アメリカという甘美な幻想

南カリフォルニアはオレンジ郡に住むオヤジです。妻共々サラリーマンでしたが、2011年にグリーンカードが当たり、アメリカへの憧れに抗しきれずに2012年10月に移住してきました。個人輸入代行やコンサルタントを生業にした後、2016年からは会社員(人事、法務など)に。移住する遥か前から積み重ねてきた様々な「アメリカ体験」も含めて文章に残すためにこのブログを書いていますが、会社員復帰以降は忙しすぎて更新は稀に。。。面目ない。

2014年05月

2005年、ナッシュビルからシアトルへ(その二)

朝起きるととんでもない雨だった。叩きつけるような雨が視界を奪い、安全に運転できるか気が気ではなかった。

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Sioux Falls -- 700km --> Rapid City

最終目的地のシアトルは勿論西側だが、東に少し行けばミネソタ州に入れることに気づき、とりあえず州を越してみることにした。I-90を東に20kmでミネソタ州に入った。一番近い降り口を使って転回し、西方面への車線に乗り換えた。これでミネソタ州「制覇」である。

凄まじい雨が降り続く中、人々はビュンビュン飛ばしていた。あまりノロいと煽られるのでこちらも制限速度の70マイル(110km/h)をキープしたが、この雨は人ばかりか鳥にまで影響を与え、黒い影が急に現れてパンと音を立て僕らの車の右サイドミラーをかすっていった。大丈夫だったろうか。

途中サービスエリアに立ちよると「どこから来たか記念に書いて」と係の女性に言われた。「Tokyo」と書くと、「Oh!All the way from Japan!」と驚いてくれた。「最近天気が悪い日が続いているようだけど、この雨、止みますかね」と聞いてみた。彼女いわく「この先をしばらく行くとミズーリ川を渡るんだけど、そこを境に天気が良くなるパターンが多いよ」とのこと。地元民の言うことなので当たるかも、と思いつつ先を急ぐことにした。

果たして、川を越えるとほどなく雨は小ぶりになり、場所によっては上がっていた。これなら行けるとBadlands国立公園に寄ることにした。その名も「悪い土地」。

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小雨の降る中、何がBadなのかさえわからない中途半端な写真(これしかなかった)

小雨が降ったりやんだりでどうにも冴えない中、車と徒歩でそれなりに見て回り、この日の最終目的地Rapid Cityへは15:30頃に着いた。ここまで来てやっと晴れた。

雨中の運転で神経がすり減ってヘトヘトだったが、モーテルにチェックインすると早速
4人の大統領に会いに行った。訪ねたのは宿から30kmほどにある有名なMount Rushmore(ラシュモア山)だ。
ウィキペディアのリンクを付けたけど、それを読んでもなお、どういう理由でこんな像を彫ったのか今でもわからない。

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左からG.ワシントン、T.ジェファーソン、T.ルーズベルト、A.リンカーン

ところで、この大統領がいる場所は「Black Hills」という大きな森林地帯にあるのだが、この森林がビートルズの曲に歌い込まれていることをご存じだっただろうか。彼らの曲「Rocky Raccoon(ロッキーラクーン)」の歌詞の冒頭はこうだ。

"Somewhere in the black mountain hills of Dakota there lived a boy named Rocky Raccoon"
(ダコタのブラックマウンテンヒルズのどこかにロッキーラクーンという名の少年がいた)
 ※ご案内したYoutubeビデオは歌詞で歌われた内容がアニメになっている。見られたし。

翌朝はやっと綺麗に晴れ上がった。この日は特に宿も決めておらず、行き当たりばったりのドライブを楽しむことにしていた。

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Rapid City -- 900km --> Butte, MT

まずI-90ではなくUS-212を使って北西に行ってみた。ほどなくワイオミングに入ったが「行ったことのない州には行かない」という今回のテーマに抵触するので急ぎたいところだ。しかし物凄い青空の下に州の看板が2つ。撮らないわけにはいかなかった。

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ところで、実はこの看板には無数の穴が開いていた。銃弾だった。こえーよアメリカ!

ワイオミングはすぐに終わりモンタナ州に入った。また看板があった。撮らないと。

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こうしてだらだらと、僕らは車によるぶらり旅を楽しんだ。

2005年、ナッシュビルからシアトルへ(その一)

ナッシュビルはカントリー音楽のメッカだが、ここをアメリカでの旅の出発地に選んだ理由は、1)まだ行ったことがないプレーリーを走る、2)終点をシアトルにして旅を設計するとこの辺が起点になる、といったどうでもいいものであった。とはいえ、ロッキーを越えて一気にテネシー州から旅を始めるのだから昂っていた。そしてもうワンテーマ、今回は一度行ったことがある州は行かない・通らない。これで旅程を組んだ。

まずは成田からシカゴのオヘア空港に11:50に到着。乗り継ぎ便でNashVille(ナッシュビル)についたのが15:00。ところが僕の荷物が出てこない。係に聞いたら誤ってシカゴから違う便に乗ってしまっているとのこと。「今日中にナッシュビルに届けられるから」というので今日泊まるモーテルの住所を教えて17:00過ぎに出発。アメリカではこういう約束事が言った通りに果たされないことが非常に多く、本当に届くだろうか、と大いにいぶかしく思った。

とりあえず今日の宿にチェックインしようとするが小雨の中道に迷い、色々な場所で人々に道を聞いて、着いたのは19:00くらいになっていた。もうこうなるとご飯を食べてシャワーを浴びて寝るしかないのだが、荷物の到着を待つという一大イベントが残っていたし、そもそも着替さえない。結局荷物は夜12:30に無事届き、やっと眠ることが出来た。30分「今日」を過ぎたがまあいいか。

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Nashville (TN) --700km--> Columbia (MO)

翌日はミズーリ州のコロンビアという町まで進んだ。その前にまずは「ナッシュビルは音楽の街」というのがわかる場所に繰り出してみた。下の写真の通りなので、「音楽の街」確定。

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次の目的地はSt. Louis(セントルイス)だが、そこに至る過程でケンタッキー州に突入。嬉しい。州の看板も容易に見つけられて「州境フェチ」には堪らない(実はこのときイリノイ州も通過していた!)。

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そしてセントルイス。ゲートウェイ・アーチがあるリバーフロント(ミシシッピ川)に来てみた。学校で必ず習うこの川は汚く濁っていたが、大きな物流を担ってきた歴史ある川だからか威風堂々とした感じがした。ゲートウェイは中を登っていけるのだが僕らはそうしなかった。ゲートの全景のうち50分の1しか写り込んでいない写真を撮っただけだった。

