アメリカという甘美な幻想

南カリフォルニアはオレンジ郡に住むオヤジです。妻共々サラリーマンでしたが、2012年10月に移住してきました。個人輸入代行やコンサルタントを生業にした後、2016年からは会社員に。移住する遥か前から積み重ねてきた様々な「アメリカ体験」も含めて文章に残すためにこのブログを書いていますが、会社員復帰以降は忙しすぎて更新は稀に。自由の国、アメリカを含めた全体主義への流れ。これを絶対に食い止めましょう!

2014年06月

日本ポップカルチャーは間違いなくポピュラー(2)

アメリカでも日本でもYoutubeは観れるから、是非英語で検索をかけて頂ければ話が速いのだが、日本のアニメや漫画は各国の言語に翻訳されたり字幕がついている(中には一般の人が字幕を付けているパターンもある)。 例えば僕の好きなデスノートも、英語翻訳版は山ほどヒットするし、人気のものは英語での書き込み数もシャレで済まないほど沢山ある。名場面や面白場面の編集版も沢山ある。

注目すべきは、欧米におもねって作ったのではない日本人の感性での作品が、外国人に共感され、支持されていることだ。そしてそれこそが僕にとって謎の部分だった。

「荒川アンダーザブリッジ」では、(河童の格好を日常的にしている)自称「河童」が村長として荒川河川敷に住む変な集団を束ねているのだが、そもそも「河童」の存在からして欧米人にわかるはずがない。「銀魂」も、ハイテク都市や昔の街並みや新撰組が出てきたり、ストーリーがランダム(行き当たりばったり)過ぎて正直日本人でも理解できない部分はあるはずだが、相当数のnon-Japanese達が面白がっている。

たとえば「銀魂」では、「~アルヨ」という語尾で話す女の子、「かぐら」がゴキブリを発見する。

「たすけて~~!!ヘルス、ヘルスミー!!(health, health me!!」とかぐらが泣きながら叫ぶと、
これに主人公の銀さんが「ヘルプミー、な。うるさい」と修正を入れる。

かぐらは続けて
「シェイプ、シェイプアップ ラン!」と、かつて流行ったマンガのタイトルを(ヘルプミー)のシャレ的に泣きながら言うと、銀さんは今度も「ヘルプミー、な?」と修正を入れる(ちなみに、欧米人には「Shape up, now」と聞きとられているが、マンガのタイトルを知っている日本人の耳には「シェイプアップ・ラン」と聞こえるはずだ)。

さらにかぐらは、タランティーの名作映画のタイトル「パルプ、パルプフィクション!」と絶叫。もはや「Help me」の原形は全くとどめていない。銀さんは「ヘルプミー、な?」とイライラ(?)を滲ませながら再々修正をし、最後に登場した銀さんの弟子のような存在のシンパチがゴキブリを見て「ヘルペス、ヘルペスミー!」と絶叫する。


こんな、日本人でも面白いと思うかわからないシーンに英語の字幕が付けられ、今現在38万の視聴数があり、252のコメントは概ね全てこれを面白がっている。最も多いのは「ヘルペス、ヘルペスミー lol」という評価で、「lol」とは”laugh out loud(大笑い)"の頭を取ったものだ。これはどうしたことなのか。

その理由を知るカギはApple Storeのなじみの店員さんたちとの会話でヒントを得た。彼らの多くは日本アニメのファンで、日本に行きたい、または行く予定、または行ってきた、と言う店員さんが10名くらいいた。その彼らが言うのだ。

1)僕らの多くは、幼少期から日本のアニメを日本製とは意識せずにずっと見て育ってきた。
2)子供だし、アメリカの慣習や文化との差異があることも意識しないで済んだ。
3)中学あたりになると「自分が好きなアニメ」が日本製だと知るが、既に好きになっている
  作品なので、アメリカ文化との差異を発見しても決してそれは不快なモノではない

4)むしろ、好奇心がかき立てられ、肯定的な視点で差異を楽しみ、原点を探りたくなる

これはまさに、僕らが日本の慣習上あり得ないような差異をアメドラの中に発見しながらも、それを興味深く、時にはかっこいいと思いながら観ていたことと同じだと思う。僕の兄などは、女性がブラの上にすぐセーターを着るシーンを昭和40年代に洋画で見て、まさしくカルチャーショックを受けたと言っていたが、肯定的視点が既にある中で鑑賞される映画・ドラマ・アニメ・マンガなどに出てくる自文化にない要素は、新たな肯定的興味を生み出す方向に作用する傾向は強いのだと思う。

こうしてアメリカ人は、幼いころから日本人の感性によるアニメや漫画を見て育ち、多少の違和感さえ興味深い差異と受け止めながら育ち、今や「クール」だと思ってくれている。戦後僕らがアメドラやハリウッド映画を普通に観てきて(一種「観せられた」という側面もある)、自然にアメリカのカルチャーを憧れの眼差しで見てきたのと原理は同じように思える。少なくとも僕はそう見える。

