れない。僕はこう願っていた。

 起業のことが頭にあるからといって手抜きをするつもりは勿論ない。
 ただ、ドラスティックなくらいでいいから「成果主義の職場」であってくれ。
 論理的整合性のない日本的根性論だけは勘弁してほしい。

2009年:心機一転カリフォルニアとネバダの旅(4-最終回)

7/21-24

とうとうロサンゼルス圏にやってきた。基本的に、輸入代行の対象となる優れた商品を探るという目的を果たすため、色々なショッピングモールや店を巡ることに時間を割いた。

アメリカで感心するのはスーパーのレイアウトだ。特に生鮮食品の並べ方がうまい。

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これは日本で既に一定の人気があることを知っていた「Bath & Body Works」。これを個人輸入したい方に輸出することは簡単ではない。ハンドソープなどはいいのだが、ミストなどのアルコール含有製品(可燃物)を送るための発送方法に制限があるため。

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などという話はご興味がないだろうから、この旅で、ロサンゼルスで感じたことを以下に記したい(これは興味を持たれなくても語らざるを得ない)。

僕らは「Beverly Hills 90210」のファンだったので、機会があるとほぼ必ず登場人物が共同で住んでいる設定になっていた青いひさしのビーチハウスを訪れた(本当に何回行った事やら)。

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「ビバヒル」のビーチハウス

ここで写真を撮っていると、君らの写真、撮ってあげようか?と現れたのがゲーリーさんだった。ここに来て写真を撮る日本人があまりに多いので、僕らが日本人だと知っていて声をかけてきた。

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ゲーリーさん

ゲーリーさんは50歳で会社を辞め、ここハモーサビーチ(Hermosa Beach、ロサンゼルスのやや南にある街)にワシントン州から移り住んで毎日好きなことをしていた。50歳まで一生懸命働いたので、もう働く気はないという。但し大金持ちではないから派手な生活もしておらず、車はホンダで日本製を愛好していると言っていた。

この時僕は45歳。あと5年で彼のような自由な生活が送れるとは全く思わなかったが、この美しい西海岸のビーチで生活することそれ自体に対しては強烈な憧れを抱いたことを覚えている。何をして飯を食うのかの処方箋もないまま、とにかくアメリカで生きること、西海岸で生きることに青臭く憧れる45歳というのはとても正しい在り方とは思えないが、まあ、そういう気持ちになることについてはどうしようもなかった。

***

滞在中よく行ったスーパーが日本人にエコバッグが人気のホールフーズマーケットだったが、ここでアルバイトをしていた女の子に試食を促されたことがきっかけで話す機会があった。彼女はいわゆるアニメ・マンガおたくだった。僕にはほとんどついて行けなかったが、彼女は「日本の文化にとても興味がある!」と目を輝かせて言っていた。「ハイテク日本」という評価があることは知っていたが、こんな分野で日本が注目されていることはこの旅で初めて知った。

***

僕は日本人だし日本が好きだ、などとあえて口に出すまでもなく母国が好きだが、一点絶対に納得できないことがある。それは群集心理や集団心理が非常にネガティブな方向にも作用する国民性だ。

群集心理や集団心理は東日本大震災の時で明らかなように、日本人の優れた倫理性や規範意識の源にもなっているのだが、一方で「皆が(単に)同じ方向に向かう」ということの方が「皆が正しい方向に向かう」より優先されてしまうこともことのほか多い。

例えば、何故「馬鹿なこと」だとわかっているのに「意味のない残業」をするのか。そして、誰もが意味がないと知りながら、実際に無意味な残業を否定する人間が現れると急に論理性を失い、「組織の和を乱す」だの訳の分からない情緒的な意見がはびこりだすのか。

アメリカは万能ではないし、それどころか日本と比べて劣っていることはたくさんあると思うが、「残業することは恋人や妻や子供と時間をともにすることより重要だ」、などと考える人はまずいない。意味のあることに自主的に時間を費やすことは当然ありえるが、無意味なことを強制され、唯々諾々と従うなどという人はいない。

この一点で、僕はアメリカで生きることに魅力を感じていた。その一点が、僕が日本という国で生きることを息苦しく感じさせていた。そして、雨と湿気と寒さが苦手な僕にとって、カリフォルニアの青空と乾いた砂漠は住環境としての魅力を放っていた。

それは妻にも同様だったようで、彼女はこの年から秘密裏にグリーンカードの応募を開始していた。しかし、そうした願望にもかかわらず、アメリカで暮らすことが出来ると本気で思うことは2011年にグリーンカードに当たるまではなかった。