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ミシシッピ川 / 妻は小さくアーチは片隅で何を撮りたいのか不明な写真

セントルイスからI-70を進めばColumbia(コロンビア)だ。ここも進めるだけ進んだあとに宿をとるだけの町として選んだ場所だった。何にしても天気がすぐれない。小雨か曇りが多く、まだきちんとした晴れ間を拝んでいない。砂漠じゃないのだから当たり前とはいえ、旅の楽しみが半減して雨は嫌だ。
ナッシュビルからここまでで約700km。もう全然苦にならない。

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Columbia -- 800km --> Sioux Falls (SD)

翌朝、西に向かう。I-70だけでは面白くないので、西に向かう基本は抑えつつ適当な道に適当に入ってみた。そして適当なところで車を止め、写真を撮ってみた。こんなところに来ていたのか、と9年後に再確認して呆れた。

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ミズーリ州ブラックバーン手前。人口249人。僕のパーソナルな思い出を構成してくれている

こんな風に順調に西に向けて走っていたらまた雨。しかも強い。昨日のテレビでは竜巻が多発しているとのことだった。これはうかつだった。6月の初旬はプレーリーはまだまだ竜巻シーズンだったのに、そんなこと露知らずこんな旅程を組んでしまった。

雨のKansas City(カンサスシティー)。雨で写真が撮れなかったがダウンタウンのルックスはカッコよかった。「ミズーリ州カンサスシティー」と「カンサス州カンサスシティー」に分かれているのも訳がわからなくてGoodだった。ここで聴くべきなのは勿論これ、「Kansas City(by Little Willie Littlefield)」。ビートルズはこれをカバーしたわけであるが、やはりせっかくなのでオリジナルを聴きたい。いや、僕は実際には「せっかく」だったのに聴けてないのだが。

ここからはI-29で北上を開始。やがて雨も上がった。ミズーリからアイオワに入ると少し西側(ミズーリ川)がネブラスカのとの州境になるので、ここで州道978に入って西に向かい、川を越え、州を越えた。ここですべきことがあった。Bruce Springsteenがアコギとハーモニカだけの伴奏で歌う「Nebraska」を聴くことだ。

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州境の橋。ビデオしか撮ってなかったのでGoogle Earthからお借りした。

ー ある男が、ネブラスカ州リンカーンからワイオミング州バッドランズに至るまでに、同乗する女性とともに人を銃で殺していく。捕まり、死刑が宣告され、いよいよ絞首刑が執行されるとき、看守たちが「お前、なんでやったんだよ」と聞いてくる。男は言う「旦那、何故って言われてもね、この世には理由もなく粗暴なやつってのもいるんですよ」ー

この曲は効いた。州をまたぐ際に通る橋が既に味があって見事だった。その後の道にも味があった。そして楽曲「Nebraska」が持つ虚飾をそぎ落とした音世界、これが感涙を誘った。

歴史ある街並みが楽しめるPlattsmouth(プラッツマウス)、ネブラスカ最大の都市Omaha(オマハ)を過ぎ再びI-29に入った。そして、やがて
South Dakota(サウスダコト)州に入り今日の宿泊地Sioux Falls(スーフォールズ)には18:00頃到着。宿で観たテレビで、今日通った場所の近くでトルネードが多数発生していて僕らはそれを避けるように走っていたことがわかった。やばいな。

2004年、ロッキーの西側を走った(その五-データ集)

1.全行程図
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2.航空会社、レンタカー、宿泊地

項目

内容

日時

2004714日~24

航空会社

ANAエコノミー

レンタカー

ダラー/三菱ディアマンテ

走行距離

3200マイル(5150km

宿泊地

7/14 Microtel Inn & Suites (Modesto, CA)

15 Ramada Inn (Lovelock, NV)

     16 AmeriTel Inns (Pocatello, ID)

       17 Holiday Inn Exp (Draper, UT)

       18 Apache Motel (Moab, UT)

       19 Super 8 (Page , AZ)

       20 Budget Inn (Phoenix, AZ)

21-22 Holiday Inn Exp (LA)

     23 LAXを発ち24日日本へ帰国


3.全費用(1ドル=約110円)

航空券

\103,330 / 一人

旅行保険

\9,150 / 二人

レンタカー

$594.91(保険フル装備)

宿代

$732.459泊。一泊当たり$81.38

ガス代

$240.19(ガロン2ドル前後の時代!)

食費等

\50,000

合計

\430,000


2004年、ロッキーの西側を走った(その四)

この日はペイジからフェニックスまでは、ほぼ南に一直線という感じで進んだ。

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行程のほぼ真ん中にはFlagstaff(フラッグスタッフ)という町があるが、ここはまさに「ロッキー最南端」にある町だ。ここを過ぎて南に行くことは、即ちロッキー越えをすることだ。一体何回ロッキーの上り下りをしているのか。Flagstaffを過ぎると最近とみに有名になってきたSedona(セドナ)を通る。Voltex(ボルテックス)と言われる「自然の気」みたいなものが湧きでる町として有名とのことだが、そんなことを知らなかった我々は”一気に”通過した。

フラッグスタッフがあるロッキー最南端を下りセドナを経て砂漠に入っていく道程は、緑とせせらぎがずっと道路に寄り添うように走っている。ここでラジオから流れたのがMarcy Playgroundの「Sex and Candy」だった。初めて聞いたこの曲は、あとで調べると1997年のリリースだという。タイトルもタイトルだし、歌われている歌詞は走っている場所と何もリンクしないのだが、メロウなメロディーとけだるい歌い方、しかしささくれだった粗めの演奏が何故か景色とペアで忘れられなくなる、そんなこともあるのだ。


山間部が終わるといよいよ砂漠だ。フェニックス一帯はソノラと呼ばれる砂漠で、日本人が知る典型的なサボテンがやたらに目に入る場所だ。フェニックスにいよいよ近づき、食事をとろうとショッピングモールで車から降りてのけぞった。暑い。120°F近くある。つまり49°Cだ。僕は喜んでいたが妻が調子が悪くなってしまった。

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このアメリカの典型的露店型ショッピングモールで妻は軽い熱中症になった