日本ポップカルチャーは間違いなくポピュラー(1)

僕は幼少のみぎりからアメリカの音楽と映画が大好きだ(音楽だけに限ったらイギリスのモノも好きだ)。日本の音楽は正直スピッツまでで追いかけるのをやめていて、アニメは「一休さん」まで、邦画はお金を払って観たことがない。マンガは10代はジャンプ、マガジン、サンデー、チャンピオンを読んでいたが、二十歳からは「近代麻雀」しか読まず、40歳になってからはYoutubeで好きな洋楽をライブ映像(恐らく違法にアップされたモノを含む)で見るのが最高かつ唯一の楽しみだった。

しかしここ何年も、アメリカに行くと「日本人?じゃあさ××知ってるよね?」とやたらと日本アニメや漫画の話を聞かされるようになった。2007年くらいまでは「ハイテク日本」ということで関心を持たれていることが伺い知れたが、2009年にははっきりアニメ・マンガへの関心が強くなっていることを複数の人から話を聞くことでわかるようになった。

「一休さん」で終わっている僕は「スラムダンク」も「ワンピース」も何も知らなかったが、アメリカ人をここまで魅了する日本のポップカルチャーを知らないのは少しまずいな、と思った。

そこで、なのかどうなのかわからないが、2011年、例によって年一回のアメリカ旅行のとき、僕は機内で初めて邦画を観てみた。それは「デスノート」の実写版だったが、思いのほか面白くて吃驚したことを今でも覚えている。以降飛行機に乗った全機会において洋画より邦画を観るようになり、しかもほぼ例外なく面白いと思った。

オダギリ・ジョー主演の「転々」、阿部サダヲ主演の「謝罪の王様」も面白かった。吉高由里子などはANAの機内で上映された「ロボジー」と「横道世之介」でその存在を初めて知ったほどだ。ちなみに、僕にとってのナンバーワンは今のところ「荒川アンダーザブリッジ」(以下AUTB)だ。

アメリカ移住後(恐らく違法にアップされた)Youtubeでアニメ版AUTB、「デスノート」、「銀魂」などを観、ファンになった。AUTBのオープニングテーマは楽曲としても高度かつ見事で、様々な意味でアメリカのアニメとは完全に一線を画していた。

と、なんだか偉そうに作品やテーマソングのうんちくを垂れられる程度には、僕も日本のアニメや漫画の人気をようやく実感として了解出来るようになったし、移住後はかなり<対等に>アメリカの人々とその話題で盛り上がれるようになった。しかし、
そもそもなんでこんなに日本のアニメや漫画が受けるのかがわからなかった。次回はその辺りを書きたいと思う。

アメリカ人は概ねフェアで親切である(2)

旅して見えるものと住んでみて見えるものとでは全然違う。それはわかっていた。アメリカで電気やガスなどの公共サービスを申し込んだり管理費や税金の支払いをすることになって、僕は物凄いひどい目に遭った。何もわからないので質問してもレスポンスが遅いし、トラブルが発生しても全然緊急対応しない。

アメリカ暮らしの長い知り合いに相談しても、「まあ大丈夫」とか「焦ってもしょうがない」と言うだけ。今では「日本のサービスのスタンダードが高すぎるから」と思ってこちらも余裕が出てきてはいるが、住みだしたばかりの時はどうなることかと思ったものだ。あまりに問題が多いので、「アメリカ人全体の資質」に疑いを向けることもあった。

しかし、ご近所さんと面識を持つようになると、「アメリカ人は概ねフェアで親切である」という持論は再度補強されることになった。僕のご近所さんは
本当に明るく善良な人しかいないからだ。そして僕は、去年こんな究極の体験をした。

2013年7月、お客様のiphone5の購入に行くところだった。が、ガレージの電動シャッターが故障して
何をどう頑張っても開かなかった。完全に途方に暮れていると、二、三回挨拶を交わしたことのあるだけの老夫婦の奥さんが声をかけてくれた。

事情を説明すると、自分の車を使ってもいいと言う。僕は勿論そこまで甘えるわけにはいかないと
お礼した上で断ったが、彼女は夫の元に許諾を求めに自分の家に行ってしまった。数分後に戻って来ると、「保険の関係で名義人以外が車を運転するのはまずいので、私が乗せていってあげる」と申し出てくれた。

僕は<断ってはいけない>気がして厚意に甘え、Appleストアまでの道を乗せて頂いた。断ってはいけないと思ったのは、彼女が社交辞令を言っているのではないことがわかったからだ。なんの見返りも求めない善意で、困っている隣人を助けたいという気持ちが明快にわかったから、これを断ることは正に欠礼だと思ったのだ。