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 ”The Beverly Hills Hotel”は名盤「Hotel California」のジャケットに採用されたホテルだ。

 最後に憶えているのは…俺が出口に向かって走っていた時のことだ
 俺は、以前いた場所に戻る道を早く探さなきゃって思ってたんだ
 すると「まあ落ち着いて」と夜警が俺に語り掛けてきてこう言うんだ
 「チェックアウトはいつでも可能ですから。
       ただ、ここを離れることは絶対出来ないんですけれどね」


「ホテル・カリフォルニア」は、アメリカンドリームの終焉とかカリフォルニアの退廃への嘆きとかを歌いこんだ曲だと言われているが、僕らはそんなことにはお構いなしに、ホテルの前でこの曲を聴き、写真を撮り、名残惜しい気持ちを引きずりながら翌日日本に戻った。

2009年:心機一転カリフォルニアとネバダの旅(3)

7/20

ラスベガスからロサンゼルスに普通に向かうルートは決まりきっていて、実際何度も同じルートを使っていたので、今回はアリゾナ州境近辺にUS-95号を南下して行って、その後CA-62号線にあるという「靴の木」を見、そしてジョシュアツリー国立公園を見てからロサンゼルスに向かうことにした。

95線を順調に南下し、カリフォルニア州境まで30kmほどにあるサーチライト(Searchlight)という小さな町まで来ると、マクドナルドの大きな看板とともに警察車両が道路を塞ぐように止まっているのが見えてきた。

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対応している警官の説明によると、この先の95号線で化学薬品が漏れる事故があったとのことで、これ以上南にはいけないとのことだった。地図で調べてみると、行きたかった「靴の木」方面に行くのは日程上難しいとわかったので、それまで考えてもいなかったNV-164号線というのを使ってみることにした。モハベ砂漠をひたすら西に進む道路だ。

ネバダからカリフォルニアに入り、そのまま進むとインターステート15号線にいずれぶつかってしまうので、途中ニプトン(Nipton)という人口60人程度の町で左折して南に方角を変えた。

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そして、上の写真に書かれたサイマ(Cima)やケルソー(Kelso)などを通過したのだが、あとで調べてみると、ここは要するにゴールドラッシュの時代に栄え、ゴールドラッシュの終焉で廃れ、今はほとんどゴーストタウン状態になった地域ということだった。

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上の写真はケルソーの駅だ。駅というか、砂漠の中の水の補給基地としての役目を負っているらしい。ケルソーはゴーストタウンなのだが、歴史的に重要な場所として指定されているのかビジターセンターがあったり、当時の建物が改修・補強されたりしていた。

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その後僕らは地図に載っているかも怪しいKelbaker RD(ケルベイカーロード)を南進し、大幹線道路のI-40は当然にスルーしてルート66に出て少し西進し、Amboyという町で南下してジョシュアトゥリー国立公園(Joshua Tree NP)を目指した。

ところで、このあたりで聴かなければならない曲がある。Jevetta Steele(ジェベッタ・スチール)が歌い、映画「バグダッドカフェ」の主題歌となった「Calling you」だ。

 ラスベガスから何処に向かうともしれない砂漠の道
 これまでいた場所よりはまともな場所へ続くはず
 そこを曲がったところには小さなカフェがあって
 コーヒーメーカーが壊れて修理が必要になっている
 ああ、私はあなたの名前を呼んでいる

歌詞の通り、この時僕等がいたのはまさに「ラスベガスから何処に行くのか知れない砂漠の道」だった。勿論映画に出てくる「バグダッドカフェ」はここから更に100kmも西に行かなければならないのだけど、逆にそこは結構「都会」になってきていて「ラスベガスから何処に行くのかわからない砂漠の道」という歌詞の内容にそぐわなくなる。

そんな風に旅情に浸っていると、おバカな光景が。

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「靴の木」ではなく「下着の木」だ。

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気を取り直してジョシュアトゥリー国立公園へ。端的に言うと、ここは写真のようなサボテン風の木が群生する公園で、面白味自体は特にない。

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しかし、ここはU2の歴史的名盤「Joshua Tree」の制作に多大な影響を与えた場所だ。U2は当時アメリカの大自然に魅了されていて、そこに「神」の存在を感じていたのだと思う。その証左として挙げるべき曲が「In God's Country」だ。

 砂漠の空 その下で夢を見た 川には水が流れるが
 それはすぐに干上がってしまった また新しい夢を見なければ
 砂漠のバラ 夢で一輪の砂漠のバラを見た
 ぼろぼろに切れた服をまとい 彼女は妖精のように僕に語りかける