フェニックスはどうにも困った街だった。予備知識なく行ったことは反省するが、大きい割に何もない。小さくないから的が絞れない、そんな印象を抱いた。モーテル選びもてこずり、決まったのは夜8:00過ぎだった。
妻ではないが「ここは性にあわない」と思えた。

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翌朝LAに向けて出発。難しいことは何もなく、I-10で西へひたすら行けば、終点はLAとなる。道中、非常に気味の悪い場所を通った。Palm Springs(パームスプリングス)という町だ。風力発電のメッカとのことで発電用の白い風車が何万台と建てられ、羽が無表情に回っていた。無機質で感情のないロボットのようで印象はよくはなかったし、その中を通過していくのはシュールだった。

LAについてからは基本的にはショッピングを楽しむが、今回は絶対にやりたいことがあった。それは僕のビートルズオタクとしての欲望を叶えることだ。彼らの曲に「Blue Jay Way」というものがある。これはLAに実在する道路で、アンニュイでやや不気味なメロディーとアレンジで、以下のような歌詞が歌われている。

 LAは霧に覆われている / それで友人が道に迷ったしまった
 もうすぐ着くよと言っていたが / 道に迷ってしまうとは
 遅くならないでほしいな / 遅くならないでよ
 これ以上時間がかかるなら / もう僕は眠ってしまうよ

このBlue Jay Wayに、とうとう行った。オタク以外には何ら楽しさは感じないことだろうが、旅とは他人に理解されない個人の欲望を自分なりの方法で満たすことなり。

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LAでしたいことは更にあった。前年に映画「Mulholland Drive(マルホランドドライブ)」をビデオを借りて観て、舞台となったその道路を是非走ってみたかったのだ。ハリウッドの山の稜線を這うような道路で正直悪路といっていい道路だったが、走り屋には面白いのだろうと思えた。沿道の家々は高級で、普通の平民では住めない住宅地だとすぐにわかる。

ビバリーヒルズには過去にも何度か行っていて、イーグルスの「ホテルカリフォルニア」のジャケットになった「The Beverly Hills Hotel」も見に行ったが、デジカメで撮ったのはこの年が初めてだったので掲載しておく。

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2004年、ロッキーの西側を走った(その三)

旅では思わぬ出会いがある。それが思い出の重要な一部になるような場合はそんなに多くはないだろう。しかし僕は、アーチズナショナルパークでご高齢のアメリカ人兄弟に偶然声をかけられ、凄い話を聞くことになる。そして、日本では考えられない圧倒的なスケールの自然や国土に圧倒されて好きになったアメリカで、ここから僕は「人」も好きになっていくのだった。

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Draper --> Moab

朝Draperを出て、ユタ州の南下を開始。最初に使ったUS-6号でまたもロッキー越えをすることになった。ロッキーを下りきると、そこは砂漠。緑地もいいけど砂漠もね。

砂漠を走ること約100km、US-6はI-70にぶつかり、これを東に行くとほどなくGreen Riverに到達。これを過ぎしばらくしてUS-191で再度南下すると30分ほどでこの日の目的地、Moab(モアブ)に着き、すぐに近くにあるArches National Park(アーチーズナショナルパーク)に行った。

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こういう景色が山ほどある公園

車で行けるところには限界があり、名前の由来となった「アーチ型の岩」に近づくには歩いて岩山を登らなければならい。妻と共に登りだすと、踊り場のようなところに老人が二人いて声をかけてきた(この二人の顔や我々の話の様子はどんな風景よりも写真に収めるべきだったが、失念した。ただ、ビデオをずっと回していたので音声は録音できている)。

「日本人かい?」
「何でわかりましたか?」
「僕らにはわかるんだよ、戦時中日本にいたからね」

彼らは兄弟で「終戦当時広島の呉にいて、その後東京の巣鴨プリズンに異動となり、(後に死刑となる)東条首相のお世話をしたんだ」と言った。

「僕は東条にビールを御酌したんだよ。彼はいいやつだったよ」
「過去の戦争はあっても、日本とアメリカは友達だ」
「日本は天皇がいて、軍部はそれに従い、国民もそれに従わざるを得なかった」
「だから日本国民に罪はないんだ。そして君たちはいい人たちだ」

彼らは、東条首相の様子や食べ物の話など日本にいたときの記憶を語りつつ、およそ以上のようなことを述べた。僕は3行目と4行目の前半の意見には同意しなかったし今も同意は出来ない。あまりにも単純化された分析だし、日本国民に罪があるかないかなどは戦後60年(2004年当時)も経って、まるで戦後すぐの頃のような単純二元論で評価してほしくなかった。結論がどうであれそれは「僭越」というものだからだ。

しかし僕はアメリカ人に「正確な認識」などは期待していなかった。日本人だって詳しく知っている人など稀だし、僕だって彼らに上手に説明する高度な知識などはなかった。そんなことより、彼らはかつて日本にいて、その間に日本人が好きになっていて、この公園を歩く僕ら夫婦を見て親しみをこめて話しかけてくれた。この善意と好意を素直に受け入れるのに僕らは何ら躊躇しなかった。

あの当時日本にいたアメリカ人にとって日本は憎い敵国だ。戦争の原因や認識があの程度ならむしろ敵はいつまでも敵と思うだろうに、日本で培った彼らの日本人観は少なくとも悪くなかった。否、「いい人たちだ」という認識を持っていた。それはつまり、当時の日本人が「Good Loser」だったからだろう。僕は祖先たちを誇りに思ったし、敵味方を越えて日本人との友好を進めたアメリカ人のフェアネスに好感した。

公園観光後、予約済みのモーテル「Appach Motel」にチェックインした。故レーガン大統領が役者時代に宿泊したことなどがこのモーテルの売りだった。チェーンでないモーテルも経験してみたくて泊ったが、まあ普通だった。いや悪くはなかった。街も悪くはなかった。特に朝陽が岩山に当たる様は美しかった。

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モーテルの看板と「売り」のレーガンさんの肖像

翌朝、アリゾナ州Page(ペイジ)に向けて出発。途中、まずユタ・コロラド・アリゾナ・ニューメキシコの4州が一点で交わる「Four Corners(フォーコーナーズ)」に立ち寄る。右の写真の「+」の中央に立つと、同時に4州に遍在できるのだからたまげる。

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ということで4州に同時に存在してみた

そういえば、このとき真剣に思ったのは「この場所にあるみやげ物店はどこの州の消費税を払うんだ?」ということだった。皆さんは答えがわかりますか。この疑問を思いついたとき結構興奮したのだが、しばらくして気付いた。「ここはナバホ自治区なんだからナバホの消費税(あれば)だわな」。 