Appleストアから家まで戻った時、僕はこの女性に礼を述べ「日本酒はお好きですか?是非あなたとご主人に味わって頂きたいのです。今日本にいる
妻が間もなく日本から戻ってくるので、おいしいものを買ってきてもらうつもりです。ただ、戻るのはあと10日後くらいになるので、そのとき御宅にお伺いしていいですか?」と聞いた。彼女は「勿論構わないが、そのようなことはする必要はない。困った時隣人は助け合うものだ」と行って去っていった。

予定より数日遅れで妻が帰ってきて、僕はすぐにお酒を持って彼女の家に伺った。僕が言葉通りに日本酒を持ってきたことにひどく感激してくれた。僕自身は彼女の「無償の行為(厚意)」に比して、たかだかこの程度のことでそこまで喜んでもらったことに申し訳なさを感じながら、「とにかくよく冷やして、美味しい食べ物と一緒に楽しんでみて下さい」と言ってお暇した。数日後彼女に会った時、「本当においしかった。本当に有難う」と言って頂いて、日本流に言えば「義理の貸し借り」が一旦終わった。だが、彼女を始め多くの隣人には「義理の貸し借り」の尺度はないようだ。貸せる時は貸すし、借りる時は借りる。日本人のようにバランスを考えることはないようだ。

僕は東京では総戸数100戸程度のマンション(正確にはコンドミニアム)に住んでいたが、隣人とは殆ど没交渉だった。朝会社に行き、夜遅くに戻って来る生活がそうさせた面もあるし、東京に住む人が一般的にそうであるように僕ら夫婦も積極的に近隣に交わる気はなかった。だからご近所からの親切なども期待していなかったし、自ら親切にしてあげる機会などせいぜいエレベータのボタンを代わりに押してあげる場面くらいだった。

さあ、ところを変えて場所はアメリカ。厳密に言えばロサンゼルスから80km南にある、大都会ではないが決して田舎でもない南カリフォルニアの町だ。ここで僕は「見返りを求めない親切」を受けた。全く想定外だった。同じコミュニティー内に住んでいるとはいえ、新参者の黄色人種を自分の車に乗せてしまう親切が一体どれほど純粋で、しかしどれほど危険であることか。僕には同じことを出来る自信はない。だからこそ、僕が受けた感銘は計りしれなかった。

この女性の純粋な心と親切心を涵養したアメリカという国の懐の深さは素直に評価し、尊敬すべきだと僕は思った。今後これと真逆なことをされることもあるかもしれないが、このような女性がいる国は、全体としてフェアネスを尊ぶ社会であることは明らかだ。だから、僕の「アメリカ幻想」はまだまだ続いて行くと信じている。

アメリカ人は概ねフェアで親切である(1)

移住前は毎年一回有休を使って1週間から10日くらいアメリカを訪問する程度だった僕。この間アメリカに滞在した期間は合わせて150日前後、移住後1年9カ月が経過したがそのうち4ヶ月は日本にいる・・・。これでアメリカ人を語るなどは早計の誹りを免れないかなぁと自分でも思う。

しかしそれでもあえて申し上げれば、アメリカ人は概ねフェアで親切であると思う。何せ僕はアジア人・日本人であることで何か差別や不利益を受けたことなど一度もないからだ。南部でも、北部でも、西部でも。

まず旅人だったころの例を挙げたい。
2004年、ユタ州のアーチーズ国立公園で、終戦当時広島県呉市と巣鴨プリズンで働いたという元アメリカ兵の兄弟(人種は白人)に、「日本人かい?」と呼びとめられた。それから30分以上彼らは日本での思い出話(東条英機首相をお世話したetc)や戦争観、そして日本を好感しているといったことを語った。

彼らの戦争観や対日観は非常にステレオタイプだったが、日本に好意的なのは明らかだった。日本人の中には戦争当時の敵であるアメリカ人を今も憎んでいる人もいるし、それはアメリカ人も一緒だから、そういう敵意のある人に出会ってもおかしくないのだが、まあ「たまたま」いいベテラン(退役軍人)たちに呼びとめられたのであろう。


2005年。急に雹にやられて仕方なくチェックインしたモンタナ州のモーテルで偶然出会った一家(人種は白人、職業は夫が白物家電の搬入や設置、奥さんは地元のカレッジの事務)と、互いの国や職業について長いこと話をし、最後にメルアドを交換した。

この一家とは今でも交流があるし、2007年にはミネソタにあるご一家の家にお邪魔したほどだ。彼らには日本は「ハイテクの国」というイメージくらいしかなかったが、僕ら夫婦と出会ってアジアに興味を持ち、最近ではインドネシアからの留学生を住まわせたりしている。まあ、こんな善良な一家に出会ったのは「たまたま」であろう。