 睡魔が麻薬のように訪れる 神の国
 寂しげな眼差し 折れ曲がった十字架 神の国

タイトル自体がその証左だが、この曲のメロディー、歌詞、エッジのギターの神々しさに触れればこの思い込みは間違っていないと確信できる。僕は砂漠を走るときは必ずこの曲を聴く。

Joshua TreeからはI-10をひたすら西進し、夕方宿を取っていたロサンゼルスの北側に位置するパサデナに到着。

2009年:心機一転カリフォルニアとネバダの旅(2)

7/19
この日はビショップからUS-95やUS-6を経てネバダ州道375号線に入り、最終的にはラスベガスに行くつもりだった。NV-375号はアメリカ空軍基地があるエリア51の近くを通っているが、この基地では墜落したUFOや宇宙人の調査研究などをしているという風説が広まっていて、NV-375号は別名「UFO通り」(英語では「Extraterrestial Highway」)と呼ばれていて面白そうだった。

しかし、US-95とUS-6の分岐点で道を間違え、6(東)に行くべきを95(南)に進んでしまった。

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41マイル先のTonopahが分岐点だった。。。

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紫は実際に走ったルート、青は予定していたルート

60kmほど進んで気付いたがもう引き返すわけにもいかず、このまま2002年以来7年ぶりに「真夏のデスバレー」を楽しむことにした。

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7月のデスバレーは、日陰で47℃、日向ならゆうに50℃を越える凄まじい暑さで、吹く風は乾き、肌をサンドペーパーでこするような感触があった。しかし地面には花が咲き、「死の谷」は「生の谷」であることを教えてくれた。体を壊し、失意から立ち直ろうとしていた僕にとって、デスバレーは再起に向けた最高のきっかけを与えてくれた。

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デスバレーを堪能した後、のんびり砂漠の道を走るとパーランプ(Pahrump)という町に出る。パーランプはそれなりに大きな町だが通過すればすぐに砂漠道が復活する。そしてしばらくすると、いきなりラスベガスが眼下に現れる。普通人が住まないだろう酷暑の砂漠に、人間の知恵と欲望を結集して作った街だ。

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僕はラスベガスが嫌いじゃない。ギャンブルはしないのだけど、ここに集まる人たちを見るのが好きだ。何よりデスバレーなど超絶なスケールの剝き出しの自然との対比に心が躍る。

ラスベガスは夜になっても40℃近い気温があったが、汗をかかない(正確には汗はかいたそばから蒸発していく)ので街を歩きまくった。べラッジオの噴水を見たりショッピングモールに行ったりし、深夜12時ごろホテルに戻って寝た。

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2009年:心機一転カリフォルニアとネバダの旅(1)

2007年夏に転職する際、有休を使って行った走行距離11000kmのアメリカドライブ旅行。非常に充実した気持ちで転職してみると、いきなり面接時に合意した職務ではない仕事をあてがわれるは、その年の12月には胃癌が見つかるはで、2007年後半から2008年はさんざんな年になり旅行どころではなかった。

2009年に2月に再度転職したが、そこでもいろいろあった上に5月に身体を壊し、6月いっぱいで退職を余儀なくされた。もう年齢的にもサラリーマンに戻れるなどとは考えられず、内心では外国人をクライアントとする行政書士かアメリカ商品の個人輸入代行のいずれかで独立することを決意した。

辞めると決意すると病の状態は急速に改善し(しがらみを断つ気になると往々にして病は治る)、僕は7月になって2年ぶりに妻とアメリカに行くことにした。状況的に東海岸を回るような大規模な旅は出来なかった一方、病み上がりの僕が実際に行きたいと思ったのは僕が愛してやまない砂漠だったし、輸入代行の対象としてどんな商品があるか、たくさん見て回りたいという狙いもあり、今回は原点に戻ってカリフォルニアとネバダを旅することにした。

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全行程

2009/7/17
成田からサンフランシスコへ。到着後、宿を取っていたサンフランシスコの少し南のある町、ブリズベン(Brisbane)に行き、そこでモーテルにチェックインしようとするとパスポートを落としたことに気づく。航空会社や関係する機関などに電話しようとすると留守電が入っており、利用したユナイテッドエアに届けられていることが分かった。最悪の危機を脱し、この時ばかりは本当に安堵した。

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慌てて電話する僕(を撮る妻の余裕よ)

この日は1日サンフランシスコを観て回った。ゴールデンゲートブリッジとか、ピア39などの定番的な場所のほか、ずっと行きたかったキャンドルスティックパークに行った。ビートルズの「最後のコンサート」はここで行われ、オタクとしては行かざるをえなかった。なお、僕にはサンフランシスコは寒すぎる。素敵な街だと思うが浜風の影響が強すぎ、寒すぎる。サンフランシスコ近辺を移住候補地から除外したのは、その理由一点だった。