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フォーコーナーズは州境が交わる「+」部分にある

フォーコーナーズを出てUS-160を西に行き、US-190で北上し、さらにUS-163で西に行くとメキシカンハットという集落に出る。まさにメキシコ人がかぶる帽子のような大きな岩が付近にあるのでそういう名前になったのだが、肝心の写真は撮れなかった。

この辺では一つ町を逃すと1時間出てこないのは普通なので、ここでガソリンを入れ併設のコンビニでホットドックを買って食べた。ジャンク系はどんな田舎でもそれなりにうまいんだ、これが結構。

更に163を南西に行くといよいよモニュメントバレーが出現する。この写真の構図は結構お馴染みのはずだが、実際道路を入れ込んで風景を撮る場合、誰でもこうなるので致し方なし。というか車から降りずに撮ったのでフロントガラスの分だけ色のシャープさがない。妻に教育的指導をしたのは言うまでもない。

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US-163の北東側から見るモニュメントバレー

いくらテレビなどでおなじみだとは言っても、実際に公園内に入って景色を見るとその荘厳さは筆舌に尽くしがたいものがあった。ここは国立公園扱いされていないのだが、どういう差別だろうと思う。ここはいい。南カリフォルニアの砂漠地帯のような鈍い銀色のゴツゴツとした岩山に比べ「人間味」を感じる砂漠だ。

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公園内部

堪能し、名残惜しみつつアリゾナ州Pageに向かう。宿泊のために選んだ町であるが、実は近くにLake Powell(パウウェル湖)があり、Grand Canyonの北入口までは直線で70kmほどの場所にあるのだ(実際には直線の道はなく、100km以上走る必要があるが)。ただし宿泊のために選んだ町なので特に何もしないで翌朝次の目的地、アリゾナ州Phoenix(フェニックス)に向かった。

おっと、この町には他の町と違うことがあった。大通り沿いに教会が沢山並んでいたのだ。今日試しにGoogle Earthで見てみたら650メートルの区間に教会(ロケット様のアイコン)が8つあるではないか。まさにこんな感じだった。但し何故こうなったのかの理由はわからない。

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2004年、ロッキーの西側を走った(その二)

朝ラブロックを出るとアイダホに向かった。「行ったことのない州がひとつ減る!」という邪(よこしま)な気持ちが抑えきれなかった。超絶なスケールの、まだ見ぬ土地をこの目で見、走り抜けられる喜びを隠しきれなかった。

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Lovelock -->Pocatello

I-80でWells(ウェルズ)という町まで行き、そこでUS-93に入り北上すると、州境の町にして「大当たり!」という意味の縁起のいい町、Jackpot(ジャックポット)になる。簡単に言ったが、ここまででラブロックから約500kmだ。

US-93で印象的だったのは雲だ。綿あめのような雲が、ぽかりと、しかしくっきりと浮いていた。おあつらえ向きの標高で、おあつらえ向きの空気の澄みかただったのだろう。他に何もないが、それがいいのだ。ここで食事をとって出発するとほどなくアイダホに入った。

アイダホを走っている時、この牧歌的な雰囲気にはやはりカントリーがあうのではないかと思ったが、印象に残った曲の記憶がない。念のためにハードディスクレコーダーに焼いていたこの時のビデオを見てみたが、ほぼ全編家から持ってきていたシェリル・クロウだった。でも、それで記憶が蘇った。シェリルの曲が終わってラジオに変えると、ほどなく流れた曲、それがThe Callingの「Wherever you will go」。


アイダホといえばポテトと学校で習ったし、昔はアイダホのジャガイモを使っていると宣伝していたスナック菓子もあった。確かにアイダホに入って畑が広がっているのを確認したが、それがジャガイモかどうかはわからなかった。

比較的大きなTwin Falls(ツインフォールズ)に着き、少し街中を走って様子を見、その後I-86に乗って東を目指した。
走る以外何もしない。景色が流れ行くのをただ目に焼き付け、とにかく走った。特定の目的地はなく、行ける所まで行くという感じで最終的にPocatello(ポッカテロ)という町でインターステートハイウェイを降り、宿をとった。きれいで洗練された町だった。

翌朝、とにかくWyoming(ワイオミング)州に入ることを目的にして、
ポッカテロからI-15でIdaho Fallsまで行き、そこからUS-26を道なりに進んでみた。緑なす山と青い空の下、道の横を小川が流れ、そこに可憐な花が咲き誇る…牧歌的な景色が秀逸なドライブコースだった。その時は気付かなかったが、そこはロッキー山脈だった。

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Pocatello --> Afton

やがて大きな貯水湖を過ぎるとそこが州境で、いよいよワイオミングに入った。最初の町、Alpine(アルパイン)でUS-89に入り更に南下をつづけた。緑が基調の美しい景色はまだまだ続いていた。

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Palisades Resovoir(パリセイズ貯水湖)。別にきれいじゃないけど他に写真がない。

このUS-89周辺は「Star Valley」と呼ばれる美しい自然を誇る野生保護区があった。確かに綺麗だった。しかし冬は豪雪だ。会津西方の豪雪地帯生まれの僕だからこそ、ここには住もうという発想にはならなかった。だからと言って摂氏50度の砂漠のほうがいいというのも変なのだろうが。
 
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「イエローストーン大生態系」に属し多種多様な動物がいるという。まあそんなことより、綺麗だった。

US-89を素直に下って来るとAfton(アフトン)という町に着いた。ちょうど食事時だったので僕はバーガーキングを食べた。妻はサブウェイだった。


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Afton --> Draper


アフトンから更に道なりに南下していくと、再度アイダホに入った。更に進むとBear Lake(ベアレイク)という大きな湖に出た。ここからまたまた山道が始まったのだが、要するにまたロッキー越えを開始したわけである。そうか、タイトル間違えた。「ロッキーの西側」じゃなくて「ロッキーとその西側」にすべきだった。

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この時から看板フェチは始まった / ベアレイク

道中はキャンプやラフティングを楽しむ大勢の人々がいた。やがて下り坂になって平地に降りると、今度は右手にGreat Salt Lakeが、行く手にはSalt Lake Cityが出てくる。一応モーテルも探しながら市内を見てみるが妻は何か不満そうだ。「ここは何か違う」。出た。ああそうですか…。まあ確かにモルモン総本山の町なので、少し独特のにおいを感じたのだろう。