2006年は、前年に仕事を依頼したミュージシャン夫婦(ミュージシャンの夫は中国系アメリカ人、妻は日系アメリカ人)とプライベートでも仲良くなり、ドライブ旅行の最後にLAに寄った際、二晩も泊めてもらった。ここには2007年にもお邪魔して2泊させてもらっている。まあこれは仕事がらみだから「いい人たち」なのも当然だろう。


2010年はセドナで公園の景観や自然を守っている女性(白人)と、嵐が過ぎた後の超絶な景色を見ながら自然や宇宙の神秘を語り合い、2011年はラスベガスでタイヤがパンクした際は、見ず知らずの親切な青年(黒人)に直してもらいながら、彼のそれまでの人生や今後の夢などを聞き、励ましたりした。彼は前科を持っていて、自分の弱さでその罪を犯してしまったと後悔していた。そしてなけなしの金でLAからラスベガスに「未来を切り開きたい」とやってきた。

まあ「たまたま」いい人に出会って壮大な自然を見ながら話したりすることもあるだろうし、パンクしたりすれば「たまたま」前科のあるいい黒人がやってきて直してくれるなんてこともあるだろう。でも、ここまで「たまたま」がずっと続くんじゃ、それはもう「たまたま」とは呼べないと思う。なので、僕は「アメリカは根本において善良でフェアだ」といういう確固たる一般論的意見を持つことにした次第だ。

僕が最も差別を恐れた出会いのことも触れておこう。
2010年、砂漠地帯を流れるコロラド川のほとりで休憩のためたまたま車を止めたら、釣りをしている白人の親子(父と娘二人の3人連れ)がいた。僕らに気付くなりお父さんのDavidが話しかけてきたのだが、
僕が日本人であることを知るとまずは車のことを話したがった。

「私はトヨタのカムリに乗っているが、君は何に乗っているの?」僕が「いや、車は持っていないよ」というと、彼は「トヨタの国の男が車に乗ってないって・・・?」と驚きでのけぞっていた。また、僕が「会社では人事をしている」と言うと「自分は最近リストラされて、こんな真昼間にサンディエゴからやってきて釣りをしてるんだ」と事情を説明してくれた。そして、リストラ話はやがて彼の「人種観」へと発展した。


「私はメキシコ人とかフィリピン人が嫌いだ。英語も話せないのにアメリカにやってきて安い賃金でアメリカ人から仕事を奪っていく。外国に来て、しかも住むというのなら最低限の礼儀がある。それはその国の言葉を話す努力をすることだ。君は英語を話すが彼らの多くは違う」。彼は明らかに、真剣に怒っていた。

彼の言うことに全面的に賛同するわけではなかったが、彼の言わんとすることは理解できた。そして、彼がアジア人やヒスパニックなどに対してのレイシストだとは僕は思わなかった。何故ならば、彼は外見的にどうみてもアジア人の僕に、自ら話しかけてきたからだ。

彼の考えを聞いて、僕がそれまで嫌な目に遭わないで来たのは「完璧には程遠くとも英語を話すから」なのかと考えた。確かにそれは「出会ってからの好印象」を作り上げるという意味では大事だ。だが、自分が日本人で英語が一応話せると了解されるのはあくまで会話が始まってからなので、それ以前に僕が何者なのか相手は知るよしもない。だからこそ、一般的にアメリカ人は差別的ではないと僕は言えるのだ。

とにもかくにも、「英語を話さない無礼者」という理由でフィリピン人やメキシコ人一般に敵意を燃やすアメリカ人に僕は出会い、これが僕が「差別の匂い」を少しだけ感じた唯一の瞬間だった。

こうしてアメリカを何度か旅するうち、僕はアメリカのフェアネスを信じるようになったわけだが、今後裏切られることは必ずあると思っている。一方で、少々のことで今の意見が変わることもないと思っている。そして僕は、この幻想がこっぱみじんに打ち砕かれるまではアメリカにいたいものだと思いながら、2012年10月にアメリカに移住したのだった。そしてそこで、また凄い人々に出会った。

日本車は信頼されているか

僕の住んでいるカリフォルニアでのこと、と最初にお断りはしておくが、日本車に寄せるアメリカ人の信頼感は鉄板である。もう標題に対する答えが出てしまったが、日本車に乗らない人でもそのこと自体に異論を差し挟むことはないと思われる。では何故そんな「信頼の日本車」に乗らない人がいるかと言えば、自分の予算からすると高いか、逆に日本車では自分の「高いステータス」にマッチしないと考えるか、といった問題がなければ恐らくデザインが嫌いという人が圧倒的だろうと思う。