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CandleStick Park

7/18
まずはサンフランシスコの南側を海を見つつ進み、Googleを見てからヨセミテを横断し、最後にビショップという町まで行く予定の一日。

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サンフランシスコ ー(500㎞)→ ビショップ

この日の太平洋は霧がかかって何も見えず、早々にGoogleがあるマウンテンビュー(Mountain View)へ。休みで人は居なかったけど、かえっていろいろ自由に見れた。

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Yahooなどネット関連の会社がたくさんあるこのあたりを抜け、I-680、I-205、CA120などを使ってヨセミテへ。

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低地の砂漠から山の緑への劇的な変化はカリフォルニアの醍醐味だ。

ルート通りにヨセミテ(実はシエラネバダ山脈の一部)を観ていくとやがて下り坂になり、下りきるとそこには
モノ湖(Mono Lake)があった。色々な意味で珍しい湖なので今度機会があったらじっくり見たいと思う。

ここでUS-395に乗り100㎞ほど南進し、この日宿を取っていたビショップ(Bishop)で落ち着いた。なお、US-395はおススメだ。機会があれば走るべし。

日常の一コマ ‐ サッカー(MLS)を観た(2)

昨日の日曜、またもアメリカのプロサッカーリーグのロサンゼルス・ギャラクシー対シアトル・サウンダースの試合を観に妻とスタジアム(LAの近郊のCarsonにあるStubhub=スタブハブ)まで行き、地元の2-1の勝利となる試合を堪能してきた。

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ギャラクシーは先々週シアトルと地元で戦って1-0で勝利し、先週はアウェイでシアトルと戦い、2-1で敗れたものの敵地で得点をあげたことでルール上西地区の代表となっていて、昨日の東地区の代表であるニューイングランド・レボリューションとの戦いこそ、まさに全米1位を決める戦いだった。

先々週チケットは85ドルだったが、今回は同じ席が250ドルになっていて、とても財政上ナマ観戦はできずTVで観るつもりだった。が、妻の職場の方が球団に何らかのコネがある方らしく、チケットをおごってくださった。場所は芝生席で、観戦する環境としてはよくないが、それでも買えば1枚100ドル。本当にありがたく観させてもらった。

結果、延長30分を含む120分の死闘を2-1で制し、ロサンゼルス・ギャラクシーがアメリカのチャンピオンとなった。

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優勝セレモニー

ところで、少しずつギャラクシーを「おらがチーム」と思い始めた僕にとって勝利は大事なことではあるが、やはりアメリカで妙に心にしみるのは国家斉唱である。勿論生粋の日本人の僕に「星条旗よ永遠なれ」はなんの縁(ゆかり)もない。しかし、白人・黒人・ヒスパニック・アジアンが脱帽し、胸に手を当て国家を口ずさむ様は圧倒されずにはいられない。一つの国に肌の色を越えて多くの民族が集まり、理念、法律、慣習などを共有して生きることが出来るというのは「人間なればこそ」、だ。

ところでサポーターや応援方法などについて気付いた点があるのでいくつか挙げてみたい。

1)得点時
点が入ると、選手名のうちファーストネームを場内放送が言い、観客が苗字を言う。場内放送が観客の協力に対し「サンキュー!」というと、観客が「ウェルカム!(どういたしまして)」と言う。世界各国でこうなのかは知らないが、なにしろこれは微笑ましい。

2)敵チームサポータへの態度
敵のサポーターは遠路はるばる乗り込んできているわけだが、例えば「シアトルサウンダーズ チャッチャッチャチャチャ」のような応援のチャチャチャ部分にギャラクシーのサポータは「sucks(くそったれ)」のような合いの手を入れる。たぶんギャラクシーのサポーターが敵地に行けば同じ目に合うのだとは思うが、日本でもこんな感じなのだろうか。

3)片づけない
自分の飲み食いしたもののゴミを近くのくず入れまで持っていく人は50%くらいだろうか。なのでビールの缶やらピスタチオの殻やらがまき散らされている。日本人であれ何人であれこれは褒められたものではないはずだが。。。

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応援する人々の足元のビール缶。試合終了後当然に放置される。

ということで、西海岸南部は11月下旬から雨季に入り、一旦天気がぐずつくと回復するまで3,4日かかる感じになっており今回天気はどうなるか危ぶまれたが、結局30℃に近い暑さの中、白熱のサッカーゲームを満喫できた。
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