更に南下していくと突然の雨が。叩きつけるような雨だ。時間的にも潮時だろうと言うことでDraper(ドレイパー)で見つけたモーテルにすぐにチェックインした。

2004年、ロッキーの西側を走った(その一)

ここからは更にスタイルを変えて書いていく。そもそもモーテルの宿泊費の情報とかを逐一入れるのは不要だった。そういうのはどこかでまとめて資料集を作ればいいのだし。少なくとも旅のことを書くに当たり僕が(「私」、やめました)描きたいのデータではなく「思い」なのだし。

「行っていないところを見てみたい」。それが2003年以降の僕ら夫婦の願望だった。だから2004年のアメリカドライブ旅行も「行っていないところに行く」を主眼に旅程を組んだ。まだ入国地を西海岸以外にする発想はなかったのでLAが今回も起点になったが、それでも未踏破の場所はまだまだ無限にあった。7月14日から7月25日まで有休を取り、僕らはロッキーの西側を走る旅に出た。

初日は
サンフランシスコの南東150km、LAからは500kmほど北にあるTurlock(タ―ロック)という町に行こうとした。妻が大学卒業前に1ヶ月ほどの短期ホームステイをした場所だ。そもそも妻は英語がサウンドとして好きだったのだという。そして卒業旅行の高級版的な位置づけで短期ホームステイに参加することにし、たまたま行った先がこの町だった。この時の体験は素晴らしかったそうで、結果的に妻のアメリカへの好感度を押し上げてくれたそうだ。

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LAX--->Turlock。道中は緑の平野が広がる

14:00、I-5を行く選択もあったが、それではつまらないのでCA-99を使って北上した。Bakersfield(ベイカーズフィールド)を過ぎてからは緑なす平野が広がり、遥か東にはシェラネバダの山々を見ることが出来た。ことのほか順調に進んで、19:00にはタ―ロックに着いた。

しかし妻は、ホームステイ先の住所を思いだすことが出来なかった。見覚えのある街角はあったのだが、「見覚えのある家」は見つけ出せなかった。さ迷った揚げ句かなり暗くなったので隣町のModesto(モデストウ)で一夜を過ごし、翌朝もう一度行ってみた。

今度は発見した。ドアをノックしてみると若者が出てきた。

「こんにちは。かなり昔のことですが、ここにいる私の妻が日本からここにきてホームステイしたことがあります。今回アメリカに旅行に来たので、お礼を言いたくて訪ねてみました」

僕がそう言うと、若者は「それはそれは。でも残念がら僕たちはその家族ではなくて、ここを借りている学生なんだ」。

ということでホストファミリーには会えなかった。彼は、確信はないがと前置きしながら「そのファミリーは恐らくずいぶん前に引っ越してのではないか」とも言っていた。妻は、無論会えなかったのは残念と感じていたが、それでも思い出の地を訪問出来たことに一応の満足感を覚えていたようだ。

僕の見たタ―ロックは治安のよい典型的な郊外都市だった。ここでアメリカの最初のイメージを形成した妻に、僕のような「砂漠の田舎町フェティッシュ」になれと言っても無理な注文だと思った。ところで「治安のよさ」に関してはほぼ100%当たる判別法がある。芝生と植物にお金をかけているか、それだけ。かけていれば、そこは治安がいいエリアだ。

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こういう街並みを維持するのには住民の意思と金が要る

次の宿泊地には、タ―ロックから州都・Sacramento(サクラメント)経由で500km強の距離があるネバダ州のLovelock(ラブロック)という町を選んでいた。ここは名前で決めた感が強い。何しろ「愛の鍵」なのだから。

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Turlock --> Lovelock。韻を踏んでみた、わけではない。
 
Lovelockまでの道中、まずはサクラメント市内(特にOld Sacramento)を見て回る。緑あふれる町だが、友人(LA在住のアメリカ人)は「Boring(つまらない街)」と言っていた。少し立ち寄っただけで何がわかるものでもないが、州の機能が集約されて首都になっている都市ならば、まあ一般的な意味で面白くなくとも仕方ないだろう。ただ、もし今サクラメントに行ったなら、TVシリーズの「Mentalist」ゆかりの地として全く異なる興味を持って町を散策しただろうに。

この文章を書いている今(14523日)現在、アメリカでは「Mentalist(メンタリスト)のシーズン6が丁度終了。もともとの舞台はサクラメントだったが、主人公らがCBIの職員からFBIの職員に変わったことで舞台はテキサスに移った(撮影現場は基本的にLAだそうだが)。筆者は「コロンボ」のころから、即ち小学生のころからアメドラが好きだったが、このドラマは個人的にベスト3に入る。My Best 3とは即ち「コロンボ」、「メンタリスト」、「バーンノーティス」である。


US-50を東に進むと、シエラネバダ山脈の山越え区間が始まった。これは前年に行ったロッキーとはまた異なる趣があって美しかった。山脈の東に位置する
Lake Tahoe(タホ湖)は、青い湖、針葉樹の緑、そして青い空のコントラストが美しく、人気リゾート地になるのも理解できた。

サブウェイで昼食を済ませ、US-50を進んでいくと山を降りる区間になった。次第に森林エリアから砂漠になっていき、ほどなくネバダの州都、Carson City(カーソンシティー)に到達した。人口5.5万程度の小さな町だが、州都らしい威厳と歴史が街並みから感じられた。

カーソンでUS-50からI-580に入り北上すると、ラスベガスほどではないがカジノで有名なReno(リノ)に入る。ここでI-80に再び入り、あとはLovelockまで一本道となった。ところで、この区間には塩湖が一面に広がる場所があって、誘惑に駆られて車を路肩に止め、中に入ってみた。すると予想に反して表面に塩をふいている地面は柔らかく湿っており、足は「ずぼっ」と深く入り込んだ。何故表面はカチカチだと当時思い込んでいたのだろう。どうでもいい話だが。

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塩湖。表面はヌメっとしている

Lovelockには16:30頃に着いた。何の変哲もない田舎町であるが、いまだに非常にいい印象を持っている。あまりに夕焼けが哀愁に満ちて美しかったのだ。2002年に車で初めて砂漠の田舎町を見ることが出来、以降03年04年と見てきた「成果」として、わずかな違いが鑑別できるようにでもなったか。