僕個人の感想でも、確かにデザインは欧州車や韓国車に劣ると感じる。車種によっては著しくダサいと思うこともある。僕の乗っている2005年製のHonda Civic Hybridは、デザインは凡庸なうえに色が「爺臭さ」の代名詞であるゴールドだったこともあって(アメリカでは好きな人もそれなりにいるけど)、僕の感性では拒否感さえあったし、2005年製であっちこっちに傷があるのに2012年秋の時点で100万円という価格は最初「ありえない」と思ったのに、結局買った。そして満足してさえいる。

拒否感さえ感じた車を何故買い、何故満足しているのか。それはやはりアメリカで車に乗るに当たり、安心感こそが最重要ファクターだったからだ。

僕の希望は日本車のハイブリッドだった。高年式のプリウスが理想だったがやはり高い。シビックの2005年製の100万円という値段も日本の感覚では高いと思ったが、アメリカの相場的には極めてフェアな価格だったし、何しろそれを逃すといつ日本製ハイブリッド車が出てくるかわからなかった。加えて移住後レンタカーに頼っていて早く自前の車が必要だった僕は、デザインを諦め「信頼」を取ったわけだ。

皆さん恐らく御存知の通り、日本車は容易に故障しない。燃費は圧倒的にいい。そして他国製は壊れる。アメ車と韓国車は特に壊れる。それをアメリカ人は肌で感じて知っている。

僕は仕事がら、繁忙期はiphoneを巡って毎日当たり前のように100km以上走る。その際全米でも屈指の幹線道路であるI-405を使うことが多いが、毎日、しかも1日何回も、路肩に故障車両が止まっているのを見るし、片側7車線の道路のど真ん中でエンストしている車も実に沢山見ている。しかし驚いたことに、これまでその故障車が日本車だった例は皆無だ。

逆に、1980年代や90年代の古い日本車が結構普通に走っている。というか、今現在走っている80年代や90年代の車は、ほぼ全て日本車だ。最新の他国製は故障して路肩にいるのに、80年代の日本車がその脇を通過していく光景を毎日目撃しているアメリカ人は、デザインやステータスへのこだわりがなければ自然に日本車を第一選択肢とする。まあ当然のことだろう。

なお、2013年10月、このシビックは交差点を左折中に信号無視で突っ込んできた車にバンパーをえぐられるという事故に巻き込まれたが、修理を経て今も健在で信頼に答えてくれている。

civic
 

治安は金で維持する

日本の不動産価格は都市全体の利便性、特に交通アクセスの利便性と高い相関関係があるので、東京であれば必然的に都心が「一等地」となる。各都市も恐らく同じで、県庁所在地の駅前が各道府県で一番高いということで大体は間違いないと思う。勿論それに加えておしゃれな街だとか、公園が多いとか、道路の騒音が少ないとか様々な要素が加わり最終的な価格が決まるが、アメリカで最重視されながら日本ではほとんど意識されないことが一つある。そう、治安である。

僕が事務所兼住居として買った家は、ロサンゼルスから80kmほど南にあるオレンジカウンティーのAliso Viejo(アリソビエホ)市というところにあるが、ここを買った理由は明確だ。

 1)個人輸入代行の仕事が出来る最低限の都会性を持つ
 2)個人輸入代行に不可欠な日系の配送会社の集荷範囲にある
 3)治安が良い
 4)気候が温暖で晴れが多い(僕は雨と寒さが苦手で高温はかなり平気)
 5)採光に優れる
 6)上記を可能な限り全て満たしつつ予算に収まる価格である

要は、生活者として住むことと仕事のしやすさを両立をできる場所として最適な場所はどこかを調べ、1)と2)の観点でカリフォルニア州沿岸部がベストであり、3)と4)から南カリフォルニアがベストであり、その範囲内で5)と6)を基準に具体的な物件を探したわけだ。

さて、日本では殆ど意識しなくていい「治安」だが、アメリカでは本当にそんなに安全・危険に地域差が出るのだろうか。答えは「出る」。

僕ら夫婦の住むアリソビエホ市は、人口約5万人のうち70%が白人である。これはカリフォルニア州平均の40%の約1.8倍だ。世帯収入の中央値は約1000万円で、カリフォルニア州全体の600万円の約1.6倍になる。白人が多いということは、それだけ町の財政が良いことを意味する。そして収入が多い自治体は街の美化や安全面の強化に金(≒住民税)がかけられる。結果、道路や沿道の樹木等は常に綺麗に整備・管理される。そしてこのような町は、また金持ち(主に白人)を呼びこむ。

そして、住人に金があるので、市内の各コミュニティーの理事会は毎月住民からかなり高額な管理費を徴収する(よって僕ら夫婦には大変な「重税」である T_T)。これがコミュニティー内の公共部分の管理・補修などに使われ、常に美観が保たれている。コミュニティーによってはゲートを設けて住民以外は入れなくしているところも多く、部外者の侵入は容易でなく、仮に部外者が入れてもあまりに目立つため犯罪が発生しにくい。