まあ当たり前だが、夕焼けの哀愁は夕焼けだけが生み出すのではなく非常に複合的な要素がからむ。視界に入る山や建物の構造だけでなくその時の空気や心のあり方も影響する。まあ、何しろ下の写真のような景色を見て、僕の心にLovelockが刻まれた。「美しい夕焼けが見られる砂漠の町」として。


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Lovelock-夕焼けの美しい町(指定 by 僕)

街にはスーパーが一軒あったが、欲しいと思えるものはあまりなかった。そこでマックに行ってチキンバーガーを2個注文した。まずくはなかった。

2003年、デンバー・LA間をドライブした(その三)

7/1
この日はNeedlesから南方面に行くことにし朝7:00頃出発。まずはUS-95を降りて行くが、気になった道が出てきたらそこに入ることにした。このあたりはコロラド川が流れていたので、川岸を走れる農道に入ったり、せせらぎのそばで休憩したりしていると時間がどんどん過ぎて11:00をまわってしまった。CA-78号を急いで南下することにとし、11:30にBlythe(ブライズ)という町を通過。1時間後に突然砂漠ではなく砂丘が目の間に現れた。

Algodones Dunes(アルゴドンズ砂丘)
岩や石と低木の砂漠もいいけれど、たまには砂丘もいいものだ。青空とのコントラストは掛け値なしに美しい。
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そしてここ一体はなんというか「気品と気高さがある荒れ地」という感じがした。下の写真でお分かり頂けるだろうか(わかるはずないわな)。

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ここで時間を食ってしまったので、昼食は14:00過ぎになってしまった。CA-78号沿いのBrawley(ブローリー)でケンタを食す。味はまあまあだった。

昼食後、一気にLAに行こうと思ってそのまま78号を120km進んでJulian(ジュリアン)を過ぎ、60km進んでEscondido(エスコンディード)に来てしばし考え、真逆のSan Diegoに行くことにして
I-15を南にぶっ飛ばした。

*San Diego
San Diegoは人口が100万人を超える大都市ながら非常にコンパクトな作りで、この日泊ったモーテル(Super 8、$66.29)もこれまでで一番狭かった(いまだにこれより狭いモーテルに泊ったことはなし)。食事はダウンタウン側に行けばスーパーやコンビニなど何かあるだろうと思ったが何も発見できず、スタバみたいな店でパン類を仕入れた。

7/2
San Diegoを一通り見るということで、まず海に行った。 すると「Cabrillo National Monument」というのがあった。1542年、このCabrilloさんが欧州人として初めて今のアメリカ西海岸に来た人なのだという。ふーんとしか思えなかった自分が恥ずかしい。

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霧のキャブリロ館前 / キャブリロさんと一緒に

霧が出て海は何も見えなかったので、ダウンタウンというかショッピングディストリクトを探してみた。やはりなんとなく狭くてコンパクトな町だ。買物はLAでするので特にどこにもよらず再度海に行くと、今度は晴れていてしかも非常に美しかった。全体的な景観も澄んだ海水自体も大都市のそれとは思えないクオリティーだった。「Oatmanに住む」という発想を実行に移した人々の考えをますます訊きたいと思った。

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Mission Bay(ミッションベイ)です。都会でこのような海が残されアクセス至便。豊かです。

13:30、パンダエクスプレスで昼食を済ませ、せっかく国境にいるのだからメキシコに行こうと思い立ちボーダーまで行ってみた。妻は若干及び腰だったが「せっかく」なのだから仕方がない。車を進めいよいよ国境を過ぎた途端、今度は私が怖気づいた。看板など一切がスペイン語に変わって、何が何やらさっぱりわからない。

どうやってSan Diegoに戻ったものやら皆目分からず途方に暮れながら走っていると、何故か一台の車が指で「俺についてこい」と。「ええい、ままよ!」とついていったらきっちり検問所に辿りついた。10ドル渡してお礼を言うと彼はまたどこかに消えていった。あれが彼の仕事なのだろう。そして私のような奴が、毎日何人か彼のお世話になっているのだろう。

検問を待つ間、子供たちが花を売ったりフロントガラスを拭こうとしたりして道路を移動していた。アメリカとメキシコの貧富の差をまざまざと見た思いだった。妻は「レンタカーで国境を越えて何かあっても一切保証は効かないよ!」とおかんむりだったが、いやいや、それを早く言いなさい。

もう17:00になっていたのでLAに行くためにI-5をぶっ飛ばしたが、疲れてしまい途中のコスタメサでモーテルを探した。Days Inn Costa Mesaに決めたのは、ラッキーにもビジネススイートという部屋を通常レートで借りられたからだった。広く美しい部屋で、窓からは遠くで花火を打ち上げているのが見えた。近所のスーパーで食料を買い込み、またまたDrew Carey Showの再放送を見ながら眠った。

7/3~7/4
3日はSanta Monicaに移動しショッピングしたり、またまた懲りもせずケリーとドナのビーチハウスに行ったりして時を過ごし、4日の昼にLAXを発ち日本に帰った。日本に戻ると1週間は廃人になる。時差ぼけは勿論影響があるが、アメリカにまた1年行けないことが嘆かわしいのである。

2003年、デンバー・LA間をドライブした(その二)

6/30
朝7:00、メインストリート(Route 66)を中心にギャラップの街中を走ってみた。
インディアンジュエリーの店などもまだ閉まっており人通りはほとんどなかったが、朝陽に照らされた街は美しかった。Sante Fe鉄道がRoute 66に並行して走っていてこれも風情を醸していた。にも関わらずこの町に思い入れがいまだに湧かないのは「インディアンしかいなかったから」では断じてない。この時の自分の興味は、既にこの先にあるWinslowにあったからだ。

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*Holbrook, AZ(ホルブルック)
200km先にあるWinslowに着くまでには基本I-40を使うが、所々でRoute 66に乗れる場所があった。インターステートをただ飛ばすより楽しいので、出来るだけ66を使って進んだ。途中にあるHolbrook(ホルブルック)は味のある給水塔と
インディアンの住居の形をしたテント式のモーテル「Wigwam Motel」で好事家には有名な町だ。私たちもここにより、メインストリートになっているUS-180を町並みが途切れるまで走ってから引き返した。ついでにサークルKで眠気止めのアメを買った。