こうして社会的・経済的に恵まれていることの多い白人が集まるところは治安が保たれ、白人が少ない地域は相対的に危険度が増していく。危険度が上がると地価が下がり、金持ちは更に出ていき貧乏人は更に流入し、結果犯罪がより増加するという負のスパイラルが生まれることになる。

また、犯罪者としては「獲物」があるところ、移動がしやすい場所、そして身を潜めやすいところに集まるので、商業地、夜間人がいなくなるダウンタウンや工場地帯、高速道路沿道、飛行場、そして治安維持に金をかけられない町などが常に狙われる場所になる。

ちなみに、Aliso Viejoの2012年の暴力犯罪発生率は人口1000人当たり0.88、窃盗系犯罪は同8.47であるが、ここと同じ郡にあり、距離にして20km程度しか離れていないAnaheim(アナハイム)市の犯罪発生率は同3.71、窃盗系は29.2となっている。アナハイムにはMLBのエンジェルス球場やディズニランドがあるなど大規模商業地としての側面があるので、犯罪者を誘引してしまうのであろう。しかしオレンジカウンティーは全体として非常に安全で、カリフォルニア州での犯罪発生率は最低であるのもまた事実なのだ。

最後に誤解のないように申し上げるが、僕は「白人が倫理的に優れ、他の人種が倫理的に劣るので犯罪を犯すのだ」などとは一切言っていない。治安は金で買うアメリカで、社会的・経済的に優位に立つ白人に金持ちが多いため、白人が集まる町は安全性が高いという事実を述べたにすぎない。そして僕は、自分や妻の身を守るために可能な限り治安のよい場所に住むという選択をしたのである。

これからアメリカに移住等をお考えで治安を事前に調べたい方は以下の「犯罪マップ」を見て頂きたい。


http://www.crimemapping.com/

それと、地域の安全性は道路と樹木の整備状況でわかるので、自分の住みたい街がいかに道路、沿道の樹木や芝生、そして公園などにお金をかけているかを判断の一助にされたい。

渡米前に家を買う

アメリカ西海岸、しかもロサンゼルス以南100km程度の知識だが、アメリカの賃貸物件は思った以上に高い。僕の事務所兼自宅は1990年築の60平米だが、借りると13万から14万する。だから学生などは複数人でシェアするパターンが多いのだろう。

確かに西海岸はアメリカでは人口密集地だが、それでもまだまだ土地はある。なのにこの金額は東京並みではないか。なので日本の財産を処分できるとか、アメリカで一定以上の高い給与がもらえる見込みのある人などは家の購入も考えるべきだと思う。

さて、アメリカで家を借りる方法は多くの先達がいるので検索すれば山ほど出てくるが(たとえばこのブログ)、家を買う方法は、そしてその実態はなかなかわからないのではないかと思う。僕は2012年に家をアメリカで購入した経験者で、しかもまだ移住前の色々な制約の中で購入をしているので、もしかすると皆さんの役に立つかもしれないと思いこの購入経験を以下にしたためたい。

まず僕は、グリーンカードの面接が終わった2012年初頭、家をローンで買えるか調べまくっていた。現金
で買わずローンを組みたかった理由は、現金で買うより少し高い(即ち良い)物件を買える一方、一気に吐き出す資金は現金購入より少なく出来るので、渡米後未収入期間が長引いてもより我慢できるからだった。

ただ、予想していたことだが検索の結果は基本「無理」だった。アメリカ発行のクレジットカードを持たず、アメリカでローンを組んで支払ってきた履歴もない新参者の日本人にはローンは無理なのだ。しかし、David LEEさんという現地エージェントが「キャセイ銀行なら大丈夫な可能性がある」と言うので、僕はLeeさんに僕らの代理人になってもらい(費用はゼロ、説明は後ほど)、彼のアドバイスの下でキャセイの要求する資料を揃え、ローンを申し込んだ。

それ以後はこんな流れになる。

 1)4月下旬に妻と現地(加州オレンジ郡)に行き、そこでキャセイ銀行の人にも会い、
   仮のローン許可証(「プリ・アプルーバル」という)を得た。これは家の売り手に
   「この買い手はローンを組める能力があります」と証明する大事なモノだ。
   これがなくて売り手に相手にしてもらうには「現金で買えます」と言う必要が
   ある。

 2)現地に2週間滞在して家を探し、気に入ったものにLeeさん経由でオファーをした
 
   ※なお、家の売価は当初から設定されているが、日本と違って全ての家は「競り」
    なので、売主は当初出していた値段で売る必要はない。一方買主は、絶対欲しい
    物件なら売主の提示価格に上乗せした額をオファーしてもいい。
   