*Winslow, AZ(ウィンズロウ)
小学生の時に耳にし、高校の時に好きになったイーグルスの”Take It Easy"の歌詞に出てくるWinslow(ウィンズロウ)には10:00ごろ着いた。自分にとっては聖地と言えるほどの場所であり、会津の片田舎の高校の教室で弁当を食べながら地図で探していた「あの」Winslowに来たんだなぁ、としばし感慨にふけった。

Take It Easy」が描き出した風景は素晴らしかった。赤いフラットベッドの車、主人公を翻弄した女性たち、素晴らしい景色が見える街角・・・。一体どんな景色なのか楽しみにして実際に来てみると、全然景色などよくない。というか「ただの街角」でしかない。ではそれにがっかりしたかというと、全然。


その憧れの「The Corner(あの街角)」は、歌詞の対極にあってよい景色など何も楽しめなかったが、そこには私たちのような観光客が何人かいて、写真を撮ってほしいと言ってきたおば様たちと話す機会があった。

「日本から来ました。”あの街角”の景色が見たくて。でも全然”such a fine sight to see(素晴らしい眺めだ)"じゃないですね」

「本当そう。全然ね。ここは”ただの街角”よ。でもあの歌を聴いた者にとってはそれはどうでもいいのよ。私たちだってシカゴから来たのよ。どんなに遠くても、ここに来ないわけにはいかなかったのよ」


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左から私、ドンヘンリー(ギターを持っているがドラマ―)、そして妻

そう「巡礼者」にとっては「メッカ」に来ないわけにはいかないのだ。その後ツアーインフォメーションセンターによってパンフなどをもらい、11:00にWinslowを後にした。走りながらどこで昼食を食べようか考えていると、砂漠の真ん中に車が入っていくのが見えた。一台ではなく結構な数が未舗装の道路を土煙を上げて進んでいくので、私たちも付いていくことにした。

そこは「Meteor Crater(メテオクレイター)」 で、要するに隕石があけた大きな穴を楽しむ場所だった。実際それなりに楽しかったが隕石や宇宙の講釈はしないでおく。そうそう、ここにはサブウェイがあって昼食はサンドウィッチを食べた。砂漠と隕石を愛でながらサブウェイ。オツであった。

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直径1kmをこえるこの穴は5万年前に出来たとか

 その後は順調にFlagstaff、Williamsと進み、Route 66の中でも今回特に走りたかった区間が始まるSeligmanに着いた。

*Seligman(セリグマン)からKingman(キングマン)へ
インターステート開通で一気に廃れていったRoute 66沿道の町の中で、再興運動を主導したのがこのSeligman(セリグマン)だったという。古き良きアメリカを再現するかのような建物やクラシックカーが飾る街並みは、その努力の跡が見て取れた(下の写真は2011年に再訪した時のもの)。

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どこかの店に入ってもよかったのだろうが、私たちは入らなかった。もし会話がつまらなかったら、もし食べ物がまずかったら、もし売りモノがちゃちな粗悪品だったら、心のどこかで神格化していたこの街を「他と変らない俗物的な観光地」と見なしてしまい、Route 66自体にも幻滅するだろう。それが怖かった。だから写真を撮るだけにして、昨年も訪れた(通過した)Kingman(キングマン)を目指して車を走らせた。

アメリカドライブの御供用に作ったコンピCDはアメリカの曲だけで構成されていてイギリスや豪州物は注意深く抜いてある。でも持ってきたCD3枚には60曲くらいしか入っていないので、大抵の時間はFMを聴く。そしてこのときチューニングを合わせた局がドンピシャで流した曲はビートルズの「I Feel Fine」だった。出だしのフィードバックの音が66を走るというシチュエーションにあうので吃驚した。そしてその普遍性に感動した。


I-40と並走せず、合流もしないこの区間のRoute 66は確かに素敵だった。風景自体は特に何の変哲もないものだけど「威厳と孤高」を感じた。「Route 66だから」という刷り込みでそのように思ったのかもしれないし、それは否定しない。でもとにかく「重み」のようなものを感じたのは確かだ。

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Kingmanに着くまでに色々な集落を通過した。その中の一つ、Peach Springs(ピーチスプリングス)という町に入ってみた。町が視界に入ってきたら、不意に「将来アメリカに住めたときに居住地を都会に限定する必要はあるのかないのか、ここを見たらそれを確かめる一助になるかも」と思ったからだった。無論2003年の時点では全く真剣な話しではなくて「シャレ」が多分に含まれていたし、その時何らかの結論を出したかと言えば何も出なかった。ここが
フアラパイインディアン居留区のキャピタルだということは後で知った。

アメリカのモータリゼーション絶頂期を象徴するようなビンテージカーやガソリンの給油機などが見れるHackberry(ハックベリー)を17:00に通過し、30分ほどでとうとうキングマンに着いた。ここですることは特になく、ここから先は行き当たりばったりで進むことになる。色々考えたがI-40で西進はあまりにつまらないので、とりあえずこのままRoute 66をOatman(オートマン)まで進むことにした。

Oatmanへの道を進みだすと間もなく、一言で言って「悪路」になった。砂漠としての過酷さも一流の上、道はボコボコで狭く曲がりくねり、しかも時刻は18:00を過ぎていたが気にせず(気にしていられず)先を急いだ。

Oatman, AZ(オートマン)
18:30、道路わきに「Welcome to Oatman, AZ」と書かれた幌馬車が置かれていた。やっと着いたようだ。(後で知ったのだが)かつてゴールドラッシュで栄えたこの町の今の「売り」は、1939年人気俳優クラークゲーブルが新婚旅行でここを訪れた事実があること、お化けが出るホテルがあること、ロバが街中を歩いていることなどだそうだ(この時ロバはいなかったが)。

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ビデオ映像のキャプ画像につき低画質をお許しください

しかし私は、速度を落として運転しながら、しかし一度も止まることなくこの町を通り過ぎてしまった。アメリカ南西部にはこのように岩山に囲まれた過酷な場所はいくらでもあって、それ自体は珍しくないからだ(たとえ「売り」を知っていても通り過ぎたと思う)。でも、こういう場所に来ること自体への興味はまだ尽きないでいる。「こんなところ」に住むという選択をした人の気持ちや覚悟を、今でも私は訊いてみたいと思っているから。

旅チャンネルというBSだかCSだかの局が昔「栄光のマザーロード、ルート66」という番組をやっていた。この番組のオープニングはイーグルスの「Desperado」、エンディングはマーク・ノップラーが在籍したノッティング・ヒルビリーズの「Feel Like Going Home」だった。「ああ神様、これまでやってきたことは全部間違いでした。家にかえりたいです」という歌詞を含む後者はあまりに番組にフィットし、その後のお気に入りとなった。