 3)現金爆弾の中国人に負け続けた後、物件XがとうとうOKとなる。相手が設定する
   期限内にキャセイ銀行からローンの最終許可をもらう必要があったが、
   キャセイが許可を出すか出さないかの判断に迷い、色々な追加資料を僕らに
   出させた揚げ句、期限ぎりぎりでローンの不許可を言ってきた。これにてXを
   買うことはできなくなった。

   ※キャセイも結局アメリカでのクレジットヒストリーなどが必要だったのだが、
    担当者が独自判断で動いたのだった。ところが審査部門を通過できず僕らの
    苦労も水の泡になったという次第。

   ※この時の中国人の攻勢は凄まじかった。現金で不動産を「買いあさる」という
    表現がぴったりだった。どの物件に行っても彼等がいて、その場でさっさと
    申込書類を作っていたがその作成スピードが速いのなんの。頭金やローンの
    額を計算しなくていから、金額記入欄の記載が楽なのだ。

 4)5月日本に帰国。方針を変更し自分たちの蓄えだけで買える安価な物件を買うことに
   する。殆どがShort Sale(ショートセール)物件。LEEさんにいい物件を見つけて
   もらい、こちらもウェブでいい物件を探し、気に入ったものはLeeさんに状況を
   見てもらい、よければオファーを入れるという方針で行く。

   ※ショートセールとは売主が支払いを完済できずに手放すことになった物件。
    銀行は当然ローンを全額支払ってほしいが、売主がリストラなどで支払い能力を
    無くした場合、物理的に残債を返してもらえなくなる。
    そこで売主に「売る作業」をさせ、売れた金額を全部銀行に入れることで
    チャラにする、そんな仕組みがショートセール。銀行は、売主に販売をさせて
    経費を絞る一方、販売価格については売主の独断を認めない権限も有している。
    売ればチャラなので、極端な話何の制約もないなら売主は売値500円でも喜んで
    売るからだ。

 5)6月、いい物件をネットで発見。Leeさんに見てもらい、やはりお買い得と判断して
   もらう。お金に余裕がないのでオファーを先方の提示額どおりで入れる。現金は
   強いが提示額通りは弱い。これでは競合に勝てない可能性も十分ある。

   ※不動産情報サイトは色々あるが、Leeさんに教えてもらったのが上記のサイトだ。
    プロが一番見ていて更新が速いということだった。

 6)8月上旬、先方が「売る」と言ってくる。但し8月中にエスクローの手続きを
   済ませろ、とのこと。
原状渡しということで納得し、契約書の署名してスキャンして
   送り、8月下旬に
慌てて現地に行き、売主と会い、物件の説明を受け、エスクローの
   手続きを行う。鍵を渡してもらう前日に妻が会社に関係で帰日せねばならず、
   鍵はLeeさんに預かってもらう。

   ※エスクローとは要は登記のこと。

 7)10月10日、この家に住み始める。

こうして僕らの住居購入計画は成功裏(?)に終わった。骨を折って頂いたLeeさんだが、僕らは1銭も払っていない。何故ならば、彼らエージェントの報酬は売主から出るから。

日本との決定的な違い - クレカ社会

1993年に初めてアメリカ(ニューヨーク)に行ったとき、僕はクレカを持っていなかった。日本では特には必要でなかったので作る気もなかったからだ。しかし、ホテルにチェックインしようとしたらクレジットカードを見せろというので、「いや、現金で払うから」と言ったらデポジット(後で返してもらえる預託金)を50ドル取られた。ホテルやレンタカーなど後から追加支払いがありうるところでは「現金で払うやつ」は全然信用されないことがわかった最初の事例だった。

現金だけで生きていけないのか?と聞かれればそんなことはないし、そもそも成人しているのにクレカの1枚も持たない人は今は殆どいないだろう。しかし、アメリカで生活するのであれば「アメリカ発行のカード」が必要だ。そして、
日本でいかにまじめに生きてこようとも、手持ち資産が多かろうとも、アメリカにやって来たばかりの新参者がクレカを手に入れることは簡単ではない。

アメリカでクレカに申し込むと、それ以前のアメリカ発行のクレカの購入・支払い実績(これを「クレジットヒストリー」という)に基づく「クレジットスコア」が審査され、一定以上良好でないと却下される。クレジットスコアは民間調査会社がデータを持っていて、カード会社やローン会社などの金融機関は審査時にそれを見れる。

では日本から来たばかりのヒストリーもスコアも何もない日本人はどうなるのか。基本発行してもらえない。そこで仕方なく、「セキュアカード」と言ってデポジットを3000ドルとか入れれば発行してもらえるクレカを申請することになる。勿論僕も最初はそれだった。そのカードをせっせと使ってせっせと返してスコアを上げると「会費無料カード」などもいつか発行してもらえる日は来る。だけど、その日が来るまでは以下のような「屈辱」を味わうことになる。


TJ Maxという全国チェーンのディスカウントショップでモノを買ったら「TJカードを作れば10%オフよ。その場で作れるよ」と言われ申請書を書いてみたが、店員が「何回入力しても機械が誤動作するのよね」と。それ、誤動作じゃないから。スコア不足だから。

コスコ(Costco)にて、メンバーカードを作る際にAmexのクレカ機能付きのを勧められる。スコアがないから無理だと言うのに「任せとき!」と係員がその場で手続きを進めるもあえなく却下。この係員、今度はAmexに電話を入れて方法はないのか聞きだし「あなたの銀行残高をAmexに送れば大丈夫よ」という。やってみたが見事に却下。

Macy'sというデパートでモノを買った際、「今Macy'sカードなら20%オフよ。作ったら?」と言われる。少しスコアも上がっている気がして「じゃあ宜しく」とお願いしたが、「あれ、機械が誤動作するのよ。何故なのかしら」と。「気にしないで。さようなら」とにこやかにひきつった笑みを浮かべ、僕は家に帰った。


ここまでなら「いいじゃないか、値引きは得られなくとも現金で買えないわけじゃなし」とは思う。「そのセキュアカードとかいうやつで、慎ましく買物してれば問題ないんじゃない?」とお思いの諸兄も多いだろう。しかし、辛いのは高額商品。車のローンも家のローンもクレジットスコアで審査されるので、却下なら現金払いだ。許可された場合でも、スコアの高い人は金利が優遇され、低い人は高金利になる。

僕ら夫婦には苦い経験がある。移住の半年前、「アメリカのヒストリーがなくても住宅ローン審査に通る」とキャセイ銀行に言われ、申請書を書き、資料を用意し、スキャンしてはメールで送り、一度渡米して担当者にも会い、購入する家も決めて日本に戻ったら、再度アレ出せコレ出せと資料の追加を求められ、何と最終的に却下になった。訳のわからない理由をダラダラ言っていたけれど、要は「やっぱアメリカのヒストリーは要るんだった。テヘ」というのが真相だった。

「なら家は借りてればいいじゃん」と言われれば、おっしゃる通り。しかしアメリカの賃貸住宅は高すぎる。僕の住んでいるところでも、買えば1600万円の60平米の家が賃貸だと毎月13万。これだけ広大な面積がある国で60平米で13万て。しかも2012年はアメリカの不動産価格が底を打っていて、買えるものなら買っておくのが正解だった。

また、必需品たる車を最初に買うときも、ローンをお願いしに言ったら唯一認められたのは以下のような方法だった。

 1)まず車の価格分(100万としましょう)のお金をそのローン会社に入れる
 2)そこから毎月一定額を返し続ける(という形式にする)
 3)こうするとヒストリーに毎月きちんと支払ったデータが残り、半年後くらいからスコアに反映する

でも、これだと100万円をまるまる人質に取られので、思案の結果使うのはやめた。


いかがだろうか。あなたの日本での社会的・経済的活動における「実績」が、たかがクレカの取得などというつまらないことに関してはここでは何の意味も持たないことがお分かり頂けたであろうか。そして、クレカがないと様々な不便と不利益を激しく被る社会であることも。

以上を含め、最後にアメリカのクレジットカードのことを以下にまとめておきたい。

・アメリカでローンを組む際は一定以上のクレジットスコアが必要
・アメリカで一般的なクレジットカードを作るにも、一定のクレジットスコアが必要
・日本でのカード使用履歴はスコア計算の対象外。アメリカに来て日系のカードを使っても対象外
・当たり前だがアメリカで現金をいくら使っても、それも計算の対象外(現金の動きは把握できない)
・アメリカの通販はアメリカのカード以外却下されることが多い
・そこで普通、最初のカードはデポジット(預託金)を入れて作る「セキュアカード」になる
・セキュアカードを使ってきちんと返していると、スコアが徐々に上昇していく
・スコアが一定以上になると以下の現象が起こる
 └とうとう色々なカード会社から「入らない?」と手紙が届き始める
 └これまで通らなかったローン審査に通る
・新たなローンを組むとスコアが落ち、これをきっちり返していくと再度スコアが上がっていく

ではまた。


ギャラリー
  • 嘘と喧伝された真実-第2回:2020不正選挙
  • 嘘と喧伝された真実-第2回:2020不正選挙
  • 嘘と喧伝された真実-第2回:2020不正選挙
  • バイデン一家の犯罪に裁きは下るのか
  • バイデン一家の犯罪に裁きは下るのか
  • 日本人の心を砕いた「悲劇のゼレンスキー」
  • プロパガンダ合戦
  • プロパガンダ合戦
  • 本当に、ロシアが、100%、悪いのぉ?
記事検索
  • ライブドアブログ