*Needles、CA
ニードルズは前年にも来て(=通過して)いた。今回はここに泊ることにした。妻は前年この町の雰囲気が好きではないと言っていた。通り過ぎただけなのに何がわかるのだ。今回はもうここの「Days Inn & Suites」に速攻で決めた。43.99ドル。夏の砂漠のモーテルは安い。

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2003年、デンバー・LA間をドライブした(その一)

この年もFM放送局でサラリーマンをしながら、アメリカドライブが出来る日を一日千秋の思いで待っていた(あ、今後「ですます調」で書くの止めます)。前年の2002年にドライブしたことでアメリカの旅の楽しさは百倍増し、とても365日が経過するのを待ちきれず、旅行は6月末に行くことにして以下のような旅程を組んだ。但し6月30日のキングマン以降は旅の当日に決めたものだ。

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成田 ⇒ シアトル経由 ⇒ デンバー

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デンバー空港 ⇒ リトルトン(CO)

28

デンバー ⇒ モントローズ(CO)
・ロッキーの山並みを見ながら走る
・コロラドナショナルモニュメントを訪れる

435km

29

モントローズ ⇒ ギャロップ(NM)
・ロッキーそのものを走る
・ルート66の重要拠点を見てみる

480km

30

ギャラップ ⇒ ニードルズ(CA)
・ルート66を走る
・あの歌詞に出てくるあの街に行く
・キングマンからはアドリブで行く 

650km

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ニードルズ ⇒ サンディエゴ(CA)
・砂漠を走る
San Diegoの海を見る

550km

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サンディエゴ ⇒ LA

200km

3

LA

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LA ⇒ 成田(5日到着)


ところで、前回のドライブ旅行で最も楽しかったのは、観光地やショッピングではなく「広大なアメリカをドライブすることそれ自体」だった。例えばデスバレーは素晴らしかったし今も大好きだが、そこに至るまでに走った何の変哲もない砂漠でさえそれに等しい感動をくれたし、前回あれだけ走ってもアメリカ50州のうち3州しか通っていない事実に「まだ訪れていない州や場所は沢山ある。早く走ってみたい」という欲望がかき立てられた。つまり、どこか特定の場所に行きたいというよりは、行ったことのない場所を走ることを優先して出来た旅程ということである。

◆6/27
シアトル経由でデンバー国際空港へ。ダラーレンタカーで車をチェックアウトしたら既に16:00近くになっていた。夏時間を採用しているデンバーの6月の太陽はまだまだ高い位置にあって、まだまだお昼のような感じだったが、デンバーから20kmほど離れた町、Lone Treeにあるモーテル「AmeriSuites Denver Park Meadows」へと急いだ。

モーテルは非常にきれいで清潔だった。気を良くしつつ近所を散策し、近所にスーパーがないので車で探し、適当なところでパン、サラダ、ビールなどを購入し、戻って食べ、風呂に入り、お気に入りのコメディー「Drew Carey Show」の再放送を見て眠った。

◆6/28
今日は600km近い走行が必要になる。朝7:30モーテルを出発し、コロラド川に沿って走るI-70を西に進む。山と川に恵まれた土地だけに、ラフティングを楽しむ人たちが大勢いた。昼、Grand Junctionでバーガーキングを食べたあと「Colorado National Monument」へ。特に人気があるスポットではないけれど、妻が希望したので行ってみた。

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I-70のサービスエリア / 公園 / 公園からの眺め

それなりに満喫し、そこから100kmほど南にあるモントローズに17:00前に到着。ネットで予約していた”Best Western Red Arrow”はハイシーズンなのに$79.93で泊れ、キュートな佇まいと何より朝食の充実ぶりには目を見張るものがあった。ここには7年後に訪れることになるのだが、今では「Best Western」の冠が取れているので、ここも経営主体が変わったのかもしれない。22:00、いい具合に疲れて就寝。


6/29
朝7:00に、US-550を南に向けて出発。3000メートル級の山々を走る。途中のOuray(ユーレイ)やSilverton(シルバートン)などは、アルプスを彷彿とさせるヨーロピアンな町並みが楽しく、山々の緑と渓流はDurangoまで果てしなく続いた。

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観光列車/ロッキーの勇壮と美/シルバートンの街並み2点

編集してきたCDの中ではAlison KlaussのDown in the River to Pray」がこの区間の最適曲だった。サウンドトラック「O Brother, Where Art Thou?」に入っていた一曲だ。「罪人(つみびと)よ、川に行き、その中で祈りましょう」といった一節があるキリスト教と関係がある曲だ。Joe Walshの「Rocky Mountain Way」より遥かに効いた。


Durangoで車を降り、町を散策した。緑に溢れたなかなか美しい町だった。駅があったので見てみると、シルバートンとこの街を観光列車が走っているようだった。メキシカンレストランを発見し、ここで昼食をとった。旨かったとは思うが量が多すぎて食べ切れなかった。

DurangoからはUS-160に入り西へと進んだ。45分ほどでCortez(コルティーズ)という町につき、US-491に入って再度南下。ほどなくニューメキシコ州に入り、Shiprock(シップロック)という町を通過した。このあたりからNavajo Nation(ナバホインディアン居留地)になる。ちなみにこの町の名前の由来であろう「軍艦のような岩(すなわち「Shiprock」)」は実在し、この道を通ると目に入る。確かに軍艦のような形をしていた(写真はないが)。

このあたりでBusta Rhyme & Mariah Careyの「Baby if you give it me」がラジオから流れてきて不意をつかれた。砂漠には全く関係ないのに妙に印象に残り、今ではこの曲とここの風景は完全にリンクしている。アメリカでラジオを聴いて、その年のヒット曲を聴くようになった。齢を重ね、昔の曲しか聴かなくなっていたのに


*Gallup, NM(ニューメキシコ州ギャラップ)
Shiprockから2時間弱、夕方4:00にGallup(ギャラップ)に到着。ここに泊ることにするが、予約がないので数件交渉し、Best Western Royal Holiday($66.97)に決定。早速夕食の仕込みがてら町中を走った後、Walmartを見つけて中に入った。驚いてはいけないのかもしれないが、当たり前のことなのかもしれないが、ここにはネイティブアメリカンしかいなかった。白人も黒人もおらずアジア人は私たち夫婦だけだった。

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